木ノ葉隠れの里に流れる風は、どこか初夏の爽やかさを孕んでいた。
下忍としての一歩を踏み出した第七班に与えられたのは、演習場での死闘とは無縁の、あまりにも「日常的」な仕事の数々――D級任務。
「……ふふ、ふふふふ。……最高だ」
荷物運びの任務を終えた直後。里の片隅、受付所の裏手で、サクラは手にしたばかりの報酬袋を愛おしそうに眺めていた。その表情は、先日の演習で見せた冷徹な軍師のそれとは似ても似つかない、どこか世俗的で、それでいて純粋な歓喜に満ちている。
「ひゃー! 任務最高! お金最高!」
サクラは報酬の入った小さな袋を顔に寄せ、金貨が擦れ合う微かな金属音を、まるで極上の音楽でも聴くかのように味わった。
「…………」
「…………」
数歩離れた場所で、ナルトとサスケが点になったような目でサクラを凝視していた。
「……なぁサスケ。サクラちゃん、あんなキャラだったか……?」
「……知らん。だが、少なくともあいつは、鈴よりもあの袋の方が欲しかったようだな」
サスケは呆れたように息を吐き、クナイの手入れに視線を戻した。
サクラにとって、この変化は劇的だった。 九尾の乱で両親を失って以来、彼を支えていたのは里の孤児院から配給される必要最低限の生活資金だ。だが下忍となった今、彼は孤児院を離れ、里の外れに小さな個人賃貸の部屋を借りることに成功した。 四方の壁が、自分の。誰にも干渉されない、自分だけの拠点(フィールド)。 その維持費を、自分の腕一本で稼ぎ出す。前世の社畜時代には当たり前だったはずの「経済的自立」が、この死と隣り合わせの世界では、何物にも代えがたい「生存への武器」に感じられた。
(生活費、光熱費、そして独自調合の薬草代……。これらを余裕で賄える。D級任務はリスクがゼロに近いのに、報酬が確定している素晴らしいボーナスステージだ!)
サクラは懐から一枚のカードを抜き、優雅に弾いた。
「幻想召喚――『ベビー・ドラゴン』」
――【LP:6800】。
召喚コストはわずか1200。サクラのLPバリアを大きく削ることのない、安全圏での運用だ。
現れた翼の小さな竜は、サクラに懐くように鼻先を寄せると、彼が指示した重い荷物の束を器用に足で掴み、最短距離で配送先へと飛び去っていった。
「さあ、次に行こうか、二人とも。効率よくこなせば、あと三つは回れるよ」
サクラは中性的な美貌に、ひまわりのような明るい笑みを浮かべて振り返った。その足取りは軽い。
(足の速い低レベルモンスターを複数展開すれば、移動時間は半分に短縮できる。LPを燃料にして、この里の物流を独占するのも悪くないな……)
効率と利益。
サクラの頭の中では、忍としての研鑽と同時に、この世界を「より快適に攻略する」ためのライフハック的な計算が、恐ろしい速度で構築されていた。
「おい、待てってばよサクラちゃん! 俺、もっとカッコいい忍らしい任務がやりてーよ!」
「……黙れナルト。サクラ、貴様……次も那個体(モンスター)を使うのか。あれは荷物運びのための術ではないはずだ」
文句を垂れる仲間たちの声を背に受けながら、サクラはスキップせんばかりの軽やかさで、次の「盤面(バイト先)」へと向かった。
夕日に照らされたサクラの背中は、もはや孤独な孤児のそれではない。
自分の力で、自分の運命を、そして自分の財布を支配し始めた――紛れもない一人の「個人」の背中だった。
:護衛任務とランク詐欺
木ノ葉隠れの里、任務受付所。
天井の低い部屋には、湿った紙の匂いと、燻り続けるキセルの香煙が淀んでいた。
「もうっ! もっとマシな任務をよこせってばよ! 芋掘りとか草むしりは、もう飽きたんだ!」
ナルトの咆哮が、静かな受付所の空気を震わせる。机を叩き、鼻に絆創膏を貼った少年は、全身で「退屈」への拒絶を表現していた。隣に立つサスケも、言葉にこそ出さないものの、その鋭い眼差しには隠しきれない不満の火が灯っている。
