平行線機能不全   作:キユ

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第四章「復讐の旋律⑥」

12

 

 一階の客室は四部屋とも同じ造りなので、実際に窓から上の部屋へ行けるのかの検証はハジメの部屋ですることにした。まだ雪も降っているし、なるべく事件現場は荒らさないほうがいい。都合がいいというか、上は津島の部屋で、彼からも了承がとれたのでまずはハジメの部屋の窓の鍵を開けてから二階へと向かう。

 途中通った広間には近倉の姿はなかった。食堂のほうから声が聞こえたので後輩女子たちとそちらにいるのかもしれない。

 

「あ、あの……」

 

 後ろから遠慮がちにかけられた声に、ハジメは階段を上がる足を止めて振り返った。隣を歩いていた高遠も同じように津島を見る。

 ふたりの視線が集中したからか、津島は少し腰が引けた様子で何度か口をぱくぱくと意味なく開閉させて、明らかに言いよどんだ様子で固まってしまった。彼が口下手なタイプであることはいままでのやりとりからなんとなく察しがついていたので、ハジメは「どうしました?」と話の続きを促してやる。

 

「荒谷地が言ってたみたいに、偶然この別荘に殺人鬼が迷い込んだっていうのが考えにくいのはわかるんだけど……でも、可能性はゼロじゃないよね? ここは立派な貸別荘だし、僕たちの前にほんとに偶然物取りに入った人がいて、僕たちが来たから鉢合わせしないように隠れてるとか……。そ、それで、なんらかのアクシデントで千葉を殺しちゃったとか」

 

 ないかな、と続いた言葉は消え入りそうなほど小さかった。

 津島自身がその説を信じているとは到底思えないが、友人たちの中に殺人犯がいるとは考えたくないのだろう。ハジメにもその気持ちはよくわかる。誰かを――それも親しい人を――疑うというのは、決して楽しいことではないから。

 

「二階は結構調べたけど、一階の女子部屋のほうは空室もないからって調べてないし。どこかの部屋のベッドの下とか、クローゼットに隠れてたりしたら」

「津島は犯人が千葉の部屋に隠れていて、そこから進退窮まり彼女を殺したと考えてるの?」

「う、うん」

「その仮定にはいろいろと無理があると思うけど」

 

 高遠のにべもない返答に津島はしょんぼりと肩を落とした。こうして二階へと上りはしているが、ハジメも高遠も外部犯の可能性はほとんど考えていない。

 もしも外部犯だとするなら津島が言うように物取りなどの可能性が一番高いが、その犯人像にはいくつもの問題点がある。

 まず、ハジメたちが別荘に到着してから千葉が自分の部屋に籠るまで、多少なりとも時間的な猶予があった。あのときはまだ雪も降っておらず、それこそ一階にいたのなら窓からの脱出は容易だ。

 仮に物取り犯が当初の目的を果たそうと潜伏して犯行の機を窺っていたのなら、千葉があのタイミングで殺されたのはその物取りを発見してしまったからだと考えるのが自然だが、そうすると今度はなぜ犯行時に悲鳴などが聞こえなかったのかという疑問が出てくる。

 執拗なまでに荒らされていた室内や、大音量でかかっていた曲の説明もつかない。

 

「犯人が最初から部屋にいたとして、その場合犯行後はどうやって部屋から出たの?」

「え、それは普通にドアからじゃない? 内鍵はかかってたけど、あれは外からでもかけれるんだし」

「津島さん、それは難しいと思うよ。あたしがあの部屋に入ろうとしたとき、内開きのドアは大きな花瓶の欠片が邪魔して開けにくくなってた。犯人がドアから出たのなら、そんなところに欠片は残らないはずだ」

 

 ハジメの言葉に津島はハッとした顔をする。

 もっとも、それ自体は犯人が意図したものでない可能性が高い。花瓶の割れ方まで予想するのは困難な上に、もし現場を密室にして不可能犯罪を演出するつもりならば窓の鍵は閉めておくはずだ。

 あの自動殺人トリックはあくまでも犯人がアリバイを得るためのものだろう。

 犯人は自分にとって都合がいい時間に遠隔で殺人を実行することができた。それなのに、なぜ合宿メンバー全員が集まっているあのタイミングで事件を起こしたのか。

 

(相澤を犯人に仕立て上げるつもりか?)

