森のざわめきが、急速に温度を失っていく。 カカシに制圧され、その額に巻かれた「霧隠れ」の里の紋章が、逆光の中で鈍く光っていた。
「……霧隠れの中忍、鬼兄弟。まさか君たちのような小物が、これほど早く動くとはね」
カカシは気怠げな声で告げたが、その視線には冷徹な光が宿っている。彼は顔を上げると、まだ荒い息をついている三人の教え子たちを見渡した。
「それにしても、皆よくやった。ナルトは勇気を持って護衛を完遂した。サスケは的確な判断で足を止めた。そしてサクラ――」
カカシの視線が、サクラが顕現させた『幻想』へと向く。
「君のその鎖(じゅつ)がなければ、もっと手こずっていただろうね。……素晴らしい対応だ」
「……あ、あはは! まぁ、俺様にかかればこんなもんよ!」
ナルトが強がって鼻の下を指でこするが、その足はまだ小刻みに震えている。サスケは無言のまま、自分の実力が上忍に届かなかった悔しさを噛み締めるように拳を握っていた。
そんな二人を余所に、サクラは拘束された刺客たちを、まるで壊れた道具を見るような無機質な目で見つめていた。
「……先生、こいつらどうするんですか? このまま放っておくわけにもいきませんよね。僕たちの位置がバレた以上、放置はリスクでしかない」
「ああ。分かっているよ」
カカシはベストの胸ポケットから、一本の小さな巻物を取り出した。それを地面に広げると、チャクラを流し込みながら、迷いのない手つきで印を結ぶ。
「こいつらは木ノ葉の尋問部隊(あんぶ)に送る。……強制的に口寄せ契約を上書きさせてもらうよ」
カカシの呟きと共に、巻物から漆黒の術式が這い出し、鬼兄弟の身体を侵食していく。抗う暇もなく、ぼふんという白煙と共に、霧隠れの忍たちの姿がその場から消失した。
「……よく覚えておけ、お前たち」
カカシは立ち上がり、空になった巻物を仕舞いながら、三人をまっすぐに見据えた。
「忍が任務に失敗し、生きたまま捕らえられるということは、もう二度と光を見ることはないということだ。彼らは木ノ葉の地下で、持てる情報のすべてを搾り取られ、その後は……」
言葉の続きはなかった。だが、その沈黙こそが何よりも饒舌に、忍という職業の末路を物語っていた。
ナルトが息を呑み、サスケが目を逸らす。サクラはただ、自分の掌を見つめた。
(敗北=情報の完全な喪失、か。僕がLPを0にして気絶すれば、僕の体質も召喚の秘密も、全部解体されるんだろうな……)
その背筋に走った悪寒は、恐怖というよりは、生存戦略上の「致命的なエラー」を突きつけられたことへの戦慄だった。
――場面は変わり。
波の国の、霧に包まれた重苦しいアジトの一室。
「……失敗しただと? 安くない金を払って雇ってやったというのに。鬼兄弟も、所詮はその程度の価値か」
高級なスーツに身を包んだ小太りの男――ガトーが、葉巻の煙を吐き出しながら不快そうに声を荒らげていた。
その視線の先。部屋の隅にあるベンチに、巨大な「何か」を担いだ男が、不敵な態度で座っている。
「ガトー。……あんまり俺の機嫌を損ねるな。俺の獲物(包丁)は、中忍のガキ共より少しばかり食い意地が張っていてな」
男が顔を上げると、首まで巻かれた包帯から、鋭い獣のような眼光が放たれた。その背にあるのは、数多の首を跳ねてきた大刀――『首斬り包丁』。
「桃地、再不斬……! 貴様、口を慎め!」
「ククッ……。安心しろ。次は俺が行く以上、あの橋作りも、その護衛も……すべて霧の中に消える」
再不斬の低い笑い声が、アジトに淀む霧を震わせた。
本物の「鬼」が、牙を剥こうとしていた。
:霧の中の潜入
視界を埋め尽くすのは、乳白色の濃密な霧。
波の国へと続く海路、小舟はエンジンの音を殺し、櫓を漕ぐかすかな水音だけを響かせて進んでいた。
船首に座るサクラは、湿り気を帯びた空気に視界を奪われながらも、脳内でリソースの確認を繰り返していた。
(霧の中での乱戦は最悪だ。物理的な障壁として機能するモンスターを、どのタイミングで切るか……)
思考の熱を冷ますように、サクラは腰の忍具入れから小さな包みを取り出した。
中から現れたのは、色とりどりの、星の欠片のような小さな砂糖菓子。
「ナルト、サスケ君。……これ、口に入れておきなよ」
サクラは二人に「金平糖」を差し出した。自分も一粒、淡い桃色のそれを口に放り込む。
「噛まずに舐めて、ゆっくり溶かせ。……脳に糖分を送っておかないと、この霧の中じゃ判断力が鈍るよ」
「お、おう……。サンキューな、サクラちゃん」
ナルトは緊張を隠すように、受け取った黄色い粒を口に放り込んだ。サスケも無言で一粒つまみ、舌の上で転がす。砂糖の素朴な甘さが、極限まで張り詰めた少年の神経を、わずかに解きほぐしていく。
「……ふん、お節介だな」
憎まれ口を叩きながらも、サスケは前方を見据えた。霧の向こう、巨大な影となって現れた建設途上の橋。それは、この貧しい国の希望であると同時に、これから始まる殺し合いの象徴でもあった。
船頭の案内で、一行は目立たない水路へと滑り込んでいく。
カカシは額当てを深めに下げたまま、静かに周囲の「気配」を探っていた。
(鬼兄弟が消えた。……次は間違いなく、上忍レベルの暗殺者が来る。この霧、そしてこの閉塞感。奴らにとっては最高の狩場だ)
カカシの内心を裏付けるように、上陸した一行を、高い木の上から見下ろす眼光があった。
霧を透かし、獲物の動きを克明に捉える獣の目。
桃地再不斬は、包帯に包まれた口元で、小さく舌なめずりをした。
(……ほう。写輪眼のカカシがいるとは聞いていたが。あのピンク髪のガキ、妙な気配をさせてやがるな)
再不斬の視線が、サクラの指先に止まる。
カードを弄ぶその動作。一見して隙だらけのようでいて、その実、どの方向からの奇襲にも即座に「何か」を顕現させようとする、異質の戦闘準備。
(ガトーの言うような、ただの暗殺任務にはなりそうもねえ……)
再不斬は背中の大刀、首斬り包丁の柄に手をかけた。
霧が、一層深くなる。
サクラの口の中で、金平糖が最後の一欠片となって砕け、消えた。
「――伏せろ!」
突如として響いたカカシの鋭い号令。
サクラが反応するよりも早く、霧を切り裂いて巨大な「鉄の塊」が回転しながら飛来した。
幻想の幕が、今まさに上がろうとしていた。