その声に、前兆は無かった。
「何をしているの」
俺にとって唐突であったように、彼女たちにとっても同じだったのだろう。目に見えて動きが止まった。
「ねぇ」
空気が、目に見えて揺れた。
背後から落ちたその声は高く、だが張り詰めていて、感情を隠す余裕がなかった。
「答えてよ」
その一言一言に圧を感じる。
声だけで分かる存在感。校舎の影に浮かぶ、桃色の髪。
息が少し荒い。頬が赤いのは、怒りか、それとも走ってきたのか。肩が僅かに上下していた。
「答えて」
睨みつけるその目は鋭く、学園で見た事のある笑顔とはまるで違う。
静かな叫びだった。
沈黙が落ちる。
その沈黙の中で、彼女たちは互いの顔を見た。そして一人が答えた。
「ちょっと話してただけだし」
「へえ」
短い相槌。
桃色の彼女は一歩、こちらに近づいた。
足音は静かだった。だが、その一歩だけで、場の主導権が完全に移ったのがわかった。
「まだ話すことある?」
感情を削ぎ落としたような声。
責めるでも、問い詰めるでもない。ただ事実を並べる口調。
「いこ」
このような状況であるというのに、否定はなかった。
一人の、その声を皮切りに4人はこの場を去ってゆく。
誰一人として俺を見ない。まるで存在しない者のように扱い、足音を遠ざけていった。
校舎裏に、静寂が戻る。
風の音だけが残った。
桃色の彼女は、ようやくこちらを見た。
「……大丈夫?」
声が、少しだけ震えている。
駆け寄ってきて、ためらいもなくシャツの裾で濡れた頬を拭った。
その距離で、ようやく気づく。つい数週間前のパーティで一度だけ声を交わした顔。
何故、が続く。疑問が湧く。
どうしてここに、なぜ、俺を。
次々と浮かぶ何故の中で、最後に残った一つが、口からこぼれた。
「何故、なぜ邪魔をした」
今度は声が出せた。
今、怒りをぶつけている。それもまがいな矛先。理解している、これは筋違いだ。
それでも、抑えることができなかった。
「お前が来なければ、もう少しで終わってた」
思い出す。
「あのクソったれ自己中が勝手に解決して、時間が後を片付ける。自然と普通に戻れたって言うのに」
あの声だ。反省も、負い目も、何もない。
あの目だ。終わっていない目だ。
今日で終わるはずの事が、彼女のせいで終わらなくなった。間違いなく続ける。エスカレートしてしまう。対処しなくては。鳳の存在を考慮しなくては。どうする?どうする?どうすれば穏便に解決する?
「それでも間違っている!!」
叫び声に、加速し続けていた思考が引き戻される。
「虐められる事を見逃すなんて、間違ってる!!」
独りよがりの偽善者が、そんな言葉を吐き捨てかけて、飲み込んだ。
深呼吸。
これ以上は無駄に無駄を重ねるだけ。これは感情論だ。目の前の存在は敵じゃない。冷静になろう。
「あれは鳳に属する。そして俺は目を付けられている」
「対抗できる手段を持ってる?」
「ない。でも、友達がいる」
「なら、あいつらを口止めさせて元の生活に戻りな」
「なんでそんな悲しいことを言うの」
「なぜ関わる。利点はない。欠点しかない」
「目の前に!!泣いている女の子が居たから!!」
彼女は泣いていた。
「絶対、絶対!見逃さない!今度は私が助ける!!」
いったい何をそうさせるのだろうか。理解が出来なかった。
色々な感情が溢れてきて、入り混じり、飲み込まれ。かえって冷静になれた。
ボタンの無くなったシャツで、この身を包む。泥に汚れた上着を羽織り、ボタンを締める。
だけども、誤魔化せる見た目にはならなかった。胸元を緩め解放する。不自然に隠すぐらいなら、堂々としている方がいい。
立ち上がる最中、地面に落ちた制服のリボンをポケットに突っ込んだ。
地面を見る。
びりびりに裂かれた、手紙の残骸。それをかき集める。もはや価値はない。だけども、だからこそごみ箱に捨てよう。
「手伝うよ」
「必要ない。手が汚れるだけ」
そう言ったけれど、彼女は気にも止めずに拾い始めた。ほぼ空白で埋まった手紙。本当に無意味だ。
「ありがとう」
受け取り、握りつぶし、ポケットの中に入れた。
「どこに行くの?」
「保健室、早退させてもらうよ」
「私も行く」
「次の授業が始まるよ」
「別にいいよ」
「ならば私も同じことを言うよ。必要ない」
「それでも行く」
彼女は一歩近づいて、途中で止まった。
躊躇。
分からないという迷い。
その沈黙の中で、二人きりなのだと、ようやく理解した。
チャイムが鳴る。
そのような中で、俺たちは静かに歩き続けていた。