平行線機能不全   作:キユ

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第四章「復讐の旋律⑦」

14

 

 星川のつぶやきにハジメが反応するよりも早く、荒谷地が彼の胸倉を掴み上げて「お前か、星川!?」と怒鳴った。その顔は怒りとも恐怖ともつかない感情で歪んでいる。

 

「これ見よがしに冥府の使者なんて流しやがって……っ!!」

「おいおい、荒谷地。少し落ち着け」

「近倉は黙ってろよ!」

 

 止めに入った近倉に目もくれず、星川へと伸ばした手にさらに力を込める荒谷地からは、どこか追い詰められたような必死さが感じられた。彼の手がかすかに震えているのはそこに込められた力だけが理由ではないだろう。

 しかし、詰め寄られている当人は荒谷地の剣幕にも動じた様子はない。星川は感情を削ぎ落としたような暗い瞳で荒谷地を見つめ、その唇に皮肉気な笑みを浮かべる。

 

「……俺なわけないだろ」

「ああ!? じゃあ、誰がやったんだ! 瀬々の幽霊だとでも言うのかよ!」

「なんだ。あんたみたいなやつでも多少の罪悪感はあったんだ」

「……っ、……偉そうなこと言うんじゃねぇぞ、星川。お前だって、同罪だろうが」

 

 吐き捨てるような言葉に先ほどまでの勢いはなかった。

 荒谷地は突き飛ばすように星川を掴んでいた手を放すと、その場の誰とも目を合わせることなくエントランスから去っていった。こちらに向けられた彼の背中からは明確な拒絶の意志が伝わってくる。

 荒谷地と星川のやりとりから千葉の件も含めて、ハジメとしては彼には聞きたいことがいくつかあったのだが、あの様子ではいまは無理そうだ。

 残された面々を見回せば、誰もがその顔に恐怖と困惑を貼りつけ立ち尽くしている。

 まただ。

 また、全員がそろっているタイミングで事件が起こった。

 開いたままのドアからは冷たい風とともに舞い込んだ雪が、玄関ポーチからこちら側へと少しずつ侵食してくる。

 

「…………」

 

 ハジメは高遠の隣をすり抜けて外へと出た。

 降り続く雪で辺りは真っ白に染まっている。相澤が立っていたと思しき場所にはその跡が残っているが、それ以外は相澤のものはもちろん、誰の足跡も見当たらなかった。

 スリッパのままだった足元が雪で濡れて、ハジメは身を震わせた。吐く息が白い。夜になって気温はさらに下がっている。影はその濃さを増し、暗闇からいまにも悪意の手が伸びてきそうだ。

 しんしんと降る雪の音すら響きそうな静けさの中、耳の奥に残る不気味な曲を振り払うようにハジメは一度大きく深呼吸をした。肺を満たす冷たい空気に思考が少しクリアになる。

 

(ん? ……なんだ、あれ?)

 

 ふと見上げた先、玄関ポーチの柱に溝のようなものがあることに気づいた。不思議に思い、反対の柱を見るとそちらにも同じような溝がある。

 それは一見細い糸かなにかでついた傷のように見えた。だが傷にしては深さが均一で、やはりなにかを固定するための溝のように感じられる。そのまま視線を下ろせば、柱と繋がっている手すりの一部だけ雪がなくなっていた。溝は柱のかなり高い位置にある。そう、ちょうど手すりに立てばその溝になにかを引っかけられるような――。

 

「風邪をひきますよ」

「! ……っ、気配殺して近づくなよ」

「君がにぶいだけでしょう。思考に没頭していると周りへの注意が疎かになるのは君の欠点ですね。事件を嗅ぎまわって、何度となく犯人に殺されかけたでしょうに」

「うるせぇな。その筆頭がなに言ってんだ。俺を底なし沼に落としたこと、忘れてねーからな!」

 

 そのあとも走るバスから飛び降りさせたり、吊り橋から落としたり、殺人犯に仕立て上げようとしたり。……間違いなく、ハジメのそばに高遠以上の危険人物はいない。

 

「あのとき君をちゃんと殺していれば……きっと、いまはなかったんでしょうね」

「ヘッ、だーれがあんたなんかに殺されるかよ」

 

 高遠のいう「いま」がこの二回目の人生そのものをさしているのか、それとも自分たちの関係性をさしているのかはわからなかった。まあ、少なくともあの死骨ヶ原でハジメが死んでいれば、高遠は金田一一を自身の平行線と位置づけて執着することはなかったはずだ。

