3
この日、長野県全域は青々とした空が広がる素晴らしい晴天だった。
車窓から見える切りとられた空には雲一つ浮かんでいない。助手席に座った津島は前日の大雪がまるでウソのような好天気に目を細め、自分の側のサイド・ウィンドウを少しだけ開けた。途端に暖房の利いた車内に冷たい空気が流れ込んでくる。
「ん? 暑かったなら暖房弱めるか? それとも酔ったか?」
「あ、いや大丈夫です。天気がいいなと思って」
津島の様子を横目で窺いながら、近倉は心持ち車のスピードを落とした。
去年近倉に誘われて渋々行ったスキーの帰り道で盛大に嘔吐して以降、彼は津島の車酔いに本人よりも気を配ってくれている。津島としては、あれは道があまりにも悪路だったからだと言い訳したい。
しかし、近倉が知人から借りたというこのステーションワゴンはそこそこの年代物らしく乗り心地は決してよくなかった。とくに山道に入ってからのたび重なる揺れは三半規管の弱い津島にはたしかにきついものがある。事前に飲んだ酔い止めが効いているのか、まだ吐き気まではしていないが、じんわりとした気分の悪さがあるのは事実だ。
「もうそろそろ着くはずなんだがなぁ」
「今日泊まる貸別荘って、あざみ野高原スキー場の近くなんですよね?」
「地図で見ると天狗平スキー場にも近そうよ。あっ! 近倉部長、そこ左折するみたいです」
後部座席で楽しそうな声を上げた
このあとは一本道だという藤堂の言葉にほっとしつつ、津島は自分の情けなさに内心落ち込んでしまう。彼女の前で醜態こそ晒していないが、近倉から車酔いの心配をされ気遣われる自分が後輩の目にどう映っているのかと思うと気が重かった。
後輩の女の子たちが津島の車酔いを気にして、車内での飲食を控えてくれているのもまたつらい。
「なんだ、舟木君はスキーがしたいのか?」
「違いますよぅ。あたし、スポーツは全然ダメなんです。そうじゃなくて、スキー場の近くの山荘とか、ミステリの舞台なら定番じゃないですか。なんかそれだけでワクワクしちゃって」
「あっ、それわかるかも! 突然吹雪になって遭難した人が訪ねてくるところから始まる連続殺人でしょ」
「そうそう! もちろん外部との連絡がとれない完全なクローズドサークル」
舟木や藤堂の言う通り、雪山・別荘・サークル合宿はなかなかミステリ好きの心を擽るキーワードではある。津島が今回の合宿において重きを置いているのは“ミス研”の部分なので、思い浮かべる作品は彼女たちとは違う。この合宿の状況設定的に『屍人荘』や『十角館』の方が津島の持つサークル合宿のイメージとしては近い。もちろん、自分たちの所属するサークル内で殺人事件が起こることを想像しているのはだいぶ不謹慎なので口には出さなかった。
「でも結局、高遠先輩の連れてくる相手ってどんな人なんですか? 部長は知ってるんですよね?」
ひとしきり各々が思いつくミステリ作品について盛り上がってから舟木が口にしたのは、この合宿で津島がもっとも気になっていることだった。
後部座席からぐっと身体を乗り出して近倉へと無邪気に尋ねる舟木は、小動物染みた雰囲気そのままのクリクリとした大きな瞳を輝かせて答えが返ってくるのを待っている。小柄で童顔の舟木はその仕草まで少々幼い。現ミス研メンバーのなかで唯一の他大学の生徒だというのに、ほぼ幽霊部員である高遠を「先輩」と呼び慕っている彼女のコミュ力の高さは近倉に匹敵すると思う。
同学年なのに相手を「高遠君」呼びし、彼相手に若干敬語を使ってしまう津島とはえらい違いである。しかも、一年浪人している津島からすると高遠はれっきとした年下の青年だ。情けないにもほどがあるだろうと自分でも思うが、彼は津島の理想の名探偵なのだから仕方ない。
