5
あと、ふたり――。
◆
ボーン、ボーンという柱時計の低い鐘の音に、比賀真人はそばに置いたスマホに手を伸ばした。画面に表示された時刻は二十一時ちょうど。玄関脇で目にした柱時計はずいぶんと古めかしく、ただの置き物かと思っていたが、頼もしいことにその見た目に反して数秒の狂いもなく時を刻んでいるらしい。
「はぁ……」
知らずため息が漏れた。
二週間ほど前に受けたオーディションの合否についての連絡がマネージャーから来るのを待っていたのだが、この様子だと芳しい結果は得られなかったのだろう。気を遣うタイプである自分のマネージャーがこちらへ送る慰めの文面に四苦八苦している姿が容易に想像できる。
(本当に潮時なんだろうな)
三十が間近に迫り、人生における大切な選択肢を間違えたと後悔することが増えた。
大学時代にちょっとチヤホヤされたからといって芸能界などに入るべきではなかったとしみじみ思う。自分レベルの才能なんてそれこそ掃いて捨てるほどいる。そんなことは早い段階でわかっていたのに、こんな年までズルズルと夢を捨てられずに来てしまった。
やめてしまおうか――。
何度と頭に浮かぶその考えを押しとどめているのは同期の水島の存在だった。
比賀からすれば、自分以上に役者としての才能がない水島のブレイクはまさに青天の霹靂であり、彼が売れるのならばひょっとしたら自分にもチャンスが巡ってくるのではないかという希望が捨てきれない。なにせ彼は俗に『大根』と呼ばれる類の人間で、お世辞にもその演技力は褒められたものではないのだ。そんな男がイケメン俳優として売れるということは、そこに必要なのは才能ではないということになる。
自分も、と足掻いてもうそろそろ二年。
それが無駄な努力であったことは、一向に吉報を告げる気配のない手の中のスマホが証明している。
(結局俺は鳴かず飛ばずで、あいつはこのまま人気俳優の仲間入り、か……?)
こちらを見下していることを隠しもしない水島の視線を思い出し、比賀はイライラと親指の爪をかんだ。その一本だけ爪の形が変わってしまったことにまた苛立ちがつのる。
(いっそ、
水島は間違いなく身の破滅だ。
だが、それは比賀自身の破滅でもある。俳優として、などではない。法律にはくわしくないが、自分たちが犯した罪は世間にバレればバッシングどころか実刑判決を免れないことは理解している。水島へのやっかみで自分の人生までもを棒に振るつもりは比賀にはなかった。
それとも石井のように水島を脅してやろうか?
石井が事故で死んだと知ったときは、これでもう小金をせびられなくていいとほっとしたものだが、彼に奪われた分を水島から取り戻すというのは悪くない案かもしれない。もちろん本当にバラす気などないが、要は少しでも「その気があるのではないか」と疑念を抱かせられればいい。人は失うものが多いほど慎重になる。
自分たち四人は六年前のあの日から共犯者だ。
一蓮托生を誓ったのならば、成功も失敗も等しく分け与えられるべきではないか?