 この男は自分で気づいているのだろうか。

 この手の話題でハジメが「殺されない」と返すたびに、少し、ほんの少しだけ……その顔に安堵の色を滲ませていることを。人の命がどれだけあっけなく喪われるかを誰よりも知っている殺人鬼にしては、ひどく控えめな確認作業のその意味に。

 

「殺されるっていえば、相澤さんの遺体ってさ」

「死後硬直は全身に及んでいましたよ。くわしいことは調べてみないとわかりませんが、あれは死後十時間以上は経っていますね」

「やっぱりか」

 

 となると、相澤に千葉を殺すことは不可能だ。

 遺体の首にあった索状痕からすると死因は絞殺……とそこまで考えて、びゅっと吹いた風にくしゃみをすれば、高遠は無言でハジメのコートを手渡してきた。さすがに思考を中断してコートに袖を通す。寒さには勝てない。

 ハジメとは違いスリッパから靴へと履き替え、きちんとコートを着た高遠はさほど寒さが気にならないのか、興味深そうに柱の溝を見つめている。

 こうして関わってくるあたり、このトリックが高遠の仕込みだとは考えにくい。が、この男がハジメの知らないなにかを握っていることはたしかなので、その横顔を見つめる目は自然と厳しくなってしまう。

 

「くしゅんっ!」

 

 ハジメの口から再びくしゃみが漏れた。

 垂れてきた鼻水をズズッとすする。高遠の言う通りこのままでは風邪をひきそうだ。ハジメは吹きつけてくる風に押されるようにエントランスへと戻る。

 そこでは相澤の遺体を前にどうすればいいのかわからない様子で近倉たちがハジメを待っていた。

 

「あ、あの、外に誰かいた?」

「いいえ」

 

 ハジメに続きエントランスへと戻ってきた高遠がドアを施錠する音が重々しく響く。津島はハジメの返答に暗い表情を浮かべて、近倉、星川、舟木の三人から視線をはずしながら言葉を続けた。

 

「――玄関のチャイムが鳴ったとき、広間にいなかったのは四人だ」

 

 津島はその四人が誰だとは言わなかったが、彼の指摘がなにをさすものか理解した近倉と星川はおいおいと不快げに顔を顰める。舟木は津島の言葉にぴんと来ないながらも、周りの不穏な空気にその肩を震わせた。

 

「津島さん。近倉さんたちはすぐに駆けつけてきたし、もし外に出たんなら髪や服が濡れてるはずだよ」

 

 ハジメが自分の雪で濡れた髪をつまみながら言えば、津島は「あっ……」と気まずそうに顔を伏せた。しばらくして、もごもごと謝罪らしき言葉が聞こえてくる。

 

「いや、疑心暗鬼になるのもわかる」

「だからって俺たちを疑うのはどうなんだ?」

「ご、ごめん」

「でも……それじゃあ、やっぱり外部犯なんでしょうか?」

 

 藤堂の疑問はもっともだが、相澤がこうして死体で見つかったことで、ハジメの中では外部犯の可能性がゼロになった。そもそも外部犯イコール相澤であり、最初から完全な部外者が犯人であるとは考えていない。

 ただ現状それを伝えるべきではないと思い、ハジメはあえて否定も肯定もせず口をつぐんでいた。

 

「外部犯、ね。そうだとしても、外に足跡ひとつ見当たらなかったことの説明はつかないな」

「え?」

「高遠っ!」

 

 ハジメの非難の声をきれいに無視して、高遠は一同に()()()()()()()状況を話して聞かせる。そのくせ、使われたと思われるトリックについては示唆一つしなかった。この男がトリックに気づいていないわけがないのに。

 

 雪の上になかった足跡。

 相澤の死体。

 ひとりでに鳴らされたチャイム。

 

 言葉だけ並べればまるで出来の悪いホラーのようだ。

 この事件が不可能犯罪であるかのように語る高遠の真意が読めない。ハジメは千葉の事件にしろ、相澤の事件にしろ、この犯人が用いるトリックにはアリバイ工作以上の意図がある気がしている。

 その意図がなんであるのかはまだわからないが、ひょっとして、高遠にはそれがわかっているのだろうか。

 

「……サークル棟の幽霊」

「舟木君?」

「サークル棟の幽霊の仕業じゃないですか。さっき星川先輩が言ってた“瀬々”って、去年自殺した映研の人ですよね」

 