「どうせもうすぐ会えるんだ。高遠君本人から紹介してもらえばいいだろう」
「えーっ、だって気になるんですもん。あたし、高遠先輩も一緒に来るんだと思ってましたよ」
「高遠君は連れと一緒に自分の車で来るんだと」
「高遠先輩、自分の車持ってるんだ。やっぱお金持ちって噂は本当なんですかね? あーっ、高遠先輩が連れてくるのがカノジョだったら困るぅ!」
「おっ、舟木君は高遠君狙ってるのか? 安心しろ、たぶん彼女ではないから」
「狙ってるのはあたしじゃなくて
舟木が名前を上げた千葉優芽乃は、彼女と同じ音羽山女子大学の学生だ。ちょっと目を引く美人だが、気が強く自分の容姿のよさを鼻にかけた態度がその魅力を台無しにしている。津島の苦手なタイプの女子筆頭。破局寸前とはいえ相澤の恋人であるところも、そんな恋人の付き合いで参加する合宿でほかの男を狙っているところも、津島からすると苦手を通り越してもはや地雷である。
「ふーん。でも、高遠先輩の連れは女の子なんだ。部外者なカノジョを合宿に連れてくるタイプに見えないからちょっと意外かも」
「おいおい。俺は相手が女性だとは一言も言ってないだろう」
「でも、相手が男性なら
「そうそう」
近倉は舟木の言葉をやんわりと否定するが、藤堂の追撃に撃沈して「ミス研はこれだから」と渋い顔をしてみせる。
しかし、高遠の連れが女性というのは驚きだった。
津島の中にもサークル合宿に恋人を連れてくる高遠遙一像はない。
「あー、これ以上はなにもしゃべらんぞ! 高遠君の相手については会ってからのお楽しみだ」
「相手の性別とか関係性が近倉部長のいう“お楽しみ”ではないみたいね」
「つまり、その人物自身がなんらかのサプライズになるってことじゃないかな?」
「ミス研的にサプライズになるような人? ミステリ作家とか?」
「……みんな、推理するのはやめなさい」
そうこうしているうちに泊まる予定の貸別荘が見えてきた。
山の中腹、その一部を削ってそこそこの広さを確保したいらしい場所に、貸別荘『グランドヴィラ・樹氷』は建っていた。
二階建てで、思った以上に大きい。
津島も来る前に一応調べはしたのだが、完全に個人でやっている貸別荘のようでホームページなどもなく、その外観を目にするのもこれが初めてでちょっと圧倒されてしまった。
正直サークルの予算からいっても、もっとこじんまりしたペンションみたいなものを想像していたのだが、ぱっと見でも全員に個室が割り当てられるだけの広さはありそうで、グランドと名乗るだけの高級感がある外観をしている。
こんなところ、よく直近で予約がとれたなと不思議に思う。クリスマスも間近のいまの時期なら、そこそこのレベルの宿でも予約で埋まっていそうなものだが。
高遠の伝手で格安で泊れると聞いてはいるが、これは支払うべき額が一桁違う気がしてきた。近倉はさすがに知っていたのか、「でっかいなぁ」と言いつつもそれほど驚いた様子はない。
貸別荘の駐車スペースには黒のセダンが止まっており、津島たちが乗るワゴンが近づくと中から三人の人物が出てくる。
「ん? あいつら、なんで中に入ってないんだ?」
出てきたうちのひとり、ミス研の一員でもある
「どうした。なにかトラブルか?」
「よかった。近倉さん、別荘の鍵持ってるだろ。貸してくれ」
「そりゃ、別に構わんが……相澤はどうしたんだ? あいつも鍵を持ってるはずだぞ」
星川は車の窓から鍵を受けとりながら、相澤の名前に嫌そうに顔を顰めた。少し神経質そうな細面の彼がそういう表情をするとひどく酷薄な印象を受ける。
皮肉気に歪んだその口元を隠すように首に巻いたマフラーを引き上げて星川は言葉を続けた。
「さあ? 今朝になって急に先に行くって連絡してきて、仕方ないから俺が急遽レンタカー借りて