――コン、コン。
比賀の思考を中断させたのはどこか遠慮がちなノックの音だった。
直前まで考えていた内容の疚しさからわずかに上擦った声で返事をすると、番組ディレクターの芳野が申し訳なさそうな顔でドアを開けて室内を見回した。
「寛いでるところにごめんね」
「いいえ。どうかしたんですか?」
「私たちはそろそろ本館に戻るけど、比賀君は本当にひとりで大丈夫かい? ここは暇を潰すものもないし、荷物なんかは本館に置いたままだろう。なにか持って来ようか?」
「大丈夫ですよ。スマホはあるし、撮影までちょっと仮眠をとろうと思っているんで」
「そうかい? ……あっ、部屋のカメラは撮影までは映さないようにしてるから気にしないでね」
腰の低い人だな、と呆れてしまう。
出演者の機嫌を損ねたくないのかもしれないが、芳野のそれは比賀には少々過剰に感じられる。あの水島の演技に一回もリテイクを出さないどころか、「さすがだね」と褒めてまでみせるのはいくらなんでもやりすぎだと思う。
水島がディレクターから下にも置かぬ扱いを受けているところなど見たくもないので、やはりこの別館に残ることにして正解だった。
「それじゃあ、撮影は零時すぎだから」
「俺が本当に寝てても起こさなくていいですよ」
比賀の冗談に芳野は小さく笑って、入ってきたときと同じように静かな動作でドアを閉めた。廊下に出た彼がADと話している声がドア越しに聞こえてくる。
「戸締りは確認できた?」
「はい」
「沼田君は見つかったかい?」
「それがどこにもいなくて……。仕方ないからケータイ鳴らしたんですけど、“まだすることあるから先に戻ってろ”って怒鳴られました」
「え、なにかしなきゃいけないこと残ってたっけ?」
「知りませんよ。もう、放っておきましょう。子どもじゃないんだから、自分でなんとかしますよ」
「でも車もないのに……。うーん。迎えがいるときは連絡してもらおうか」
「放っておいたらいいんですよ! 自分勝手にしてるんだから!」
「そうは言ってもね。歩いて帰れる距離じゃないし」
「あっ、もうライソ送ったんですか!? 歩こうと思えば歩ける距離ですよ! 走ったら二時間かからないくらいでしょ? 芳野さんはちょっと優しすぎると思います」
「うん。ごめんね。でも、さすがにこの寒い中を二時間近く走るのは大変じゃないかな?」
芳野たちの声は徐々に遠ざかっていった。
話していた内容からするとこのままふたりで本館に戻るのだろう。
(沼田はこっちに残ってるのかよ)
自分に用事でもあるのかとスマホを見るが、とくにメッセージの類は来ていなかった。まあ、沼田ひとりくらいなら残っていても構わないか、とベッドにごろりと寝転がる。
人の気配のしない屋敷はひどく静かだった。
私設美術館時代の名残りで、この貸別荘にはどの部屋にも窓がない。風の音一つしない静寂は耳に痛いほどだ。比賀は少し落ち着かない気分で二度三度と寝返りを打った。室内は十分に暖かいのに、どうにも寒さが肌にまとわりついて離れない。
服の下で鳥肌を立てている二の腕をさすり、掛布を顎先まで引っ張り上げる。じわりじわりと体温が布団へと移るに従って、自分の中にあった小さな緊張が解けていくのがわかった。まぶたが重い。睡魔がいまにも自分の意識を刈り取ろうとしているのを感じる。
(変だな……まだ、二十一時をすぎたばかり……な、のに……)
せめてアラームはセットしておこうとスマホを握りしめたところで、比賀は抗いがたい深い眠りへと落ちていった。
6
芳野と久瀬のふたりがそろって談話室に顔を出したのは二十一時半を幾分かすぎた頃だった。
ハジメは勝ち目の薄い手札をさりげなくテーブルの上のトランプの山に戻し、ソファに座ったまま後ろを振り返り「おかえりなさい」と声をかけた。先に部屋に入ってきた芳野が少しくすぐったそうにあいさつを返してくれる。
「おつかれー」
「お疲れ様でーす」
芝や室井もトランプをテーブルに置き、口々に芳野たちへ労いの言葉をかける。ひとりソファから離れたところにあるロッキングチェアに座っていた青木は、ぺこりとその場で頭を下げただけで読書へと戻ってしまったが、彼の上司はそれを見咎めたりはしなかった。
ちなみに、水島は本館に到着早々自分の部屋に引っ込んでしまっているため、ここにはいない。
