15
「ふむ。名探偵諸君には、少々簡単すぎたようだ。しかし! これはまだ第一問目。このあとに続く、二つの事件のウォーミングアップにすぎない」
このミステリーナイトでは殺人二十面相から出題される三つの殺人事件のトリックを見破るのが参加者に与えられた課題となる。いわゆる『
一見犯行不可能に見える殺人現場の写真から、犯人が被害者を殺した方法を当てるのだが、ハジメからするとその問題はクイズやなぞなぞのようなものだった。前後の事件の状況や面倒な条件は考えなくてもよいので、たぶん小学生でも解ける。
しかも一つ目の問題は、犯人である殺人二十面相がヒントがどこに隠されているのかを説明してくれるというチュートリアルに近い形式だったため、わずか十五分ほどで終わってしまった。
一応、解答を用紙に書いて提出させられたが、あれではほとんど全員が正解しているだろう。
夏帆は自己申告通り苦手分野なのか、一問目の説明のときから難しい顔をしていた。正解が発表されたあとも「どういう意味??」と首を傾げている。
「――って、こと。こうすれば、部屋の中に入ることなく被害者を殺害できるでしょ?」
「ああ! なるほど!!」
夏帆はハジメの説明にスッキリした顔で笑う。理解できたことを喜ぶその姿は、年上なのにどこか可愛らしい。
「金田一さんって賢いんだね〜。あたし、説明されるまで全然わかんなかった」
「そんなことないですよ。ベンキョーとか嫌いだし。こういうクイズとかが得意なだけで」
「あたしも勉強はあんまり好きじゃなかったな。昔から身体を動かす方が得意。……よくお姉ちゃんから男の子みたいねって言われたな」
「え〜!? いまの夏帆さんからは想像つかねぇ!」
肌は冬でも日焼けで真っ黒。髪もベリーショートで、いつも男の子とばかり遊んでいたそうだ。
冒険に出ようと勝手に父親のボートに乗り込み、偶然ロープが外れて危うく沖へ流されかけたという武勇伝を少し恥ずかしそうに披露してくれる。
「あたしは泳いで脱出しようって言ったんだけど、一緒に乗り込んでた三つ上の男の子が、危険だからダメだって必死で止めるのよ。まあ、いま考えれば当たり前なんだけど……ふふっ」
「なんですか?」
「いえ、ね。そのときあいつがあたしを止めたのは、自分がカナヅチだったからなんだってあとでわかって」
「ケンカになった?」
「ううん。ひと夏かけてあたしが泳げるようにしてあげた」
どこか自慢げに言われて、笑ってしまった。
ハジメは勝ち気で男勝りな幼い夏帆を想像してみた。きっと可愛くて頼りになる女の子だったのだろう。なにせ、年上の少年を振り回すぐらいだから。
楽しげに話すその思い出は、夏帆にとって大切なものなのだということが伝わってくる。ひょっとしたら、カナヅチ少年が彼女の初恋だったのかもしれない。ハジメがそう思ってしまうくらい、少年の話をする夏帆の表情は穏やかさと優しさに満ちていた。
「お姉さんとは? 仲が良かったんですか?」
「……うん。年が六つも離れてたから、あたしをすごく可愛がってくれたわ。優しくて、賢くて、あたしにとってはこうなりたいっていう目標で、一番の憧れな……自慢の姉、だった」
スッと表情をなくした夏帆は、耐えきれない悲しみを孕んだ声で「もう、亡くなってるの」と言葉を続けた。
テーブルの上で白くなるほど握りしめられたこぶしはかすかに震え、吐き出される声は悲鳴をあげる寸前のような悲痛な色を帯びている。大きな悲しみを背負いながらも、姉の死を語る夏帆の顔は一つの歪みもなく整っていて、それがどうしようもないほど痛々しかった。
「あたしが十二の頃に両親が離婚して、ろくに会えないまま事故で死んじゃった」
「…………」
「成人したら一緒にお酒飲もうって約束……破られちゃったな」
彼女のなかで姉の死はなに一つ消化されていないのだとわかる、小さな小さなつぶやき。ポツリと零れたそれが合図だったかのように、夏帆の無表情が崩れた。