お手上げ、というように星川は肩を竦める。
星川の後ろから荒谷地
津島はときどきこの男がどうして相澤や荒谷地とつるんでいるか不思議になる。荒谷地はいわゆる相澤の金魚の糞的なポジションだが、星川もそうなのかというと首を傾げざるをえない。
津島からすると、星川は相澤のことも、荒谷地のことも嫌っているように見える。趣味や性格にも一見共通点がないのでどういう繋がりなのか甚だ疑問だった。
いまも星川は荒谷地の横柄な態度に明らかに気分を害しているのに、それを押し殺すように隠して貸別荘のほうへと歩いていく。
近倉がその背中を追うようにゆっくりと車を発進させたとき、後ろから一台の車がやって来るのが見えた。車にくわしくない津島には車種まではわからなかったが、左ハンドルなので間違いなく外車だ。色は落ち着きのあるブルーグレー。
津島の中の高遠のイメージにあまりにもぴったりの車だったので、あとで必ず車種を確認し、自分の小説の主人公はこの車に乗せようと心のメモに記す。
「えーっ! あれ、高遠君の車!?」
「助手席に誰も座ってなくないです?」
みんなが見守るなか、高遠遙一はなんの気負いもないスムーズな運転で余っていた駐車スペースへとその外車を止めた。
周囲の視線に気づいているのかいないのか、車から出てきた高遠は「寒いなか、みなさん外で待ち合わせですか」と不思議そうな表情を作り、答えを聞く前に後部座席のドアを開ける。
「金田一君、着きましたよ」
「んあ? ……ふわぁ~、やっと着いたのかよ」
あくびのあとに続いた声が、想像していたどんな人物のものとも違い、津島は目を丸くした。
高遠に促されてのそのそと車から降りてきたのは、長身の高遠と並ぶと彼の肩ほどまでしかない小さな子どもだった。女の子だろうか? 大きな瞳としっかりした太めの眉が印象的で、「寒っ!」と言いながら高遠にマフラーを巻かれている姿はどこか幼い。
こんなに他人との距離が近い高遠を初めて見た。
「高遠君。その子が?」
近倉のその問いかけに、二人がそろってこちらを向いた。
「ええ。彼女は僕の年下の友人で、金田一一さんと言います。近倉部長には事前にお伝えしていましたが、かの名探偵・金田一耕助のお孫さんですよ」
4
時間は少し巻き戻り十一月下旬。
その日、金田一一は期末テストを終えた解放感とともにいつものように高遠の部屋へとお邪魔していた。家主はどうやら外出中のようだが、ハジメは制服のスカートがシワだらけになるのも気にせず自分専用のクッションに身体を預け、ひとり他人の部屋でゴロゴロとくつろぐ。
ラグが敷かれた床は少しひんやりとしており、そろそろ高遠にコタツを出してもらうべきかもしれないなと思いながら、行儀悪く足で手繰り寄せたリモコンで暖房の設定温度を上げた。
「くふふ。冬休み、なにしよっかな~」
地獄のテスト期間を乗り越えたいま、このあとに続くのは冬休みにクリスマスにお正月と、心躍る楽しいイベントのみで、気づかぬうちに鼻歌が出てしまうほどにハジメの機嫌はよかった。
間違いなくテストの結果は散々たるものだろうが、中学校には補習も追試も留年の危機もないので、安心してこれからの予定を立てられるというものだ。
「まずはクリスマス限定のスイーツバイキングだろ。新しくできたゲーセンもまだ行けてないし、美雪からスキー教室にも誘われてるしな~」
スマホを片手に、パーティー開けしたスナック菓子をつまむ。
まだ昼食もとっていないので腹が減っていた。空腹を紛らわすかのように塩気のきいたスナックを口に運び、炭酸をぐびぐびと飲む。
ハジメとしては今日でテストも終わったことだし、本当なら美雪とカラオケにでも行って、パーッと食べたり飲んだり騒いだりしたかったのだが、あいにく彼女は委員会の集まりがあるとかで予定が合わなかった。
