25
すべてが終わってから到着した警察は、罪を自白した藤堂だけをパトカーに乗せ警察署へと連行していった。残された津島たちは現場検証と並行して、このまま別荘で事情聴取を受けることになっている。
長島と名乗った警部からは事情聴取まで大人しくしておくよう言われていたが、広間の中はどうしようもない悲しみと後悔で満たされている気がして、津島は自分の番がまだ回ってこないことを理由にそっと外に出た。
別荘の周りを囲うように張られている黄色い規制テープはどうにも日常から浮いていて現実感がない。まるでドラマの世界にでも迷い込んだ気がして、忙しそうに行きかう刑事や鑑識職員にも、頼もしさではなく言いようのない心細さを感じてしまう。
いくつもの足跡がついた雪の上を遠慮がちに歩く。
目的地はとくになかった。
あまりウロウロすれば怒られるのはわかりきっているので、捜査の邪魔にはならなさそうな駐車スペースの脇にある花壇のそばで足を止める。その小さな花壇には白やピンク、紫の花がぽつりぽつりと咲いていた。雪の中ずいぶん丈夫なことだ。
そろそろ一番暖かい時間帯に差し掛かろうとしていたが、コートもなしではさすがに寒い。津島は吹いた風に完全に温もりを奪い去られ、盛大なくしゃみをしてズズッと鼻をすすった。
見上げた空には雲の間から冬独特の薄い青色がのぞいている。
「…………」
事件が解決すればもっと晴れやかな気持ちになると思っていた。
寒い日のどこまでも澄んだ青空を見るみたいな、なんとなく前向きな明るい気持ちになれるとなんの根拠もなく信じていた。
でも、実際はなにかが重く胸を塞いでいる。
津島は藤堂の動機を聞いて同情した。自殺した瀬々にではなく、復讐を選ぶしかなかった藤堂に対して。そこにはもちろん、彼女への好意があるのは否定しない。そして、自分が友人を殺された近倉の立場なら、またべつの感情を抱いただろうことも理解している。
(星川にあんなこと言わなきゃよかった……)
少なくとも自分が言っていいことではなかったと思う。
星川が後悔していることはわかっていたのに、ことさらに彼を追い詰めるような言い方をしてしまった。星川だけが悪いわけじゃない。人を脅して金銭を奪い取っていた荒谷地も悪いし、相澤たちの盗作は言わずもがな。復讐という手段に殺人を選んだ藤堂を肯定してはいけないし、親友にすべてを押し付けて自殺した瀬々にだってきっと問題がある。
津島には親友と呼べるほどの特別な友人はいないが、もしも星川のようにそんな親友から遺書を託されたとして、自分の利益を捨てて人として正しくあることを選べるかと聞かれたら、胸を張って「ある」と答える自信はなかった。
人の弱さを責めても仕方がない。
真相を知ったところで、結局はそんな当たり前のことを実感しただけだったが、不思議と知らなければよかったとは思わない自分がいる。
「津島さん!」
ふいにかけられた声に振り返れば、自分と同じように寒そうな格好をしたハジメが白い息を吐きながら立っていた。警察との現場検証は終わったらしい。
長島警部は関係者全員からこの女子中学生が事件を解決したと言われたとき、まさに鳩が豆鉄砲を食らったような顔をしてなかなかその事実を受け入れようとはしなかったが、ハジメが千葉や相澤の事件に使われたトリックを説明すれば、渋々といった様子で彼女から話を聞き始めた。
正直もっと時間がかかると思っていた。
犯人が自供しているとはいっても、警察にとって事件を解決した名探偵の推理はかなり重要な証言だろうし、事件現場を一番詳細に見ていたのは間違いなくこの少女だった。津島も一緒に相澤たち三人の検死をしたが、自分がハジメ以上の情報を警察に提供できる気はまったくしない。
「あれ、もう僕の番?」
「いいえ。いまは近倉さんの事情聴取がはじまったところですよ」
「あっ、そうなんだ」
どうしてこんなところにいるのか尋ねられるかと思ったが、少女はそんな津島の心情など見透かしているのかなにも言わなかった。
こちらを見つめる真っ直ぐな瞳にどうしてか居心地が悪くなる。ぐちゃぐちゃとした心のなかは津島自身も目をそらしたいようなありさまだ。知らず顔をうつむければ、ハジメが自分のすぐ横に立ったのがわかった。
遠くから鳥の鳴き声や木々のざわめきが聞こえてくる。
「ミステリとかだとさ」
「え?」
「イヤミスとかもあるけど、基本的には事件が解決したらそれで話は終わって、主人公たちは日常に戻るんだ」
沈黙が続くのが嫌で、自分でもなにが言いたいのかわからないままに津島は口を開いた。
「小説を読んでるときは気にならなかったけど、あれって事件に関わった人たちはそのあとも普通の生活が送れたのかな」
フィクションを引き合いに出すなんて馬鹿馬鹿しい。
