平行線機能不全   作:キユ

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第四章「復讐の旋律⑤」

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 部屋の床に横たわる千葉優芽乃は、驚愕にか恐怖にか、カッと目を見開いて事切れていた。

 そばに立つ少女はそっと千葉の瞼を下ろし、静かに手を合わせ死者へと黙禱を捧げる。ハジメのその行動で、津島はようやく千葉が本当に亡くなって……いや、殺されているのだと理解した。

 沸き上がったのは人の死を目の当たりにした純粋な恐怖だ。

 どうやって殺されたのかだの、犯人は誰だだの、そんなことは微塵も考えられない。千葉の死体はその生々しさで津島を、この場にいる人間を恐怖の渦へと引きずり込んでしまった。現に、死体のある部屋へと足を踏み入れたのはハジメと高遠のふたりだけで、責任感の強い近倉すら開け放たれたドアから中を呆然と見つめることしかできていない。

 

「近倉部長。警察へ連絡してくれますか」

「きゅ、救急車は……」

「自発呼吸、心拍ともに停止。瞳孔も散大しています。状況から見て、頸動脈切断による失血性ショックでしょう。即死だ。蘇生は不可能です」

 

 ハジメと同じように千葉のそばにしゃがみ込み、表情一つ変えずに淡々とした口調でそう言った高遠はまるでベテランの刑事か検視官のようだ。

 そんな彼を見て、津島はパニックになってはいけないと思った。

 ここは通報から数分で警察が駆けつけられる場所ではないし、千葉は明らかに他殺――つまり、彼女を殺した人間がいるということになる。それも、自分たちの近くに。

 

「まだそこまで体温が下がりはじめてない」

「血も乾ききっていません。死後数分といったところでしょう」

「犯行時刻はさっきのなにかが割れるような音がしたあたりか?」

「おそらく、ね。現場の状況から考えても時間的な矛盾はありません」

 

 食堂で聞いた大きな物音は、花瓶や陶器類が割れる音だったのだろう。この部屋へついたときに流れていた冥府の使者はいつの間にか止まっている。

 少女は高遠との短い会話のあと、なにか考え込むように目を伏せてから、「とりあえず、警察が来るまで部屋はこのままにしておこう」と言って立ち上がった。

 

「金田一君」

「なんだよ?」

「窓の鍵が開いているんですが、これもこのままにしておきますか?」

 

 高遠の言葉にハジメはきゅっと眉根を寄せる。少女は少し腑に落ちないような顔をしながらその窓へと近づいた。窓は開けずに外の様子を窺う。

 

「足跡はないな」

「ええ。床も濡れた様子はありません」

「雪が降り出したのって何時だ?」

「正確な時間はわかりませんが、十七時頃にはすでに降り始めていたはずです」

「……千葉さんが部屋に引っ込んだのって」

「十六時前。――ふむ。時間的には可能ですね」

 

 彼らの会話にまったく理解が及ばず、津島は目の前のふたりのやりとりをポカンと眺めることしかできない。

 自分と彼らが見ているものは本当に同じなのだろうか。

 正直、津島は自分がもう少し推理というものができる人間だと思っていた。無類のミステリ好きで、クイズなんかも得意だし、頭の回転だって自慢じゃないが速いほうだ。それなのに実際は、高遠たちの思考についていくことすらできていない。

 現実とフィクションは違う。

 本当に人が殺されていて、その人物は好きではなかったとはいえ知人で。だから、彼らとともに推理してみたいだなんて思うのは間違っている。そう、わかっているのに……津島は気づけば、殺人現場へと一歩足を踏み入れていた。

 

「あの――」

「警察に連絡がついた。いまこちらへ向かってくれているそうだ。俺たちはそれまで広間にでも待機しておこう」

 