 震える身体を自分の両手で抱きしめながら、舟木はすべての元凶は星川だと言いたげに彼を強く睨んだ。涙のあとが残る彼女の頬は血の気が引いて真っ白になっている。

 どこか焦点の合っていない目で舟木は叫ぶ。

 

「だって、誰にも無理じゃない! 優芽乃先輩のときも、相澤先輩のときも、みんなにアリバイがあって、足跡もなくって……幽霊でもないとできないでしょ!!」

 

 うずくまってわっと泣き出した舟木は明らかに恐慌状態だった。

 舟木は怖いと泣く。

 身近な先輩が殺されたことも、警察が来られないこの状況も、すべてがわけがわからないままに進んでいるような気がして、ただただ怖いのだと。

 彼女の不安を取り除いてやれる人間はこの場にはひとりもいなかった。

 藤堂が舟木のそばにしゃがみ込み「大丈夫。大丈夫だよ」とその背を優しくなでる。それが気休めにもならないことはわかっていても、どうしてやることもできない。

 舟木の泣き声が落ち着いてきたタイミングで、彼女を部屋へ誘導しようと藤堂が声をかける。

 立ち上がった舟木はうつむいたまま「取り乱してごめんなさい」とつぶやき、藤堂とともにエントランスを出ていった。

 

「千葉からなにか聞いてたのかな」

 

 奇妙な雰囲気だけが残ったなか、星川がぽつりと落としたのはそんな言葉だった。

 

「星川……瀬々って?」

瀬々尚也(ぜぜなおや)。去年自殺した映研の部員で……俺の親友」

 

 そう語る星川の顔はどうしようもなく苦しそうで、なにかを抑え込むように握り締められたこぶしはいつかと同じように小さく震えている。

 

「津島はなんで俺が相澤さんたちとツルんでるのか不思議に思ってたろ」

「あ、いや……それは」

「お前、顔に出るからバレバレだよ」

「ごめん。なんていうか、その、あんまり仲良くなさそうだったし」

「ハッ! あんな連中と仲良いわけないだろ。瀬々が……あいつが、映研なんかに入らなけりゃ。……いや、違うな。俺だ。俺があいつと友達じゃなければ、きっと瀬々は――」

 

 悔恨が滲んだ声はそこで途切れた。

 星川は続けかけた言葉を呑み込むように口を引き結び、静かに目を伏せる。それは、亡き親友に捧げる黙禱のようにも見えた。

 星川はそれ以上話をするつもりはないのか、もとの淡々とした表情をその顔へと貼りつけ、自分も部屋にいるとだけ言って去っていく。

 広間のドアに手をかけた彼の「犯人が瀬々の幽霊なら、本当に殺されるべきは俺だよ」という言葉は、親友の自殺を止められなかった自責の念から来るものだったのか。

 

 

 

15

 

 警察が来るまではなるべく現場保存を、とは言ってもさすがにエントランスに相澤の遺体を放置するわけにはいかない。

 簡単に遺体や玄関ポーチの様子を写真に撮ったあと、相澤をシーツで包んで空いている部屋へと運ぶことにした。場所はもと藤堂の部屋だ。ちょうど藤堂も舟木も二階へと部屋移動をしていたので、千葉の隣の部屋を使うことに異論を唱えるものはいない。

 シーツ越しとはいえ友人の遺体に触れるとき、近倉の手は傍目にもはっきりとわかるほど震えていた。

 

「はは、情けないな」

「近倉さん……」

「金田一探偵。俺は舟木君が言うようにこの事件の犯人が幽霊だなんて信じられん。人を殺すのは、いつだって人だ。そうだろう? そして……相澤を、千葉を、殺した犯人は俺たちの中にいるんだ」

 

 近倉にとっては友人の死以上に、自分の友人や後輩の中にその殺人鬼がいることの方がつらいのかもしれない。ハジメを強く見つめる瞳には薄く涙の膜が張っていた。

 事件が起きてからも冷静さを失わなかった彼が見せた感情に、その隣にいた津島がショックを受けたような顔でハジメと近倉を見比べる。

 

「近倉さんは瀬々って人のことは知らないんですか?」

「自殺の騒動で名前くらいは聞いたことがあるが、面識はないな。俺は映研とは直接の関わりはないし、相澤たちから紹介された記憶もない」

 