いまにも泣き出しそうなその顔を見た瞬間、気づけばハジメは彼女の両手を握り叫んでいた。
「じゃあ! あたしが二十歳になったら、夏帆さん一緒にお酒飲みましょうよ!!」
なんの慰めにもならないかもしれないけれど。
たまたま同じ船に乗っただけの自分に、夏帆のためにできることなどないのかもしれないけれど。
それでも――言わずには、いられなかった。
大切な人を失っても、人は生きていかねばならないから。夏帆には、悲しみに囚われて苦しみ続けてほしくなかった。
夏帆に言葉をかけながら、ハジメの脳裏に浮かんでいたのは幼馴染の顔だった。もしも自分が死んでしまったとしても、美雪には笑っていてほしい。悲しんで、悲しんで、悲しんで……そのあとにはちゃんと、いつもの日常に戻ってほしいと思う。
一度死んだ記憶があるからこそ、夏帆の姉も、きっと残していく妹の幸せを願っていると彼女に伝えたかった。
「……ふ、ふふふっ」
「夏帆さん……?」
「ふふ。やだ、ごめんなさい。バカにしたんじゃないの……嬉しくて」
ハジメの口にした“約束”と、そのあとに続いた拙い言葉に夏帆は泣き笑いのような顔を浮かべる。
「不思議ね。君のほうがずっと年下なのに……なんだかお姉ちゃんに叱られたみたい」
「はは。偉そうなこと言ってすみません」
「ううん。嬉しかったって言ったでしょう? でも、あたしは――の」
「え?」
「なんでもないわ! それよりおしゃべりに夢中で、あたしたち全然推理が進んでないじゃない。豪華景品のためにも頑張らなくちゃ!」
聞き取れなかった部分が気になったが、夏帆の言う通りイベントはすでに第二の事件の説明やヒントも出し終わり、シンキングタイムへと突入しているようだった。
ほかの参加者たちは互いに問題について相談し合ったり、トイレや飲み物をとりに行ったりと、各自好きに過ごしている。
「あたし、なにか飲み物とってきます。夏帆さんもなにかいります?」
「ありがとう。お水かスッキリ系のお茶を頼めるかな。あたしもちょっと酔いを覚ますわ」
まだ少し潤んでいる夏帆の目を見て、ひとりで気持ちを落ち着ける時間が必要かもしれないと席を立つ。遅刻したせいで手元に飲み食いするものがないのも本当だ。
ハジメは夏帆のリクエストを確認してから、会場の後方にあるドリンクコーナーへと向かった。
「え〜、お水かお茶……」
飲み物はセルフサービス式だった。近くにあったふたり分のグラスを手にとり、自分のものにコーラを注いでから夏帆の要望にそうものを探す。
水ではさすがに味気ないので、なにかいい感じのお茶はないだろうか。
「お客様、なにかお飲み物をお探しですか? こちらにあるもの以外のメニューもございますが」
ちょうど新しいドリンクピッチャーを持ったスタッフの女性に声をかけられたので、なにかおすすめがないかと聞いてみる。
「それでしたら、こちらはいかがでしょう」
そう言って教えてもらったのは、赤やピンクの彩りが可愛らしいおしゃれな飲み物だった。
ローズベリーのデトックスウォーター。
薄くスライスした苺とタイムやミント、そして食用の薔薇をミネラルウォーターに入れて冷やしたものらしい。スッキリした口当たりでほんのりと苺の甘さが感じられ、女性にとても人気だと説明してくれる。
「へぇ〜。食べられる薔薇なんてあるんですね」
あいづちを打ちながら、自分が薔薇のサラダなるものを見たことがあったのを思い出す。目の前で爆発したので、いまのいままであれを食べ物だと認識していなかった。ちゃんと食べられたのか、あれ。
「はい。エディブルフラワーと言って、薔薇のほかにもマリーゴールドやビオラ……あと、お刺身についてる飾り花、あれも食用菊なんですよ」
「えっ、あれってタンポポじゃないの?」
「食用に品種改良された菊なんだそうですよ。私も小さい頃はタンポポだと思っていました。お刺身の薬味として添えられているものなんですが、食べたことなかったですか?」
