平行線機能不全   作:キユ

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第三章「オリエンタル号⑩」

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 船内にはどこか押し殺したような静けさが満ちていた。

 日付が変わってずいぶんと経つ。草木も眠り、本来なら波の音や未だ止まぬ雨の音だけが聞こえてきそうな時間帯。

 殺人事件発生という異常事態は一般の乗客たちには伝えられていない。

 それでも、誰もが不思議とこの船に立ち込める不穏な気配を感じとっているのか、静寂の中にも不安と緊張を孕んだ、ピンと張り詰めたような空気が漂っている。

 ハジメは五等客室が並ぶ一階の廊下を進み、目当てのドアの前で立ち止まった。一呼吸おき、控えめにそのドアをノックする。

 空気に溶けていきそうな小さな音だったが、部屋の主にはきちんと聞こえたらしい。慌ただしい足音とともに少し乱暴にドアが開かれ、ハジメを出迎えた人物はなんとも言えない顔で咥えていたタバコの火を消した。

 

「船内は禁煙じゃなかったっけ、いつきさん?」

「自分の部屋は治外法権だろ。窓開けて吸ってたからセーフだ、セーフ」

 

 こちらの態度にほっとした顔で、いつき陽介はハジメを部屋の中へと通してくれた。

 先ほどまで吸っていたタバコの臭いが残る室内は、床に脱ぎ散らかされた服やビールの空き缶などでほどほどに汚かったが、ハジメにとってはこの乱雑さが逆に居心地よく感じられる。

 なにせハジメの自室も、母親や幼馴染の少女が掃除する前は同じような散らかり具合だ。

 

「……こんな時間に連絡して、ごめん」

 

 椅子を占領していた荷物を適当に退かして座りながら、顔を見たらまず言おうと思っていた言葉を口にする。

 船内で一度話しただけの、冗談で名刺を渡しただけの子どもから連絡をもらい、いつきもさぞ驚いたことだろう。ましてや、その子どもが事件の第一発見者だと言うのだから。ドアを開けてハジメを見たときのいつきの顔を思い出し、申し訳ない気持ちになる。

 

「あー、お前さんも大変だったな。その……なかなかショッキングなもんを見ちまったんだろうが……あー、あんま気にすんなよ、つっても無理か」

 

 寝て起きたままのベッドに腰掛け、いつきは困ったような表情を浮かべ頭を掻いた。

 悲恋湖で夫の惨殺死体を見た香山聖子に「いまの心境は?」と感想を聞いた男にしては、ずいぶんとこちらに気を遣ってくれている。仕事柄聞きたいことは山のようにあるだろうに、いつきはハジメの心情を慮るだけで、それ以上の言葉は続けなかった。

 

「いつきさんに電話したのはさ、ちょっと事件のことで気になることがあって……」

「気になることって……なんだ、自分で捜査でもしようってか?」

「警察が調べて犯人がわかるならそれでいいんだ。でも、この事件は……一筋縄じゃいかない気がする」

「……ま、お前もある意味事件の当事者だもんな。いいぜ。この一流記者、いつき陽介様が協力してやろう。俺も事件のことは知りたいしな」

 

 ニヤリと笑い、いつきはベッドの上に放られたノートパソコンを手にとる。

 こっちへ来いというように手招きされたので、ハジメは彼の横へと腰掛け一緒にその画面をのぞき込んだ。

 

「で、気になることってのは?」

「被害者のことなんだけど――」

 

 殺された泰田政則とその妻である夏帆のこと、そして政則がどうやら『青髭』と呼ばれているらしいことを掻い摘んで説明する。

 すぐにはピンと来なかったのか、いつきはしばらく政則の名前と青髭という言葉を繰り返し口の中でつぶやいていたが、突然ハッとした顔で叫んだ。

 

