平行線機能不全   作:キユ

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第三章「オリエンタル号②」

 

 乗り込んだ船内の様子は、ハジメの期待を大きく上回るものだった。

 

「でっけーっ!!」

 

 その船は豪華客船と呼ぶに相応しいとてつもない大きさで、ピカピカの白いデッキにプールまであった。パンフレットによれば地下一階から八階まであり、船内にはバーやダイニング、カジノのような娯楽施設まであるらしい。テンションだだ上がりだ。

 

「金田一君、荷運びくらい手伝ってください。君、バイトの自覚あります?」

「高遠、高遠! カジノやバーって俺も入れる? このホールってなにやるとこ?」

 

 後ろで高遠が呆れたため息を吐くのを聞きながら、ハジメはパンフレットを片手にきょろきょろと周りを見回す。当然ながらどこもかしこもきれいで新しい。すれ違う白い服の船員たちは子どものハジメにも慇懃に敬礼をして温かく迎えてくれる。

 漂う潮風のにおいすらなんだかほかとは違う気がした。

 

「金田一君。私はエントランスで受付をすませてきますから、君はここで大人しく待っていてください」

「えー。俺、カフェでなんか食べたい」

「これから出航セレモニーです。それが終わるまではカフェも入れませんよ」

 

 高遠の言葉に腹の虫が悲しげな声をあげる。

 しっかり食べた朝ごはんはもう消化されてしまったようだ。

 

「君は燃費が悪すぎる」

「育ち盛りなんだよ」

 

 なにか寄越せと手を突き出せば、男は笑ってその手を両手で覆って三つカウントする。ワン、ツー、スリー。高遠が手をどけると、ハジメの手のひらにはキャラメルの箱が乗っていた。どう考えても隠し持てるサイズではない。まるで魔法である。

 

「わかりました?」

 

 この間、高遠が仕込んでいたマジックのタネを言い当てたのをまだ根に持っているらしい。

 いつもより少し得意げな顔が腹立たしい。

 

「……わっかんねぇよ」

「君もまだまだですねぇ」

「もう一回! 次は見破ってやる!」

 

 上機嫌でエントランスへ向かう高遠の背を悔しげに睨み、ハジメは手の中のキャラメルを一つ口に放り込んだ。マジックショーで子どもたちに配るのはたいてい飴なので、これはハジメのために用意したのだろう。気になっていた夏限定のメロン味だった。意外と美味い。

 大人げない同行者を待ちながら港を見下ろせば、大勢の人がこのオリエンタル号の出航を祝おうと集まっているのが見えた。乗客の見送りに来た家族や友人もいるようで、誰もがわくわくと期待に輝いた表情でこちらを見つめている。

 幸いにも本日は雲一つない快晴。絶好の航海日和である。いつもなら暑さに辟易してしまう夏のこの強い日差しすらも、出航を祝福するスポットライトのようで、人々の心を浮き立たせる一因となっていた。

 音楽隊が演奏前のチューニングを行う音が周囲の喧騒を縫って耳に届く。

 気づけば、ハジメの目はその中からひとりの少年を探していた。沈没事故で愛しい少女を失い、悲しい復讐鬼となってしまう少年を。

 

「…………」

 

 人混みの中に目当ての少年を見つけ、ハジメは知らず痛みを堪えるように眉根を寄せる。

 ハジメの記憶にあるよりも幼い顔をした遠野英治は、ほかの人たちと同じように笑顔で船上の愛しい少女に手を振っていた。

 血が滲むように赤く染まっていく悲恋湖とその湖面に漂うボートの残骸が脳裏に浮かぶ。

 

「……螢子さんはちゃんとあんたのもとに帰すよ」

 

 ハジメのその言葉はセレモニーの開始を告げる大きな汽笛の音にかき消され、誰の耳にも届くことなく空気へととけていった。

 

 

 ◆

 

 

 型通りの船長の挨拶が終わり、音楽隊の力強い演奏がはじまる。

 高遠が搭乗受付をすませてハジメのもとへ戻れば、少女は先ほどまでのはしゃいだ様子がうそのように沈鬱な顔で港を見つめていた。

 その変わりようを不思議に思うが、少女の視線の先を辿り合点がいった。

 遠野英治はハジメにとってこの沈没事故を止めたいと思う象徴のような存在だろう。悲恋湖での事件の詳細は高遠も承知している。殺人の動機という点では遠野英治を評価しないが、たったひとりの命がほかの百人の命よりもずっと大切だという彼の主張は理解できた。