美雪の予定を聞かず母親に「今日は昼ごはんいらない」と言って出てきてしまったので、ハジメはこうして空きっ腹を抱えて高遠の帰りを待ちつつ、楽しい冬休みへと思考を飛ばしている。
「冬っていえばやっぱり鍋かな。牡蠣もいいけど、カニも捨てがたい。あーっ、そう思うと温泉もいいよなぁ!」
「楽しそうですね」
「うわっ!?」
突然かけられた声に驚いて振り向けば、高遠がコートを脱ぎながらリビングへと入ってくるところだった。手に持ったビニール袋を見ると、買い物帰りかなにからしい。
「鍋が食べたかったんですか? ちょうど千景さんからフグをもらってきたので、なら鍋にしましょうか」
「えっ、フグ鍋? 食べる食べる!」
ビニール袋をその場に置いてから高遠が寝室へと着替えに戻るのを尻目に、ハジメは残っていたスナック菓子を平らげ、いそいそとキッチンへと向かう。もちろん高遠の手伝いをするためではない。味見とつまみ食いが狙いだ。
エプロンを身に着けてキッチンへとやって来た高遠はそんなハジメを見てもなにも言わず、ビニール袋からフグやほかの食材を取り出す。てっきりパックに入っていると思っていたフグがそのままの形で一匹出てきて驚いた。
「あんた、フグなんてさばけるの?」
「以前に有毒部位が必要でさばいたことがあるので大丈夫ですよ」
「……それ、絶対大丈夫じゃねぇだろ」
この男は持っているスキルが物騒なこととつながりすぎている。そのあとに続けられた「人間もそれなりにうまくさばきますよ」は冗談でも笑えない。その“さばく”が比喩でもなんでもなく、確実に“解体”をさしているとわかるだけに嫌な想像しかできなかった。食事前になんてことを言うのだ。
ジトリと疑いの眼差しで高遠を睨むが、当の本人はそんなハジメの視線など気にも留めずさっさと鍋の準備を進めていく。
手先の器用さは料理でも遺憾なく発揮され、ハジメが見つめるなかあっという間にフグ鍋は完成した。フグの毒が正しく取り除かれたのかは残念ながらわからなかったが、まあたぶん大丈夫だろうと己を納得させる。
高遠が土鍋を持ってリビングへと向かうのを追いかけ、湯気の立つそれを目の前にしたハジメの中にはもう男への不信感などなにもない。鳴り続ける腹の虫に急かされるように自分の定位置へと座り手を合わせる。
「いっただっきまーす!」
まずは、とばかりにフグへと箸をのばす。
口へと運び味わうように咀嚼すれば、ぷりぷりとした心地よい食感と上品な甘みに自然と笑顔がこぼれた。旨い。
空腹も相まって、ハジメはしゃべる間も惜しいとばかりに箸と口を黙々と動かす。
家庭用のそこそこ大きな土鍋いっぱいに入っていた具材は、そのままほとんどハジメの腹へと消えていった。
「はーっ、お腹いっぱい。ごちそうさん」
〆の雑炊まできれいに平らげ、ハジメは満腹になった腹をさすりながらごろりとその場に寝転がる。さすがに後片付けくらいは手伝わねばと思うのだが、腹が重くて動けない上に、襲い来る睡魔で瞼が開かない。
五分だけ、それだけ寝たら手伝いに行こう、とハジメはそこで意識を手放した。
ときおり聞こえるページをめくる小さな音。
ふわりと鼻先を掠める紅茶の香り。
ごくごく微かな、それでいていつのまにか馴染んでしまった人の気配。
覚醒する意識の端で、ああ、高遠の部屋だなとぼんやり思う。そのまま瞼を開ければ、見慣れた天井が視界に入ってきた。
どうやら高遠がソファに寝かせてくれたらしい。横になったまま視線だけで辺り窺えば、高遠はハジメの寝ているソファの足元へと座り、いつものように本を読んでいるようだった。ハジメの位置からは男の横顔の一部しか見えない。