全然知らなかった。
試飲をどうぞ、と少しだけそのデトックスウォーターをもらい飲んでみる。ほのかに味と香りがついた水、というのがハジメの感想だが、初めて口にした薔薇は花弁が肉厚で思っていたようなえぐみもなかった。花弁なのにしっかり香りがあり、甘みと酸味が感じられる。
「このデトックスウォーターに使用している薔薇は、船内のショップでも販売しているので、お気に召しましたらご自宅用やお土産としてもどうぞ」
商売上手な女性スタッフは「提携している農家から特別に譲っていただいている少し珍しい薔薇なのでここでしか買えませんよ」と付け足して去っていった。
ハジメはそこまで好きだと思えなかったが、たしかに美雪のお土産にはいいかもしれない。自分と違いハーブティーなども好きな美雪の口には合うだろう。
とりあえず、夏帆への飲み物はこのデトックスウォーターにしようと決め、彼女の分のグラスを注ぐ。
「あっぶね!」
横着をして片手で満タンのドリンクピッチャーを傾けたので、グラスから零れるギリギリまで入ってしまった。人の飲み物なのでここで少し飲んで減らすというわけにもいかない。
仕方がないので、零さないようそっと慎重に運ぶことにした。
ちゃぷちゃぷと歩く振動で小さく波打つグラスの中身を注視しながら、零すな、零すな、と繰り返し自分に念じる。
しかしそんな願いもむなしく、ハジメは前から来た人物を避けそこね軽くぶつかったはずみで、デトックスウォーターを相手の足にかけてしまった。
「あ……っ! す、すいません!!」
グラスから視線をあげて謝れば、相手は殺人二十面相だった。
その白いフルマスクはさぞ視界が悪いのだろう、彼のほうもハジメにぶつかったことにひどく驚いている様子で、大丈夫だというように手を振る。
なんとなくイベントスタッフらしい、客を楽しませることに長けた饒舌な印象だったので、動作のみの返答が少し気になった。
「さあ、皆さん。謎は解けてきましたか? ヒントは配布した資料やモニターの画像だけでなく、私を始めイベントスタッフが握っているかもしれませんよ」
しかし、どうやら説明の途中だったようで、殺人二十面相はそのまま雑談を交えたヒントを口にしながら座席を一通り回り、ステージへと戻っていく。
立ち去る彼の黒いスラックスの足元に濡れたシミができ、小さな花弁の欠片が張りついているのが見えた。デトックスウォーターがかかったときに一緒についてしまったのだろう。
「……まあ、いいか」
多少甘さがあるといっても所詮は水なので乾けば気にならないはずだ。
ハジメはそうつぶやいて、少し中身が減って運びやすくなったグラスを手に夏帆が待つ席へと戻った。
16
ミステリーナイトの二問目は『足跡なき殺人』だった。
ハジメが考えたトリックが正解なのだとしたら、殺人二十面相はなかなか突飛な発想をする怪人だと思う。まあ、トリックのために一人で
「えー、ただの雪なんでしょ? 足跡消しながら歩いたらよくない??」
「ダメでしょ、夏帆さん。資料に“雪を偽装したあとはない”って書いてるじゃん」
「死体を……放り投げた、とか?」
「十メートル以上?」
超サイヤ人かなにかだろうか。
相手が子どもでもその距離を投げるのは難しい。ハジメの言葉に夏帆は「ダメか〜」と残念そうな表情を浮かべる。半ば本気で言っていたらしい。
夏帆は苦手なりに自分で答えを見つけるつもりのようで、資料を矯めつ眇めつしながら唸っている。
「どうですか? トリック、解けました?」
ハジメたちにそう声をかけてきたのは、ぽっちゃりとした小柄な男性だった。その愛想のよい笑顔は、ふっくらした頬と線のように細まった目のためか、どこか福々しい。
「まだ全然わかんないんですよ〜。えーと、スタッフの人ですか? あっ、ヒントくれるとか!?」