 星川は元からミス研の部員ではあったが、どちらかというと幽霊部員寄りで、近倉からすると相澤たちの連れだという認識のほうが強いらしい。一時期は相澤や荒谷地が星川を引っ張り回している印象を受けることもあったが、星川も自分の意見ははっきりと口にするタイプなので、ただそういう関係性なのだろうと思っていたと話す。

 遺体を運ぶ高遠、近倉、津島の三人の後ろを追いながら、ハジメはこの合宿メンバーの隠された関係が少しずつわかってきた。

 まず、一年に自殺した映研部員である瀬々尚也の死に、相澤、荒谷地、千葉、そして星川の四人がなんらかの関わりを持っているのは間違いない。星川が荒谷地に言った「罪悪感」という言葉から、彼らが自殺の原因である可能性も考えられる。

 親友の死に深い後悔を抱いている様子だった星川。

 しかし、彼もまた荒谷地から「同罪だ」と言われる理由を持っている。

 

(だけど、それだと犯人は誰だ?)

 

 一連の犯行の動機は、瀬々尚也の自殺だろう。

 事件の場に流れる『冥府の使者』は犯人からのメッセージだ。あの曲が瀬々という人物とつながるものなのか、それとも別の意味があるのかはまだわからない。

 瀬々の死に関わりのある四人がターゲットなのか、四人の中に犯人がいるのか。あるいは……ハジメの知らない関係性がほかにも隠されているのか。

 

「金田一君、ドアを開けてもらえますか?」

「あっ、悪い」

 

 気づけば目的の部屋の前まで来ていた。

 手のふさがった高遠たちに代わりドアノブへと手をかける。当然鍵はかかっておらず、そのドアはなんの抵抗もなく開いた。

 ドアの近くにあった照明のスイッチを押せば、室内がぱっと明るくなる。部屋の大きさやベッドの配置などはハジメの部屋とも千葉の部屋ともなにも変わらない。それなのに、なにかがハジメの中で引っかかった。

 

「……?」

「どうかしたのか?」

「あ、いや。なんでもないんです」

 

 後ろからかけられた声にハッとしてドアの前から離れる。

 先ほど一瞬だけあった強い違和感は、それでハジメの中から霧散してしまった。なにが気になったのかわからずモヤモヤする。

 ベッド。棚。サイドチェスト。そして花瓶。

 何度見てもおかしなところはなにもない。

 

「金田一君」

 

 そこで高遠に名前を呼ばれ、ハジメは違和感の正体を追求するのを諦め、相澤が寝かされたベッドへと近づいた。自分で呼んだくせに高遠はそれ以上なにも言わない。が、ちゃんと検死しろと言いたいのだろう。高遠がいるのになんで自分が、と思わないでもないが、ハジメがやらなければ手伝いすらする気がなさそうな男になにを言っても無駄だ。

 渋々ポケットへと突っ込んでいた手袋をとり出す。

 改めて触れた相澤の遺体は高遠の言うように全身にまで死後硬直が起きていた。死斑が強く出ていることから絞殺による窒息死の可能性が高い。遺体の後面に死斑が出ていることから、死後仰向きになっていたことがわかる。

 

「この人がコートとか着てないのってさ」

「殺された場所が室内か、それに類する場所だからだと考えるのが妥当でしょうね」

「ここまで死後硬直がきてたら、靴はまだしも、コートは着せらんねぇか」

 

 相澤が着ている衣服はさほど濡れていない。死後確実に十時間以上が経過していることを考えると、遺体は室内など雪で濡れない場所にあったことになる。

 今朝「先に行く」とメッセージを送って以降連絡がつかなくなっていた相澤氏輝。

 彼が殺されたのは貸別荘のどこかだろう。

 しかし、その後いったいどこに隠されていたのか。

 

「おふたりさん。すまんが、俺ももう部屋に戻るよ」

「近倉さん」

「ミステリ小説を参考にするなら、こういうとき別々に行動するのは悪手だよな。自分たちの中に犯人がいるなら相互監視状態で過ごすのが一番いい。わかってる。わかってはいるんだが……相手を信じられない状況で一緒にいるのは、なかなかにきつい」

 

 泣き笑いのような顔は言葉以上にしんどそうだ。

 わずか半日ほどの間でふたりも友人が殺されれば、それも当然なのかもしれない。

 

「でも部長、ここはろくに鍵もかからないのに……」

「なんだ、津島は気づいてないのか。この事件は無差別な猟奇殺人の類じゃない。なんらかの動機によって起きている殺人事件だ。そして、毒なんかで全員を殺してしまわないことから、犯人には明確なターゲットが存在することがわかる」

