カチコチカチコチ
暗い部屋に時計の音が鳴り響く。
11時25分4秒
ちょうど前日、約18時間前。17時26分。
学園から今日は休むようにと、母に連絡があった。親、学園。その両方から同じ方向を示されたのならば、断る理由はない。それに従い2日連続休むことになった。
11時25分25秒
家族を送り出し、有給でもないのに仕事を休もうとした母を叩き出す。そうして、ここに居る。
自室から出たのは落ち着かないため。明かりを消したのは落ち着くため。毛布に包まるのは感情的にならないため。昼ご飯を食べなかったのは感情的になるため。
11時25分51秒
時間は死ぬほどあった。いくらでも考える暇があった。
あらゆる流れを想定し始めている。随分と楽観的なものから、過激的なもので、記憶を埋め尽くしている。それはあまりよろしくないとは分かっている。でも、時間がそうさせる。
自分は転生者だ。だからこそ、いくつもの最終手段が思い浮かぶ。わかっている。それは家族を悲しませるもの。
11時26分49秒
最低でもあと2日は休まなくてはならない。土日休日だ。
時間はいくらでもあってしまう。だが、いくらこうしていても意味がない。既に考え抜いた。ここまで来れば、次につながる行動をすべきだろう。
そう何度目かの結論を出す。だが、スマホはあの4人組に取られたまま返してもらっていない。パソコンは無い。家から出ることは許されていない。
何もできない。
その事実が、胸の内側をゆっくりと締め付けてきた。
11時26分57秒
13時1分2秒
16時34分19秒
16時37分41秒
ピンポーン
静まり返った家に、やけに澄んだ音が鳴った。
この時間帯ならば、妹が帰って来たのだろうと思った。
だが、違う。
足音がしない。鍵を探る音もない。そもそも鍵は掛けていない。
もう一度、インターホンが鳴る。
ピンポーン
規則的で、遠慮のない押し方だった。家族じゃない。
心臓が、一拍遅れて音を立てる。
扉の前に立っているのは一人。それらは見知っている制服を着ている。
扉から半歩、引いた位置。遠すぎず、近すぎず、逃げ場を塞ぐような距離感。その立ち振る舞いは、妙に落ち着きすぎていた。
精華。鳳と肩を並べる大企業の愛娘。
「突然ごめんなさい」
精華はそう言うと、一歩だけ前に出た。
その手に、小さな紙袋があった。
「しっかりと、話があるの」
そこで一拍、間を置く。
「上がらせてもらえないかしら」
語尾は柔らかい。だが、視線は逸らさない。
断る、という選択肢が最初から想定されていない言い方だった。
チラリと横の方を見る。
どこか落ち着かない様子を見せる桃色の生徒、花宮が居た。
「どうぞ」
断れる流れではなかった。
先に、家へと上がる。
「お邪魔します」
「……お邪魔します」
片方はしどろもどろしい。だが気にする余裕はない。
振り返れば、精華が準備を終えていた。
「つまらないものですが」
紙袋から菓子折を取り出し、こちらに向けられていた。
「これはご丁寧に、ありがとうございます」
受け取れば、後ろも振り返らず手早く、リビングへと向かう。
早急に、静かに、床に落ちた毛布をソファに畳み置く。そしてキッチンで来客対応用の準備を始めた。
「そちらのソファにどうぞ」
茶を用意しながら言った。そうして菓子と合わせて目前の机に置くまでが準備であった。
「粗茶ですが」
「ご丁寧にありがとうございます」
精華は一口飲んだ。そして目を煌めさせて言った。
「美味しい」
「どこのお茶かしら」
「市販のパック茶です」
「まさか……何か秘訣があったりするのかしら」
「昔、抹茶をしばいた事があるので」
「なるほど」
そう言うと、何の面白みも無いお茶を眺めはじめた。隣には、それに習う影があった。
自分もすっと一息つくと、切り出す。
「それで、本日はどのようなご用件でしょうか」
花宮が居る以上、俺にとって最悪の内容を伝えに来たのではないだろう。
「貴方、今回の一件をどのように認識しているのかしら」
「大まか、想像通りに」
「貴方の口から聞きたいの。答えてくれないかしら」
「最悪の場合、自分に従わない存在がどうなるのか、見せしめが行われている」
「そう」
精華は頷いた。一呼吸を置いて、言った。
「貴方の認識は間違っているわ」
「そうですか」
「誤解がある。鳳は、そんな事考えていないわ」
「そうですか」
「……貴方、言うことはそれだけなのかしら?」
「そうですね、良かったです」
精華はほんの一瞬だけ眉を動かした。
「最悪の状況でないのであれば、やり様は幾らでもあります」
「もっと思う事があるのでは?」
「特には」
「貴方ねぇ」
精華は初めて声を荒げた。だが、俺はそれに被せた。
「考えてみてくださいよ」
「ある日、突然好意とやらを行動で示してきた。しつこく、お金にいとめもなく、付きまとわれた。そしてある日、終わった。何か言われたわけでも、何か特別な出来事があったわけでもないのに」
「暗い自分が出たのでしょう。悪意があったのなら聞いても無駄、興味を失ったのならこのまま関係性を無くしたい。そんなことを考えていました。今思えば、しっかりと聞くべきだったのでしょうね」
現実にしたくなかったのだろう。正直に言えば、怖かったのだ。あれほどの好意の裏側に、俺が気付けない程の悪意を持っていることを認めたくなかった。
だが、俺にとっての最悪とは家族が巻き込まれることだ。聞く以外の選択肢はない、無いはずだったのに聞けなかった。
「それは間違っていないと思うわ」
「でもね」
「聞かなかったことが問題なんじゃない」
「聞けなかった理由を、ずっと一人で抱え続けたことが問題なの」
「そう、なのでしょうね」
もともと明るい性格ではない事に加え、中等部での一件で僅かにあった交友関係は完全に絶たれた。家族のことは守るべき者という認識しかない。前世の感性というものは、いとも簡単に俺を独りにした。
「月曜日は来るのかしら?」
「何もなければ」
「鳳からあなたへ話があると思うわ」
「それをどうするかはあなた次第。孤立したいならするといい、間違える自分が嫌なら逃げればいい。それもいいわ。ただ、後悔しない選択をしなさい」
「私は帰るわ」
そう言うと、精華は立ち上がった。
「花宮が話したい事があるらしいから見送りは必要ないわ」
すたすたと、静かに去る。それを追い掛ける事は無かった。
その場に残るのは時計の針の音。そして俯く桃色の影。それはしばらく経っても続いた。