「……っ!泰田政則!! “現代の青髭”か!?」

「現代の青髭?」

「ああ。もう五年以上前になるんだが、結婚した女が次々に事故死して多額の生命保険で大金持ちになった男がいると、一部の記者の間で話題になったことがある」

 

 事故死した妻は合わせて三人。

 その全員が亡くなる前に生命保険に入っており、受取人は夫である泰田政則となっていた。それぞれの妻との結婚期間も短く、彼が手に入れた保険金の額が億を上回ることから、警察はもとより生命保険会社も徹底的に事件性の有無を調べたが、結局は三人とも事故死という判断が下ったらしい。

 三人目の妻が亡くなった際に記者たちの目に留まり、『現代の青髭』という異名をつけられ週刊誌などでとり上げられかけた、といつきは教えてくれた。

 

「まあ、実際記事にはならなかったんだが……くっそ、ネットだとろくな情報がねぇな。ちょっと待ってろ。たしか記者仲間で、この青髭を追っかけてた奴が……」

 

 とり出したスマホでどこかに電話をかけ出したいつきを見守ること十数分。

 ようやく目当ての人物と連絡がついたようで、彼は言葉巧みにその記者仲間から現代の青髭に関する取材データを送ってもらえるよう約束を取り付けていた。

 

「おっ、来た来た! これだな」

 

 いつきはノートパソコンへと送られてきたメールを開く。

 “そっちの情報もあとで絶対送れよ!”とタイトルが付けられたメールには、先ほどいつきから聞いた内容がよりくわしく記されていた。

 当時の新聞の切り抜きだろう三人の妻たちの顔写真も載っている。少々粗い画像だったが、その中のひとりがハジメの目に留まった。

 

 泰田春海(やすだはるみ)

 

 その名前に心当たりはない。ただ彼女の顔にはなんとなく見覚えがある気がした。最近、この女性をどこかで見たような――。

 

「こりゃあ、泰田政則が殺されたのは間違いなく()()が原因だろうな」

 

 いつきの言葉で思い出しかけていたなにかはそのまま霧散してしまった。

 もう一度写真を見るが、先ほど感じた見覚えすらももはや曖昧になっている。ハジメは泰田春海への既視感を心に留めながら思考を切り替えた。

 そう、たしかにいつきの言う通り、政則の過去を考えれば彼が殺された理由は十中八九、この妻たちの死に関係している。だが、そうなると今度は別の疑問が浮かぶ。

 なぜ、いまなのか?

 三人目の妻である泰田春海が亡くなったのは五年以上前だ。いまになって泰田政則を殺した理由、あるいはいまでなければならなかった理由があるのか。

 

「……夏帆さんは、知ってたのかな」

「夏帆っていうといまの奥さんか。ひょっとして、夫に殺されそうになって返り討ちにしたんじゃねぇのか」

「夏帆さんの犯行時刻のアリバイは鉄壁だ。どうやったって、彼女に政則さんは殺せない」

 

 ハジメ自身が証人だ。

 泰田政則は二十時十五分までは確実に生きていたし、それ以降彼が死体となって発見されるまでの間、夏帆はハジメのそばを数分ほどしか離れていない。それではなにかをなすにはあまりにも時間が短すぎる。

 しかし、状況から考えて犯行があったのはミステリーナイトの最中なのは間違いない。

 

「いつきさんもミステリーナイトに参加してたよね。なんか気づいたことない?」

「ん〜。そう言われてもなぁ。そうだ、取材も兼ねてたから写真を撮ってるぞ。見てみるか?」

 

 渡されたデジカメの画像を見る。

 取材用というだけあって、写っていたのは会場の様子がわかるものや配られた資料、提供される飲食物などがほとんどだった。殺人二十面相を始めとするスタッフの姿を捉えたものもいくつかあるが、参加者が誰かはっきりわかるようなものは少ない。

 

「あれ? この写真……」

 