それでも、津島は今回の事件で知ってしまった。人が殺されるというのがどういうことなのか。犯人の事情や動機に訳知り顔で納得したり、批判したりできるのは、しょせん他人事だからなのだ。巻き込まれてしまえば、自分が事件を目の当たりにすれば、そこにある悲しさややるせなさにきっとたいていの人間は言葉を失う。
「僕は、巻き込まれただけなのかもしれないけど……」
事件を忘れたフリして、なんでもない顔なんてできない。
津島の頭に浮かぶのは最後に見た藤堂の顔。
せめてあのとき彼女の涙を拭ってあげられていたら、この胸に張り付く苦しさはもう少しマシだっただろうか。
「無理に忘れる必要なんてないと思いますよ。事件と向き合うのか、乗り越えるのか、それとも自分には関係ないって忘れるのか……たぶん、正解なんてないんです」
「……僕は薄情なのかな。殺された三人より、藤堂さんに同情してるんだ」
「殺されていい人なんていないし、殺人は絶対に許されないことだけど、だからって殺人を犯した人を嫌いにならないといけないわけじゃないでしょう。……彼女は、優しい人でしたね」
「うん……」
賢くて、意志が強くて、優しい女性だった。
津島が惹かれていたそんな彼女の一面も決してうそではなかった。それをほかの誰でもないハジメに肯定してもらえて、なんだか救われたような気がした。
滲んだ涙を誤魔化すように「いやー、でも寒いね!」と両手で口元を覆い、大げさにそこに息を吹きかける。鼻をすすったのは寒さのせいだと思ってほしい。
空気を変えたくて広間に戻ろうと歩き出せば、少女も津島のあとをゆっくりとついてくる。そういえばハジメはなぜ自分のところに来たのだろう、といういまさらな疑問が浮かび後ろを振り返れば、真剣な表情をした少女と目が合った。
まるで津島の疑問を読み取ったかのようなタイミングで少女はその理由を口にした。
「あたし、津島さんに聞きたいことがあって」
「僕に……?」
まったく心当たりがない。
なにか事件での重要な証言でも求められるのか、とちょっと身構えてハジメの言葉を待っていたが、少女の質問は拍子抜けするくらい何気ないものだった。
合宿の決まった時期や経緯が事件にどう関係するのかわからず、内心首を傾げながら少女の質問に答えていく。
「――ありがとうございました」
「ううん。えっと、役に立てたのかな?」
「はい」
そう言って笑ったハジメの顔に浮かんだ感情がなんなのか、名探偵ではない津島にはわからない。ただ一瞬だけ見せた少女の苦しそうな表情が、いつまでも目に焼き付いて離れなかった。
26
捜査員たちが行きかう別荘の中をハジメはひとり歩く。
探している男がどこにいるのかはなんとなくわかっている。すでに現場検証が終わり、荒谷地の遺体も運び出された二階は、一階に比べると信じられないほどに静かだった。
関係者全員の事情聴取がすめば、鑑識などの一部の捜査員を残して、警察は一度この別荘から引き上げるつもりらしい。藤堂の自白があり、彼女が犯人である明確な証拠が固まれば、それ以上捜査を長引かせる気はないのだろう。
素人の、それも中学生の推理をもとに調書を作成することになった長島警部はハジメの話を終始ひどい渋面で聞いていた。今回も彼と友好的な関係を築くのは難しそうだ。
階段を上がり廊下を進めば、すぐに目的の場所へと辿りつく。
遊戯室のドアを前にハジメは一度立ち止まって、そのドアノブへと伸ばしかけた手を空中で彷徨わせた。ハジメは高遠に聞かねばならないことがある。
それを見て見ぬふりをしてこの別荘から帰ることはできない。
「…………」
逡巡とも呼べないかすかな動揺を呼気と一緒に吐き出す。
触れたドアノブは氷のように冷たくて、ハジメは小さく身震いした。ゆっくりと開けたドアの先、遊戯室の窓際に立っていた高遠は、こちらを見て待っていたと言いたげに微笑んだ。
「――答え合わせをしましょうか、金田一君」
なにが答え合わせだと、苦々しい気持ちがわき上がる。
いっそ感情のままに罵ってやりたい。
満足そうな笑みを浮かべる男の首根っこをつかんで、思いつくかぎりの罵声を浴びせてやれば、少しはスッキリするだろうか。
こうしてこの男の前に立って、自分のなかにある感情が怒りだけならよかったのに。
わき上がる思いを高遠に気づかれないように呑み下す。高遠のペースに乗せられてはいけない。半ば相手の答えを確信していたが、ハジメは努めて冷静に男へと問いかけた。
「あんたが……あんたが、仕組んだのか?」
「ええ。舞台を整えたからといって、糸のついていないマリオネットが自らその上にあがるのかは賭けでしたが」
ハジメが高遠からミス研の合宿のことを聞いたのは十一月の下旬。
