アウターヘイヴン
17年前、裏世界の伝説となった一人の傭兵が、『何者にも縛られない、日陰者たちの楽園』を実現するために立ち上げた傭兵組織。その理念に同調した者達が集まり、今では一つの都市を形成出来る程の規模になっている。また、連邦生徒会やトリニティの有力者との関係も深く、裏社会での影響力はカイザーと並ぶほどだ。
「『………』」
そんな大組織を立ち上げた傭兵は、本拠地であるマザーベースの自室にて、一人の少女と対面していた。お互いに向き合って大分経つが、どちらも沈黙して話が進まない。気まずい。
「すまない」『ごめんなさい』
同時の謝罪。余計に空気が気まずくなる。だが、せっかく出来た話の取っ掛かりを逃すわけにはいかない。
「…何故君が謝る。」
『だって、私のせいで迷惑かけちゃいましたし………ボスさんこそ、何で謝るんですか。』
「エコーで良い。……それは、君を半ば無理矢理ここに連れてきてしまったからだ。」
『……仕方ないじゃないですか。私が見えるのは、貴方だけなんですから。』
ビナーとの戦闘の後、エコーは梔子を伴ってマザーベースへ帰還した。本来であれば、アビドスの市街地まで送り届ける所だが、今の彼女は何故か彼以外には見えていない。このような状態で放置すれば何が起こるか分かったものではないし、何より後味が悪い。
そういうわけで試すのも合わせて彼女をマザーベースへ連れてきたのだ。ここのセキュリティは尋常ではなく、資格のない者が入ろうとすれば例え味方が近くにいようと構わず撃滅される仕組みになっている。これを資格を得る以外の方法で抜けるならば、単純で圧倒的な暴力で攻め入るかハッキングして侵入するかの二択である。彼女は資格もないのに、どちらの選択を選ばずここにいる。
それが、一つの答えを想起させる。
『……死んじゃったんですね。私。』
「ハッキリとそう決まった訳では……」
『大丈夫です。もう、全部思い出しましたから。』
梔子の目から光が消える。それは正しく死人のようであった。
『砂嵐に巻き込まれて………帰り道も分からなくなって………飲み物も食べ物もない中で………』
思い出したくない記憶を、絞り出すようにポツポツと口にする。渇死と言うのがどのようなものなのか、経験のないエコーには分からない。それでも、想像を絶する苦痛であることだけは理解できる。
『なんで……』
言葉は続かず、梔子は俯く。
エコーは知っていた。近い内に梔子ユメが死ぬことを、知識として知っていた。だが、救えなかった。言い訳ならいくらでもあるが、梔子が死ぬことを何処かで許容していたのだ。
それが本来の筋書きだから。変えてはいけない過去だから。
一つの変化が、未来に与える影響は時に人の想像を超える。それが生死の類であり、同時に既に決まった未来への干渉であるなら尚更だ。当然、変化にも良し悪しはある。もしかすると彼女が生き残ることで物事がより良い可能性に繋がることも考えられる。だが、そんな曖昧で不安定な『かもしれない』に、確定した幸せな結末を賭けられない。そう思っている自分が確かに居たのだ。
「……これからどうするんだ?」
自分の弱さに目を背けるために、これからの話をする。推定死者に未来を尋ねるのも如何なものかと思ったが、意思を持って存在している以上、次に何をしようとするのか知るのは大事なことである。
梔子の肩が微かに震え、両の手が強く握りしめられる。無神経な質問に対する怒りか、自身の境遇に対する哀しみか。
そのどちらかしか思い至らなかった自分に、彼はほとほと呆れることになる。
『私をアビドスに連れて行ってください。』
そう口にした彼女の目は、何処までも『前』を向いていた。
『あそこです。』
翌日早朝、二人はアビドスにいた。変装はしているが一応公的には無法者であるエコーは、万が一(特に小鳥遊ホシノとの遭遇)を考えて市街地から少し離れた廃墟の中にいる。
「……話に聞いてはいたが、ひどい有様だな。」
『………』
市街地だけあってそこそこ人の流れはあるが、所々にある空き家が現在の寂れ具合を如実に表している。
「それじゃ、俺はこの辺りで待ってるからな。」
何はともあれ近くまでは来た。後は彼女が戻るのを待って、選択肢を与えるだけだ。
そう思って、暇つぶしに持ってきた本を開く。内容は、覇王と呼ばれた英雄と美しい姫君の悲劇の物語。在り来りな題材だが、山海經で昔からある話らしく、何処か人を惹きつける力があるらしい。かくいうエコーも何となく気を引かれて手にした次第である。
一頁、二頁と開いていき、ゆっくりと読み進めていく。ふと、まだ視線を感じていることに気付き、目を向けてみれば未だに梔子が居た。
「……どうした?」
『…あの、やっぱり一緒に行きませんか?』
栞を挟んで本を閉じる。
今の言葉をエコー視点で要約すると
「生憎、豚箱に入る予定はなくてな。そういう話なら帰らせて「すぐ行きます!!」
立ち上がって歩き始めて、ようやく梔子は駆け始める。だが、不安なものは不安なのか、出る寸前で立ち止まりそろりと振り向く。
彼女の感情は分からないでもない。一人の辛さというのは、痛いほどに共感出来る。自分を認識できる存在が、自分の見えない場所にいると不安になるのも嫌と言うほど分かっている。だが、それはそれ。今は、さっさと行ってほしい。
「……行ってこい。気が済むまで待ってやるから安心しろ。」
エコーが呆れ気味にそう言うと、彼女はようやく廃墟から出た。
(さて…
その後ろ姿が市街地に入ったことを見届け、彼は読んでいた本に栞を挟んだ。
(ホシノちゃん、どこ?)
