平行線機能不全   作:キユ

26 / 37
第四章「復讐の旋律④」

 

 『首くくりの家』はそのほぼ全編を主人公視点で撮影された、いわゆるPOV映画と呼ばれるものだった。

 主人公が彼女や友人に誘われ、有名な心霊スポットである一軒の廃屋へと肝試しに行くところから物語ははじまる。その肝試しで首吊り死体を撮影してしまった主人公の周りで次々と不気味なことが起こる……というのが大まかなあらすじだ。学生の低予算映画らしく、登場人物も最小限で大掛かりな舞台装置などもいっさい使われていない。

 ビデオカメラ越しに映る小さな違和感が少しずつ恐怖へと変わっていく過程が丁寧に描写されており、すべてが解決したと思ったあとのラストシーンで、後ろ姿の主人公の影が首を吊ったような形をしているのにはぞっとした。和製ホラーにありがちのじつは解決していないパターン。それでいて、主人公たち以外はいつも通りの日常を過ごしているのもリアリティを感じさせて怖い。

 

「これって……主人公役、ふたりいねぇ?」

 

 短いエンドクレジットが終わり、一瞬の暗闇のあと、パッと室内が明るくなる。電気をつけた近倉が映画の内容について藤堂や舟木に話を振っているのを尻目に、ハジメは掴んでいた手を離し、隣の男へと問いかけた。

 

「怖がっていたわりには細かいところまで見ているんですね」

 

 ホラーは見始めると画面から目を離すのも怖い、という気持ちは高遠にはわからないのだろう。ホラー映画や怪談話は()()()()()()を呼ぶともいうし、視界の端になにかがいたら嫌で、それならばまだ画面に集中する方がマシだと思う。

 ただハジメの指摘した点については持ち前の洞察力で気づいたというよりは、自分が撮影したと言っていた荒谷地が友人役で出演していたからで、ある種のメタ読みに近かった。作中で主人公の姿が映るのはラストシーンの後ろ姿のみで、それはもちろん荒谷地のものではない。終始その声は同じ人物のものだが、音声協力をしてくれた誰かに頼んでべつに録ったものだろう。

 

「ときどきチラッと映り込む手が違うのが地味に気になった」

「後半はずっと荒谷地弦太の手でしたね」

「一番最初もカメラで撮ってんのはあの荒谷地って人だろ? でも、そこで映り込んでる手はべつの人のを撮り直してるよな?」

 

 たぶん荒谷地自身がカメラに映っているとき以外はすべて撮影をしているのは彼だ。映画の前半では荒谷地が映っているときもいないときも、画面に映り込む手は彼ではない――おそらく本来の主人公役のものと思われる手になっている。荒谷地が比較的がっしりとした男らしい手や腕をしているので、怪異にビビる主人公の役柄と合わないため、わざわざ撮り直したのだとわかる。しかし、どういうわけか後半ではほぼその撮り直しは行われていない。

 学生の自主制作だからと言ってしまえばそれまでだが、そういう意味で頑固なまでのこだわりと妙な雑さが混在する映画だった。

 

「つか、なんでクレジットに主人公がいねぇの?」

「――主人公はあくまでも語り手であって、この作品の主役はヒロインである千葉さんだかららしいよ」

「藤堂さん?」

「あっ、お話に割り込んでごめんね。そろそろ移動しようかって」

 

 藤堂の言葉に周りを見れば、ほかのメンバーはもうシアタールームを出たらしく、ドアの近くで近倉が「もう電気消すぞー」とハジメたちが出てくるのを待っている。

 慌てて立ち上がったハジメに大丈夫だと笑う藤堂は、特別美人というわけではないが言葉遣いや所作にどことなく品があり、そのきれいな黒髪と相まってお嬢様然とした印象を受ける。舟木と同い年だというが、落ち着きがあって合宿メンバー内だと近倉に次いで大人っぽい。

 

「でも、さすが名探偵のお孫さんね。一回見ただけでそんなところにも気づいちゃうんだ」

 

 どうやら少し前からこちらの会話を聞いていたようで、藤堂は感心した様子でハジメへとほかにどんなところが気になったのかと尋ねてくる。

 その話の中で知ったが、彼女はミステリだけでなくホラーも大好きらしい。ホラー研究会があれば、ミス研ではなくそちらに所属していたと内緒話のように教えてくれた。

 

「じゃあ、ホラー好きの藤堂さん的にはさっきの映画はどうだったんですか?」

「……あれって怪異を撮ったことと、それを見たことで怪異に感染するっていう話だったでしょう? なら、あの映画を撮っていた相澤さんたちも映画みたいに呪われちゃったのかな」