 次々と写真を確認していくハジメの指が止まる。

 なんてことない殺人二十面相の写真。司会者であり、ミステリーナイトのある種の主役でもあるからだろう。彼の写真はほかのスタッフと比べると数が多い。それ自体は別に不思議でもなんでもないのだが、その写真の中のなにかがハジメの意識に引っかかった。

 目を凝らして違和感の正体を探るが、デジカメのモニターでは小さくてわかりにくい。

 ハジメはいつきに頼んで、写真のデータをノートパソコンへと移してもらう。

 

「おいおい、まさかなんかわかったのか?」

「……いつきさん、この写真とこっちの写真、印刷できないかな?」

「プリンターがあればできるけどな。まあ、ようはいま見比べたいんだろ。ちょっと貸してみな」

 

 いつきは手慣れた様子でノートパソコンの画面にハジメが言った二枚の写真を並べて表示してくれた。

 一枚目の写真はミステリーナイト開始直後と思しきもの。

 二枚目は、殺人二十面相の後ろに写っているモニター画面から二問目のときのものだとわかる。

 どちらの写真の殺人二十面相も、黒マントにタキシード、白いフルマスクだ。その格好自体に違いはない。

 

「……マイク」

「なんだ?」

「マイクの位置が違う。一枚目のは襟にマイクをつけてるのに、二枚目のは胸ポケットだ」

 

 殺人二十面相が使っていたのは、俗にピンマイクと呼ばれる襟などの衣類にとりつけられる小型のマイクだった。小さなクリップで留めるだけなのでつける場所はそれほど選ばない。

 二枚の写真では、そのマイクの位置がなぜか変わっていた。

 いつきの撮った写真のなかから殺人二十面相が写っているものだけをピックアップしていく。

 写っている角度によってはマイクの位置が確かめられないものもあったが、幸いハジメが確証を得るには充分な枚数の写真があった。

 

「マイクの位置が違うって……どういうことだよ?」

「ほら、見て。こっちの殺人二十面相は襟にマイクをつけてるでしょ。こっちもそう。でも、この二問目のときの写真だとマイクは胸ポケットにある」

「ああ」

「で、たぶんこれは三問目の前の休憩のやつかな? マイクの位置は……襟だ」

 

 ミステリーナイトのタイムスケジュールを調べてみないとはっきりした時間はわからないが、殺人二十面相はイベントの中で二十分から三十分程度の間だけ、マイクを襟から胸ポケットにつけ替えていたことになる。

 もちろんイベントの進行上で、そんな短時間だけマイクの位置を変える意味などないだろう。

 殺人二十面相の衣装は体格さえ似ていれば、中身が変わっても簡単には気づかれない。声という問題があるが、それもマイクの位置が胸ポケットであることからおおよその推測がつく。

 

 

 間違いない――殺人二十面相は、ふたりいる。

 

 

 

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 ハジメの推理を聞いたいつきは興奮したように身を乗り出した。

 

「入れ替わってたってことは……じゃあ、この殺人二十面相が犯人だってのか!?」

「それはまだわからない。はっきりしてるのは殺人二十面相がふたりいて、ミステリーナイトの数十分の間入れ替わっていたってことだけ」

「でも、そんな手の込んだことするってのは犯人だからじゃねぇか?」

「たまたま殺人二十面相がなにかしてたタイミングで、政則さんが殺された可能性もあるから」

 

 二つの事象を繋げて考えるには情報が足りない。

 ミステリーナイトでちらりと見た、マスクを外した殺人二十面相の顔を思い出す。彼は泰田政則の亡くなった三人の妻の関係者なのだろうか。

 

「ゔ〜ん」

 

 ぐしゃぐしゃと髪を掻きまぜながら唸る。

 引っかかっていることがあるのに、それがうまく形にならない。

 一度警察の捜査の進み具合を見に行ってみようか、とハジメがベッドから腰を上げたとき、尻ポケットに入れていたスマホが着信を告げた。

 