 近倉の言葉にみながほっとした顔をする。

 推理小説ならここで突然天候が荒れ、クローズドサークルと化すのがセオリーだが、現実はもちろんそうはならなかった。携帯は不通にならないし、警察などの助けも来る。

 津島は踏み出した足をそろそろと戻した。

 警察の早期介入が見込めるなら素人が事件現場を荒らすべきじゃない。高遠やハジメも、千葉の死亡確認以外ではこの部屋のものにいっさい手を触れていないことに思い至り、津島は気まずさとともに握り締めた手をその背に隠す。

 変にでしゃばらなくてよかった。

 

「近倉さん。念のために窓の鍵は閉めておこうと思うんだけど、一緒に確認してくれます?」

「あ、ああ。こういうのって、写真とかも撮っといたほうがいいのか?」

「すぐに警察が来るのならそこまでは必要ないでしょう」

 

 少々腰が引けながらも近倉は問題の窓へと近づき、それが施錠されていないことを確認する。彼は千葉の遺体に近づきこそしなかったが、そばを通ったときに小さく手を合わせていた。誰にでもフレンドリーなので気にしていなかったが、意外と近倉は千葉と親しかったのだろうか。彼女を見つめるその瞳には深い悲しみが滲んでいる。

 高遠が指紋をつけないようにハンカチを使って窓に鍵をかけたのを見届け、一同は広間へと移動することにした。ちなみに、千葉の部屋の鍵はかけなかった。もともと部屋には内鍵しかついていないし、広間で全員一緒に過ごすなら不要との判断で、津島もそのときは納得したのだが……よく考えると恐ろしい事実が浮かび上がってくる。

 

(それってつまり、内部犯の可能性もあるってことだよな)

 

 少なくとも、高遠とハジメがそう考えているのは間違いない。

 こんな雪山の貸別荘で、サークル合宿とはまったく関係のない第三者が偶然千葉に目をつけ、彼女を殺したというのが考えにくいのはわかる。しかし、だからといってすぐさま自分たちの中に犯人がいるとは考えたくなかった。

 

 いまこうして広間へと向かう面々のなかに、千葉を殺した人間がいる……?

 

 それは想像だけで身体の芯が凍りつくような恐怖だった。こっそりと窺い見たみなは、その顔に不安の色を浮かべて暗い雰囲気を漂わせている。人を、それも知人を殺して、こんな風に何気ない表情を取り繕えるものだとは、津島にはどうしても思えない。たとえ、現実で起こる殺人事件の大半が身内や顔見知りによるものだったとしても、だ。

 それにあの物音がしたとき、津島たちは全員が食堂にいた。

 状況から考えても、このメンバーに千葉を殺すことは不可能に思える。

 広間についても誰も言葉を発することはなく、それぞれに少しずつ距離をとりソファへと腰掛けた。近くに座る相手の顔を窺いはするが、なにか話すのは憚られるような重い空気がその場を満たす。

 開きっぱなしになった食堂側のドアからかすかに漂ってくるカレーの香りがひどく場違いに感じられた。

 

「優芽乃先輩、ほんとに死んじゃってるんですか?」

 

 沈黙に耐えかねたように震える声で一同へとそう問いかけたのは舟木だった。彼女と藤堂は少し遅れて千葉の部屋へと到着したこともあって、実際にその現場を目にしてはいない。サークルの合宿で大学の先輩が殺されるなど、言葉だけで説明されても到底信じられることではないだろう。

 一縷の望みをかけたように近倉や高遠を見つめる舟木の気持ちは痛いほどわかった。

 

「舟木君……」

「ド、ドッキリなんですよね!? 先輩たちみんなで後輩を揶揄ってるんでしょう!? やめてくださいよ。あたし、たしかにミステリは好きだけど、そういうドッキリは得意じゃないですぅ」

 

 誰からも否定の言葉が出ないことに、舟木の大きな瞳が徐々に潤み、ついに耐えきれなくなったようにぽろぽろ涙が零れ落ちる。普段ならそんな彼女の慰め役になる藤堂も硬い表情で目を伏せるだけで、とても他人に気を回せる状態ではなさそうだ。