「え?」

「なーんて、ね。そんな風に思っちゃうくらいの映画だったってこと!」

 

 一瞬見せた暗い表情を打ち消すように笑って、藤堂はこれから十人分の夕食を作るのでよかったら手伝ってほしいと言いキッチンへと歩いていく。

 見たことで怪異がうつるなら……とハジメは無意識に自分の首を撫でていた。

 

 ――ぎい。

 

 風の音か家鳴りか、不意に聞こえてきたそれが、さきほどの映画で何度も耳にしたロープの軋む音のように感じて小さく身震いする。

 廊下にある窓を見やれば、外はもうずいぶんと暗くなっていた。

 

 

 ◆

 

 

 山の天気は変わりやすいというが、津島たちがシアタールームへと籠っていた一時間ほどの間で空は分厚い雲に覆われ、しんしんと雪が降り始めている。

 

「マジで山荘ミステリっぽくなってきた~!」

 

 窓の外を眺めていた舟木がクリスマスを喜ぶ子どものような歓声をあげた。窓ガラスに反射して映った彼女のその顔はワクワクと好奇に輝いている。

 少々不謹慎な反応だが、舟木の気持ちは正直津島にもよくわかった。これは絶好のシチュエーションすぎる。

 予報では吹雪とまではいかないらしいが、少し風も出てきているようだ。

 

「でも、まだ相澤さん来ませんね」

「これ以上雪が強くなったら来れないんじゃないかな」

 

 相澤を心配したらしい藤堂は、津島の言葉に不安そうに窓の外へと視線を向ける。なんとなくその顔が憂いを帯びているように見えて面白くない。

 

「次のやつ持って来ましたよ」

 

 高遠と近倉が皮をむいたにんじんやじゃがいもを持ったハジメが、津島たちがスタンバイしているテーブルへとやって来る。この貸別荘には皮むき器(ピーラー)がなく、包丁で皮むきができる人間はふたりしかいなかった。

 後輩女子ふたりの料理の腕はときどき自炊をする程度で、津島に至っては学校の調理実習以来包丁を握ったこともないというお粗末なものだ。まだ中学生のハジメは言わずもがなである。そして千葉、荒谷地、星川の三人は参加すらしていない。

 自称ではなく料理のできる高遠と近倉の指示のもと、お手伝い要員の四人はこうしてむいてもらった食材を手分けして切っていた。ちなみに、今夜のメニューはこういう合宿では定番のカレーだ。それでも十人分となれば下ごしらえだけでも結構な時間がかかる。

 

「あの、思ってたんですけど」

 

 ハジメはさきほどまでと同じように少し覚束ない手つきでじゃがいもを切りながらそう言葉を続けた。

 高遠の連れてきたこの名探偵の孫である少女は、初対面の年上の人間に囲まれてもさほど物怖じしない以外は、どこにでもいる普通の女子中学生にしか見えない。彼女は高遠の助手なのだろうか? 祖父と同じ“名探偵”の高遠に惹かれているとか??

 もちろん高遠が名探偵だというのは津島の妄想でしかないわけだが、名探偵の孫と親しい様子を見るに、その妄想が俄然真実味を帯びてきた気がしている。

 津島としては名探偵・金田一耕助の話も気にはなるが、それ以上にハジメから高遠の話を聞いてみたかった。

 

「どうかしたの、金田一さん?」

 

 しかし、コミュ力に乏しい津島は藤堂とハジメの会話に聞き耳を立てることしかできないでいる。

 

「相澤って人があのいたずらを仕掛けたんだったら、一度はこの別荘に来てるわけだし、どっかの部屋に隠れてるんじゃないですか?」

「えっ!?」

「ここの近くに時間をつぶせるような場所もないし、いたずらだけ仕掛けて東京まで戻るっていうのも変でしょ?」

「そう言われれば、たしかにそうね」

「えー、でも駐車場には相澤先輩の車なかったよ?」

「車だけなら私たちの目につきにくい場所に止めれば大丈夫でしょう。ここ、少し上がったところに小さなロッジがあるから、そっちの駐車場に止めてるのかも」

 

 舟木も参加して盛り上がる会話に津島はこっそりと感心した。さすが高遠の友人というべきか、子どもにしてはハジメの目の付け所は悪くない。だが、残念ながら少女の推理は間違っている。

 これでも津島たちはミス研なのだ。少女が思いつくようなことはすでに検証済みである。そう二階には誰も――。

 