市街地に着いた梔子は、初め小鳥遊ホシノが普段見回りを行っているルートを辿っていた。この時間帯は、彼女が治安維持のために町中を巡回しているのを知っているからだ。もちろん、小鳥遊の巡回ルートは熟知しており、すぐに見つかるという思いがあった。
結果が今である。本人は愚か、痕跡すら見つからず、慣れ親しんだ市街地を自身が巡回するような形になっている。
(やっぱり、見えないんだ。)
その間、道行く人に片端から声をかけてみたが、やはり誰にも自分が見えていないことを再確認した。試しに強めに握りつづける感覚で触れてみた所、触ることは出来たし相手も反応を示したのだが、目の前にいるというのに頻りに首を傾げていた。
今の自分は幽霊だ
それが彼女が考えた自分の状態である。時間が経ったのと、エコーが認知してくれていることで多少は落ち着いているが、それでも自身の存在が
姿を見かければ声を掛けてくれたご近所さんも、何時も応援してくれた店主さんも、誰も自分に気付かない。それが堪らなく哀しかった。
「なぁ、聞いたか?あの話。」
「ああ、ユメちゃんのことだろう?」
自分の名前に足を止める。
「ひどいもんだよな。借金にもめげずにあんなに頑張っていたのに、砂漠で遭難なんて……」
「あの子の前向きな姿には、いつも元気をもらっていたのに……残念だ。」
改めて突きつけられる、自身の死と言う事実。何も思えない程割り切れた訳では無い。それでも、今は
「でも、一番つらいのはいつも一緒にいたあの子だよ。」
足が縫い付けられたように動かなくなった。
「ホシノちゃんか……あの子が第一発見者だったんだろ?」
「最初に異変に気づいたのもあの子だからな。一番速く動いたあの子が見つけるのも仕方ないことなんだが……」
「……遺体が見つかったのは良かったが、若い子には荷が重すぎる。」
今すぐ飛び出して行きたい。だが、思うように足が動かない。
「あの子は今どうしてるんだい?」
「良く見回りに出かけているのは見かけるよ。何かを探しているみたいだったけど……」
「会ったら手伝えないか聞いてみよう。」
「そうだな、それがいい。そう言えばさっき向こうの通りであの子を―――」
二人の会話をそれ以上聞くことはなかった。すぐ近くに彼女がいる。それだけで足を動かす力になった。
(ホシノちゃん…)
死んでしまった後悔。ホシノに消えない傷を作ってしまった後悔。
(ホシノちゃん…!)
幾つもの後悔と言う言葉が浮かぶ。自身の足を見えない何かが引きずろうとする。
(ホシノちゃん!)