 

 もちろん、まだ相澤氏輝が犯人である可能性も残っている。

 ただ会ったこともない相澤という男の人物像を、ハジメはうまく思い描くことができないでいた。

 千葉が殺された理由自体はっきりしていないし、事件現場の惨状からするとかなりの怨恨がありそうなものだが、あれがいわゆる痴情の縺れで引き起こされたことだとはどうしても考えられない。

 それに、いらずらにしろ殺人にしろ、この合宿でなにかが起こるたびに耳にする冥府の使者も気にかかる。

 

「そういえば、サークル棟の幽霊ってなんなんっスか?」

「え?」

「ほら、あの広間にあったスマホ、相澤さんのいたずらかもってなったじゃないですか。そのときに千葉さんが言ってたのがちょっと気になってて」

 

 いつまでも階段の途中で立ち止まっているのもなんだと、再び歩き出したハジメは津島の様子を気にしながらそう切り出した。

 

「ああ。うちの大学で流れてる噂だよ。季節外れの怪談みたいなやつ」

 

 十一月の下旬くらいから流れ始めた噂話らしい。

 いわく、深夜にひとりサークル棟にいると窓に首吊り死体が映っている。いわく、誰もいないはずの部室から冥府の使者が聞こえてくる。いわく、サークル棟でかかってきた非通知の電話をとると幽霊が出る、などなど。

 近倉がこういった日常の事件を考察するのが好きで、今回の合宿でこの話題を議論しようとしていたのだという。

 

「僕も部長から聞いただけで、そこまでくわしいことは知らないんだけど」

「なにか噂が流れたきっかけみたいなものってわかります?」

「う~ん。たぶん、去年の秋頃にあった学生の自殺がこの怪談の元ネタだと思うけど、なんで一年も経ってから幽霊話が出たのかはちょっとわからないな」

「……自殺」

 

 近倉が言っていた映研の自殺者だろうか。

 津島はその自殺した学生については新聞に載っている程度のことしか知らないと話す。

 当時大学一年生だった男子学生がサークル棟で首を吊って自殺したこと。遺書は見つかっていないこと。

 

「部長とも話したけど、窓に映る首吊り死体はその自殺からの連想でいいとして、冥府の使者とか幽霊が出る電話はどこから発生したんだろうね。まあ、噂って得てしてそういうものかもしれないけどさ」

 

 そうこうしている間に津島の部屋へと到着した。

 二階の客室は一階のものと比べると少し部屋自体が小さく、どこかこじんまりした印象を受ける。調度品なども置いてはあるが、その数は少なく、どれもシンプルな作りのものばかりだ。

 ハジメは目的の窓へと近づき、それを大きく開けると身を乗り出すように階下をのぞき込んだ。窓の位置は一階も二階もほとんど同じだが、こうして二階から見ると雪が降る中なんの痕跡も残さずロープなどで昇り降りするのは難しいように思える。

 

「高遠、ロープとか持ってる?」

「持ってきてはいますが……試すんですか? 君が?」

 

 言外に無理だろうとにおわされてムッとする。

 六十キロの死体を担いでなんなく天井裏へ上がれる男からすれば、ハジメの運動神経なんて死滅しているようなものかもしれないが、これでも底なし沼や極寒の雪山から自力で生還することくらいできるのだ。バカにしてもらっちゃあ困る。

 いまは中学生な上に女になってしまっているが、「俺のポテンシャルを見せてやる!」とばかりに高遠を見やれば、呆れたような視線が返ってきた。

 

「ここには可能性を潰しにきたのでは? 千葉優芽乃の真上の部屋に犯人が残した痕跡があるかを確認すればいいでしょう」

「……そーだけどさ。実際やってみたら、なんかほかにすげぇ方法があるかもしれねぇじゃん」

「私と君のふたりで考えても思いつかないのに?」

「あんたはそんな親切なやつじゃねぇだろ。聞かれなかったら教える気なんてないくせに」

「私の評価が高いのはうれしいですがね。シンプルな方法ほど誤魔化しが利きにくいのも事実ですよ」

 

