平行線機能不全   作:キユ

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 今回は『悲恋湖伝説殺人事件』と小説版の『幽霊客船殺人事件』の過去に出てくる豪華客船が舞台となります。とくに小説版を未読の方はご注意ください。
 原作に豪華客船の詳しい設定があまりないので、船内の様子などは完全に捏造しました。乗客五百人規模の船で簡単に調べて書いています。


第三章「オリエンタル号①」

 

 ああ、夢だなと思った。

 何度も見た、しかし本当は一度も目にしたことのないはずの光景を前に、金田一一はその場に相応しくない穏やか表情で自分の葬儀の様子をぼんやりと眺めた。

 誰も彼もが、悲しみに暮れている。

 不思議と自分が死んだことへの悔しさのようなものはなかった。ただ、みんなを悲しませている申し訳なさに少し胸が苦しい。いまのハジメには七瀬美雪の涙を拭いてやることも、見たこともない暗い顔をした両親に声をかけることもできない。

 重い雰囲気が漂う会場を、まるで幽霊のように人々よりも少し高いところから見下ろしていると、なぜかひとりの男が目に止まった。

 背の高い痩身のその男はありきたりな喪服を身につけている。

 姿ははっきりと見えるのに、どうしてか男の顔は暗く影になっていてハジメには見ることができない。男はこの場所には不似合いの箱を抱えていた。

 クリスマスプレゼントでも入っていそうな一抱えほどもある箱には真っ赤なリボンがかかり、同じく真っ赤な薔薇が一輪だけ添えられている。

 気がつけば、男の正面に立っていた。

 近づいてもやはり男の顔は見えない。なのに、男はハジメのよく知る人物のような気がした。

 

「なあ、あんたさ……」

「金田一君。――――をどうぞ」

 

 男の言葉はうまく聞き取れなかった。その言葉は何度も聞いたことがあったはずだ。でも、最近は耳にしなくなっていた。忌まわしい言葉のはずなのにどこか懐かしい。

 

「――――をどうぞ」

 

 同じ言葉を繰り返し、顔の見えない男はゆっくりとハジメに箱を差し出す。

 受け取ってはいけないとわかっていた。

 いらないと突っぱねるつもりで動かした腕は、見えない糸に操られるかのように目の前の箱を受け取る。するとどんな原理なのか、ひとりでにするりとリボンが解けて箱が開いた。

 箱の中身を見たくなくて、ハジメは男の顔に視線を固定する。

 ハジメの悪あがきを顔の見えない男が笑う。それは嘲笑でもあり、微笑でもあり、苦笑でもあった。

 

「目をそらしても悪夢は終わりませんよ」

「……知ってるよ」

「ほら、その手にあるのは君の……罪だ」

 

 金田一一の罪とはなんだろうか。

 両親よりも先に死んだこと? 大切な幼馴染を悲しませたこと? それとも――。

 

「…………」

 

 箱の中身へと視線を向ける。

 そこには人の首が入っていた。悪趣味なことに真っ赤な薔薇で飾り立てられている。直感的に自分を殺した通り魔の首だとわかった。いましがた切り取られたばかりのような生々しいその傷口からはじわじわと血が流れ出しており、ハジメの手を、腕を真っ赤に染めていく。

 生温かい、水とは違う重みをもった液体に鳥肌が立った。

 辺りに広がった鉄錆の臭いに胃の中がひっくり返りそうだ。込み上げる嘔吐感に悲鳴をあげることもままならない。

 

「……っ!」

「気に入ってくれました? それとも、こちらのほうが好みですか?」

 

 男がぱちんと指を鳴らせば、箱の中の首がくるりと別の人物へと変わる。

 その首が誰のものなのか理解した瞬間――ハジメは、自分の悲鳴で目が覚めた。

 

 

 ◆

 

 

 ど、ど、と耳の奥で心臓が脈打つ音が響いている。

 全身を冷たい汗が濡らし、部屋の中は蒸し暑いくらいだというのにハジメの身体はひどく冷え切っていた。自分で見ることのできないその顔は紙のように白い。

 恐怖の名残にか震える唇には気づかず、ハジメは意識して大きく息を吸って吐いた。肺に残っていた鉄錆を含んだ生臭い空気が身体から消え、慣れた自室のにおいにほっと全身の力が抜けた。