 

「――氏輝じゃね?」

 

 押し殺した舟木の泣き声だけが聞こえる広間に、その荒谷地のつぶやきは不思議と大きく響いた。

 

「荒谷地?」

「だって、そうだろ? あの騒ぎのときいなかったのは氏輝のヤツだけだ。あいつ、最近優芽乃と上手くいってなかったしな」

「相澤さんが先にここに来て、千葉を殺す機会を窺ってたってこと?」

「そうだよ! あのいたずらだって氏輝の仕込みだろ!」

「おいおい、ちょっと落ち着け。たしかに相澤がまだ来てないのは気になるが、そんな理由で人を殺すわけがないだろう」

「じゃあ、誰が優芽乃を殺したんだよっ!! 偶然この別荘に殺人鬼でも迷い込んだってのか!?」

 

 近倉は怒鳴る荒谷地に「それは……」と言葉を濁す。

 荒谷地の言う通り、状況的には相澤が怪しい。このメンバーの中で千葉と一番関係が深いのは相澤で、そう考えれば殺人の動機という面でも彼は容疑者として申し分なかった。

 星川の話では相澤は今朝になって「先に行く」とメッセージが来て以降の連絡がつかないらしい。

 津島自身も、別荘到着早々にあったいたずらが相澤によるものだとしたら、彼はすでにここに来ている可能性が高いとは考えていた。あの見計らったようなタイミングは、どこかでこちらの行動を見ていないと無理だ。

 だが、別荘の中に相澤が隠れていないのはもうわかっている。

 

(というか相澤が犯人だとしても、じゃあこんな手の込んだことをする意味ってなんだよって話になるよな)

 

 最初から合宿に参加しない予定だったならべつだが、この状況では相澤が姿を現さないことが彼にプラスに働いているとは言いがたい。

 それこそ小説なら、このまま姿を見せず次々と合宿メンバーを殺していく……という展開も考えられるが、実際にはあまりにも現実感がない妄想だ。津島は浮かんだくだらない考えを頭を振って追い払う。

 荒谷地の推測が正しいかどうかは置いておいて、「相澤が犯人」だという考えがほかの面々にある種の安心を与えたのはたしかだった。想像もつかない外部犯に怯えたり、隣にいる友人が犯人かもしれないと疑うよりは精神衛生上マシではある。

 

「! ……っと、電話だ」

「氏輝か!?」

「いや、これは警察の人だな。――もしもし?」

 

 バイブレーションに気づいた近倉がポケットからスマホを取り出し応対する。全員の視線が集中するなか、近倉は短いあいづちを打ちながらもその表情をどんどん険しいものへと変えていく。彼の様子からその電話の内容が決して喜ばしいものではないのは一目瞭然だ。

 近倉は明らかに蒼褪めた顔で「わかりました」と通話を切った。

 どうしたのかと尋ねるものは誰もいない。

 

「この貸別荘に来るまでの道で雪崩があったそうだ。道路の復旧が終わるまで、警察は来られないらしい」

 

 口の端を引きつらせながら近倉が告げたのは、無情ともいえるクローズドサークル宣言だった。

 

 

 

11

 

 雪崩が起きたのは麓からこの貸別荘へと来るための大きな道路で、まだ雪が降り続いていることもあり復旧は早くとも明日の昼以降になる見込みらしい。雪自体はたいしたことがないので当初はヘリコプターの出動も検討されたが、思いのほか風が強くそれも難しいとあっては、ハジメたちにできることはなにもなかった。

 沈黙をまぎらわすためにつけられた広間のテレビからは、その雪崩に巻き込まれた乗用車の運転手が生死不明であるとのニュースが流れている。昼間の好天気のせいでさらなる雪崩に注意が必要だとアナウンサーが続けるのを聞いて、誰ともなくため息が漏れた。それでも、この中で唯一日常を思い出させてくれるテレビを消そうとする人間はおらず、ニュースからバラエティーへと番組が替わってもみながぼんやりと画面を見続けている。