 ハジメは決して認めないが、命の価値は平等ではない。

 大事な人間を傷つけられても加害者ではなくその罪を憎むハジメのほうが稀有な存在だ。金田一一だけは地獄の傀儡師のマリオネットにはできない。

 だからこそ惹かれるし己の平行線なのだが、誰も彼もにその心を傾けるハジメは高遠に言わせれば少々博愛がすぎる。二回目というこの異常な人生が彼女のその性質に拍車をかけていた。

 人混みの中にいる幼い少女の背中はひどく小さくて頼りないのに、この船上の誰もが想像もしないような業を背負っている。

 悲しみに曇る瞳が見たくて後ろからそっと近づき少女の顔をのぞき込めば、思いの外強い視線に射抜かれた。

 

「びっくりしたー。気配消して近寄んなよ。……なんだよ?」

「いえ、期待していた顔と違ったので」

「はあ? 相変わらず意味わかんねぇな、あんた」

 

 失礼な物言いも態度もいつものハジメとなにも変わらない。

 いましがた見た表情が幻のように感じるほど目の前の彼女は自然体だ。ハジメは高遠をポーカーフェイスだと言うが、心のうちを見せないという意味なら彼女もなかなかのものだと思う。普段の感情は喜怒哀楽だだ漏れのくせに、自分の苦しみはきれいに隠してしまう。

 

「おっ、出発だ!」

 

 出航の汽笛が鳴った。

 セレモニーが終わり、ゆっくりと動き出した船に大きな歓声があがる。まだ港に向かって手を振っている乗客たちを尻目に、ハジメは自分の荷物を手に持ってから高遠へと訊ねた。

 

「なあ、俺たちの部屋って何階だっけ?」

 

 なんの躊躇いもなく俺たち(・・・)と言った少女に対して高遠は疑問を抱かずにはいられない。

 

「四階です。……いまさらですが、君のご両親は少々放任すぎませんか?」

 

 未成年の娘を男とふたりで十日も船旅に出すなど常識的に考えておかしい。

 この手の客船は基本的に客室はツインが多く、今回数少ないシングルを二部屋確保することは困難だった。――つまり、高遠とハジメはこの旅行中寝食をともにすることになっている。

 

「えー、そうか? フツーに“羨ましーい! 楽しんできなさいね”って送り出されたぜ」

 

 軽い。

 正直、高遠自らハジメの両親に説明に行かねばならないかと考えていたというのに拍子抜けだ。彼女が同行者についてなんと話しているのか知らないが、この様子ではとくにうそをついたわけではないらしい。

 ハジメ自身も高遠と同室であることに抵抗を感じていないことも問題だった。

 自分への信頼というよりも、その手のことに対する危機感のなさゆえだとわかるだけに、ハジメの迂闊さが高遠にはどうにも腹立たしかった。自分を男として警戒しろとは言わないが、それが世間一般にも通用すると思って行動されては厄介だ。一回目の人生とは違う危険があることをそろそろその身に理解させておくべきかもしれない。

 高遠が不穏な考えを巡らせていると、前を歩く少女はまるでそれを察したかのように身を震わせて怪訝な顔でこちらを振り返った。

 

「……なんかした?」

「いいえ。なにも?」

 

 人の笑顔を胡散臭そうに見つめてから、ハジメは先ほどよりもいくぶん警戒した態度で再び歩き出す。背を向けていても少女がわかりやすく高遠を気にしているのが伝わってきて気分がいい。

 

「船の中にエレベーターがあるとか変な感じ」

「この規模ならないと不便ですよ」

「八階まであるもんな〜」

 

 乗客の大半はまだデッキで出航の雰囲気を楽しんでいるのか、船内はさほど混み合っていない。三機あるエレベーターもとくに待つこともなく乗り込めた。

 

「金田一君、部屋の鍵を渡しておきます」

「あれ、カードキーなの?」

「ええ。あと全室オートロックなので、部屋を出るときは鍵を置き忘れないように気をつけてください」

 

