神殿の空気は澄んでいた。
デンデが地球の神となった日。
神殿の中央で、デンデは両手をかざし、七つの石を静かに見つめていた。
それは長い年月の中で力を失い、ただの石ころのように沈黙していたドラゴンボール。
だが、デンデの掌から溢れる龍族の気が触れた瞬間、石は淡い光を帯び、まるで眠りから覚めるように震え始めた。
悟飯はその光景を見守っていた。
デンデは、静かに語り始めた。
「……悟飯さん。私は、過去の地球の惨状を見ました。まさか、地球がこの様な状況に晒されていたとは…」
デンデは続ける。
「ドラゴンボールを復活させ、さらに強化しました!元のドラゴンボールは、一年以内に死んだ者しか生き返らせられませんでした。私は……時間制限を解除します!」
光が強くなり、七つの球は輝きを取り戻す。
悟飯の心臓が強く脈打った。胸の奥に、言葉にできないざわめきがあった。
悟飯は即決できなかった。神殿を降りたあと、悟飯はしばらく空を見上げていた。胸の奥に、説明のつかない重さがあった。
「……どうして、こんなに迷っているんだろう…」
人造人間と戦っていたあの頃なら、迷いなどなかったはずだ。父も、ピッコロも、クリリンも、生き返らせられるなら、迷わず願っていたはずだ。
だが今は違う。
皆が死んでから、二十年以上が過ぎた。世界は変わり、人々はその喪失を抱えたまま生きてきた。
「自分の欲で……宇宙の流れを壊してしまっていいのだろうか」
悟飯は拳を握りしめた。その手は震えていた。
「僕は……薄情になったのかな……」
それはただ、胸の奥から漏れた弱い声だった。
夜、悟飯はブルマの家を訪れた。トランクスも居た。
三人はテーブルを囲み、静かな空気が流れていた。
悟飯は迷いを吐き出すように語った。
ドラゴンボールの強化、時間制限の解除、そして自分の葛藤。
話を聞き終えたトランクスが、ゆっくりと口を開いた。
「……悟飯さん。オレも……父さんに会ってみたいって思ったことはあります」
悟飯はおぼろげに彼を見る。
「でもオレは、悟飯さんの考えを尊重しますよ」
ブルマは腕を組み、少し苦笑した。
「……あいつは、すごい悪人だったからね。今頃、地獄で苦労してるんじゃないかしら」
だがブルマは続けた。
「でも……贔屓目で言うとね。あいつは、生まれ育った環境が最悪だっただけで、根っからの極悪ってわけじゃないと思うのよ。あの人、不器用で……愛し方も守り方も知らなかっただけ…」
そして笑って言った。
「ホント、贔屓目かもね…!」
ブルマは微笑んだ。
「あんまり抱え込みすぎるんじゃないわよ」
悟飯は、決断できぬまま、何も手につかなかった。修行場に立っても、拳を握るだけで動けない。本を開いても、文字が目に入ってこない。
静かな部屋の中で、悟飯は机に突っ伏したまま動かなかった。
「なぜ……こんなに冷静なんだ、僕は…」
「何を悩む必要があるんだ……?父さん、ピッコロさんたちを生き返らせられるなら、迷う理由なんて……」
「……僕は……仲間たちへの想いが……消えてしまったのか?」
その問いは、悟飯自身を深く傷つけた。
悲しみを沈めることに慣れすぎた。心を落ち着かせることに慣れすぎた。
「……僕は……冷酷になってしまったのか…」
夕方の光が差し込む中、悟飯は自宅の庭のベンチに座り、動かずに空を見ていた。
ビーデルは、そんな悟飯を見つめていた。
悟飯は普段、静かだが優しい。だが今の悟飯は、静けさではなく沈黙だった。心がどこか遠くへ行ってしまったような、そんな表情。
ビーデルは意を決して近づいた。
「悟飯くん…」
悟飯はゆっくりと顔を上げた。その目は、どこか曇っていた。
「……ビーデルさん。ごめん、ちょっと……考え事をしてて」
ビーデルは悟飯の隣に座った。
「悟飯くん。何があったの?こんなに沈んでる悟飯くん、初めて見る……」
悟飯はしばらく黙っていたが、やがて静かに語り始めた。
「……ドラゴンボールって知ってる?」
「ドラゴン……何?」
悟飯はゆっくりと説明した。
七つ集めると、どんな願いでも叶う球、かつて地球に存在し、そして今、デンデによって復活し、さらに強化されたこと、時間制限がなくなり、二十年以上前に死んだ人も生き返らせられること。
ビーデルは唖然とする。
「……ちょ、ちょっと待って。願いが叶う? 死んだ人が……生き返る?そんな……そんな話、信じろって言うの?」
悟飯は苦笑した。
「普通は信じられないよね……」