「ああ、すみません。僕はイベントスタッフじゃないんですよ。出版社に勤めているんですが、うちのシナリオライターが今回のミステリーナイトのネタ提供をしているので、皆さんの反応が気になりまして。こうして声をかけさせてもらったんですよ」
男性は
「へー。編集者さんなんですね」
「ええっと、それでおふたりは……年の離れた姉弟、ですか?」
「違いますよ。あたしたちはこの船で知り合った友達。年が離れてるのは認めるけど」
お互いに簡単な自己紹介をする。
山下は名刺の通り音羽出版の編集者で、このオリエンタル号には担当作家が執筆のために乗っており、その付き添いとして来たのだという。
「いやー、寄港先で行方を晦ませられたら堪りませんからね」
「やっぱ、作家ってそういうのあるんですか?」
「あります、あります。もう逃亡犯もかくやといった逃げ足の先生がいらっしゃって困りますよ〜」
「山下さんの担当している作家さんは?」
「尾野先生ですか。先生は引きこもり気味な方なので、逃げ足よりはその偏屈さが……」
「えっ、尾野!? 尾野って、あの
夏帆が驚きとともに挙げた名前にハジメはピンと来なかったが、わりと人気の小説家らしい。映画化されたというタイトルを聞けば、なるほどたしかに話題になっていた記憶がある。
尾野治の次回作は、幽霊船『マリー・セレスト号』を題材にしたホラーになる予定で、今回は少しでも船の様子がわかればと、山下が旅行を手配したのだそうだ。
「まあ、当の先生には、こんな豪華客船じゃあ波一つ感んじられないって文句を言われてしまったけどね」
山下はそのあとも作家とのやりとりを面白可笑しく話してくれた。
勧めてもいないのに気づけばソファに座っているあたり結構図々しい性格のようだが、福々しい笑顔も相まってか不思議と不快感はない。
そして彼は夏帆がまったく問題が解けていないことを知ると、ハジメとともになんとか夏帆を正解へと導こうと協力してくれた。
「わかった!」
「お! やったね、夏帆さん」
「うん。答えは――塩、でしょ!!」
「へ?」
「テレビかなにかで見たんだけど、雪国って雪が積もらないように塩をまいたりするんだって。だから、雪が積もり始める前に死体を置いて、その上に塩をまいたんじゃないかな。そしたら、雪が降っても死体の上には積もらないし、足跡なき殺人の完成ってわけ!」
どうよ、っと自信満々な夏帆を前に、ハジメと山下は顔を見合わせた。
「う、うーん」
「着眼点はユニークでいいと思うんですけどねぇ」
「え、違うの?」
「そのトリックだと、雪が解けて死体がびしょびしょになっちゃうから。あと、雪が積もり始めた時点で被害者の人まだ生きてるし」
そうこうしている間に第二問のタイムリミットが来てしまう。
せっかく夏帆が自分で考え出した答えなので、ハジメとしてはそれを答えとして提出してもよかったが、夏帆自身に豪華景品がほしいので却下だと言われてしまった。
仕方なく、ハジメの答えを用紙に書いて提出する。
「さて、それでは正解の発表……と言いたいところですが、皆さんもお疲れのようなので、これから十五分の休憩としましょう」
殺人二十面相の言葉に会場の空気がほっと緩む。
再開は二十一時十五分で、時間が少し押しているため、第二問の答えはあとで会場の後ろに張り出されることになった。
「ああ〜、腹減った」
「え、ご飯食べてないの?」
「いや、食べたんですけど……」
「中学生でしたっけ。その年頃は食べ盛りですよねぇ」
悲しげに鳴くハジメの腹の虫に、夏帆が軽食を注文してくれる。
ミステリーナイトのお礼に奢ってくれるという彼女に感謝しつつ、何気なくステージの方を見ると、殺人二十面相がマスクを外していた。なんとなくテーマパークの着ぐるみのように素顔を晒すのは厳禁なのかと思っていたがそうではないらしい。
ほかのスタッフとなにか打ち合わせらしきものをしている姿は当然ながら至って普通の人だった。
「僕もなにか食べましょうかね……っと、失礼。電話だ」
メニューへと伸ばしかけた手を引っ込め、山下はその電話に出る。