再会したときは学生らしい短髪だったのに、いつの間にか以前と同じ髪型になっている。見た目だけなら、もう昔の高遠遙一との差異はほとんどなくなってしまった。
少し癖のある黒い髪も、色素の薄い瞳も、ひょろガリのくせに無駄に力のある身体も、なにもかも以前と同じだ。……でも、まだその手は血に染まっていない。
「起きたんですか?」
「あんた、後ろに目でもついてんの?」
「まさか。視線を感じただけですよ」
「本読んでるくせに全然集中してねぇじゃん。つまんねーの?」
ソファから起き上がり男の背中からその手元をのぞき込めば、もとより読書を続ける気はなかったのか、パタンと閉じた本をハジメへと差し出してくる。
表紙に書かれたタイトルには心当たりがなかったが、作者名のところを見てハジメははっと息を呑んだ。
「ペルソナドールをしていたときのほうが、面白いものが書けていたと思いますね」
見なくても高遠が嘲笑っているのがわかる。
林堂まゆみの交通事故を防げたのは本当に偶然だった。事故の起こる場所も、くわしい日時もなにも知らなかったので、あの頃のハジメはほぼ自分の直感だけを頼りに町内を歩き回っていた。そんな風にハジメがひとりウロウロと危なっかしく行動したおかげで、『子どもの飛び出し注意!』という看板が増え、結果それが交通事故の件数を減らすことになるとはたとえ祖父でも思わなかったことだろう。
交通事故を起こさなかった弓月清吾は、当然そのあとの強盗殺人にも手を染めなかった。大ヒット作になるはずだったルポルタージュ小説『闇』は存在すらしておらず、作家・時田朋江――朱鷺田忍は、いまも筆を折ることなく小説を書き続けている。
「いつか朱鷺田先生だって、映画化されるようなベストセラーを書くさ。さくらの親父さんだってなんかスゲー賞をとっただろ」
「ルノアール国際絵画展には数段劣りますけどね」
「うるせぇな。いいじゃん、別に。……生きてさえいれば、いつかほかの形であっても評価されるときがくるよ」
名声よりも生命が大事だ、なんてハジメの勝手な考えなのかもしれない。でも、和泉宣彦には大切な家族がいて、朱鷺田忍は自分の書いた小説に重い罪悪感を抱え続けていた。きっとふたりは、死と苦しみを引き換えに名声がほしいとは言わないだろう。
「彼女の身を削るような文章は嫌いではなかったんですがね」
「朱鷺田先生が苦しみ続けた結果だろ。……余計なことすんなよ」
「さすがに覆面作家・ペルソナドールを疑似的に作り出すのは難しいので諦めます」
「おー、そうしろそうしろ。てか、あんたってミステリとか読むんだな。フィクションとかは予定調和でつまんないってタイプかと思ってた」
「そうでもありませんよ。いわゆる普通の人間が、人を殺す理由をどう捉えているのかを知るのはなかなか面白い。それにこれでも一応ミステリー研究会の部員なので、それなりには目を通していますよ」
嫌なミステリの読み方だな、と聞き流しかけてからハジメは「はあ!?」と驚きの声を上げた。いま耳を疑うようなことを言わなかったか、この男は。
「……あんたがなんの部員だって?」
「ミステリー研究会です」
「ミス研に入ってんの? あんたが??」
「ええ。どうしてもと誘われまして」
涼しい顔でしれっと答えているが、絶対にうそだ。高遠が多少強引に勧誘されたくらいで、自分の本意でない行動をとるわけがない。
これがもし高遠の所属しているのが、奇術愛好会だったり、マジック研究会だったのなら、ハジメもここまで違和感を覚えなかった。高遠遙一がサークル活動という健全さとかけ離れているのはこの際横に置いておく。この男は筋金入りのマジックバカなので、気になるマジシャンの卵がいるとかならありえない話ではないと思うし。
しかし、ミス研はない。
高遠がミス研そのものに興味を持つとは考えられない。とすれば、なにかあるのだ。高遠がミス研に入っている理由が。
