昼休み。
小さな警備会社の事務所には、古い換気扇の回る音と、小麦の香りが漂っていた。
ブロリーが台所に立つ。
サイヤ人の食費は洒落にならないので、チライが「外食は破産する」と宣言して以来、食事はほぼ自炊になった。
パラガスにとっては、それはあまりにも奇妙な光景だった。
息子がパンを作っている。パラガスは、椅子に腰を下ろし、パン生地をこねるブロリーの背中をじっと見つめた。
生まれたときから、サイヤ人は戦士として育つ。
戦うために生まれ、戦場で死ぬことが当たり前だった。
パラガス自身もそうだった。幼い頃から戦闘訓練を受け、若い頃には侵略部隊に所属し、戦い、壊し、奪い、命令に従い続けた。
戦場こそが日常で、血と怒号と破壊の中でしか生き方を知らなかった。
そして、惑星バンパに閉じ込められてからの数十年。
そこでも戦いは続いた。
巨大生物が襲いかかり、食料は乏しく、生き延びるために戦うしかなかった。毎日が、生存のための戦いだった。
そんな日々の中で、ブロリーはただひたすらに強くなり、ただひたすらに戦い続けた。それが当たり前の日常だった。
だからこそ、今、目の前でパンをこねている息子の姿は、あまりにも異質で、あまりにも平和で、あまりにも遠い世界の幻のようだった。
パラガスは、ため息がついて出た。
事務所の入口に、巨大な麻袋が三つ積まれていた。
一つの袋には「全粒粉 100kg」と印字されている。
レモはその袋を見て、頭を抱えた。
「…おいチライ。流石に買いすぎじゃねえか…? オレたちゃパン工場じゃねえんだぞ……」
チライは、悪ぶれず答えた。
「これが一番割安だったんだよ。サイヤ人の食費は量が勝負なんだから、単価を下げるには、超業務用がベストだろ」
レモは呆れた。
「限度があるだろ…」
台所ではブロリーは巨大なボウルに粉を流し込み、嬉しそうに生地を練っていた。
「パン……美味い。作るの……楽しい」
レモがぼそっとつぶやく。
「まあ……重機の維持費よりは安いけどな……」
パラガスの眉がピクリと動いた。
「…貴様ら。オレ達を重機扱いしおって……」
事務所の空気が一瞬で凍る。チライは慌てて手を振った。
「あ、あははは! 違う違う!ただの例え話だから!」
レモも必死に続く。
「そ、そうだパラガスさん!ブロリーの焼くパン意外と美味いんだよな!」
パラガスは深いため息をつく。
「…戦士がパン作りとはな…」
ブロリーは上機嫌で生地をこねる。
チライは横で、満足げにうなずく。
「そうそう、その感じ。上達したじゃない」
ブロリーは少し照れたように目を伏せた。
「……チライが教えてくれたから」
チライは笑いながら、指先で生地の表面を軽く押す。
「最初は生地を木っ端微塵にしてたもんね」
ブロリーは、そのときの惨状を思い出し、少し肩をすくめた。
「……あれは……失敗だった…」
ブロリーが練り上げた巨大な生地は、もはやボウルからあふれていた。
全粒粉の香りが事務所いっぱいに広がり、それを見たレモは、コーヒーをすすりながら言った。
「……なあブロリー。こんなに作っても、家庭用オーブンじゃ焼ききれねえぞ」
チライも生地の山を見て考えた。
「確かに…次の目標は、業務用オーブンの購入かな」
ブロリーは生地を見つめながら、ぽつりと言う。
「ギョウムヨウ…?…それ、あったら…パン、いっぱい焼けるのか…?…オレ、それ、欲しい…」
レモはその二人の言葉を聞いて呆れた。
「おいおい、…オレたち、パン屋にでもなるのかよ…」
しかし、言ってから気づく。
「……パン屋か……それで生活できるなら悪くないけどな……戦場よりよっぽどいい」
食事の話をしていた流れでチライは、ふと思った。
ブロリーは、あの過酷な惑星ヴァンパで育った。
まともな食料も少ない環境で、あれだけ強く、健康に。
その事実が、チライの頭の中でひとつの線につながる。
「……ねえ、レモ」
チライはパン生地をこねるブロリーを見て言った。
「ブロリーってさ、バンパの食べ物だけで育ったんだよね?」
レモは一瞬考え、頷く。
「ああ、そうだろ。あの星の虫とか植物とか……あれで生きてたんだろ」
チライは言った。
「…ってことはさ。バンパの食料って、栄養価がとんでもなく高いってことじゃない?」
レモは一瞬固まり答えた。
「ああ…確かにな…」
チライはニヤッと笑った。
「もしかして、あそこの食料を原料にして売り出したら、儲かるんじゃない!? 」
レモはため息をつく。
「…オレたちいつから食品会社になったんだよ…」
だがレモは、否定はしなかった。
「……まあ、説得力はあるけどよ……」
そしてチライは、ひとりでブツブツと考え込んだ。
(……でも、収穫地は絶対に秘密にしないといけない)
(業者に目をつけられたら、乱獲されて終わりだ)
(ブロリーの故郷が、金のために踏みにじられるなんて……絶対にダメだ…)
(やるなら、原料は企業秘密で押し通すしかない)
(バンパの名前は絶対に出さない。誰にも場所を特定させない)
レモは眉をひそめる。
「また妙なこと考えてんな…コイツ…」
事務所には、パンの香りと、新しい商売の気配と、守るべき星への静かな想いが漂っていた。
夕方。
事務所の小さなオーブンは、限界稼働を続けていた。
焼き上がりの音が鳴るたびに、ブロリーが嬉しそうにオーブンを覗き込む。
天板には、こんがりと焼けた全粒粉パンがぎっしり並んでいた。
外はカリッと、内側はふんわり。香ばしい匂いが事務所いっぱいに広がる。
レモはその量を見て、思わず苦笑した。
「もう既にパン屋じゃねえか…」
ブロリーはパンを持ち上げながら、素直に言った。
「パン、美味い。いっぱい焼けて……嬉しい」
チライはテーブルに皿を並べながら言った。
「はいはい。でもパンだけじゃ栄養偏るからね。今日はちゃんとチーズと野菜たっぷりでいくよ」
テーブルに並んだ食材を見てレモは目を丸くした。
「おお……ちゃんとした夕食って感じだな!」
チライは胸を張る。
「社員の健康は重要だからね!」
ブロリーは焼きたてのパンをちぎり、チーズをのせて口に運んだ。
「…美味い!」
パラガスも渋い顔でパンを食す。
事務所の小さなテーブルを囲んで、焼きたてのパンと温かい料理を分け合う。
チライがパラガスに尋ねる。
「ねえパラガスさん。どう? ブロリーの焼いたパン、美味しい?」
パラガスはパンを手にしたまま、一瞬黙った。
パラガスは厳しい表情で渋々答えた。
「……ふん…バンパの食い物に比べたら、なんだって美味いわ」
チライは微笑んだ。
「はは、良かったねブロリー!美味しいってさ!」
レモが笑う。
「パラガスさんなりの最大級の賛辞だな」
パラガスが二人を睨みつける。
「貴様ら…あまり調子に乗るなよ…」
チライとレモは、誤魔化すように食事を続ける。
「あ、あはは…美味しいねこれ」
「あ、ああ、ブロリー、腕を上げたな!」
ブロリーは父を見つめ微笑んだ。
「父さん……食べてくれて、嬉しい」
パラガスはそっぽを向きながらも、パンを味わった。