「一応、一通りは探してみたがいなかったんだよなぁ」

 

 追加の野菜を持ってきた近倉は「切るのはこれで最後な」と言い、空いていた丸椅子へと腰掛けた。高遠の方は牛肉を炒め始めたようで、コンロ側からパチパチと油の跳ねる音が聞こえてくる。

 

「えっ、部長たちでもう相澤先輩探してたんですか?」

「まあな。あいつの性格からいって、わざわざ外には出んだろうと思ったんだが……読みがはずれた」

「一階も?」

「ああ。このキッチンや食堂も、そのときにのぞいたがいなかったよ」

 

 近倉の言葉にハジメは少しだけ目を眇めて思案するそぶりを見せた。その顔がひどく大人びていて、津島はわけもなくドキッとしてしまう。そのままなにか考え込んでいる少女は、どこか高遠と同じ種類の近寄りがたさのようなものを感じさせた。

 ひょっとして、ハジメは津島が思うほど普通の少女ではないのだろうか。

 

「さあ! 切るのも終わったし、カレーはあと炒めて煮込むだけだし、休憩がてらコーヒーでも飲みません?」

 

 そう言って立ち上がった舟木はポットのほうへと歩いていく。人数分のカップを用意したところでポットのお湯がないことに気づき、彼女は「足し忘れてたぁ」とつぶやいてその中へと水を注ぐ。

 

「高遠君。量も多いし、にんじんとじゃがいもはさきに電子レンジで加熱しとくか?」

「そうですね。思ったより時間がかかりそうですし、お願いします」

 

 十人分の米を炊いていた炊飯器、お湯を沸かし始めた電気ポット、そして加熱を開始した電子レンジ。近倉が電子レンジのスイッチを入れた数秒後、キッチンは暗闇に包まれた。

 

「あ」

「え?」

「ああ、ブレーカーが落ちたみたいですね」

 

 窓から入るかすかな明かりだけが頼りの中、高遠の冷静な声が響く。突然の出来事で一瞬浮足立った空気がその言葉で落ち着きをとり戻した。彼の言う通り、キッチン内の同じ回路で電気を使いすぎてブレーカーが落ちてしまったのだろう。

 室内は真っ暗というほどでもないが、なんとなく心許ない気がして津島はスマホのライトをつけた。同じようにスマホを手に持った藤堂と目が合う。淡い光の中で見る彼女はいつもよりもなんだか美人で、こちらを見て少し楽しげに笑うその顔に頬が熱くなった。

 

「ちょっとびっくりしましたね」

「そうだね」

「私、ブレーカー上げてきます」

 

 颯爽と身を翻しキッチンを出ていく藤堂の背中はとても頼もしい。いや、ブレーカーの位置がわかっていれば、津島だって彼女のようにいち早く行動できたのだ。……たぶん。

 ここで「僕も一緒に行くよ」とかスムーズに言うことができればな、と津島は己の不甲斐なさに肩を落とした。

 とりあえず、電気ポットのコンセントは抜いておこう。

 

 

 

 

 落ちた安全ブレーカーのスイッチを入れれば、キッチンの電気は問題なく復旧した。

 コーヒーを淹れるのを諦めた舟木は近倉と一緒にサラダの盛り付けやカトラリーの準備をしている。藤堂はまだ姿を現さない相澤に電話をしたり、夕食後のために風呂の用意をしたりと、細々としたことで動き回っており忙しそうだ。逆に津島はそういったことは苦手なのか、どこか手持ち無沙汰で無意味に食堂とキッチンを行き来していた。

 キッチンにはカレーのいいにおいが漂い、時刻はそろそろ十八時を回ろうとしている。

 外の雪は少し強さを増しているが、ハジメが心配していたような吹雪に発展する気配はいまのところない。

 

「腹減った」

「さっきつまみ食いしてませんでした?」

「あんなの味見じゃん。腹なんてふくれねぇよ」

 

 冷蔵庫にあるものを適当につまもうかとも思ったが、人様の合宿に部外者として参加している手前そこはなんとか踏みとどまった。冷蔵庫にはプリンやヨーグルトなどが入っているが、明らかに人数分あるそれらを勝手に食べるのはいくらなんでも気が引ける。

 

「なんか食うもん持ってないの?」

「部屋に戻ればありますがね。さすがにいまは手持ちがありません。とってきますか?」

「んー。まだ時間かかる?」

「あとは少し味を調えるだけなので、もうできますよ」

「じゃあ、このまま待ってる」

 