「私が大学生らしくサークル活動をするのがそんなにおかしいですか?」
おかしいし、ぶっちゃけ怪しい。
しかも、なぜミス研入っていることをいまハジメに伝えるのかも気になる。この男にかぎって雑談でついポロッと漏らしてしまったなどありえないとわかるだけに、その真意がどこにあるのか疑わずにはいられなかった。
ハジメの探るような視線を受けても、高遠はただ面白そうに笑顔を浮かべている。
「そのミス研にはなにがあんの?」
「さあ? なにかあれば面白いな、とは思っていますが……ふふ。そんなに気になるなら君もついて来ますか?」
「……どこにだよ?」
「ミス研の合宿ですよ。長野県の山中にある貸別荘で行う予定なんですが、君が来たいなら連れていってあげてもいい」
ひたりと目を合わせても、男の心なんて微塵も読めやしない。
ただハジメの中に行かないという選択肢はなかった。高遠がこんな風に言い、ハジメに選択を迫ってくる以上、高確率で
この男が地獄の傀儡師として自分と相対する気なら、こんな中途半端な誘いはかけてこないと思う。しかし、ハジメの中にはじんわりと嫌な予感が渦巻いている。それは祖父から受け継いだ探偵の勘とも言うべきものだった。
「――俺も、行く」
このとき承諾の返事をしたハジメに高遠がどんな顔をしていたのか、あとから何度記憶を手繰っても、どうしても思い出すことができなかった。
5
高遠の誘いに乗りミス研の合宿への参加を決めた日のやりとりを思い返していたハジメは、周りの「おおっ!」という驚きの声に意識を過去から現在へと引き戻した。
「名探偵・金田一耕助の孫!?」
「え? え? もしかして、お祖父さんの活躍とか聞かせてもらえるの!?」
部外者である自分をどんな理由で参加させるのかと思っていたが、祖父の名をだしに使われハジメは内心むっとする。勝手に人の祖父をいいように使うな。なんなんだ、年下の友人って。
高遠へ無言で抗議の視線を送るが、面の皮の厚い男は涼しい顔で矢継ぎ早に飛んでくる質問をさばいている。
しかし、こうして見ると想像していたよりも高遠が“普通の大学生”をしていて安心した。もちろんハジメからするとその姿は胡散臭くもあるのだが、思っていたほど周囲から浮いた存在ではないようだ。
同世代に囲まれている高遠はただの大人しそうな青年にしか見えない。
(……ちゃんと大学生してんじゃん)
そんなハジメの視線に気づいた高遠が意味ありげな笑みを浮かべてみせる。真意は悟らせないくせに、そこに何某かの思惑があることだけはしっかり伝わってくる嫌な笑顔だった。
まったく、どうしてこの男は目に映るままの普通の人間でいられないのだろうか。
高遠に巻かれたマフラーの下でこっそりとため息をかみ殺しながら、ハジメはこのサークル合宿に集まった面々を見回した。男四人に女が三人の計七人。大柄で筋肉質な男――近倉蓮太郎が名乗ったのを皮切りに次々と自己紹介をされる。
近倉、津島、星川、藤堂、舟木の五人がミス研のメンバーで、荒谷地と千葉はまだ来ていない相澤という男の友人らしい。その相澤自身もミス研の部員ではなく、近倉の個人的な友人だと教えてもらう。そう言われれば、たしかに荒谷地と千葉はどこかほかのミス研メンバーとは毛色が違った。
近倉も文系サークルの部長とは思えないような体格をしているが、その話ぶりや態度はとても理性的で穏やかだ。ほかの四人も多少の違いはあれど、それぞれいわゆる優等生な雰囲気を漂わせている。
「高遠遙一に、金田一一ね。どっちも“部外者”か」
「荒谷地。高遠君はミス研の部員だよ」
「うるせぇな、津島。“仲間はずれ”は黙ってろ」
「荒谷地さん、ときどきそれ言ってますよね? どういう意味なんですか?」