『やあ、名探偵君。進捗はいかがですか?』

「政則さんのことは……まあ、わかったよ」

『それは重畳。しかし、その様子では案の定あまり喜ばしい過去の持ち主ではなかったようですね』

 

 どんな過去を持っていたとしても殺されていいわけではない。

 それでも、やり場のない悲しみと憎悪がこの事件の裏にあるのがわかるだけに、殺人という手段を選ばざるをえなかった犯人の苦しみを思い胸が痛くなる。

 

「…………」

 

 電話越しでもわずかな沈黙からハジメの思考を正しく読みとった男は、「捕まえてもいない犯人に同情ですか」とそんな感傷を鼻で笑う。

 

「うるせー。なんだよ? 嫌味言うために電話してきたのかよ?」

『まさか。そんなにひまじゃありませんよ』

 

 続けられたのは、警察が犯人を特定したという報だった。

 

『六〇四号室で凶器が見つかったそうです。その部屋に宿泊していたのは中村一郎(なかむらいちろう)という人物で、乗船手続き以降彼を見た人間は乗客・船員を含めて誰もいません』

「警察はその人を捕まえたのか?」

『いいえ。救命ボートが一艘なくなっていたそうで、警察はそれで逃走したと考えているみたいですね』

「……凶器を犯行現場に置いていかなかった理由はそれか」

『このままだと船内の捜査はおざなりに終わりそうですねぇ』

 

 言外にどうするのか問われ、ハジメは渋面を作った。

 警察の判断は間違っている。付近の海を捜索したところで、乗り捨てられたように偽装した救命ボートが見つかるだけだろう。

 六〇四号室で見つかった凶器も、なくなっていた救命ボートも、犯人が警察をミスリードするために用意したアイテムだと考えるべきだ。

 そもそも、深夜にこの雨の中を救命ボートで逃走するのはリスクが高すぎる。しかも死体の発見が早ければ、逃走中に海上で捕獲される恐れすらある。この事件の犯人がそんな安易な行動をするとは思えない。

 

 犯人は、まだこの船の中にいる。

 

 それをどうにかして警察に証明しなくては。

 

 

 ◆

 

 

 もう少し政則の過去について調べてくれるといういつきを残し、ハジメは特等客室エリアへと戻ってきた。

 さすがに集まっていた野次馬は追い払われたのか、もうほとんどいなくなっている。ときおり思い出したように、不安げな表情で捜査の様子を見に来る乗客がいる程度だ。

 規制テープの先は当然関係者以外立入禁止で、制服警官の隙をついてなかに入るべきかしばし悩む。

 警察の捜査に加わるための情報がないわけではないので、強行突破しても別に構わないのだが、いらぬ反感は買わない方がいい。

 十七歳の頃とは違い、電話一本でことを収めてくれる味方はいないのだ。しかも、いまのハジメは子どもすぎて相手にされない可能性すらあった。

 

「あれ? 君、どうしたの?」

 

 そんなハジメに声をかけてくれたのは事情聴取のときの若い刑事だった。名前は確か――村上。

 

「村上刑事。あの、あたし、ちょっと気づいたことがあって」

「え、事件のことでかい?」

「はい」

「う、うーん。どうしよう。……ちょっと待っててくれるかな」

 

 村上刑事は困った顔をしながら、上司へと指示を聞くためにか六〇三号室へと入っていく。半ば予想していたが、その部屋からはすぐに「馬鹿野郎! ガキの言うこと一々真に受けてんのか!!」という怒鳴り声が聞こえてきた。

 これはダメかなとハジメが別の方法を考え始めたとき、村上刑事がひとりの男を連れて戻ってくる。

 一目でキャリア組だとわかるエリート然とした男だった。

 着ている三つ揃えのスーツから、履いている汚れ一つない革靴まで、なにもかもが叩き上げの刑事たちとは違う。これで眼鏡に美形であったなら、ハジメはこの男を『明智二号』と呼んだかもしれない。