 途端に窓の外からうるさいくらいに蝉の声が聞こえてくる。

 スマホを確認すると午後二時半を回っていた。昼食のあとウトウトしてそのまま眠ってしまったらしい。休日をダラけて過ごすのはいつものことだが、先ほどの悪夢のせいでひどく気分が悪かった。

 

「うへぇ、パンツまでびしょびしょじゃん」

 

 七月になったばかりとはいえ毎日嫌になるほど暑い。閉め切った室内でエアコンが止まっていれば汗だくになるのも仕方ないだろう。シャワーでも浴びるかと適当な着替えを手にとり浴室へと向かう。

 一階へと降りれば、居間から母親が見ているテレビの音が廊下へと漏れ出ていた。なんの変哲もない日常が、いまは頼もしかった。

 悪夢ごと洗い流すかのように頭から熱いシャワーを浴びる。

 それでも、目を閉じて水音だけが響く浴室の中で考えるのは何度も見る夢のことだ。

 夢のはじまりはいつも同じ。気づくと自分の葬儀を見ていて、顔の見えない男から箱を渡される。箱の中身は毎回人の首だが、その人物はまちまちだった。幼馴染や友人のときもあれば、ハジメ自身のときもある。

 

「……高遠」

 

 今日、夢の最後に渡されたのは高遠遙一の首だった。よく見知った――いまの(・・・)高遠の生首が目に焼きついている。

 

「自分の生首寄越してくるとかホント悪趣味」

 

 顔の見えない男が誰なのかなんて考えるまでもない。

 見えない理由も、もう理解している。ハジメが地獄の傀儡師となった高遠遙一を見たくないからだ。

 高遠と再会してからはじまったこの悪夢がなにかの暗示なのか、あるいは警告なのかはわからないが、夢の中までハジメを苦しめようとするあたりあの男らしい。

 まあ、さすがの高遠も人の夢に干渉する力はないはずなので、これはハジメ自身が自分へと見せている悪夢なのだろう。

 金田一一は過去の高遠遙一が犯した罪を決して忘れない。許すこともできない。でも、いまの高遠には……すべてを忘れて、幸せに生きてほしいと思ってしまう。

 

 

 

 玄関で靴紐を結び直していると、後ろから声をかけられた。

 

「あら、あんたいまから出かけるの?」

「あー、友達んとこ」

 

 自分で答えておきながら、はたして高遠は「友達」なのかと内心首を傾げる。知り合いというほど素っ気ない付き合いではないが、友達というカテゴリーにあの男を置くことに抵抗のようなものを感じる。物騒な助手はまだしも、物騒な友達は許容範囲外だ。

 

「へぇ。ふ〜ん。友達ねぇ」

「んだよ。ニヤニヤして」

「えー、だってわざわざシャワー浴びてから会いに行く友達なんでしょ?」

「はぁ?」

「あんたもお年頃なのねぇ」

 

 わざとらしく口元を隠して笑う母親がどんな勘違いをしているのかはわかる。

 

「金田一耕助の娘のくせに、推理力が鈍ってんじゃねぇの? これがオトコに会いに行く格好かよ」

 

 適当に首の後ろで束ねた髪。部屋着にもなるTシャツに、色気もクソもないダボついたハーフパンツ。足元には履き慣れたスニーカー。

 元男として、こんな格好で会いに来る女は嫌だ。初恋相手である美雪が身なりに気を使うタイプだったことも影響しているが、女の子は可愛い格好をしてこそだと思っている。ちなみに自分は当てはまらない。そもそも、会う相手が相手だし。

 

「やだ、そんなコンビニ行くみたいな格好で出かけるつもり?」

「別にいいだろ」

「小学生じゃないんだから、もうちょっとちゃんとした格好しなさいよ。可愛い服だって買ってあげてるでしょ」

 

 女として生まれてもうすぐ十四年が経つ。

 私服はユニセックスなものを選びがちだが、別にスカートを履くことに拒否感があるわけではない。女子更衣室や女風呂への背徳感もずいぶん前に消えてしまった。ただ以前と顔はそれほど変わったようには感じないので、単純に似合わないと思うだけだ。

 

「はいはい。また美雪と遊びに行くときにでも着るよ。あっ、夕飯は家で食べるから! じゃあ、いってきます」

 