「もしもし。ああ、先生ですか。……えっ、停電!? お部屋がですか?? まさかそれでデータが消えたとか言うんじゃないですよね!? え、あ……はい。そうですね、わかりました」
「どうかしたんですか?」
「ええ。どうも特等客室のエリアが停電してるみたいで……」
部屋で執筆していた尾野から、停電して内線電話も使えないので乗務員に連絡をとるよう言われた、と山下は足早にイベントスタッフのほうへと歩いていった。
ハジメはくるりと辺りを見回してから、天井で煌々と輝く照明へと視線を向ける。
特等客室ということは、このダイニングと同じ六階にあるはずだ。
イベントの最中はときどき照明が落とされることもあったが、出入り口やドリンクコーナーなどは変わらず明かりがつけられていたし、ステージに映し出された画像が途切れることもなかった。
「……特等客室だけが停電?」
ハジメが以前に乗った旧・高級客船の『コバルトマリン号』は客室の電源が四部屋ごとにまとめられていたが、このオリエンタル号も同じような造りなのだろうか。
こんな立派な船のブレーカーはちょっとやそっとでは落ちない気もするが。
「あの人、大丈夫かしら」
「夏帆さんたちも特等客室でしたっけ?」
「そうそう。……ダメ。電話に出ないわ。酔ってたし、もう寝てるのかしらね」
夏帆はスマホをカバンへとしまい、少し落ち着かない様子で自分の飲み物へと口をつけた。
特等客室にかぎらずこの船の客室はすべてオートロックなので、停電になっているならそのロックは解除されていることになる。特等客室はそのエリアに入るのにもカードキーが必要らしいが、停電中のいまはそこのロックも解除されている可能性が高い。
この隙に泥棒や不審者が部屋に入るというのはさすがに考えにくいが、自分たちの部屋の鍵が閉まらないのはたしかに気が休まらない状況かもしれない。
ミステリーナイトの途中だが一度部屋に戻るか夏帆に聞こうとしたとき、山下が額の汗を拭いながらニコニコとした顔で帰ってきた。
「いや〜、よかった、よかった」
「あっ、もう解決したんですか?」
「ええ。操作ミスかなにかで、特等客室エリアの電源が切れていただけのようです」
慌てて疲れたのか、山下はソファへとドカリと腰を下ろし、腹が減ったとばかりに見損ねたメニューへと素早く手を伸ばした。
「操作室に連絡してもらったらすぐでしたよ。先生にも電話しましたけど、問題なく電気もついたみたいだし、原稿も無事で本当に助かりました」
停電していたのは五分ほどのことだったようだ。
山下は原稿が無事だったことがよほど嬉しいらしく、「よかった、よかった」としきりにうなづいている。スタッフを呼び、注文をする声もどこか軽やかだった。
「皆様、それではいまから第三の殺人事件についてお話しましょう」
テーブルの上を占拠した料理をハジメと山下で半分くらいに減らした頃、予定通り休憩が終了し、殺人二十面相による第三の事件の説明が始まった。それを合図にダイニングの照明が落とされる。
トイレに行っていた夏帆が薄暗闇の中を慌てたように戻ってきた。
元の場所に座るだろうとハジメが腰をあげると、「大丈夫。そのまま奥に詰めて」と言われ、彼女はソファの端へと腰掛けた。
「トイレが混んでてあせっちゃった」
「ちょっとくらい遅れても大丈夫でしょ」
「いやいや、これが最後の問題だもん。気合い入れなきゃね」
ぎゅっと握り拳を作り気合いを表す姿は可愛らしいが、その顔は真剣そのものだ。
「資料をどうぞ」
今回もハジメたちのところには殺人二十面相が資料を配りに来てくれた。夏帆がまとめて手渡された資料をハジメと山下にも回してくれる。
ハジメは渡された資料よりも自分がつけた汚れが気になり、離れていく殺人二十面相の足元に目を凝らす。遠目に見る彼のスラックスはきれいに乾いているようで、張りついていた花弁も見当たらなかった。
「僕、参加者じゃないんですが、もらってしまってもいいんですかね?」
