3
旧・氷室画伯邸はハジメの記憶そのままの姿でそこに佇んでいた。
いつき陽介の記事をきっかけに青沼貴雄による氷室一聖への成り代わりが暴かれてからもう二年が経とうとしている。事件発覚後は一時取り壊しの話もでていたというが、結局は氷室画伯を偲んだ地元の名士が本館・別館ともに買い上げ、彼のファンのために画伯ゆかりの場所として貸別荘業を始めたらしい。残念ながら私設美術館時代の絵はすべてオークションにかけられており残ってはいなかった。しかし屋敷自体の間取りは変わっておらず、ハジメは不思議と見慣れぬはずの家具にも懐かしさを覚えた。
「ウソ、思ってたよりずっとイイじゃん。元美術館とかボロいかもって、正直あんまり期待してなかったからうれしー!」
ハジメの隣を歩いていた
「ははは。期待できないような低予算番組で申し訳ない……」
「やだ、芳野さんったら! そういう意味じゃないですよー」
「あーあ。低予算やなんてホンマのこと言うたったらあかんやん。芳野君、落ち込んでしもたで。室井ちゃんったら意外とイケズやなぁ」
「もー、芝さんまで! てゆーか、低予算は芳野さんが自分で言ったんじゃないですか」
いささかわざとらしく項垂れる番組ディレクターの肩を抱き、ベテランお笑い芸人はオーバーリアクションぎみに「低予算は芳野君のせいちゃうで」と慰めなのかなんなのかわからない言葉を続けた。
困り眉でどこか頼りなさそうな雰囲気の
「ボクらが泊まるここが本館なんやろ?」
「そう。そこの谷川を挟んだ向こう側にまったく同じ造りの別館があるんだ。撮影は全部あっちでする予定だよ」
「撮影って、肝心の主役君がまだ来てへんやん」
「水島君は少し遅れてくるそうだから、彼抜きでできるところだけ先に撮ろう」
なんの因果か、今回もこの背氷村ではドッキリTVの撮影が行われることになっていた。
先ほどから「低予算、低予算」と言われるだけあって、スタッフはバイトのハジメを入れてもわずか五人しかいない。これがいわゆる少数精鋭でないことは、ちょっとしたコネを使っただけの素人が潜り込めたことからも明らかである。深夜のバラエティー枠を使ったこの企画のメインは今度公開される水島明が主役の映画の番宣で、その映画が『雪夜叉伝説殺人事件』というのだから話を聞いたときは驚いた。
背氷村とドッキリTVの組み合わせだけでも一回目との嫌な類似を感じてしまうのに、そこに雪夜叉伝説まで加われば、かつてここで起こった悲劇を知るハジメには無視することはできなかった。
『いつきさん、その番組ってスタッフのバイトとか募集してないかな?』
『ああ? そりゃまあ、雑用係くらいは』
『ちょっと口利いてくんない?』
『おまえには色々と世話になってるし構わねぇけど……ははーん。あれか? イケメン俳優に会ってみたいってか? あの金田一も、さすがにJKにもなれば色気づくんだねぇ』
『ちげーわ! なんでもそっちに結びつけてんじゃねーよ、オッサン』
『ハハ! テレるなテレるな。――まっ、ここは各業界に広い人脈を持つこのいつき陽介様に任せておけ。バイトくらいいくらでもねじ込んでやるよ』
あのオリエンタル号での邂逅を経て、ハジメといつきは一回目と同じような関係に落ち着いている。付き合いの長さやハジメが女性である点は不思議なほどふたりの間に影響を及ぼさなかった。精々いつきから受ける揶揄いの種類が少しばかり変わったくらいだろう。
とそこまで考えてから、あのあと素直に礼を口にした自分に「高遠君には黙っててやるから安心しろよ」と返してきたいつきのニヤついた顔まで思い出してしまい、ハジメは面白くない気分で唇を尖らせた。
(ったく、自分が結婚したからってさー)
いつき陽介と最上葉月が入籍したのは今年の春のこと。
一回目のときのように別れたらどうしようかとヤキモキと見守っていた身としては、口先で「自由な独身生活」を惜しんでみせる彼の、その左手の薬指に光る結婚指輪には言葉にできない喜びを感じる。……まあ、高遠に関した揶揄いが増えたことはいただけないが。
