:実戦への準備と他力本願
三代目の部屋を後にした廊下。冷え冷えとした空気の中に、火影が燻らせた煙の残香がわずかに漂っていた。
サクラは歩みを止め、横を歩く上忍を見上げた。
「……B級以上の任務だと二人に共有しようと思いますが、カカシ先生はどうお考えで?」
問いかけは静かだったが、そこには「現場指揮官」としての意見を求める冷徹な響きがあった。カカシは前を見据えたまま、気怠げに後頭部を掻く。
「んー……実戦であいつらがどう動くのか、見てみたい気もするがね。忍び崩れとの戦闘の可能性がある……と、俺から伝えとくくらいかな」
「スパルタっすね……」
サクラは思わず顔をしかめた。その反応に、カカシが片目を細めて視線を落とす。
「ご不満かな?」
「三代目様にはああ言いましたけどね、先生」
サクラは吐息をつき、自身の掌を見つめた。そこには、目に見えないライフポイント――LPという名の「余命」が常に刻まれている。
「第七班で一番死にやすいの、僕なんですよね。サスケ君はエリートの生き残りだし、ナルト君には底知れない爆発力がある。それに比べて、僕はリソースが尽きればただの肉の塊だ。……うわー、死にたくなーい」
棒読みのような口調。だが、その言葉に混じった「生」への執着は、決して冗談ではなかった。
カカシはフッと短く笑うと、サクラの短く切り揃えられた桜色の頭を、ポンポンと軽く叩いた。大きな手のひらの熱が、サクラの頭頂部から伝わってくる。
「安心しろサクラ。俺の仲間は、誰も死なせはしねーよ」
それは、重い約束だった。かつて多くの命を零してきた男が吐くには、あまりに痛々しく、それでいて確かな決意。
サクラは動きを止め、無言のままジト目でカカシを見つめ返した。
「……あら? 疑われてる? 俺」
「実力に疑いはありませんが……。いかんせん先生、遅刻癖がなー。大事な局面で『人生という道に迷ってた』なんて言われて消えられたら、僕のLPなんて一瞬で溶けますよ」
サクラの皮肉に、カカシは苦笑いを浮かべて肩をすくめる。
「まあ、今回は『カカシ先生無双編』! ということでお願いします。期待してますよ」
「他力本願はよくないよ、サクラも頑張ってね」
カカシはひらひらと手を振ると、そのまま影に溶けるように姿を消した。
一人残された廊下。サクラは深く息を吐き出す。
(他力本願、か。……カカシ先生を『壁』に使いつつ、僕は僕でデッキを再編しないとね)
波の国。バニラモンスターだけの盤面で、どこまで通用するのか。サクラは懐のカードの束を確かめると、新居への道を急いだ。
これから始まるのは、演習という名のゲームではない。
血と泥にまみれた、本物の「実戦」なのだから。
:里外遠征
木ノ葉隠れの里を象徴する、巨大な朱塗りの門。「あ」と「ん」の文字が刻まれたその門の下に、第七班の面々は集結していた。
朝の清冽な空気が、遠征用のリュックの重みと共に肩に食い込む。
「よっしゃあ! いよいよ里の外だ! ついに俺様の伝説が始まるってばよ!」
ナルトは、パンパンに膨らんだリュックを背負ったまま、落ち着きなく跳ね回っていた。初めて見る「外の世界」への期待が、彼の全身から溢れ出している。
「……おい、本当にこのガキ共で大丈夫なのか? 頼りねえなぁ」
傍らでタズナが酒臭い溜息をつき、不安げにナルトを見下ろす。その肩を、カカシが軽くなだめるように叩いた。
「まあまあ、上忍である俺がついてますから。安心してください」
カカシの声はいつものように気怠げだったが、ふと、その視線が鋭く研ぎ澄まされた。彼が一度だけ短く咳払いをすると、現場の空気が一変する。ナルトのはしゃぎ声が止まり、サスケもまた、無言のままカカシの瞳を見つめた。
「いいかい、二人とも。……今回の任務、戦いが起きる確率は極めて高い」
カカシの低い、真剣な声色が重く響く。
ナルトの喉がゴクリと鳴った。期待が冷や汗へと変わる、その境界線。サスケは不敵に口角を上げ、自身の忍具袋を確かめた。望むところだ、という剥き出しの闘争心がそこにある。
そしてサクラは、二人とは少し離れた場所で、静かに自身の指先を弄んでいた。
彼女の指の間に挟まれているのは、実体化を待つ三枚のカード。
(……この三枚で、第一フェーズ(接敵)を凌ぐ)
サクラはカードの表面をなぞり、そこに刻まれた「幻想」のステータスを脳内で反芻する。
『封印の鎖』: LP消費1100。拘束力に特化した天使。相手の不意を突き、その身をギリギリと締め上げるための伏兵。
『エルフの剣士』: LP消費1400。前衛の要。サスケの斬撃に追従できる速度を持つ、唯一の近接戦力。
『砦を守る翼竜』: LP消費1400。上空からの索敵。不意打ちを阻止し、火球で敵の隊列を乱す広域兵器。
合計コスト、3900。戦闘が始まれば、サクラのLPは即座に半分近くまで削られる。この「身を削る」感覚こそが、サクラにとっての実戦のリアリティだった。
「……さて。タズナさん。改めて、その『現場の状況』とやらを、詳しく聞かせてもらえますか?」
サクラはカードを懐に収めると、笑顔だが底の見えない、圧のある表情で老人を射抜いた。
「『ただの嫌がらせ』にしては、波の国の噂は物騒すぎます。何が相手なのか、どんな連中に狙われているのか……。それを隠したまま護衛されるのは、僕たちにとっても非常に『効率が悪い』。正直に、話してもらえますよね?」
サクラの問いかけには、単なる好奇心ではない、軍師としての冷徹なプレッシャーが宿っていた。タズナが気圧されたように後ずさり、ヒルゼンに詰め寄った時と同じ「商談」の空気が、木ノ葉の門を支配した。
カカシはそれを見て、苦笑しながらも否定はしなかった。
波の国への道。
それは、第七班が「子供」でいられる最後の散歩道だった。