その時点では合宿先はよくある温泉旅館に決まっていて、参加者はミス研の五人と相澤だけだった。十二月に入り、高遠がハジメと自分の合宿参加を近倉に伝え、人数が増えるからとこの貸別荘『グランドヴィラ・樹氷』を紹介した。合宿先の豪華さを知り、千葉と荒谷地が参加したいと言ってきたのはさらにそのあとだ。
――こんな殺人にお誂え向きな状況で復讐すべき三人がそろうなど運命以外のなにものでもない。
そう、藤堂が口にした「運命」を引き寄せたのはたぶん彼女ではなく……ハジメだ。
ハジメが合宿への参加を決めたから、高遠はすべての準備を整えた。復讐者“冥府の使者”がその殺意を行動に移すだろう舞台の準備を。
「どうせ雪崩が起こることも知ってたんだろ」
「ニュースで流れていたでしょう? 雪崩に巻き込まれた乗用車の運転手が生死不明だと。その運転手はあと二日ほどで手当ての甲斐なく亡くなるのですが、それがもとでのちにちょっとした惨劇が起こるんですよ」
「雪崩は人為的なものだったのか?」
「いいえ。雪崩自体は不幸な事故です。運転手の死はトラブルの引き金に過ぎません」
「その惨劇とやらをプロデュースしたのがあんただって?」
にっこりと笑った顔が答えだった。
それが一回目のどの時期の話なのかはハジメにはわからない。この男が起こした事件のすべてにハジメを招待しているわけではないのは知っている。自分が死んだあとの事件ならば、そもそも知りようもない。高遠が慈善活動よろしく、ハジメと一回目の記憶を全部共有してくれるとも思っていない。
雪崩に巻き込まれた運転手についてはどこまでいってもただの不幸な事故だ。
だが、この別荘で起きた惨劇は違う。
「なんで……なんで、ただのマジシャンじゃダメなんだよ……っ」
高遠がここへ自分を連れてきた理由がわからないほどハジメはにぶくない。
この惨劇は正しくハジメがいるから起こったのだ。
自分の隣にいながら、止められたはずのそれを見過ごすのではなく、犯人にとって都合よくお膳立てまでしてみせた。ただ、高遠遙一は地獄の傀儡師だとハジメに思い知らせるために。
「……だって、つまらないでしょう?」
それが、自分と過ごしてきたこれまでの時間をさしているようで、なぜだか泣きたくなった。ハジメはこの男を疑うのと同じくらい強く、信じたかった。信じさせてくれない男の言動をいままで何度腹立たしく思ったことだろう。
今回、高遠がしたことは殺人教唆にすらならない。
藤堂の決断は彼女自身によってなされたもので、高遠はあくまで彼女が復讐へと踏み出しやすい状況を作ったにすぎない。だから、ハジメとて高遠のせいで藤堂が殺人を犯したとは言わない。
ハジメが許せないのは、高遠がこの状況をハジメを傷つけるためだけに利用したからだ。
この男のなかで人の命があまりにも軽いことが悲しい。
道徳や倫理がわからないわけでも、愛情を知らないわけでもないのに、どこまでも人の命の価値を軽視する高遠のあり方を、ハジメは決して認められない。
「君が名探偵として舞台に上がるなら、その視線の先には宿敵たる地獄の傀儡師がいないはずがない。――そうでしょう?」
「あんたは……っ、もう、そんなもんになる必要なんてねぇだろ!?」
「母の死はきっかけにすぎない。自分でも薄々気づいていたんじゃないですか? 私を地獄の傀儡師たらしめていたのは君だ、金田一君」
平行線だと男は言う。
決して交わることはないのだ、と。
「あんたが、また人の不満や憎しみを利用して相手を人形のように操るっていうなら、自分の作った完全犯罪のシナリオを演じさせるっていうなら……俺は絶対にあんたを許さねぇ!!」
ハジメの怒りを孕んだ叫びは、決別の言葉のように冷たい室内に響いた。
◆
ハジメがそのドアを開けて真っ直ぐに自分を見たとき、高遠が感じたのはたしかな歓喜だった。
怒りと決意に満ちたその目は鋭さすら宿して高遠を貫いている。
燃えるような瞳だと思った。
高遠を燃やし尽くしてしまうようなその瞳を自分に向けたかった。笑顔がほしいのではない。笑顔では満足できない。
高遠はこの少女の、唯一になりたい。
自分にとってそうであるように、ハジメにとっても高遠だけが特別でなくては我慢ならないのだ。そして、それはただの高遠遙一にはなし得ないことだと理解している。
再会してもうすぐ五年が経つ。
自分はいったい彼女のなにになった?
便利な協力者か? 頼りになる年上の友人か?
そんなものはどこぞの警視にでもくれてやる。親友でも、恋人でも、家族でも……高遠の求める関係には足りない。代替可能な関係などごめんだ。
高遠がほしいのはたった一つ。
――ねぇ、金田一君。私は、君の平行線でありたい。
だから高遠は金田一一が己の誇りにかけて捕まえると誓った、地獄の傀儡師であることを選ぶ。……たとえ彼女の温もりが忘れられなくても。