ガチャリ
扉が開く。そこから現れたのは黒服では無かった。
「伊織?なぜここに居るんだい?」
鳳燐が、スタイリストを連れてたどり着いた。
場の空気が、わずかに変わる。
「すみません。ドレスを返却に来たのですが、私の制服が見当たらなくて、待ってました」
「あ、ごめん。クリーニングに出しちゃた。今手元に無いわ」
「…いえ、お気遣いありがとうございます」
「それに、それは君の物だ。返す必要はないよ」
「いいえ、借り物です」
「ならプレゼントだ。私は着ないからあげよう」
「結構です」
即答だった。
「どちらにせよ、今着る服はそれしかないよ?」
言われて、初めて逃げ道が塞がれていることに気づく。
「…どうしても、というのならば後日返してくれ」
「ありがとうございます」
「それで、それは何だい?」
鳳の指が、俺の腕を取った。
ドレスという薄着の衣装では到底隠しきる方法のないそれ。彼女の視線の先にあるのは、そこにある手の跡だった。
「誰にやられた?」
「事故です」
「それで、誰なんだい?」
「私、と言えましょう」
「言う気はないと?」
「言うも何も、私のミスですから」
沈黙。
視線が刺さる。初めて彼女に対して恐怖という感情を抱いた。
その時だった。
ノックもなく、扉が勢いよく開いた。
「買ってきッ……!?」
声が途中で凍りつく。
それは服を買ってきてと頼み、それらを抱えた黒服であった。
「何だいその服は?」
鳳は黒服に歩み寄った。
「私が買ってくるようにお願いしました。勝手に指示してしまい申し訳ございません」
「それはいいよ」
鳳は近づき続けた。そして自然な流れで、息も絶え絶えた黒服の腕を取り、静かに持ち上げた。五本の指の、一つ一つ確かめるように見つめる。鳳は背中しか見えないが、黒服の表情はよく見えた。
「彼は良い人です」
「庇うのかい?」
「事実です」
鳳は一瞬だけ考え、そして言った。
「いいだろう」
鳳は黒服が持つ服を奪い取った。
「仕事に戻りたまえ」
「失礼します」
黒服は急ぎ足で出て行った。
「どうぞ」
服を受け取る。
「先ほどの人の連絡先を教えてくださいませんか?」
「なぜ?」
「代金を立て替えていただきましたので」
「なら私が補填しておこう。払う必要はないが、払いたいなら私に渡してくれ」
「すみません。今は持ち合わせがありません」
「ああ。なるほど。急に誘ったことを忘れていた。すまなかったね、家まで送って行こう」
「いえ、大丈夫です」
「遠慮はするな。私の責任だ。送られてくれ。」
今はまだ、良い流れだった。それを絶つ理由など何処にもない。
「お言葉に甘えさせていただきます」
「それでは着替えます。少々お待ちください」
「私を待たせる気か?」
明確に機嫌が悪くなっていた。妥協ラインはここか。
「すみません。ありがとうございます」
「それでいい」
鳳は笑った。
「それじゃ行こうか。すまない、もう1時間ほど暇を出す。」
「いってらっしゃい」
スタイリストは軽く手を振る。それを背に、俺たちは車に乗った。
車内は静かだった。
外の喧騒が嘘のように遮断され、タイヤの音だけが一定のリズムで流れていく。
革張りのシートは柔らかく、落ち着かない。
「怖かったかい?」
前を向いたまま、鳳が言った。
「いいえ」
即答だった。
「腕のことだよ」
「私の不注意です」
また沈黙が落ちる。
「君は、よく庇うね」
「そういう取引をしました」
「それを庇っていると言うのだ」
「損をする性格だ」
嘘を嫌う、それは不器用な性格とも言えるだろう。
「承知しています」
「直す気は?」
「ありません」
短い沈黙。
「……いい答えだ」
それきり、鳳は何も言わなかった。
視線を外に逸らす。ライトアップされた風景が見えた。
車は滑るように夜道を進む。
「君は、私をどう思っている?」
唐突だった。
何か深い意味が込められていないか、何か言うべきことがあるのではないかと、思考を費やす。だが、今更態度を変える利点が思いつかなかった。
「誘拐犯です」
数秒の間。
次の瞬間、鳳は笑っていた。
「正しいね」
それ以上、何も聞かれなかった。
停車した。外を見れば、見慣れた景色。
扉が勝手に開いた。
「私は同じことを話すのが嫌いだ。それは君の物だ」
別れ際に、言われた。
「ありがとうございます」
「さようなら」
彼女はそれだけ言い捨て、帰って行った。
振り返り、自宅を見る。
当然のように自宅の位置は知られていた。
「はぁ」
白い吐息が世闇に消えてく。