 ちなみに、荒谷地と星川は警察からの連絡のあと、それぞれ自分の部屋にいると広間を出ていってしまった。こういう状況では「ひとりのほうが安全だ」と考える人間もいるので仕方がない。

 

「……ごはん」

「え?」

「夕ごはん、どうしましょうか?」

 

 そう言葉を続けた藤堂はどこか呆然としながらも、必死にいつも通りであろうとしているようだった。ぎこちなく笑った顔は強張ってはいるが、その瞳には芯の強さが感じられる。

 

「そうだな。正直腹は減っていないが、こうしてじっとしていてもどうしようもない。カレーでも食べるか」

「じゃあ私、温め直して来ますね。ほら、舟木ちゃんも一緒に行こう?」

 

 藤堂に促された舟木は言葉少なにうなずき、友人に付き添われる形で食堂へと歩いていく。泣きはらした目でうつむく舟木は痛々しくて、それほど彼女のことを知らないハジメにもなにかをして気をまぎらわせたほうがいいだろうと思われた。

 舟木の背中に優しく手を回して寄り添う藤堂は友人というよりは姉のようだ。

 近倉はそんなふたりを心配そうに見送りながらも、ここは藤堂に任せることにしたのか、彼女たちのあとを追うことはしなかった。

 ふたりの姿が完全にドアの向こうに消えるのを待って、近倉はテレビをミュートにしてこちらへと向き直る。その態度で、彼が後輩を心配しつつもここに残ったのは、なにか話したいことがあったからなのだとわかった。

 

「こんなことを君たちに聞くのが正しいのかはわからんのだが……本当に相澤が犯人なんだろうか?」

 

 彼の苦しげな表情からは、そうであってほしくないという感情が伝わってくる。

 近倉と相澤は小学校時代からの幼馴染だという。相澤はお世辞にも性格がいいとは言えないが、自分の彼女をあんな形で殺せるような残忍な人物ではないのだと、近倉はぽつりぽつりと相澤氏輝という人間について語った。

 

「去年あんなことがあって、あいつらがギクシャクしてたのは知っていたが、だからって相澤が千葉を殺すなんて信じられん。高校のときからの付き合いなんだぞ」

「あんなことって?」

「ああ。あいつらのいた映研で自殺者が出たんだ。遺書も見つかっていないし、自殺の理由はわからんのだが、あの映画の製作にも少し関わりがあった生徒らしい」

 

 相澤たちの首くくりの家が日本アマチュアシネマ祭グランプリを受賞したあとにその自殺騒動があり、受賞のお祝いムードもそのことで流れてしまい、近倉が気づいたときにはなぜか千葉と荒谷地が映画研究会を辞めていたらしい。

 近倉自身はその自殺した学生との面識はなく、学年や学部も違うためどんな人物なのかはわからないと続けられ、ハジメはちらりと隣に座る男の顔を窺った。ちょうどこちらを見ていたのか、ぱちりと目が合う。

 高遠は間違いなくこの自殺について知っている。

 そう思うのに、ハジメは男を問い詰めることもできず、ただ目をそらしていた。温度のないその瞳からはどんな感情も読みとれなくて、それがなぜだかどうしようもなく苦しかった。

 ふいに自分が以前、この男とどう相対していたのかわからなくなる。

 地獄の傀儡師の起こした事件はすべて覚えている。被害者の顔も、マリオネットにされた加害者の顔も、忘れることはできない。それでも……いまのハジメが高遠の顔を見て一番に思い出すのは一回目の記憶ではなくて、彼の淹れてくれた紅茶の味だったり、新作のマジックを披露するときのちょっと得意げな顔だったりするのだ。

 

「あ、あの!」

 

 いつの間にか事件から逸れていたハジメの思考を呼び戻したのは、緊張気味に発せられた津島の声だった。

 