 まあ高遠のいうことももっともなので、ハジメもそれ以上は粘らずに事件現場の上にあたる空室へと移動することにした。

 部屋を見せてくれた津島に礼を言うと、自分はなにもしていないと困った顔で笑われる。

 

「あっ、でも高遠君はどうしてロープとか持ってるの? 手袋もそうだったけど」

 

 ハジメが抱かなくなってひさしいその疑問はある意味当然のものだった。

 手袋はまだしも、ロープを持っているのは普通に怪しい。津島は別に高遠を怪しんでいるわけではなさそうだが、犯人かと疑われても仕方がないなとは思う。

 

「手袋とかマジックで使うものはいつも癖で持ち歩いているんだ。ロープは前にキャンプに行ったときのものが車に積んであるだけだよ」

 

 ものすごくサラッとうそをついた男に、ハジメはあんたがキャンプなんかに行くキャラかと内心ツッコミを入れる。健全さとはことごとく縁がないくせになに言ってるんだ。

 しかし津島の中の高遠遙一像とは齟齬がなかったのか、彼は「そうなんだ」とあっさり納得していた。解せぬ。

 なんとなく腑に落ちない気持ちを抱えたまま津島の部屋から廊下へと出る。

 二階は一階でいう広間にあたる場所に遊戯室があり、その左右に客室が四部屋ずつ並ぶ造りとなっていた。きっと空からこの別荘を見下ろせば、凹っぽい形に見えるのではないだろうか。廊下の一番奥が空室で、そこから高遠、星川、津島の順で部屋が割り当てられている。ちなみに、反対側は空室、荒谷地、相澤、近倉という部屋の並びだ。

 

「そういや、二階ってどんな風に調べたんだ?」

「遊戯室から僕と近倉部長、津島と星川の二組に分かれて左右の客室をしらみつぶしに、といった感じですよ」

「荒谷地さんは?」

「興味ないってすぐ広間に下りてたよ」

 

 荒谷地の部屋自体は高遠と近倉で調べたらしい。やはり話を聞くかぎり、相澤がこの別荘に隠れているというのは考えにくい。

 なら、彼はいまどこにいる?

 

 

 

13

 

 結局そのあと三人で調べた空室にも、ハジメが半ば予想していた通りではあったが、事件の痕跡や手がかりは見つからなかった。

 ひとまず広間へと戻ると、食事を終えたらしい近倉、藤堂、舟木の三人がコーヒーを飲んでいる姿が目に入った。食事のおかげか舟木の顔色はいくぶんかマシになっている。

 

「あれ、二階に行ってたんですか?」

 

 こちらにいち早く気づいたのは藤堂だった。

 彼女も事件直後よりはぐっと落ち着いた様子で、「津島さんたちの夕ごはん準備してきますね」と食堂のほうへと歩いていく。舟木は一瞬ここに残るか、藤堂を手伝うか迷ったようだったが、近倉に視線で促され、ソファからぴょんと立ち上がって無言で彼女の背中を追いかけていった。

 

「あっ、自分たちでするのに……」

「いいじゃないか、津島。藤堂君たちもなにかしてたほうが気がまぎれるだろ」

 

 近倉はハジメたちがソファに座るのを待ってから「それで」と話を切り出した。

 

「なにかわかったのか?」

「千葉さんは致命傷となったナイフによる頸部の刺傷以外に外傷はなかった。おそらく睡眠薬かなにかで眠らされて、あの場所に意図的に横たわらせられていたんだと思います」

「それは……なんのために?」

 

 千葉の部屋に仕掛けられていた自動殺人のトリックについて簡単に説明する。ただ容疑者をしぼる根拠についてはあえてぼかして伝え、誰にでも実行可能な印象を与えておいた。現状で証拠といえる証拠はなく、メンバー内でのトラブルを避けるためにもあまり多くを伝えすぎないほうがいい。

 近倉も津島と同じで、ハジメの説明に疑問を抱かなかったようで、ただ自分たちの中に犯人がいる可能性が高いという部分に苦しげな顔していた。

 千葉が殺される心当たりについては、近倉にはやはり思い至るものはないらしい。彼にとって千葉は幼馴染の恋人であり、さすがにその交友関係まではわからないという。もし千葉のことを知りたいのなら、同じ大学の後輩である舟木か、高校時代の先輩である荒谷地に話を聞いてはどうかと提案された。