それでも―――
『ホシノちゃん!!』
何時も見ていた桃色の髪、何時も側にいてくれた小さな背中
大切な後輩の姿がそこにあった。
駆ける足に力が籠る。二人の距離が縮まり、後数歩で触れ合える。
梔子が両手を広げ、彼女を抱きしめようとし
するりと、その向こう側へすり抜けた。
『あっ』
勢い余って、そのまま地面に倒れ込む。幽霊になっても痛みは感じるようで、地面に着いた腕がジンジンと痛んだ。
何してるんですか、ユメ先輩
もし、自分の姿が見えていたら、間違いなくそう言うであろう台詞。彼女には見えて欲しいと、微かな望みを抱いていた。
数秒経った
反応はない
数十秒経った
まだ反応はない
数分経ってようやく痛みが引いた
ザリッと地面を踏む音がした
『ホシノ―――』
ユメが振り返る
ずっと見たかった顔がその目に映る
怒りの奥に、確かな優しさを宿していた瞳
何時も呆れながらも、自分を見守ってくれた瞳
そのどれでもない虚ろな瞳が、何もない景色を映していた
『―――――』
言葉が出なかった。自分が見えてないと分かったからではない。
大切な存在に、消えない傷を残した
その事実を直接突きつけられ、自分を許せなくなったからだ。
『………』
ホシノの姿は、もう何処にもなかった。進んだのか、引き返したのか、それすら定かではない。彼女がこれから、どう生きるのか。今の自分では知る由もない。
(だから、今出来る精一杯をしよう。)
「……会えたみたいだな。」
今、彼女の前にはエコーがいる。唯一自身を認識出来る人物であり、頼ることが出来る唯一人の大人。
そして、死んだ自分を気にし続けてくれる優しい人。
出会ってからそれほど時間が経った訳では無い。会話した回数も数えるほど。それでも、この人なら助けてくれると、確かに信じられる何かがあった。
『エコーさんは、傭兵さん、なんですよね?」
「……そうだ。」
『対価さえあれば、依頼を受けてくれる。そうですよね?」
「内容と報酬による。」
エコーは傭兵である。依頼に見合った対価さえ払えば、どのような依頼でも成し遂げる。『傭兵』とは、そういう存在だ。
「内容の察しはつく……大方、アビドスを守ってほしい。あの後輩の助けになってほしいといったところだろう。」
ユメの目が、真っ直ぐに見つめてくる。不安でも、ヤケでもない。在りし日を思い起こさせる、『希望』に満ち溢れた瞳。自分には眩しすぎるそれを直視出来ず、エコーは少しだけ目を伏せた。
「生憎だが、お断りだ。借金まみれの自治区の保護なんざ幾ら積まれても割に合わん。お守りも俺の管轄外。そもそも、死んだお前が俺に払えるものなどあるはずがない。」
エコーは傭兵である。それも伝説と言われるほどの。
余裕がなかった頃は、それこそどのような依頼でも受けた。だが、今は依頼を選ぶどころか、依頼を斡旋することすらある立場だ。その彼の観点からしてみれば、斡旋する価値すら感じないのが彼女からの依頼だ。先を知ってる知ってないに関わらず、受ける気も意味もない。
「勘違いしているようだから言っておく。俺がお前の願いを聞いて、その上ここで待ってやったのは、同情や哀れみでやったんじゃない。お前に選択肢を与えるためだ。」
人は、案外チョロい生き物だ。追い詰められたときなど、特にそれが顕著になる。
今の彼女は、エコー以外には認識出来ない状態になっている。つまり、彼女が頼れるのはエコーしかいない。そんな中で彼女を慮るような態度を取ればどのような印象を抱くかなど容易に想像がつく。
このタイミングで曝け出しのは、彼女が自分の要求を必ず聞くと確信したからだ。どんな態度を取ったとしても、本当はそうじゃないと勘違いするだろう。彼女がそれだけのお人好しであることは良く知っている。
「一つは、このまま亡霊としてアビドスの地に留まる。これについては、説明不要だな。」
『……もうひとつは?』
「――――俺は、あるものを探している。」
これで事態が進展するとは思わない。
「そいつは、俺にとってなくてはならないもので、必ず見つけ出さなきゃいけないものだ。」
こうすることに意味があるとも思わない。
「それを見つけるのに、幽霊であるお前は都合の良い諜報員になる。」
彼女のことを良く知る人間として、それはないと内心で否定してしまう。
それでも――――――確かに助けたいと思ったんだ。
「つまり――――俺の仲間になれということだ。」
それら全てを勘定に入れて、その言葉を口にした。
『……もし、ですけど。』
梔子ユメに選択肢はない。
出来る精一杯をすると決めた時から、どうするかは決まっていた。
『もし、あなたの仲間になって、その探し物を見つけられたときは……』
だからこれは、渡された書面にサインをするのと変わらない。
この場合、依頼主は彼で請負人は彼女だ。
『依頼を受けてくれますか?』
狙った訳では無い。そこまで頭が回る訳がない。
だが、彼女にとってのただの懇願は、彼にとってはそうならない。
「正当な働きには、正当な対価を――――
――――それが
依頼には報酬を
『傭兵』として、自身をそう『定義』づけた彼にとって
それは呪いに近しい誓約だった。
梔子ユメが手を差し出す。触れられないと知っているエコーは、すり抜けないように軽くそれを握り返す。
『よろしくお願いします。エコーさん。』
「歓迎するぞ。梔子ユメ。」
ここに契約は成立した。
故郷の為と己の為
進む理由は違えど、同じ体を無くした者同士。
似た者同士の二人がこれからどうなるのか
彼等には知る由もなかった。
傭兵
金銭などの利益により雇われ、直接に利害関係のない戦争に参加する兵またはその集団。キヴォトスに置いては、荒事を中心に受け付ける何でも屋のような役割をしている。
エコーは傭兵である。過程はどうあれ、自身を傭兵と定義付けたのは彼の意思だ。その事実は変えられない。
俺の自由だ。俺の罪だ。
この生き様は誰にも渡さない。
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