 今回ふたりが泊まるのは二等客室だ。

 二等とはいっても部屋自体の広さは三等以下の客室と変わりはない。縦長の客室内は窓側にベッドがツインで配置されており、カーテンでリビングスペースと仕切ることができる造りとなっていた。

 小さな窓からは鮮やかな青い海が、その海面を陽光で煌かせているのが見える。

 閉塞感を与えないようにか備え付けの家具はどれも柔らかな色合いで、ナチュラルテイストのなかに鼻につかない高級感があった。

 

「なんか“豪華客船!”って感じの部屋だな」

「君が以前乗ったコバルトマリン号もそれなりの高級客船だったでしょう。むしろ部屋のレベルなら向こうのほうがよかったんじゃないですか?」

 

 古くなりガタがきていたとはいえ、電気コンロ付きのミニキッチンやバスルームまでついた客室となると、このオリエンタル号でいえば特等客室(スイート)に近い。

 

「でもボロかったしなぁ。二万九千八百円ポッキリの印象が強すぎて……あんまり高級感はなかったかも。なんだかんだで事件も起きて旅行どころじゃなかったし」

「君もよくよく事件に縁がありますよねぇ。沈没事故よりも、船内での殺人事件を警戒したほうがいいかもしれませんよ」

「嫌なこと言うなよ。つーか、俺が巻き込まれた事件のいくつかはあんたのせいだろ!」

 

 高遠もそれなりに名探偵に相応しい惨劇を準備し招待していたというのに、ハジメの事件遭遇率からすると“いくつか”にとどまってしまっているのが空恐ろしい。

 よく旅行がトラウマになっていないなと感心してしまう。

 

「まあ、三日後の夜まではなにも起きないだろうし、とりあえずなんか食べに行こうぜ」

 

 

 

 

 オリエンタル号は『水上のリゾートホテル』と謳っているだけあり、提供される料理も食材や調理方法にこだわった見事なものだった。

 

「うめぇ〜っ!」

 

 ずずずっといささか周囲の雰囲気にはそぐわない音を立てながらスープをすするハジメは、その言葉通り満面の笑みを浮かべている。少女の幸せそうな顔を肴に、高遠は自分のグラスに口をつけた。

 六階にあるダイニングは昼食にはまだ早い時間帯のせいか座席は三分の一も埋まっていない。

 

「こちらは牛フィレ肉のステーキになります」 

「あっ、パンのおかわりしていいッスか?」

「ふふ。お持ちしますね」

 

 料理を運んできたウェイトレスはハジメの旺盛な食欲に微笑ましげな顔をして、追加のパンを置いて去っていく。

 

「……よく食べますねぇ」

 

 テーブルには二人前の料理が並んでいるが、高遠が注文したのはアイスティーのみで、ほかのものはすべてハジメの胃袋に収まる予定だ。見ているだけで胸焼けがしてくる。

 メインのステーキを二口で食べきった少女は頬をいっぱいに膨らませながらモゴモゴと返事らしきものをするが、飲み込むはしから次の料理を詰め込んでいるので口が休まるひまがないらしく、いつまでたっても不明瞭な言葉しか返ってこなかった。

 よく食べるわりにはあまり縦にも横にも大きくならないのが不思議で仕方ない。食べる量だけなら高遠の倍は摂取しているだろう。当のハジメにダイエット中のOLみたいな食生活だと思われているとは露知らず、高遠は手品のようにあっという間に消えていく料理を呆れた心地で眺めていた。

 

「あー、お腹いっぱい。もう食べられない」

 

 わずか数十分でデザートまで完食したハジメはそう言って満足げに膨らんだ腹部を撫でる。

 店内は少しずつ人の姿が増えてきているが、まだ満席までには余裕があるのを見て、高遠は二人分の飲み物を注文した。

 

「あんたってこのあとは仕事?」

「簡単な打ち合わせはありますが、今日はショーの予定はありませんよ」

 

 もとよりハジメとこの船に乗る口実のようなものだ。それほどタイトな仕事のスケジュールは組んでいない。

 

「君も言っていたように祝賀パーティーまではとくにすることもありませんし、好きに行動したらいい」

 