「伊依里チャンは俺にぴったりってこと」
一方、荒谷地は剃られてほとんどなくなってしまった眉といい、脱色されまくった安っぽい金髪といい、どう見てもヤンキーでしかない。彼の所属しているサークルを当てろと言われたら、ハジメはまず「ヤリサー」と答えるだろう。
藤堂の肩へと馴れ馴れしげに腕を回す男の姿は、彼らの関係性を知らないハジメの目にも不快に映った。
「中学生? 舟木って童顔だと思ってたけど、さすがに現役のJCと比べるとそこまででもないのね」
「優芽乃先輩ひどい! 当たり前のはずなのになんだか貶された気分ですよぅ」
千葉のほうはそこまであからさまではなかったが、がっつりカールしたバシバシの睫毛に派手な色の口紅が、ギャルという印象を与えている。この寒いのに生足に膝上ミニスカートとは頑張るじゃないか、とハジメは密かに感心した。
ちょっときつめな目鼻立ちだが、まずまずの美人でスタイルもいいので眼福ではある。
ハジメの視線の先に気づいたのか、隣で高遠がクスリと笑うのがわかった。なんとなくその態度が面白くなくて、高遠の靴へと足元の雪を蹴飛ばす。朝からの好天気でとけていた雪はろくにそちらには飛んでいかず、ハジメのスニーカーをべしゃべしゃに濡らしただけで終わった。
「へっ……くしゅんっ!」
自業自得とはいえ靴下にまで雪が染みて冷たい。ハジメは足元から広がる寒さにぶるりと身体を震わせた。
「そんなに寒いですか?」
「足が寒い」
「とけた雪に足を突っ込むからでしょう」
そう言いながらも、高遠はハジメの手にカイロを乗せてくれる。ついさっきまで車の中にいたのにどうしてほかほかのカイロが出てくるのかは気にしても仕方がない。
むしろハジメが替えの靴を要求すれば、本当に出してきかねないのが高遠という男だ。
「それより腹減った。なんか持ってない?」
相手が答えるよりも先にカイロを持つのとは反対の手で高遠のコートのポケットを探る。どうせ飴やチョコレートを仕込んでいるだろうと予想していたのだが、不思議と指先にはなにも触れない。空っぽのポケットをむきになって掻き回せば、その内側にかすかに違和感を覚える箇所がある。
「……なんでコートに隠しポケットがあんの?」
「マジシャンの舞台裏をのぞくのはマナー違反ですよ」
やんわりと、しかしたしかな力強さをもってポケットから手を引き抜かれた。さすがに隠しポケットの中までは探らせてくれる気はないらしい。
掴まれた手をそのまま握り込まれ、マジシャンがいつものように魔法の呪文を唱えれば、ハジメの手の中には小さなブロック型のチョコレートがあった。冬季限定のクリームブリュレ味。コンビニで見かけて食べたかったやつだ。
ありがたく包装を破いて口の中へ放り込む。
「旨い」
「それはよかった」
もっと寄越せとばかりに手を差し出せば、今度は普通にハジメの手のひらの上に同じチョコレートを三つ四つ置いてくれる。
その中から一つだけ追加で口に運び、残りは自分のポケットへとしまう。
「……?」
ふと視線を感じた方向へと顔を向けると、高遠とのやりとりを見ていたらしい千葉と目が合った。途端、彼女の表情が憎々しげなものに変わる。こちらを睨みつけるその瞳には殺気すら込められているように感じられて、ハジメは思わず身体をびくりと震わせた。
え? 俺なにかした?と周りを窺うが、誰も千葉のハジメへの態度には気づいていないらしく、「さすがに寒い。部屋の中に入ろう」という近倉の声に各々がカバンなどを手に持って別荘へと向かう。
「ほら、金田一君。我々も行きましょう」
「……うん」
どこか腑に落ちないものを感じつつ、高遠が車のトランクから出してくれたボストンバッグを受けとって一同のあとを追う。