「じゃあ、部屋に荷物を置いたら別館の方へ移動しようか」
ハジメは芳野の声に意識を現在へと戻した。
口頭で部屋割りを説明され、各々が荷物を持って一階と二階に割り振られた自分の部屋に向かう。ハジメの部屋は突き当りから二つ目、室井の隣だ。反対側にあえて一つ空室を設けているのは女性への配慮だろう。実際、室井は部屋割りを教えられて少しホッとした表情を浮かべている。
そのコケティッシュな振る舞いのわりに、彼女は意外と異性に対する警戒心が強いタイプらしい。
もっとも、彼女が危険視しているのは特定の個人――撮影係の沼田誠一であり、とくに親しくもないハジメのそばにいるのも沼田除けの意味合いが強いと思われる。
「なあ、バイトちゃん。俺と部屋交換してくれない?」
「沼田さんってば、ダメですよ。それだと金田一さんが男子部屋の真ん中になっちゃうじゃないですか。それにあたしも女同士の方が気兼ねしなくていいからその案は却下します!」
「えー。じゃあ、愛彩ちゃんが夜に俺んとこ遊びに来てよ」
「すみませーん。美容のために夜更かし厳禁なんです」
「そんなこと言わないでさ」
「コラコラ。しつこい男は嫌われんで。もうそれくらいにしとき。ちぃこい子が見とるやんか」
芝はそう言って、幼子にするようにハジメの頭をポンポンと軽く撫でた。
あからさまな子ども扱いにそこまでちぃこくないわい、と反論してやりたい気もしたが、沼田の言動の方がはるかに不快だったので、ここは芝のアシストに徹する。
「いやいや、あたしのことはお気になさらず。ここには遊びじゃなくてバイトしに来てるんで」
「まあ! なんて立派な娘なんや。お父ちゃん、ハジメがええ子に育ってくれてうれしいわぁ」
「典さん、女の子を気安く名前で呼ぶのはマズいよ。セクハラになる」
「ウソやん。名前呼んだだけでセクハラなんの? ちょっと世の中、オッサンに厳しすぎへん?」
「それと頭ポンポンもアウトですよ。そーいうのはイケメンかイケオジにしか許されないんですから」
「めっちゃストレートにイケてないて言われた……。室井ちゃんホンマにイケズやん……。金田一ちゃん、ごめんな。示談にしてくれる?」
「――五百円で手を打ちましょう」
「キミの値段やっすいなぁ」
ハジメと芝がどちらも神妙な顔をしていたからか、室井がそんなふたりを見てくすくすと笑う。
ちょっとした冗談だったのだが、芝は律儀にハジメが差し出した手のひらに五百円玉を置いてくれた。ラッキー、とありがたく財布にしまっておく。たとえ安くとも学生の身で臨時収入はうれしい。
「みなさん、そんなとこでコントしてないで、早く部屋に荷物置いてきてください」
ハジメたちのやりとりには混ざらず黙々と働いていた
まだ二十五歳の彼はハジメ・室井に次ぐ年少組だが、番組ADとしてこの背氷村への道中からやる気満々といった様子で、傍目にも張りきっているのがわかった。少々そのやる気が空回りぎみなのはご愛嬌といったところか。
久瀬の言葉に従ったわけではないのだろうが、一番最初に動いたのは沼田だった。その口元はいまにも舌打ちせんばかりに苛立たしげに歪んでいる。彼は一瞬だけ睨むような視線をハジメたちに向けたが、悪態をつくことはせず、そのまま乱暴な足音を響かせ階段を上がっていった。
「態度悪ぅ。芳野ディレクター、スタッフの教育がなってないんとちゃいますか」
「うーん。水島君や比賀君と友人だって聞いたから今回のメンバーに入れたんだけどね。失敗だったかなぁ。――室井さん。うちのスタッフが申し訳ありません」
「ちょ、芳野さんが頭を下げないでくださいよ! 大丈夫です。別になにかされたわけじゃないし、しつこく声かけられるとか珍しいことじゃないんで。テキトーに躱しますよ」
室井は自分に向かってきっちり九十度のお辞儀をする芳野を見て、慌てたように身体の前で手を振った。
「金田一さんも迷惑かけちゃってごめんね」
「そんな! 室井さんは悪くないじゃないっスか!」