 三積ケ浦沖での事故を防ぐためにするべきことは二つ。

 一つは、一等航海士の若王子幹彦の勤務ボイコットを阻止し、タンカー接近時に操船ブリッジを離れさせないこと。そして、もう一つは監視台にいる水崎丈次を祝賀パーティーへ参加させないことだ。

 当時の状況から考えてどちらか一方でも持ち場を離れなければ、あの衝突事故は回避できる可能性が高いというのが高遠とハジメの一致した意見だった。

 

「ああ、でもカジノやカードルームはひとりでは利用できませんよ」

「だよな〜。大人しく船内探索でもするか」

「どうせならいざというときの脱出経路でも確認しておいたらどうですか」

「そう言うあんたは操舵室の場所とか知ってんの?」

「ある程度の事前準備はしていますよ。君も船の設計図や船員の配置を知っておきますか?」

 

 「そんなんどうやって調べたんだよ」と不審げにつぶやく少女の携帯電話にメールで情報を送る。

 今回改めてこのオリエンタル号について調べたが、やはり船員の少なさが目についた。五百人の乗客に対して乗船している従業員は六十数名。その従業員のほとんどが操船とは無関係な人間で、船員は必要最低限しか乗っていない。これではいくら最新鋭の船とはいえ、緊急事態には対応できないだろう。

 

「じゃあ、俺はテキトーにぶらぶらしているから」

 

 食後のコーヒーをぐいっと飲み干して、ハジメは席を立った。少々勢いがありすぎたのか、ちょうどハジメの後ろを通りかかっていた女性客と椅子がぶつかりそうになる。

 

「きゃっ!?」

「うわ、すみません!」

 

 女性客の声に驚いたハジメはテーブルに膝を打ちつけながらも慌てて振り返った。幸い女性客は隣を歩いていた連れの男性に支えられており、怪我などはしなかったようで、ハジメの焦った顔を見て「気にしないで」と優しげな笑顔を浮かべている。

 

「こっちこそごめんね。あたしもよそ見してたから」

 

 その女性は二十代半ばほどの人目を引く美人だった。

 ゆったりしたワンピースの上からでもわかる抜群のプロポーションに、ハジメの目が女性の胸と脚を二度行き来したのが高遠の位置からでもはっきりとわかった。

 くっきりした二重の大きな目と形のいい眉。笑ったときにちらりと見える八重歯がチャーミングで、それが女性の印象をぐっと柔らかいものにしている。

 

夏帆(かほ)はおしゃべりに夢中になると周りが見えなくなるからね。君は怪我をしなかったかい? 机に足をぶつけていただろう?」

「えっ、そうなの? 大丈夫?」

 

 夏帆と呼ばれた女性が心配そうにハジメの足をのぞき込んだ。

 

「あ、平気です! ……本当にすみません。お姉さんが怪我しなくてよかった」

 

 ぺこりと頭を下げるハジメにふたりは再度「気にしなくていい」と笑う。

 連れの男性は四十代だろう。

 華やいだ雰囲気のある夏帆とは違い、中肉中背でどこにでもいる中年男性といった感じだが、この年代の男性にしては身なりに気を使うタイプのようで不思議とふたりが並んだ姿は絵になった。

 一見、年の離れた仲のいい夫婦か恋人同士のように見える。

 

「めっちゃ美人だったなぁ」

 

 自分たちの席へと歩いていくふたりを見ながら、ハジメはやや鼻の下を伸ばしただらしない顔で夏帆をそう評した。心なしか声が弾んでいる。

 容姿のいい女性が好きなのは昔から変わっていないらしい。

 

「彼女の顔は整形ですよ」

「え」

「目と鼻をいじっています。なかなか腕のいい医者にあたったようですが、表情を作ると少し違和感がある」

「そんなのちょっと見ただけでわかんのかよ」

「コツを知っていれば。以前はそれなりに後ろ暗い過去を持つ人間と関わる機会があったもので、自然とわかるようになったんです」

「なんだその犯罪者スキル」

「君も何十人か見れば区別がつくようになりますよ」

 

 記憶力も観察力もずば抜けているので、そう難しくないはずだ。

 

「そんなスキルいらねぇー。グラビアとか素直な気持ちで見れなくなるじゃん」

「おや、人工物は嫌なんですか?」

「そうじゃねぇけど。もしかしてデビューするために整形したんかなぁとか深読みしちゃうだろ」

「そういうものですか」

 