「おふたりはさっき窓の外に足跡がないって言ってましたよね?」

「え、あ、はい」

「それはつまり、内部の人間の犯行ってことなんでしょうか?」

 

 内容よりもその言葉遣いがずいぶんと硬いことが気になった。そういえば、津島に直接話しかけられたのははじめてかもしれない。ほかの人間にはもう少しくだけた口調で話していた気がするが、人見知りするタイプなのだろうか。

 津島の発言にぎょっとした近倉を尻目にどう答えたものかとしばし思案する。

 ハジメが考えているトリックが正しいのなら、この事件の犯人はおおむねわかっていると言ってもいい。ただ、そのトリックが使われたという証拠はないし、その人物が犯人だとすると辻褄の合わない言動が出てくる。

 警察がまだ来られない現状で、合宿メンバーに自分の考えを伝えるべきではない。そう判断したハジメは、せっかく津島がきっかけを作ってくれたことだし、と彼の発言を利用することにした。

 

「あたしにもまだなにもわかりません。でも、警察が来るまで鍵もろくにかからない部屋を放っておくわけにもいきませんよね。スマホででも写真を撮ったり、簡単な現場検証はしておきましょう」

「そういえば津島は医学部だったよね。解剖の経験は?」

「えっ!? いや、ないです……」

「医学部なら一般人よりは知識があるだろうし、津島さんも一緒に来てもらえますか?」

 

 ハジメと高遠の畳み掛けるような言葉に、津島は戸惑いながらも否とは言わなかった。自分から「内部犯なのか」と質問してくる程度には事件に興味があるのだろう。解剖という単語に顔を蒼くした津島には悪いが、専門的な知識がある人の意見は聞いておきたい。

 近倉は後輩女子たちのフォローに回ると、そのまま広間に残った。

 ハジメ、高遠、津島でなんとなくひとかたまりになって千葉の部屋へと向かう。

 

「ええっと、高遠君たちはこういう事件とかに慣れてるんですか?」

「タメ口でいいっスよ。てか津島さん、なんで高遠に敬語なんですか? 同じ二年でしょ?」

「年齢は津島のほうが上ですしね。僕にもタメ口でいいよ」

「え、津島さんのが年上なの? じゃあお前が敬語遣えよ、高遠」

「別にいいですけど。金田一君、僕に敬語遣ったことありましたっけ?」

「……初対面のとき?」

 

 でもそれは、少しも尊敬できない言動を繰り返す高遠が悪いと思う。地獄の傀儡師を名乗る自称犯罪芸術家を敬う言葉など、残念ながらハジメには持ち合わせがない。

 会話の流れで津島の質問をうやむやにしてしまったことに気づいたが、もう目的の部屋に到着したこともあって、あえて説明する必要もないかとそのままその話題をスルーしてハジメはドアノブへと手を伸ばした。

 

「金田一君。手袋いります?」

「あー、一応つけとくか」

 

 スッと差し出された手袋を受けとり、それを装着してから改めてそのドアを開ける。

 室内はハジメの記憶ととくに変わったところはなかった。足元に散らばった割れた陶器などを踏まないよう慎重に部屋の中へと入る。

 無惨な姿で横たわる千葉優芽乃に、シーツでも持ってくればよかったと後悔した。さすがに警察の現場検証前に遺体を動かすわけにはいかないが、このままというのもあんまりだろう。

 この場に充満する死のにおいにか、背後で津島がうっと息を吞んだのがわかった。

 

「津島さん、大丈夫ですか?」

「う、うん」

 

 うなずきながらも津島の足はかすかに震えている。

 そんな彼の様子が少し心配だったが、ハジメは当初の予定通り気になっていたところを確認しようと千葉の遺体へと近づく。

 

「――やっぱり」

 

 遺体の上にずいぶんと花瓶などの欠片が乗っている。しかも、その欠片は血しぶきを浴びたように血だらけだ。刺された時点で欠片が千葉の上に乗っていなければこうはならない。千葉が倒れている位置から考えても、と視線をあげれば、そこそこ大きな棚が目に入った。