 

「この子が?」

「え、ええ。連城警部、この子とお知り合いなんですか?」

「いや、会ったのは初めてだよ」

 

 育ちの良さそうな柔和な顔には似合わない、好奇心を隠しもしない目でハジメを見る男は、自身を山口県警察本部の警部・連城恒彦(れんじょうつねひこ)だと名乗った。

 明らかにこちらのことを知っていそうな態度だが、ハジメのほうは名前を聞いても思い当たる節はない。

 

「金田一一。あの名探偵、金田一耕助のお孫さんだよね?」

「え、そうなの!?」

「……はい。えっと、ジッチャンの知り合いですか?」

「違うよ。残念ながら、僕には金田一翁との面識はない。もちろん、君ともね。――もう、七年近く前になるのかな。……青森の六角村のことを覚えているかい?」

 

 連城が口にした地名にハッと息を呑んだ。

 七年前の夏。小学校に上がったばかりのハジメは、祖父と訪れた六角村でそこに隠されていた悍ましい闇を暴いた。

 祖父のすべてを見透かす穏やかな瞳と、優しく頭を撫でてくれた節くれ立った手の感触を思い出し、知らずこぶしを握りしめる。

 

 ――きっと、祖父はハジメの特異性に気づいていた。

 

 どれほどうまく誘導しようとあの金田一耕助の目を誤魔化せるわけがない。

 それでも、祖父はなにも聞かずハジメの望む通りに六角村の謎を解いてくれた。名探偵としてではなく、ハジメの祖父として。

 

「僕は青森の出身でね。六角村にもちょっとした縁があったんだが、なにを隠そうあの六角村での君たちの活躍が気になって警察官への道を志したんだよ」

「そういえば、連城警部の実家って青森県でも五本の指に入る資産家なんでしたっけ?」

「ああ。なに一つ反抗したことのない絵に描いたようなお坊ちゃんさ。でも、あの事件はその約束された平凡で安穏とした椅子を蹴るくらいには衝撃的だった」

「六角村との縁って……?」

「両親が弟の婚約者に六角村のとある家の娘を選ぼうとしていたんだよ。まあ、正式に決まる前にあの事件が発覚してお流れになったんだけど。そういう意味では、君のお祖父様は我が家の恩人だね」

 

 つまり、この男は時田若葉の婚約者・連城久彦の兄ということになる。

 一回目のとき、その生命を懸けて若葉の敵を討とうとした彼は、いまどうしているのだろう。生まれつき身体が弱く、ずっと家にこもりきりだったと以前耳にしたが、若葉とは違う誰かを愛しているのだろうか。

 自分が捻じ曲げた運命の先をこうして目の当たりにするのは初めてのことで、ハジメの心中は複雑だった。

 金田一一はこの二回目の人生で、多くの人の命を救っている。だが、その反面彼ら彼女らにとっての最愛の人との出会いを奪ってもいた。

 生命に替えは利かない。その人に抱く愛情だって、替えが利くものではない。それなのに、ハジメはそこに優劣をつけている。

 未来に起こる事件を知り、そこに渦巻く感情や当事者の立場を理解しながら、その末に生命を選び取っている。

 自分のエゴで運命を変える、その重みが……本当は立ちすくんでしまいそうなほどに恐ろしい。

 

「さて、名探偵のお孫さん。気づいたことというのは何かな?」

 

 連城にそう水を向けられ、ハジメの意識は現在へと戻ってきた。

 いま考えるべきはそれではないと小さく頭を振る。

 刑事たちに泰田政則の過去と、殺人二十面相のミステリーナイトでの入れ替わりの可能性を伝えながら、くだらない感傷だと自分を嘲笑う男の声がどこからか聞こえてくる気がした。

 

 

 

 連城はハジメの話を聞き終えると、ふむと小さくうなずいた。

 