ビーデルは混乱しながらも、悟飯の表情を見て確信した。
「…本当なんだね」
悟飯は静かに頷いた。
「…僕は今…仲間たちそのものの事より、世界の事を気にしている……僕は……薄情になったのかもしれない……仲間たちへの想いが……消えてしまったのかもしれない……」
ビーデルは悟飯の手をそっと握り首を振った。
「そんなことない!悟飯くんが優しいの、私が一番知ってる!」
ビーデルは真剣な目で言った。
「迷ってるのは……優しいからだよ。誰かを生き返らせるって、そんな簡単なことじゃない。だから悩むのは……悟飯くんが、ちゃんと考えてる証拠だよ!」
ビーデルは深呼吸した。
「……でも、正直言うと……混乱してる。願いが叶う球? 死んだ人が戻る?そんな世界、私の常識じゃ理解できないよ……」
ビーデルは空を見上げた。
「私だって……パパに……悟飯くんにも、パンにも会わせられたら……どんなにいいかって……それは、時々思ってる」
夕暮れの空の下、悟飯は深く俯いたまま、かすれた声で言った。
「……僕は……答えを出せそうにない……」
悟飯の言葉を聞いた瞬間、ビーデルは思わず悟飯の腕を掴んだ。
「悟飯くん……!」
その瞳は強く、揺るぎなかった。
「何でも一人で抱え込まないで!」
ビーデルは続ける。
「あなたはずっと……多くの事を背負ってきた…そして今は、死んだ人たちのことまで……!」
ビーデルの声は震えていたが、決して弱くはなかった。
「そんなの……一人で抱えられるわけないよ!悟飯くんは強いけど……人間なんだよ!」
ビーデルは悟飯の手を握りしめた。
「悟飯くん……あなたが苦しんでるの、見てられない。私だって……パパに会いたいよ。でもね……あなたが苦しんでるのはもっと嫌なの!」
ビーデルは静かに言葉を重ねる。
「答えを出せないなら、一緒に悩めばいい!即決なんてしなくていいじゃない!だから、一人で抱え込まないで!一緒に、ゆっくり考えよ!」
悟飯は、目を閉じた。胸の奥に溜め込んでいた重さが、少しだけ溶けていった。
その夜、悟飯は疲れ果てたように眠りに落ちた。まるで深い水底に沈んでいくようだった。
暗闇の中で、ふいに光が差した。
そして、懐かしい声が響いた。
「よっ、悟飯! 久しぶりだな!」
悟飯は驚いて振り返った。そこには、あの頃と変わらない笑顔の悟空が立っていた。太陽のように明るく、迷いの欠片もない。
「父さん……?」
悟空は大きく笑い、悟飯の肩を叩いた。
「本当よく頑張ったな! おめぇはやっぱすげぇよ!オラの想像以上だ!」
悟飯の胸が熱くなった。その声を、どれほど聞きたかったか。
悟空は続けた。
「オラたちのことは気にすんな!なんか、宇宙のコトワリ、っつうのがあるらしくってよ、あんまりそれを乱すと、一番えれぇ、やべぇ神様が怒って、宇宙そのものを消しちまうことがあるんだとよ」
悟空は笑いながらも、優しい目で続けた。
「オラたちはもう、二十年以上も前に死んだ存在だ。そんな奴らを何十人、何万人も生き返らせるのは、かなりやべぇんだとよ」
悟空は悟飯の肩を掴み、まっすぐに言った。
「だからよ、おめぇはおめぇの世界、未来を生きろ!悟飯!オラはそれで十分だ!」
悟飯の目に涙が溢れた。
悟空は笑って手を振った。
「おめぇが死んだら、また会おうぜ!試合しような!じゃ、まったなー!」
光が遠ざかり、悟空の姿が薄れていく。
悟飯は泣きながら笑っていた。
「はは……まったく……父さんったら……相変わらず明るいんだから……!」
朝日が差し込む中、悟飯はゆっくりと目を開けた。
頬には涙の跡が残っていた。
それは、ただの夢だったのかもしれない。
だが悟飯は、嬉しかった。
「……ありがとう、父さん」
長く沈んでいた心が、ようやく浮かび上がっていくのを感じた。
その日の午後、悟飯はブルマの家を訪れた。
悟飯は深く息を吸い、静かに告げた。
「……人造人間に殺された人たちは、生き返らせないことにします」
悟飯は続けた。
「僕たちは、僕たちの未来を生きます。今ある世界を守っていく。それが、僕の答えです」
トランクスはゆっくりと頷いた。
「はい!異存はありません!オレもがんばります!」
ここ数日の悟飯の落ち込みを見ていたブルマは、涙をこぼしながら、笑った。
「…よかった…元気になったのね、私も異存なしよ」
悟飯は小さく頷いた。
また、迷うこともあるだろう。後悔することもあるだろう。
だが、今はただ、悟飯たちは、新たな、未来への歩みを決意したのだった。