 あまり高遠には理解できない感覚である。

 まあ、相手の整形しているという事実よりもその理由に思いを馳せてしまうというのはハジメらしい気もするが。

 

「さて、そろそろ出ますか」

「そーだな」

 

 まだ船旅は始まったばかりだ。

 お互いにするべきことは決まっている。あとは、そのときを待つだけだ。

 

 

 ◆

 

 

 隣のベッドから人が起き上がる気配がする。

 常夜灯の薄明かりのなか、高遠は浅い眠りからその小さな物音で目が覚めた。ベッドサイドの時計を確認すれば、現在の時刻は午前四時を少し回ったところだった。日の出にはまだ早いらしく、カーテンの隙間から見える海は穏やかだがなにもかもを呑み込みそうなほど暗い色をしていた。

 高遠を起こした張本人は寝ぼけた足取りでリビング側へと歩いていく。

 

「金田一君、もう起きるんですか?」

「ん〜。……トイレ」

 

 声をかければ半分寝ているような声が返ってきた。

 半身を起こしてなんとなくその背中を見つめる。高遠が眠っていたのは三時間ほどだが、寝直そうにも目はすっかり冴えていた。

 少女が視界から消えるのを待って、高遠は再び頭を枕に戻した。

 波の音や揺れは最先端の技術の賜物かほとんど感じない。それでも、見慣れない天井はここが海の上だと思い出させてくれる。明け方にも早い時間はただただ静かだった。静寂の中、高遠が考えるのはハジメのことだ。

 彼女のためにこんなところまで来ている自分を滑稽に思う。

 ハジメが高遠の行動をどう解釈しているのかは知らないが、高遠がいまここにいるのは金田一一のためにほかならない。彼女の身の安全のため、という理由だけではないのは自分が一番わかっている。

 オリエンタル号に乗り込まずとも三積ケ浦沖での事故を回避する手段はほかにもあった。それなのに、高遠はハジメが望むだろう方法をあえて選んだのだ。……ハジメのために。

 少女と過ごす時間はたしかに高遠のなかでその重さを増していた。このどうしようもなく穏やかな日々を受け入れそうになる自分がいることが、高遠はときおり堪え難くなる。

 

 いっそ、沈没事故の代わりに殺人事件でも計画してやればよかった。

 

 そんな考えがよぎるのも一度や二度ではない。

 ハジメは高遠がなにかをしようとすれば見抜けると思っているようだが、それが愚かな過信だと思い知らせてやろうか。彼女の信頼を裏切る瞬間は、きっとどんなマジックよりも興奮するだろう。

 

 しかし、いつだってこちらの思い通りにはなってくれないのがこのいまいましい子どもで――。

 

「んん、邪魔」

「は?」

 

 トイレから戻ったハジメはなぜか高遠のベッドに入ってきた。

 多少ゆったりしているとはいえシングルサイズのベッドだ。ハジメは高遠の隣というよりは半分上に乗りかかったような状態でいまにも眠ろうとしている。

 互いの寝衣越しに伝わってくる自分よりも少し高い体温。日向を思わせるどこか温かく優しい香り。

 頬に当たる少女の髪がくすぐったくて、高遠はかすかに身をすくませた。

 

「金田一君。君のベッドは反対側ですよ」

「…………」

「金田一君」

「うるさぃ……」

 

 起こされてたまるかとばかりに抱きつかれた。

 女性的な凹凸は皆無に近いくせに、それでもその肢体は男にはないたしかな柔らかさを持っていた。触れ合ったところからトクントクンとハジメの穏やかな心音が響いてくる。

 彼女が生きている証。

 その音は遠のいていた高遠の眠気を呼び戻した。

 気持ちよさそうな寝息は不思議と耳に心地よい。ハジメを彼女のベッドへと戻すという選択肢が高遠のなかでじわじわと消えていく。

 

「あとで怒らないでくださいね」

 

 聞こえていないのを承知で釘を刺すと、高遠は少女をそっと抱きしめた。

 決して交わらないはずの平行線はまるで誂えたかのようにぴったりと自分の腕の中に収まっている。眠りに落ちる前に、元の関係に戻ればもうこの温もりは自分の腕の中からなくなるのだな、となぜだかそんなことを思った。

 

 

 

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