 

「荒谷地さんは千葉さんと同じ高校なんですか?」

「ああ。荒谷地だけじゃないぞ。相澤も含めて三人とも不動芸術高校の出身だ」

 

 相澤はもともと映像関係の学校を希望していたのだが、親の強い反対で東大へと進学し、在学中に何某かの実績を残せなければ、親の会社を継ぐことなっていたのだと近倉は教えてくれる。

 

「あの映画がグランプリを受賞したことで、あいつは自分が望む未来へ進むための切符を手に入れたんだ」

「相澤さんはいまも映研で映画を作ってるんですか?」

「いや、スランプなのかちょっと行き詰まってはいたみたいだ。そのせいで映研のほかの連中から“一発屋”と陰口を叩かれていたらしい。まあ、本人はあれは俺が撮ったからグランプリを受賞したんだと強気に返していたが」

 

 相澤の映画『首くくりの家』が日本アマチュアシネマ祭グランプリを受賞したのが去年の夏頃。その数か月後に映研の部員が自殺し、それと関連性があるのかはわからないが、自殺の直後に荒谷地と千葉が映研を辞めている。近倉がいうには、もともとふたりは相澤ほど映画制作に思い入れはなく、単純に相澤に付き合いきれなくなったのではないかとのことだった。

 そのわりには映画制作こそしないが、三人の付き合いはそこから一年が経ついまも続いている。

 千葉も相澤と明確に別れてはいないし、荒谷地も以前ほどではないにしてもこうして合宿について来る程度の交流はあるままだ。しかし、三人の仲がよいのかというとそれもまた違う気がする。

 近倉は本人がいうように、この三人に対してあくまでも近しい第三者でしかない。

 千葉のことを聞くなら提案された通り舟木や荒谷地と話をするべきだろう。そう結論づけたハジメの思考を遮ったのは食欲を誘うスパイシーな香りだった。

 

「食堂に移動するのもあれかなって、こっちに持ってきちゃいました」

「あたしたちはデザートにアイスでも食べようかって話してたんですけど、部長も食べますよね? あっ、ラムレーズンはあたしのだから譲りませんよ!」

 

 そう言いながら藤堂と舟木は持っていたトレーをハジメたちが座るソファの前のローテーブルに置く。時間が経ったせいでサラダは少しパサついていたが、カレーライスは電子レンジで温め直してくれたのか、ホカホカと湯気が立っていた。

 目の前の料理に事件ですっかり忘れていた空腹を刺激され、腹がぐー、ぐーと自己主張を始める。その腹の虫に急かされ、ハジメは藤堂たちへの礼もそこそこに「いっただきま~す!」と手を合わせてから、まずはとばかりにカレーを口いっぱいに頬張った。

 旨い。

 そのまま、あっという間に食べきったハジメに近倉たちはちょっと驚いた顔をする。一人前ではちっとも足りない。残りのサラダをむしゃむしゃ咀嚼しながら、おかわりできるかなと考えていると、横からスッと新しい皿を差し出された。

 

「え、あんた食べねぇの?」

「どうせ君はまだ食べるでしょう。鍋ごと温め直してきます」

「サンキュー! あっ、そうだ。じゃあいつもみたいに卵もつけて、 半熟のやつ」

「わかってますよ」

 

 高遠ははいはいと言いたげにキッチンのほうへと歩いていく。

 凝り性で完璧主義者な男は料理の腕まで人並み以上だ。高遠が作る半熟卵は白身の固さも黄身のとろとろ加減も絶妙で、ハジメは正直何個でも食べられる。

 高遠から渡されたカレーをさきほどと同じスピードで食べていると、周りの面々がポカンとこちらを見つめていることに気づいた。

 

「なんっスか?」

「――ねぇ、高遠先輩とどういう関係なの!?」

「へ?」

「地味にずっと気になってたの。苗字が違うけど実は兄妹とか? それともいとこ?? ただの年下の友人っていうのはうそでしょ。だって、あんなふうに誰かの世話を焼く高遠先輩って全然イメージじゃないもん」

 