「まあまあ。どうせ二泊三日のことや。撮影が始まったら沼田もあれこれちょっかいかける時間なんてないやろ」
「部屋はちゃんと鍵も掛かるし、私たちも沼田君の行動には目を光らせておくから」
「せや。おっちゃんらに任せとき」
気負いのない、それでいて頼もしい言葉。
彼らからすれば室井もハジメと同じ“子ども”なのだろう。室井もそれを感じとったのか、見た人がつられてしまうような無邪気な笑顔でふたりに礼を言った。
グラドルとしてのものではないそれは、色気なんて微塵もないあけっぴろげなものだったけれど。ハジメの目にはこちらの彼女の方がずっと魅力的に映った。
4
水島明が到着したのは、一行がこの別館で撮影を始めてから二時間は経とうかという頃だった。
「遅くなってすみません」
彼は開口一番そう言って芳野に頭を下げた。
イケメン俳優なんてものに興味のないハジメはこのバイトで初めて水島のことを知ったのだが、“爽やか系”と売り出されている彼がその言葉通りの人物ではないことは、たったそれだけのやりとりでもわかってしまった。なにせ、ディレクター以外には謝罪どころか声もかけないのだ。この場にいる全員に向けて、という
「予定より遅かったみたいだけど、なにかあったのかい?」
「いえ、ちょっと本館と別館を間違えてしまって。撮影してるはずなのに誰もいないからドッキリを仕掛けられたのかと焦りましたよ。すぐに気づいたんですが、タクシーを呼び戻したりして余計な時間がかかっちゃいました」
「そうだったんだ。ここも本館も、外観だけじゃなくて内装までそっくり同じだからね。間違えるのも無理ないよ。――少し休憩するかい?」
「大丈夫ですよ。それに僕抜きで撮影できるところなんてそれほどないでしょう」
穏やかな口調に滲むそこはかとない傲慢さ。
出演者でないハジメでもちょっとムッとしてしまうような物言いだった。しかし当の出演者たちはというと、わかりやすく不快をあらわにしたのは比賀真人だけで、芝も室井もなんてことない顔をしている。
「水島のやつ、あんまチョーシ乗ってるとそのうち干されんじゃね?」
「どうだろうな。社長だのスポンサーだの、お偉方へのご機嫌伺いには余念がないみたいだけど」
「演技ならおまえの方がよっぽどマシなのにな」
「……同じ事務所ってだけで、こうして仕事を回してもらえるんだから助かってるよ」
比賀はそこで話を切り上げ、声をかけてきた沼田から離れていった。
芳野から彼らは水島と友人同士だと聞いた気がするが、どうも仲良しこよしな間柄ではないらしい。なんとなしにふたりのやりとりを眺めていると、ハジメの視線に気づいた久瀬がこそっと「大学の同期なんだって」と教えてくれた。
「三人とも大学ではそこそこ有名な演劇サークルの出身なんだよ。沼田さんも在学中は役者してたっていうし、水島さんだけ成功してるのが面白くないのかもね」
「水島さんってそんなに売れてるんですか?」
「どっちかっていうと売れてきてるって感じかな。今度の映画は主演でしょ。来春のドラマも美味しい役どころもらってるみたいだし、大手じゃないけどCMも二本持ってるしね」
指折り水島の成功ぶりを数えているわりには、久瀬の眉間にはかすかにシワが寄っている。まあ、水島のあの態度を見れば、仕事の関係者から嫌われていてもなにも不思議ではない。
久瀬はまだどこか話を続けたそうだったが、撮影が再開する気配を察して、気持ちを切り替えるように小さく頭を振った。
芳野が彼の名を呼ぶ。
「はい! いま行きます! ……そうだ。悪いんだけど、次は隣の部屋で青木さんの手伝いをしてくれる?」
一歩足を踏み出した姿勢のまま、久瀬はこちらを振り返りそう言った。自分を見る彼の顔が本当に申し訳なさそうでちょっと笑える。ただのバイトにそこまで気を遣わなくてもいいのに。
了承の返事をして部屋を出たところで、久瀬のいう「隣の部屋」が左右どちらなのか聞き忘れたことに気づいたが、わざわざ聞きに戻る必要もないかと自分の直感に従うことにした。――右だ!