「…………」

「ひょっとしたらもう殺人は起こらんのかもしれん。だが俺は、万一にでも巻き込まれて死ぬのは御免だ。……はは。自分がこんなクソヤロウだなんて知りたくなかったな」

 

 近倉が言ったのはある意味ではまぎれもない真理だった。

 全員で行動することは、この状況では犯人を追い詰めかねない。そして、全員で行動したからといって安全だともかぎらないのだ。

 舟木の恐慌に、荒谷地と星川の不和。極めつけは近倉のこの言動である。ここまでの疑心暗鬼の中では下手をすれば二次被害が出る。

 それでも、近倉はまだこうして自分を客観視できる程度には理性的だ。

 彼を説得して警察の到着まで全員で過ごすべきか、ハジメは迷った。ハジメの言葉では無理でも、舟木や星川は、信頼するミス研部長の言葉になら従うのではないか。

 

「近倉さん、この事件は……」

「金田一探偵。ミス研の部長としては情けないが、俺はもう事件の解決より警察の救助が待ち遠しいんだ。いまの俺は、友人の死すらろくに悲しむ余裕がない」

 

 近倉はちらりとベッドに横たわる相澤へと視線を向けて、苦い顔でもう一度「すまない」と謝った。それはハジメにというより、相澤に向けた謝罪だったのかもしれない。

 近倉が出ていったドアは開いたままなのに、どうしてか絶望的な隔たりができてしまったように感じた。

 

「こうなってみると、二階に全員の部屋があるのは僥倖ですね。同じ階なら監視はしやすい。まあ、襲いやすくもある気がしますが」

「全員が完全に部屋に閉じこもるなら、そうそう次の殺人は起こせないだろ」

 

 部屋に頼りない内鍵しかかからなくとも、バリケードなどで犯人の侵入を防ぐことはできる。もし襲われても、抵抗していればほかの誰かに伝わるはずだ。

 そう、なにか状況が変わったわけではない。

 自分も近倉の変貌ぶりに少なからずショックを受けていたのだと、冷静さをとり戻して気づいた。

 事件に巻き込まれると人の思いもよらぬ面に遭遇することになる。普段の生活の中でなら、こんな事件の渦中でなければ、近倉は決してあんなことは言わないだろう。あれが彼の本心ではない。

 状況が彼に言わせた言葉で、自分がショックを受けてどうする。

 ハジメは気持ち切り替えるように自分の頬をぱしんっと叩いた。

 

「うっし!」

「気合を入れるのはいいですが、これからどうするんです、素人探偵君?」

「とりあえず、荒谷地さんとか舟木さんから話を聞きてぇんだけど」

「あの様子では難しいのでは?」

「だよなー」

 

 どうすっかな、と頭を掻く。

 

「容疑者はしぼられているでしょう」

「千葉さんのは、だろ? 相澤さんのやつは誰にでも可能じゃん」

「同一犯ではないと?」

「いや、それはないと思う。んでもって複数犯も考えにくい……んだけど。千葉さんの事件、俺はなーんかしっくりきてないんだよな」

 

 花瓶が割れる音などは事前に録音しておくことができる。

 しかし、千葉の部屋にあった花瓶などの陶器類をほかの人間に気づかれず、あんなふうに破壊することは現状では荒谷地にしかできない。

 脳裏に浮かぶのは叩き割ったというのが相応しい調度品の数々。

 なぜ犯人はあそこまで室内を荒らしたのか。

 

「――不可能犯罪の演出?」

 

 その答えはストンと胸の中へ落ちてきた。

 もちろん、自分のアリバイの確保という側面もあるはずだ。だが、犯人はわざわざ全員のアリバイがある状況で事件を起こしている。室内を執拗なまでに荒らしたのは、合宿メンバーの誰にもそれができない状況を作り出すためだったとしたら?

 

(いや……どっちにしろ、誰にも気づかれずに花瓶とかを割る方法がない)

 

 たぶん、ハジメの推理はどこかが間違っている。だから正しい答えに行きつかないのだろう。

 なんとも言えない気持ちの悪い引っかかりが自分の中にある。

 犯人がああいう形で相澤の死体を出してきた以上、きっとまだこの事件は続く。タイムリミットは警察が到着する明日の昼まで。

 

 そして、次に狙われるのは――荒谷地弦太だ。 

 

 

 

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