 舟木の言葉に、ハジメを除くその場の全員がうんうんとうなずく。

 ハジメのなかにも“他人の世話を焼く”高遠遙一のイメージはもちろんない。基本的に自分のしたいことしかしない男だと思っている。そもそもハジメには高遠に世話を焼かれている自覚はあまりなかった。

 まあ、甘やかされているなぁとはときどき感じるのだが。

 

「兄妹でもいとこでもないっスよ。あー、ただ、まあなんていうか……腐れ縁?」

 

 あんな男と血縁関係があるだなんて冗談じゃないと首を振る。

 知人というほど素っ気なくはないが、友人といえるほど気の置けない関係ではない。ではなんだと聞かれても、いまのハジメには「腐れ縁?」と疑問符をつけて答えるのが精一杯だ。

 しかし当然というか、問いかけた舟木は不満げな表情を浮かべている。

 

「金田一探偵はよく事件に巻き込まれるらしいから、そのせいじゃないか?」

「!? ちょっ、誰がそんな……っ」

 

 近倉のフォローなのかなんなのかわからないパスに、ハジメはゴホゴホと盛大にむせた。呼吸を落ち着けようとグラスの水を一気にあおる。その間に近倉が高遠から教えられたのであろうあれやこれやを話してしまった。気遣い屋の藤堂ですら、むせるハジメを心配しながらも近倉の話を熱心に聞いている。

 近倉がただの女子中学生であるハジメが捜査することにとくに疑問を抱いていなかった理由がこれでわかった。彼にとってはハジメは最初から『探偵』だったのだ。

 

「じゃあ、ひょっとして……千葉さんの事件ももうなにかわかってるの?」

 

 藤堂と舟木が不安そうにこちらを見る。

 ハジメは意識して一呼吸おいてから「まだなにも」と言葉少なに答えた。舟木は千葉の死にだいぶ取り乱していたし、現段階で内部犯の可能性があるトリックについて話しても無駄に不安を煽るだけだろう。

 それにいくつかの問題はあるが――藤堂も舟木も、まだ容疑者からはずすことはできないとハジメは考えていた。

 単独行動の多い荒谷地や夕食の手伝いに来なかった星川は言わずもがなだが、藤堂と舟木も細々と別荘内を動き回っており、それなりにアリバイのない時間がある。

 逆に津島と近倉は共犯の可能性を考えないのであれば、ほぼそのアリバイは完璧だ。彼らは広間で全員が再度集まったときから事件が起こるそのときまで、ひとりになった時間がないと言っていい。別荘到着後にハジメ自身が千葉の部屋の状態を確認している以上、彼らだけは単独犯であるなら自動殺人トリックを仕掛ける時間的な余裕がいっさいなかったことになる。

 こちらの返答にも彼女たちは顔色を変えなかった。

 しかし、たしかにこの別荘の中に千葉を殺した恐ろしい殺人者――“冥府の使者”はいるのだ。

 

 

 ◆

 

 

 夕食のあとは自然と「そろそろ寝ようか」という話になった。

 

「じゃあ、相澤の部屋は舟木君に使ってもらって、藤堂君はその二つ隣の空室でいいな」

「はい」

「部長の隣なら安心ですぅ」

 

 千葉の部屋にはまだ彼女の遺体があるので、さすがにその並びの部屋で夜を過ごすのは……ということで、話し合いの結果女子も二階の余っている客室へと移動することにした。

 

「でも、金田一さんはその、大丈夫?」

 

 ハジメの移動先は高遠の隣――つまり、千葉の部屋の真上だ。

 正直あまり居心地はよくないだろうが、いざとなれば高遠のベッドを奪ってもいい。それにもし犯人がなんらかの事後工作しに来た場合、気づきやすいというメリットもある。

 こちらを気遣う藤堂に平気だと笑顔を浮かべれば、彼女も小さく笑ってくれた。

 女子は部屋の移動もあるし、順番に風呂にも入らなければということで、そこでいったん解散となった。

 ハジメ、高遠、津島の三人は皿洗いなどの後片づけをしにそのままキッチンへ向かう。藤堂は最後まで自分がすると言ってくれたが、それぐらいはと断った。先に夕食をすませた近倉たちの分は藤堂と舟木で片づけてくれていたので洗い物自体さほどない。

 荒谷地と星川は声をかけたがどちらも「夕食はいらない」と部屋から出てこなかった。

 