「いいんじゃないですか? あたしの夫のピンチヒッターってことで」
第三問は『密室殺人』で、ハジメと山下のアドバイスのもと夏帆はあーでもない、こーでもないと頭を悩ませながらも正解に辿りつくことができた。
三回目にしてようやく自分で解答を提出用紙に書いた夏帆は満足げな顔でそれを見つめる。
「さっさと提出して祝杯を、って言いたいところだけど……もうこんな時間か」
夏帆の言う通りもう二十二時近かった。
健全な中学二年生としてはそろそろ部屋へと帰り、寝る支度を始めなければいけない頃だろう。
とはいっても、ハジメからすれば二十二時などいつものゲーム時間で、まだ目も頭もギンギンに冴えているのだが。
「祝杯なら付き合いますよ、夏帆さん」
「いいの? でも、あんまり遅くなるとあのマジシャンのお兄さんが心配するんじゃない?」
「へーき、へーき」
なにも教えていないが、どうせあの男はハジメがこのミステリーナイトに参加していることを知っているはずだし、用事があれば隠れていたって見つけ出してくる相手なのでまったく問題ない。
常識だとか、マナーだとかを説いてこないところは高遠の美点だと思っている。当の本人からは育ちの良さが垣間見えるときもあるが、それをハジメに押しつける気はないらしい。
「じゃあ、この時間に中学生を連れ回すのも気が引けるから、あたしの部屋でもいいかな?」
「やった! スイートルーム!」
「ふふっ。ちょっと広いだけで、たぶんそんなに変わらないわよ」
ほかの参加者やイベントスタッフからも話を聞くため、このままここに残るという山下と別れ、ハジメは夏帆の案内で特等客室エリアへと向かう。
夏帆と政則の泊まっている六〇三号室は特等客室エリアの一番奥の突き当りにあたる部屋だった。
この特等客室はわずか八部屋しかなく、エリアの入り口から向かって右側に六〇一号室と六〇二号室、左側に六〇八号室から六〇三号室という造りになっている。
廊下に敷かれた絨毯すら明らかに高級品でなんだか圧倒されてしまう。
「さあ、入って」
「おじゃましまーす」
夏帆がエリアの入り口に使ったのと同じカードキーで六〇三号室のドアを開けてくれる。
ドア付近のスイッチを押せばパチリと電気がつき、照らし出された室内はこれで一番グレードの高い特等客室ではないのかと驚くくらいに広かった。
まず、部屋がリビングルームと寝室の二つある。
リビングルームには立派なソファセットが置かれ、大画面のテレビにはブルーレイディスクプレーヤーが接続されていた。浴室もシャワーのみではなく、ブローバスがあるという。
ウォークインクローゼットも備えつけられており、高級ホテルの一室と遜色がないような造りとなっていた。船の中だとは思えない。
「あの人、やっぱりそのまま寝てるのかしら」
リビングルームを見回して「すげぇ!」と騒いでいるハジメを尻目に、夏帆はソファの背もたれへとかけられた政則のサマージャケットやベルトを見やり渋い顔をする。
浴室を使っている様子はなく、リビングルームの奥にある寝室は電気が消えているので、夏帆の言うように政則は眠ってしまっているのかもしれない。
ハジメは心持ち声のトーンを下げた。
「政則さん、寝てるなら帰りましょうか?」
「大丈夫だと思うけど……。ちょっと様子を見てくるから待ってて」
そう言って、夏帆は寝室へと入っていく。
寝室の電気をつけたらしく、閉じられていないドアの向こう側が明るくなったのがわかった。話し声が聞こえてこないので、やはり政則は寝ているのだろうと思ったとき――。
「きゃああああっ!!!」
夏帆の悲鳴が響き渡った。
ハジメは弾かれたように駆け出し、寝室の中へと飛び込む。
「夏帆さん、どうしたんですか……っ!」
その光景に、ハジメは息を呑んだ。
特等客室に相応しいセミダブルはあるだろうゆったりとしたベッドの上で、泰田政則は紅い紅い血に染まり――死んでいた。