「ナルト! お前、立場を弁えろ!」
元担任であるイルカの叱責が飛ぶが、ナルトはへそを曲げたまま聞く耳を持たない。
その光景を、サクラは少し離れた場所から、どこか冷めた目で見つめていた。彼にとって、D級任務は安全に資金を稼げる「ボーナス・ステージ」だったが、血気盛んな少年たちにその合理性を説くのは、今は無意味だと理解していた。
「……ふむ。ナルト、そう言うと思ったぞ」
奥座敷に鎮座する三代目火影・ヒルゼンが、煙管を一度だけ小さく鳴らした。
「そこまで言うなら、お前たちにC級任務を与えよう。……ある人物の護衛だ」
入室してきたのは、酒臭い息を吐き散らす、薄汚れた身なりの老人だった。橋作り職人と名乗ったタズナは、サクラたちを「ガキ」と侮り、鼻で笑う。ナルトがそれに激昂する中で、サクラの瞳だけは、温度を失ったかのように凪いでいた。
「任務受理ですね。――カカシ先生、悪いけど一分だけ、ナルトたちを先に外へ連れ出しておいてくれませんか? 三代目様に、少し個人的な『確認事項』があるんです」
「ん? ……ああ、分かったよ。行くぞ、お二人さん」
カカシはサクラの瞳に宿る、妙に理知的な光に気づき、片眉を上げた。だが、追及はせずに暴れる二人を抱えて退室する。
部屋に残ったのは、ヒルゼン、イルカ、そしてサクラの三人だけになった。
「サクラ、何か不満か?」
「不満じゃありません、火影様。……『けじめ』の話です」
サクラの声が、重く、低く響く。
彼は一歩、ヒルゼンの前へと歩み寄った。その中性的な美貌には、もはや子供の愛嬌など一片も残っていない。
「あのタズナという人、バチボコ嘘ついてますよ。……僕、この数日間D級任務で里中の商店や行商人を回りましたけど。波の国は今、ガトーというヤクザ企業に暴力で支配されてるって聞きました。それも、忍崩れを傭兵として雇ってるってね」
ヒルゼンの目が、僅かに細まる。
「これがC級? 笑わせないでください。対人戦闘、それもプロの忍が相手なら、本来はB級以上の案件だ。報酬とリスクが釣り合ってない。ランク詐欺ですよ、火影様。僕の『盤面』では、そんな穴だらけの契約は通りません」
「……サクラ、言葉が過ぎるぞ!」
イルカが慌てて制止するが、ヒルゼンはそれを手で制した。
老火影は深く、長く煙を吐き出す。
「……気づいておったか。確かに波の国は今、苦しい状況にある。タズナもまた、里を救うために必死でな。高額な報酬は払えんが、奴を死なせるわけにもいかん」
「情に訴えるのはいいですが、それはビジネスじゃない。……もしこれで、僕やナルトたちが死んだら、誰が責任を取るんですか? 現場(僕たち)に、追加の報酬なり、情報の開示なりがないのは不公平だ」
サクラは懐からカードを一枚、ヒルゼンの目の前に提示した。
「この任務、受けます。でも、帰還後には『幻想召喚』の研究に必要な資材の融通、それから中忍試験への推薦枠……。そのあたりの便宜、考慮してもらえますよね? 命を懸けて不足分を埋めるんですから」
ヒルゼンは、呆れたような、しかしどこか満足げな笑みを浮かべた。
「……ハッハッハ。カカシの言った通りだ。春野サクラ、お前は本当に……恐ろしい子供だな」
「最高の褒め言葉として受け取っておきますよ」
サクラは優雅に一礼し、踵を返した。
扉を開けると、壁に寄りかかって盗み聞きをしていたカカシと目が合う。カカシは困ったように頭を掻いた。
「……聞いたかい、先生? 波の国は、死ぬかもしれない『修羅場』だそうですよ」
「ああ、聞いてたよ。……どうやら、気楽なハイキングにはならなそうだ」
サクラの桜色の髪が、逆光の中で怪しく、そして冷たく揺れる。
彼の脳内では、波の国という新たな盤面の攻略シミュレーションが、LPの残量計算と共に既に始まっていた。