「金田一さんも部屋を移動しなきゃだし、洗い物は僕らでやっておくよ?」

「いいっスよ。あたし、まだ荷物そのままにしてるんでカバン持って上がるだけだし」

 

 部屋の移動に時間はかからないのは本当だ。

 まあ、ハジメとしてはとくに洗い物がしたいわけではなく、デザートにアイスを食べたいと思ってついて来ただけである。

 キッチンにつけば、さっさと洗い物を始める高遠と自分はなにをしようとオロオロする津島を尻目に、ひとり冷凍庫の中を漁る。冷凍庫の中にはちょっとお高いカップアイスが合宿メンバー分収まっていた。ハジメはどれにするか真剣に悩んだ末、バニラアイスを選択する。こういうのは定番のフレーバーが一番おいしい。

 

「君、まだ食べるんですか?」

「うるせーな。デザートは別腹だろ。津島さんも食べる?」

「え、じゃあもらおうかな」 

「ならコーヒーでも淹れますか」

 

 高遠が淹れてくれたコーヒーとアイスを持って、もう一度広間へと戻る。ちなみに、津島が選んだのもバニラだった。

 ソファへと座り、ちびちびとアイスを食べながらコーヒーをすする。

 

「津島さんはいつからミス研に入ってるんですか?」

「僕はほとんど入学直後くらいからかな。もともとミステリが好きで、サークルには入るつもりだったし」

 

 なんとなく雑談でもしようと話を振ると、津島はポツポツとミス研について語ってくれた。東大のミス研は歴代の先輩たちからの寄贈で、そこらの図書館よりも推理小説のラインナップが豊富らしい。ミス研が所有するそれらを読むためだけにでもサークルに所属する価値があるという。

 希少本もたくさんあるのだと熱弁されたが、知識のないハジメにはなにがなにやらさっぱりだった。

 

「そういえば、あんたはいつから入ってんの?」

「高遠君は去年の冬くらいだったよね」

「うん。近倉部長が連日熱心に誘ってくれたんだ」

「去年の冬……?」

 

 なんだろう。なにかが引っかかる。

 別に高遠がいつからミス研に所属していても構わない。だが、この男はミス研に対して「なにかあれば面白い」と言った。ならば、その()()()に起因するものは去年の冬より前に起こったと考えるべきだ。

 

(映研の自殺、か?)

 

 タイミング的には矛盾はない。

 しかし、そうなると自殺者が出た映研ではなく、ミス研を選んだ理由がわからなくなる。それとも、映研の自殺した学生とこのミス研にはなにかつながりがあるのか。

 津島や近倉がうそをついている様子はなかった。藤堂や舟木はまだ一年生で、去年の時点ではミス研との接点はないはずだ。そうなると残るのは――。

 

(星川?)

 

 細面な顔の神経質そうな男。

 広間で見た彼の強く握り締められたこぶしと能面のような無表情を思い出し、ハジメはきゅっと眉根を寄せた。

 あれは、広間に置かれていたスマホに「相澤のいたずらだ」と千葉が言ったときだった。あの出来事が相澤の仕組んだいたずらなのかは結局わからないままだが、それに荒谷地、千葉、星川の三人が顕著な反応を見せたのはたしかだ。

 やはり星川は映研の関係者なのだろうか。

 

「あの、金田一さん。どうかした?」

 

 黙り込んだハジメに津島が声をかけたとき、「あれ、みなさんまだここにいたんですか?」と藤堂が広間へと入ってきた。

 サッとシャワーだけ浴びたという彼女の言葉通り、その髪はまだ少し濡れている。下ろした濡れ髪が白い頬に張り付きなんだが色っぽいなと見つめていると、同じ感想を抱いたのか耳まで紅くした津島が狼狽えたように視線を彷徨わせていた。

 

「なにを話してたんですか? ひょっとして事件の捜査会議?」

「ち、違うよ。ただの雑談。うちのミス研のこととか、おすすめのミステリとか」

「そうなんですね。じゃあ、私もまぜてもらおうかな」

 