 ハジメが鍋を掻きまぜる高遠の横でちょこちょこと味見をせがみながら空腹を誤魔化していると、荒谷地が「なんだよ。まだ飯できてねぇの」と横柄さを隠しもしない態度でキッチンへと入ってきた。

 

「こら、荒谷地。手伝いもしないでその物言いはなんだ。もうすぐできるから、この食器を食堂のほうへ持っていってくれ。……っと、これ、銀製っぽいけど平気か?」

「カトラリーくらいは平気だっつの。俺が一番ダメなのは星川かな」

「お前のそれはいつも意味がわからん」

「なんだよ、近倉。ミス研の部長のくせにまだわかんねぇの」

 

 ふたりのやりとりを眺めていると、舟木が荒谷地は金属アレルギーなのだと教えてくれる。顔に似合わず繊細なことだと思いつつ、荒谷地の謎かけのような言葉に頭を捻る。彼は最初に顔を合わせたときに高遠とハジメのことを“部外者”だと言っていた。津島は“仲間はずれ”で、星川は“一番ダメ”とはどういう意味だろうか。共通項が思いつかない。

 高遠ができたというので、カレーとご飯を皿に盛り、食堂へと運ぶ。

 食事をとるだけの場所とは思えない広々としたその部屋には、大きな長方形のテーブルが置かれており、シミ一つない真っ白なテーブルクロスと磨き上げられたカトラリーが、ただのカレーライスを豪華な食事へと変えてしまっていた。

 部屋数と合わせてか、座席は全部で十二脚ある。

 誰がどこに座るのかはわからないが、とりあえずグラスやカトラリーがセットされている場所に運んできた皿を置こうとすると、すでに椅子へと座りスマホをいじっていた荒谷地が「それちょーだい」と声をかけてきた。こちらを見もせずに顎でしゃくる男の態度の悪さにムッとしつつ、ハジメは言われた通りにその皿を彼の前にドンッと置く。少々その動作が荒くなってしまったのはご愛嬌だ。

 カレーが跳ねてテーブルクロスに黄色いシミを作る。

 幸い荒谷地はスマホでゲームかなにかをしているようで、ハジメがつけた汚れには気がつかなかった。

 

「金田一さん。ごめんね、一緒に飲み物も運んでくれる?」

「はーい」

「おっ! いい子だなぁ、金田一探偵は。そうだ、なに飲む? コーラとか炭酸もあるぞ」

「じゃあコーラで。てか、近倉さん、その探偵ってのやめてくださいよ。探偵なのはジッチャンで、あたしは違いますから」

「あっ、なら金田一探偵ジュニアはどーお?」

「おいおい、舟木君。それだと息子にならないか?」

「えー?」

「いやだから、フツーに金田一でいいですって!」

 

 わいわいとほかのみんなと料理や飲み物を運んでいると、少し遅れて星川が食堂へと現れた。シアタールームで別れたときとは服装が違っている。少し髪も濡れているようで、シャワーでも浴びていたのかもしれない。

 星川は珍しそうに食堂のあちこちへと視線を巡らせてから、テーブルに置かれた食事に目を止めて小さく苦笑した。

 

「こんな立派な食堂だと、カレーはなんだかミスマッチだな」

「たしかになぁ。明日はもうちょっと凝ったものを作ってみるか。高遠君も思った以上に料理ができるみたいだしな」

「へぇ。意外だな。高遠は近倉さん並みに料理できるの?」

「僕は普通に自炊する程度だよ」

「いやいや。和洋中それぞれにレパートリーがあるのは男子学生の自炊レベルを軽く超えてるぞ。飲食店でバイトでもしてたのか?」

 

 そんな会話をしながら各々が席についたところで、近倉が「千葉は?」と姿が見えない彼女を探すように食堂を見回した。彼が夕食作りに参加していなかった荒谷地と星川に視線を向けると、ふたりは自分の部屋に籠っていたから知らないと肩をすくめてみせる。どちらも千葉を呼びに行く気は微塵もないようだ。

 

「あたし、優芽乃先輩に声かけて来ます」

 

 先輩たちのやりとりを見て気を遣ったのか、舟木がそう言って席を立ったとき、なにかが割れるような大きな音が聞こえてきた。

 ガッシャーン!と続けざまに何度か同じような音が響く。その音に混じってかすかに耳に届く()()が『冥府の使者』だと気づいた瞬間、ハジメは弾かれたように立ち上がり、音の発生場所へと走り出していた。