 棚の高さは充分だ。

 しかし、ぱっと見たかぎりではハジメが想像していたものは見当たらない。どこだ?とその場から首を伸ばして探していると、ひょいと両脇に手を入れて抱え上げられた。

 

「うわっ!?」

「上ですよ」

 

 いきなり高くなった視界に慌てるが、高遠の言葉に棚の上を見れば、そこにはBluetoothスピーカーらしきものがあった。あの位置ならハジメの身長では見えなくても仕方ない。

 

「共鳴振動」

「自動殺人トリックとはなかなかに趣深いですね」

「あのとき、割れた音って何回くらい聞こえた?」

「犯行に使ったのはこの大きな花瓶でしょう。破壊音が聞こえたのは少なくとも一回や二回ではなかった。ほぼ容疑者はしぼられたのでは?」

 

 高遠の言う通りだ。

 これは大音量でかかっていた音楽を使った共鳴振動による自動殺人トリック。

 犯人はまず千葉を麻酔薬かなにかで眠らせる。そして、部屋に飾られている調度品の陶器のロウソク立てなどをうまく使って、床に横たわらせた彼女の首の急所に刺さるような位置に鋭利なナイフをセットする。自分にとって都合がいい時間にスピーカーから大音量で音楽を鳴らせば、まるで“見えない手”に押されたようにそばの棚から大きな花瓶がナイフの上に落ちてきて、その衝撃で頸動脈にナイフが突き刺さって即死する。

 たぶん花瓶は小さな振動でも落ちるよう配置したのだろう。

 このトリックを使えば、理論上は誰にでも犯行は可能となる。しかし、ハジメたちが聞いたなにかが割れる音は複数回だった。この方法で犯人が割ったのはナイフの上に落としたであろう大きな花瓶だけ。つまり、あのとき音楽とともに聞こえてきた破壊音は事前に録音したものの可能性が高い。

 部屋に飾られた陶器類などを割れば、それなりにその音が響いたはずだ。誰にも気づかれずにそれができたのは、みんなが防音の行き届いたシアタールームにいたとき、殺された千葉を除き、ひとり部屋にいた――荒谷地弦太しかいない。

 それなのに、なにかが引っかかる。

 

「ゔ~ん」

 

 ハジメはぐしゃぐしゃと髪を掻き回して唸った。

 冥府の使者に怯えていた荒谷地。彼のあの態度が演技だとは到底思えない。何者かによるいたずらも、いまだ姿を現さない相澤も、そしてこの千葉の殺人も……きっと、すべてがどこかでつながっている。

 

「なにをそんなに悩んでいるんです?」

「なーんかスッキリしねぇんだよ。つーか、まだ外部犯の可能性が消えたわけじゃないだろ」

「ふむ、窓の鍵ですか。――たしかに、上になら逃げられますね」

「この部屋の上って?」

「空室のはずですよ」

 

 近倉が合宿の部屋割りを決めたのは相澤だと言っていた。

 このトリック自体がミスリードなら相澤には犯行が可能になる。しかし、相澤が荒谷地に罪を着せるために仕組んだ、というのは少々回りくどすぎる気がする。

 ふと、そういえば高遠はこの部屋に入ったとき、なにを見ていたのだろうと思った。

 この男はハジメと同じで、部屋の状況と遺体を見た時点でおおよそトリックの検討はついていたはずだ。ハジメはトリックへの確信がほしくて、千葉の身体の上にある花瓶の欠片と、共鳴振動に利用したスピーカーを探した。しかし、高遠は千葉の遺体には近づいていない。

 

 ――あんたは、なにを知ってる?

 

 そう問いかけたら、高遠はハジメの望む答えをくれるだろうか。

 ハジメと高遠のやりとりに置いてけぼりになった津島が声をあげるまで、ハジメはただじっと男を見つめることしかできなかった。

 

 

 

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