 自分の近くに座った藤堂に、津島は「どうぞ」と少ししどろもどろに答えている。そのものすごくわかりやすい態度に思わず生暖かい目になってしまった。

 たぶん藤堂がそのソファに座ったのはただ一番近くにあったからだと思うが、恋する男にはなにか特別な意味があるように感じられたのだろう。どこかうれしそうな津島の顔に、なにも言うまいとハジメはそっと視線をそらした。

 

「高遠さんはミステリだとなにが好きなんですか? 津島さんは本格ですよね」

「本格ってなんですか?」

「あれ、金田一さんはあんまりミステリとか読まないの?」

「本格っていうのは推理小説のジャンルの一つだよ。作中で推理に必要な情報をフェアな形で提示してる、ほら、読者への挑戦とかがあるやつ」

 

 そう言われてもぴんと来ない。

 自慢ではないがハジメにとっての読書とは漫画オンリーだ。文字ばかりの本など睡眠導入剤にしかならないと思っている。

 こちらの反応の薄さにがっかりした顔をしつつ、さらにミステリの魅力を説明しようとした津島の言葉を遮ったのは玄関のチャイムだった。

 

 ピンポーン。

 

 なんの変哲もないその音にびくりと身体を震わせる。

 雪崩のせいで警察がこの別荘に来れるのは早くても明日の昼以降のはずだ。つまり、このチャイムはハジメたちが待ち望んでいる警察の到着を知らせるものではありえない。

 時刻はもう二十二時を回っている。

 警察すら来られないこの場所へ、ならばいったい誰が訪ねてきたというのか。

 

 ピンポーン。

 

 またチャイムが鳴る。

 どうしようもない不気味さを感じながら、ハジメはソファから立ち上がりエントランスへと向かう。その後ろから高遠や津島たちもついてきた。

 広間のドアを開ければ、エントランスの照明がぱっと灯る。

 暖房のついていないそこの空気は冷え切っていて、その寒さに鳥肌が立った。昼間と同じはずの吹き抜けになった開放感溢れるエントランスは、明かりがついているにも関わらずどこか暗く感じられた。

 まだチャイムは同じ間隔で鳴り続けている。

 

「……どなたですか」

 

 ハジメがドアの向こうに声をかけるが返事はない。

 どうしたんだと近倉や荒谷地、星川、舟木もやってくる。これでこの別荘にいる全員がここに集まったことになる。

 誰も口を開かない。

 嫌な沈黙の中、チャイムの音とは別にドアの向こうからかすかになにかが聞こえる。話し声ではない。これは……曲?

 

「金田一君、開けますよ」

 

 そう言って、高遠はみなが見つめる中そのドアを少し開けた。

 内開きのドアから冷気とともに雪が舞い込んでくる。ドアを開けたことで()()は誰の耳にもはっきりと聞こえてきた。

 

「――冥府の使者」

 

 そうつぶやいたのはハジメだったかもしれない。

 高遠は隙間から外を窺い、それから大きくドアを開けた。高遠の背の向こう、外の壁に寄りかかるような形で人影らしきものが見える。

 なんだ、と目を凝らすとそれはバランスを崩したようにエントランス側へと倒れ込んできた。

 

「相澤!?」

「……っ、きゃあああぁぁっ!!」

 

 近倉の恐怖を孕んだ驚いたような声と、舟木の甲高い悲鳴。

 その人物は頭や肩に薄っすらと雪を積もらせ、床へと倒れ込んだままピクリとも動かなかった。確認するまでもない。その顔が生者ではありえない色をしていることはハジメのいる位置からでもはっきりとわかった。

 

 相澤氏輝は死んでいた。

 

 苦悶に歪んだ口元と、自身の死が信じられないというように見開かれた目が痛々しい。近づいてその身体に触れれば、死後硬直なのかカチコチに固まっていた。首にははっきりとロープの跡がある。

 曲の出どころは相澤のポケットの中に入っていたスマホだった。とり出したその画面にはいつかと同じように『非通知』の文字が浮かんでいる。

 じわじわとなにかを侵食していくかのようなピアノの音。

 そこにはどうしようもない悪意が込められているような気がした。ハジメが通話ボタンを押す前にぷつりと着信は切れる。

 

瀬々(ぜぜ)……」

 

 再びの静寂の中、星川の小さな小さなつぶやきだけがエントランスに響いた。

 

 

 

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