 母親の返事を扉越しに聞きながら自転車へと跨がる。

 あの夢を見た日は、どうしても高遠に会わなければ気がすまない。会って、あの手が血で汚れていないことを確かめなければ。

 

 

 

 

 高遠は在宅中はたいていリビングにいる。

 この家に引っ越してきた当初は自室にいることのほうが多かったはずだが、いつの間にかリビングで過ごしている姿が当たり前になった。だから、ハジメがこの家の扉を開けると一番最初に目にするのはいつだってリビングのソファで寛ぐ彼だ。

 

「いらっしゃい、金田一君」

「おー、おじゃましまーす」

 

 勝手知ったる他人の家とばかりにハジメは家主に断りもなくキッチンへと入り、冷蔵庫の中を漁る。高遠はそんなハジメを横目でちらりと見るだけで別に咎め立てたりはしない。

 シャワーを浴びる前に水を飲んだきりでのどが渇いていた。

 梅雨明け宣言はまだのはずなのに、気温が日々ぐんぐん上がっている気がする。自転車を飛ばして噴き出した汗がこめかみをつたって流れた。

 炭酸のジュースやスポーツドリンクなど、おおよそ高遠が飲まないだろうラインナップを前にしばし悩む。

 

「お腹が空いてるなら、貰い物のシュークリームがありますよ」

「おお、やった! なら紅茶淹れてよ」

「冷蔵庫にアイスティーがあるでしょう。それとも温かいものがいいですか?」

「んー、冷たいのでいい。高遠もいる?」

「お願いします」

 

 棚からグラスを二つ取り出し、アイスティーを注ぐ。自分の分にミルクとガムシロップを入れて、その場で飲み干した。

 おいしい。

 茶葉の味だの、香りだのはよくわからないが、最近は外で紅茶を飲むとおいしくないと感じるようになってしまった。

 再びグラスにアイスティーを注いで、今度はミルクだけを入れる。甘味があるのでそれでちょうどいい。

 シュークリームは二つあったが、どうせ高遠は食べないので遠慮なく自分の皿に二つとも乗せてリビングへと向かう。

 いつ来てもきれいな部屋だ。

 ほどよく冷房の効いた室内は、どれだけハジメが汚しても次に来たときにはきれいに片づけられてしまっている。自分が帰ったあとに部屋を掃除する高遠を想像するとちょっとだけ笑えた。

 

「ほい」

「ありがとうございます」

 

 グラスとシュークリームの皿をローテーブルへと置き、自分のクッションを引き寄せて座る。この身体を包み込むようなフィット感に初めて座ったときは感動したものだ。

 シュークリームを頬張っていると前から視線を感じた。

 

「今日はずいぶんと珍しい時間に来ましたね」

「へ?」

「学校もない日に……どこかの帰りというわけでもなさそうですし」

 

 ハジメを上から下まで見てそう言う高遠にもコンビニに行くような格好に見えるらしい。

 休日は“一日ゲーム三昧!”なつもりで訪れるので、服装はいまとそう変わらないが午前中からお邪魔することが多い。昼と夜を高遠と一緒に食べて、家へ送ってもらうまでがワンセットになっている。

 冷暖房とWi-Fi完備の元連続殺人犯の家は悔しいことに居心地がよい。家主の性格さえなんとかなればなと思うが、高遠が高遠でないならハジメがここに来る理由はなかった。

 

「あんたが悪巧みしてないか見に来たんだよ」

「おや、さすが名探偵君だ。見ただけでそんなことがわかるんですか」

「わかるだろ。あんた、警察とか探偵に挑戦状送るタイプの犯人じゃん」

 

 ハジメの言葉に納得したような顔をする男は、敵対するなら律儀にそれを告げてくると踏んでいる。

 

「悪巧みではありませんが……君、少しバイトしませんか?」

「バイト? 俺、まだ中学生だけど」

 

 ハジメのもっともな疑問には答えず、高遠は一通の封筒を差し出した。横長で長辺側に封入口がある洋封筒と呼ばれるそれは、なんとなくチケットなどが入れられているイメージがある。

 封筒には宛名もなにも書かれていない。

 受け取らないことには話が進まないのだろうと、ハジメはクリームで汚れた指をぺろりと舐めてから差し出された封筒を手にとった。

 