「ありゃ、間違えた」
勢いよく開けたドアの先には誰もいなかった。
電気が消された室内は窓がないせいで奥が見通せないほどに暗い。なぜか目の前に広がる闇に薄気味悪さを感じた。知らず腕に鳥肌が立つ。
(暗闇が怖いなんてガキじゃあるまいし)
そうは思いつつも腰が引けてしまうのは、いまも昔もホラー全般が苦手だからだ。
早く
高級そうな革張りのスーツケース。
見覚えはなかったが、たぶん水島の荷物だろう。彼の話ぶりから本館の方に荷物を置いてきたとは考えにくい。スーツケースには持ち手のところに同じような革製のパスケースがつけられていた。ちらりと見える有名ブランドのロゴマークはイケメン俳優の持ち物らしい気もしたが、芸能人が電車やバスを使うというイメージはあまりない。
ハジメは何気なくスーツケースに近づき、そのパスケースをひっくり返してみた。
カード収納部分にはハジメもよく知っている交通系ICカードが入っており、その下から紙のようなものがのぞいている。好奇心のままにパスケースから引っ張り出す。
「これ……」
思わず声が漏れた。
東京と新函館北斗と記されたそれは――北海道新幹線の乗車券だった。印字された日付を確認するが、今回使われたもので間違いない。つまり、彼は飛行機ではなく新幹線に乗ってこの北海道まで来たことになる。
(なんで、わざわざ新幹線を使ったんだ?)
これがプライベートな旅行なら疑問に思うほどのことでもないのだが、水島は撮影に遅れてまで新幹線での移動を選んでいる。それはさすがにおかしい。彼にはなにか理由があったのだ。新幹線でなければならない、あるいは飛行機ではいけない理由が――。
「なーんてな」
考えすぎ、考えすぎ。
ああ見えて水島が無類の電車好きとか、鉄道オタクの可能性だってあるではないか。それか新幹線で恋人と密会していたとか。……そっちの方がありそう。
ハジメはひとりその場でウンウンとうなずいてから、乗車券をパスケースへ戻して部屋を出た。
◆
「よしっ! キリもいいし、今日はここまでにしようか」
芳野が本日の撮影終了を告げると、ふっと室内の雰囲気が緩んだのを感じた。
合間に夕食など細々とした休憩を挟みはしたが、それでも別館に着いてから六時間近く経っているのではないだろうか。ちらりと見た左腕のGショックは二十時半を示している。道理でみな一様に疲れた顔をしているはずだ。かくいうハジメももうヘトヘトである。二泊三日の弾丸低予算撮影は伊達ではない。
明日も使うからとおざなりな片付けのあと、ぞろぞろと連れ立って玄関へ向かう。
「なあ、車で片道二十分って地味に不便とちゃう?」
「撮影はこっちでしますから、本館は宿泊所みたいなもんですよ。宿がこの近さなら悪くないでしょう」
「本当ならドッキリは本館と別館、両方を使って撮影した方が絵になるんだけどね。二つをつなぐ吊り橋がこの夏に大水で流されてしまったから」
外は当然のことながら真っ暗だった。
十一月初頭とはいえ、北海道の夜は本州のそれとは比べものにならないくらい寒い。吸い込んだ空気はぴんと張りつめていて鼻の奥がツキンと痛んだ。ハジメは少しでも寒さをしのごうと首をすくめて、タートルネックの襟のなかに限界まで顔を引っ込める。
「さっみぃ~!!」
「ホント! 北海道なめてたわ~。マジ寒いっ!」
同意の声を上げた室井と顔を見合わせて笑う。
お互い吐き出す息がほのかに白い。色を失った唇とは対照的に鼻の頭は赤く色づいている。セーターにスキニージーンズというハジメと同じくらい軽装の彼女は、自分の身体を抱きしめるように寒さに震えていた。
「おーい! お嬢さん方、早うこっちおいで」
芝がミニバンの助手席側のドアを開けながらふたりを手招きする。
運転席に座ってエンジンをかけているのは青木だ。ミニバンの近くに立ってハジメたちを待っているらしい水島の手には見覚えのあるスーツケースがあった。やはりあれは彼のものだったようだ。