「現代の青髭の件については、プライベートで泰田政則を追っていた奇特な刑事がこの船に乗っていてね。彼から聞いて知っていたが……ミステリーナイトでの入れ替わりか」

「まだそれが事件に関係してると決まったわけじゃないけど」

「いや、無視はできない情報だよ。しかし凶器が六〇四号室で見つかった以上、警察としては中村一郎を捜査しないわけにはいかない」

「そのことなんですけど……中村一郎なんて人、本当にいたんですか?」

「どういう意味だい?」

 

 ハジメはその質問には答えず、六〇四号室で見つかったのは凶器だけかと重ねて尋ねた。

 捜査情報を漏らしていいのかとオロオロする村上刑事を尻目に、連城は凶器以外は指紋一つ、髪の毛一本見つかっていないと教えてくれる。

 

「六〇四号室を見せてもらえませんか?」

「構わないよ。案内しよう」

「ええ!? いいんですか、連城警部!!」

「ここの責任者は僕だよ。いいに決まってるじゃないか。君たち、キャリア組のおもりは慣れてるだろ」

「ちょ、しっかり陰口聞いてる!?」

「陰口は聞き流してあげるから、なにか問題になったら岡警部補にクビでも差し出してもらうよ」

「代償が大きすぎる!!」

 

 連城のどこかのんびりとした口調からは本気とも冗談とも読みとれない。

 ただ自身のことを『お坊ちゃん』と称する通り、なかなかにマイペースな人物のようだ。明智警視とはまた違ったタイプだが、下につく部下は大変だろうと簡単に想像できた。

 

「さて、ここが六〇四号室なわけだけど。――なにかわかることはあるかい?」

 

 案内された部屋の造り自体は、夏帆たちのところと多少レイアウトや家具の柄が違うくらいで、そう大きな変わりはない。

 浴室やトイレを覗き、寝室のベッドを見てから、ハジメは「やっぱりおかしい」とポツリとつぶやいた。

 

「警察は、犯人がここに潜んで政則さんを殺す機会を窺っていたって考えてるんですか?」

「そうだよ。ルームサービスやベッドメイキングなどもすべて断り、ここで辛抱強くチャンスを待っていたんだろう。慎重な犯人らしく、自分に繋がる証拠はなに一つ残していない。中村一郎というのも偽名だろうしね」

「どうやってそのチャンスを得たんです?」

「まだ方法はわかってないが、二十一時頃に起きた停電が関係しているという線が今のところは濃厚だね」

「――連城警部。このオリエンタル号は出港してもう六日目です。犯人がこの夜のうちに逃走したとしても、この部屋の中に五日間は滞在していたことになる」

 

 人間は飲まず食わずでも数日は活動が可能だ。

 仮に常時手袋をしていれば指紋がつくのを防ぐことはできるし、身体中の毛を剃れば体毛を落とすこともない。

 しかし、どんな鉄人でも排泄と睡眠は必要になる。

 それなのにこの部屋のトイレもベッドも使われた形跡はまったくなかった。わざわざ犯人がベッドメイキングしていった? あるいは床かどこかで寝ていた?

 そんな必要はない。

 ベッドで寝ていてもシーツごと持ち去ってしまえばいいのだから。

 トイレにしても、使ったからといってそこから特定の人物に辿り着くなど不可能に近い。

 

「じゃあ、どうしてなんの痕跡もないんだと思いますか?」

「――そんな人物は、初めから存在しなかったから」

「ええ。犯人はまだこの船にいるんです。この部屋にあった凶器は捜査を撹乱するためのものだ」

 

 この事件の犯人は綿密な計画を立てて犯行に及んでいる。

 そして、その動機は『現代の青髭』と呼ばれた泰田政則の過去の行いへと繋がっているのだ。ハジメの直感が正しければ、オリエンタル号には政則との因縁を持った人物が複数人いる。……その中には、きっと泰田夏帆の名前もあるのだろう。

 

 

 

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