「バイトの期間は七月二十四日から十日間です。ある船でマジシャンとしてショーをすることになったので、君にはその助手をお願いしたい」

「…………」

「仕事内容は簡単な雑用が主なので、それなりに自由時間はありますよ。日当は八千円くらいが妥当でしょう。もちろん宿泊費用などはすべてこちらが負担します。なかなか割のいいバイトだと思いますよ? まあ、難点をあげるなら……船が三積ケ浦沖で沈没する予定があることですかね」

 

 封筒の中には、東亜オリエント海運の誇る最新鋭の豪華客船『オリエンタル号』のチケットが入っていた。

 設備も性能も最先端の技術を駆使し、絶対に沈まない『水上のリゾートホテル』としてテレビCMも流れているこの豪華客船は、その処女航海で大量の死者・行方不明者を出すことになる沈没事故を起こす。それは決して避けられない不幸な天災などではなく、愚かな驕りとくだらない権力争いによって引き起こされた人災だった。

 この事故から生まれるいくつもの悲劇をハジメは覚えている。

 

「どうせ、君は止めたって聞かないでしょう」

「……協力してくれんの?」

「それこそいまさらですよ。幸い事故の原因はわかっている。回避するのは難しいことじゃない。劇団に潜入させられるよりはよほどマシだ」

 

 今年の夏が近づくにつれ、嫌でもこの事故を思い出した。

 神様ではない金田一一にはすべてを救うことなんてできない。それでも、尾高山の悲劇を繰り返す気はなかった。オリエンタル号に乗れる当てがない以上、かくなる上は密航かと覚悟を決めつつあったのに……。

 

「失敗したら沈没するかもよ?」

「念のため、救命胴衣とモーター付きゴムボートは用意しました」

「準備万端じゃん」

「万が一事故が起きたら我々にはなにもできないですからね」

 

 この男はいつから準備していたのだろう。

 高遠の申し出が善意からのものではないのはわかっている。高遠がこの二回目の人生で救いたかったのは彼の母親だけのはずだ。

 以前、高遠はハジメに協力する理由を「面白そうだからだ」と答えた。

 そんな理由だけでもう四年以上もハジメに付き合っている奇特な男は、たしかに事件に関わるときは面白そうにしていることが多い。事件そのものよりハジメの反応を楽しんでいるあたり、性格が悪いことこの上ないが、助けられているのは事実だ。

 こんな風に協力者として差し伸べられる手にくすぐったいような喜びを感じることもある。……それでも、ハジメはこの男を信じるのと同じくらい疑っている。疑ってしまう。

 この男は、地獄の傀儡師・高遠遙一だから。

 

「ギリギリ夏休み前なんだよな〜」

「中学校が義務教育でよかったですね。どれだけ休んでも単位の心配はいりませんよ」

「俺の学校生活の気遣いまでどーも。たく、そういうのは前のときにしてほしかったぜ。俺の高二の夏休み全部潰しやがって。進級がヤバかったのもあんたのせいだからな!」

「おや、普段の君の生活態度のせいでは? 二年生への進級自体危なかったと聞いていますが」

「……だからなんで知ってんだよ、そんなこと」

 

 相変わらず情報収集している範囲がおかしい。くだらない雑談の合間にも感じるのは、この男からの金田一一への執着だ。

 ときおり、考えることがある。

 あの死骨ヶ原でハジメが高遠のトリックを暴かなければ、彼は復讐を終え、そのままただのマジシャンとして生きたのではないか。金田一一という存在が、高遠遙一を地獄の傀儡師たらしめていたのではないか、と。

 面白そうだと手を貸す男は、より面白そうなら簡単にあちら(・・・)側に行ってしまう。そして、その理由にハジメ自身がなり得るのだと理解している。

 前回、ハジメは高遠を止めることができなかった。

 だから今度は手錠の代わりに枷をつける。この部屋に荷物が増えたように、高遠の手のひらに色んなものを置いていくのだ。いつか、その重みで身動きできなくなればいい。

 もしも高遠が地獄の傀儡師として再び生きようとするなら、ハジメは絶対に彼を止めてみせる。

 それが……高遠には伝えない、二回目を生きる金田一一のもう一つの目的だった。

 

 

 

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