事前に雪かきがされている石畳のアプローチを少し歩けば、大きな別荘に相応しい立派な両開きのドアが見えてきた。その手前の玄関ポーチにあたる部分には、雪除けのためだろう屋根があり、両サイドにはしっかりとした柱が一本ずつあるのがわかる。
屋根や
「こう天気がいいと雪崩が怖いな」
「えっ、この別荘も危ないですかね!? ここって山の中腹だし」
「夕方にはまた雪が降り始めるみたいだし、大丈夫じゃない?」
藤堂の言葉に空を見上げるが、雪が降る気配は微塵もない。
「急に吹雪になって閉じ込められたりしないだろうな?」
「天気予報ではそこまで激しい積雪ではないようですよ」
こそっと高遠に尋ねれば、なんの実りもない答えが返ってくる。天気予報などではなく、高遠が知っているかもしれない少し未来の事実を聞きたかったのだが、男の態度から察するにそれを教えてくれる気はないらしい。
一回目で渡された傍迷惑な『犯罪ガイドマップ』にはこの地域や貸別荘の名前は載っていなかった。しかし、高遠はハジメを呼びつけた事件以外にも、殺人教唆やそれに類することをやらかしている。ここがそういった関連の場所ではないと言い切れないため、ハジメの中には変わらず拭い難い不安があった。
「おおっ、中もずいぶんと立派だな」
星川が鍵を使いドアを開ければ、センサーでも付いていたのかぱっと照明がつき、目の前へ現れた空間に誰ともなくほぅっと感嘆のため息が漏れた。
玄関というよりはエントランスと呼ぶべき広さのそこは吹き抜けになっており開放感がある。観葉植物や高級そうな置物が飾られているのもあってまるでホテルのようだ。
入って右手側に備え付けられているシューズクローゼットはスキー客が来ることを見越してか、こちらも小さな部屋くらいの大きさがあった。
「靴はここにしまいますね」
「コートなんかも入れられるみたいだな。みんな、ここにかけておくか」
藤堂と近倉が率先してテキパキと動く。
渡されたスリッパに履き替えて奥へと進めば、次に現れたのは豪華なソファセットや暖炉のある広間らしき部屋だった。エントランスから届く光だけでは細部までは見渡せないが、こちらもかなりの広さがある。
「えーっと、電気はどこに……?」
「あっ、私がつけます」
藤堂の声がするのとほぼ同時に部屋の電気がついた。
ぱっと明るくなったその部屋のちょうど真ん中あたり。ソファセットの手前側の床に
「?」
赤い絨毯の上にあるその黒い物体は、最初シミかなにかの汚れのように見えた。それがスマホだとハジメが気づいたのは、突如おどろおどろしさを感じさせる曲が鳴り始め、その画面に『非通知』の文字が浮かんだからだ。
静まり返った部屋の中で、じわじわとなにかを侵食していくかのようなピアノの音が響く。スマホの音質のせいなのか、どこかひび割れたような嫌な音だ。聞いているとわけもなく不安を駆り立てられる。
ゴクリと誰かが息を吞む音が聞こえた。あるいはそれはハジメ自身のものだったのかもしれない。
ただのスマホの着信だと思うには、この場に流れる空気はあまりにも不穏すぎた。スマホは一分を過ぎてもその不気味な曲を奏でている。
「…………」
誰もがしばらく鳴り続けるスマホを見つめることしかできなかった。
最初に動いたのは近倉だった。彼はひどく緊張した面持ちでスマホへと近づき、拾い上げたそれに「もしもし?」と応答する。少し離れた場所にいたハジメの耳にもザーッというノイズのような音と、ブツリと通話が切断された音が聞こえてきた。
薄気味悪い。
それがハジメの正直な感想だ。ここにいるほかの面々も多かれ少なかれ同じことを思っているだろう。
沈黙が支配する中、底知れない何者かの悪意がもうこの貸別荘へと忍び込んでいる――どうしてか、ハジメはそんな想像を振り払うことができなかった。