「じゃあ、典さんたちは先に本館に戻っていてくれるかい」
「えっ、芳野さんたちはこっちに残るんですか?」
「ちょっとだけね。この夜に撮るドッキリの準備があるから」
言ってしまってはドッキリもなにもないだろうと思う。まあ、台本がある時点ですべてヤラセなのはわかっていたが。
「芳野さん。それなんですが、俺はここに残っててもいいですか?」
「比賀君?」
「どうせ四時間もしないうちに戻って来ないといけないでしょう。それなら撮影までこのままこっちで過ごそうかと思って」
比賀は寝ているところにドッキリを仕掛けられるという役どころで、その撮影もこちらの別館で行われるのだ。雪夜叉の姿をした仕掛人に驚かされる、なんてどこかで聞いたようなドッキリは正直心臓に悪い。なんでそんなところまで同じなんだと胃がキリキリしてしまう。
「それはいいけど……。どこで過ごすんだい?」
「バイトさんが部屋を準備してくれたでしょう。そこに寝てるって設定なんだから、そのままホントにそこでゴロゴロしときますよ」
一瞬だけ比賀の視線がこちらを向いた。
たしかに彼の言う通りその部屋の準備をしたのはハジメだが、彼は几帳面なのか神経質なのか潔癖なのか知らないが、そのあと自分でベッドメイクをやり直していたから、彼が本当に「してくれた」と思っているのかは謎である。比賀が作ったシワ一つないベッドを思い出して、ハジメは不貞腐れた気分で落ちていた小石を蹴った。
(ちぇ。どーせ俺はテキトーですよ)
そもそも、未使用のシーツに持参のコロコロ――粘着カーペットクリーナー――をかける人間とは一生わかり合える気がしない。ハジメが触ったから汚いとでも言うつもりか。
「ほな、ボクら五人は先に戻っとくよ」
「うん。そうしてくれるかい。なるべく早くすませるけど……青木君、本館のことはよろしく頼むね」
「わかりました」
「あーあ。カメラの取り付けくらい久瀬で十分じゃないですか? 俺、いります?」
「沼田君……。そんなこと言わないで。いい映像を撮ってもらうために君に来てもらってるんだから」
芳野の宥めるような言葉に沼田は肩をすくめたが、それ以上ごねたりはしなかった。引き合いに出された久瀬が不満げに小さく鼻を鳴らす。
「しょーもないな、あいつ」
小声でそう漏らしたのは水島だった。
その顔には夜目でもはっきりとわかる侮蔑の表情が浮かんでいる。彼はハジメの視線に気づくと、貼りつけたような笑みで車に乗るように促してきた。
いい加減寒さが限界だったので、お言葉に甘えて暖房の利いた車内へと乗り込む。いわゆるレディファーストなのかと思ったら、次に乗り込んできたのは水島だった。
「なんや後部座席は両手に花かい。うらやましいなぁ」
「真ん中の席が好きなんですよ」
「かわええ子らに挟まれるんはボクも好きや」
水島は芝の軽口をさらりといなす。
室井がシートベルトを締めたのを確認して、五人を乗せたミニバンはゆっくりと発進した。
ハジメは水島が沼田のように室井にちょっかいを出さないかと警戒していたが、彼は両腕を組んだままほとんど車内での会話に参加することもしなかった。とりわけ無口というわけでもなさそうなのに……。
(疲れてるのかな?)
そういえば、彼はハジメたちよりもずっと長い時間を移動に費やしている。乗車券に記された時間からすると朝もそれなりに早かったのだろう。
暖かい車内になんだかハジメも眠くなってきた。
谷川の上流にかかる橋へと近づいたとき、水島がすっと目を閉じたのを見て、ハジメの口から「ふわぁ」っと大きなあくびが一つ漏れる。……ダメだ。本格的に眠い。しかし、いま眠ると起きれない気がする。
なんとなしに隣を窺うと、水島はもう目を開けていた。どうやら彼は橋を渡るわずかな時間で復活したらしい。すっと前を見据えるその瞳のどこにも眠気の色は見当たらなかった。
(なんだよ、裏切り者)
ハジメは寝入ってしまわないよう、まぶたが落ちてくる目を何度も擦りながら、本館までの道のりをひとり耐えた。