 嫌な予感がする。

 食堂を飛び出し廊下と広間を通り、客室側の廊下へと駆けるハジメの額には汗が滲んでいた。全速力で走っているからだけではない。徐々に鮮明に聞こえるその曲が、ハジメの予想が間違っていないことを伝えてくる。この音の出どころは――千葉の部屋だ。

 

「千葉さん!?」

 

 彼女の部屋のドアを力いっぱい叩き、必死に声をかけるがなかからの反応はない。

 

「千葉さん!!」

「金田一君、落ち着いてください」

「……っ」

 

 ドアを叩き続けるハジメの手を止めたのは高遠だった。自分の手首を掴むその男の手はちっとも優しくなんてないのに、どうしてかハジメは身体のこわばりが解けるのを感じた。

 相変わらずこちらの不安をかき立てるような不穏な曲は続いているが、さきほどまで胸のうちを占めていた焦燥感のようなものが消えて、不思議と息がしやすくなる。

 この男の存在にほっとするなんて以前のハジメでは考えられないことだ。いまだって、別に高遠のことを信じているわけじゃない。

 男の顔を窺えば、感情の読めない静かな瞳がハジメを見つめ返してくる。

 問いかけたい言葉は吞み込むことにした。どうせろくな答えは返ってこないし、それでハジメの中の高遠への疑念が消えるわけでもない。

 男の後ろから近倉や津島たちが、いったいどうしたのかという顔で小走りにこちらへとやって来るのが見えた。

 

「どうしたんだ? ここは、千葉の部屋?」

「なんだよ、優芽乃のやつ。ヒステリーでも起こして暴れてんのか?」

「それよりなんでこんな音量で、こんな曲をかけてるんだ」

 

 誰もが疑問を口にするだけで千葉の部屋に入ろうとはしない。

 高遠に掴まれているのとは反対の手でドアノブを回すが、ドアは鍵がかかっているのか開かなかった。その行動を見た高遠はハジメの手を掴んだまま「ここの客室は内鍵しかかかりませんよ」と言い、どこからかとり出したコインでそのドアの鍵を開けた。

 あとはお好きにというようにハジメの手を放し、男は芝居がかった仕草で一歩後ろへと下がる。

 ハジメも高遠も、お互いこのドアの先で待ち受けているものがなんなのかおおよその想像はついている。できることなら、こんな予想ははずれていてほしいけれど。

 叩きすぎてジンジンと痛む手を一度ぎゅっと握り締めてから、ハジメは意を決してドアノブを回す。そのまま内開きのドアを押せば、室内にあったなにかに引っかかったのか十センチほど開いたところでドアは止まってしまった。開いた隙間からはさきほどまでよりも鮮明に冥府の使者が大音響で流れてくる。室内は電気がついているようで明るい。

 ハジメはそれ以上無理にドアを押すことはせず、「千葉さん! 大丈夫ですか?」と声をかけながら隙間から部屋の中をのぞき込んだ。

 

「――っ!?」

 

 変わり果てた、という言葉がぴったりの荒れた室内に息を吞む。

 椅子やテーブル、サイドチェストまでが横倒しにされ、花瓶や棚にあった陶器類などもすべてが割られて床に散らばっていた。カーテンやベッドのシーツも執拗に破かれている。

 憎悪、だ。

 この暴力的なまでに荒らされた部屋からは何者かの強い憎悪が感じられた。

 鳴り響くひび割れた独特のピアノの音色に耳ではなく頭が痛くなる。

 ドアに引っかかっているのは割れた大きな花瓶のようで、この隙間からではわかりにくいがその奥に横たわる誰かの足が見えた。この真冬には不似合いのきれいな生足。それが誰のものかはすぐにわかった。

 ハジメは引っかかっている花瓶を押しのけるように力を込めてドアを開け、千葉の部屋へと入る。

 開け放ったドアからは見回さなくとも室内の様子が一目で理解できた。自分の後ろで、集まってきていたほかの合宿メンバーたちが悲鳴を吞み込んだのを感じながら、ハジメは横たわるその人にそっと近づく。

 

「……千葉さん」

 

 その小さな呼びかけに応える声はない。

 部屋の床へと横たわる千葉の首には、深々とナイフが突き立てられていた。彼女の首から流れ出した血は生々しいほどに真っ赤で、辺りを漂う胃の腑を重くするようなその鉄錆のにおいに、ハジメは唇を噛み締めた。

 室内にはまだ冥府の使者が流れ続けている。

 

 憎悪に満ちた部屋の中で、千葉優芽乃は殺されていた――そして、これは犯人の奏でる死の旋律のほんの序曲に過ぎなかった。

 

 

 

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. よみあげ
  11. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。