「はい。みなさんも、お疲れさま。今日はありがとう。いやぁしかし、この辺りは東京と比べると街灯が少ないから道が暗くて怖いね」
「えっ。芳野君、自分で運転したん?」
「あ、いや――」
「俺が運転しましたよ。上司に運転させるわけないでしょ。沼田さんじゃあるまいし」
久瀬は芳野と芝の会話に口を挟み、苛立ちを隠し切れない荒々しい足取りで荷物を奥の部屋へと運んでいく。誰が見てもはっきりとわかる機嫌の悪さは、久瀬のことをまだよく知らないハジメの目にもいささか奇異に映った。芝も同様の感想を抱いたのか、パカッと大きく口を開き、驚きに満ちた表情で久瀬の背中を見送る。さすが芸人と言いたくなる板についたそのオーバーリアクションに、一瞬ヒリついた場の空気がふっとゆるんだ。
「ええ~? なになに? 久瀬っち、反抗期かいな?」
「あー、はは。ちょっと沼田君と、ね……」
困り眉の眉尻をさらに下げ、芳野がここに沼田がいない経緯をかいつまんで説明すると、一同の顔に納得の色が浮かぶ。
久瀬と沼田は絶望的に馬が合わないらしい。
ただ、そう話す芳野の方は表情ほどには困ってはいないようだった。彼の声や口調からは沼田に対する怒気も不快も感じられない。
芳野は青木に「ありがとう」と声をかけてから、自分は少し荷物の整理をすると談話室を出ていった。
「たしかに芳野さんは優しすぎるところあるかも」
「芳野君はなぁ。怒るん苦手やからなぁ」
「あー、そういう人いますよね。私はどっちかっていうとあとから怒りが来るタイプです。夜とかひとりになったタイミングで“腹立つ~!”的な」
「執念深いタイプですやん。……怒らさんとこ」
「ちょっと! なんで露骨に離れようとするんですか。ひどーい。……いいですよ。私は金田一さんと仲良しになるから。ねー?」
向かいのソファでわざとらしく身体を仰け反らせる芝をひと睨みし、室井は隣に座るハジメの手を握り笑いかけてくる。小首をかしげて上目遣いに顔をのぞき込むのは反則だ。めちゃくちゃ可愛い。しかも仕草一つ一つがなんだかエロい。いかん、鼻の下が伸びる。
「ええよ、ええよ。かわええ子らは仲良うしぃ。女の子同士のケンカほど男の胃にクるもんはないからな」
「芝さんみたいなタイプでも女のケンカは怖いんですか?」
「ボクみたいなタイプってなんやねん。見たまんまの気遣い屋さんやんけ」
「えー」
「えー」
「……ふたりして声そろえんといてくれる?」
今度は三人の笑い声がそろった。
たしかに芝は気遣い屋だ。彼がいると場の雰囲気が悪くなるということがない。
そのあともダラダラとくだらない話を続けていると、上着を脱いだ久瀬がコーヒーを片手に「なにで盛り上がってるんですか?」と談話室に戻ってきた。
「いまは我が国が迎える超高齢化社会と八〇二〇問題について話し合ってたとこや」
「さらっと変なウソつかないでくださいよ。てか、八〇二〇問題ってなんですか。それを言うなら八〇五〇問題でしょ。八〇二〇は歯のやつです」
「ヤダ、久瀬っちったら博識!」
「常識です。学校で習いますよ」
「あー、たしかに私も習った記憶ある。現社? 公民だっけ?」
「家庭科じゃなかった?」
久瀬と室井が答えを求めるようにこちらを見るが、自慢じゃないがハジメはこれまでの人生で家庭科の教科書を開いたことは一度もないのでわからない。そもそも“歯のやつ”ってなに?
こういうときにフォローをしてくれる頼もしい幼馴染がいないため、ハジメはちょっと胸を張って堂々と事実を伝えることにした。
「あたしは家庭科の教科書がいまどこにあるかもわからないですね!」
「威張っていうことちゃうぞー」
「あはは。でも、私も勉強はそんなに好きじゃなかったなぁ」
「あれ? 室井さんって現役の音羽山女子大生じゃなかったですか? あそこってわりと偏差値高めですよね?」
「久瀬さん、よく知ってますね! ひょっとして私のファンだったりしました~?」
「いや、ちが、違いますよ!? あの、事務所のホームページに載ってたので! あと姉と同じ大学だったので記憶に残ってて」
「へー。久瀬さん、お姉さんがいるんスすか? なんこ上?」
「三つだよ」
「キミの三つ上いうことは沼田らと同い年か。ええお年やね。もう結婚してはるん?」
「いえ……ちょっと、身体を壊して家にいるので」
芝の言葉に久瀬の顔がスッと曇った。
だがそれはほんの一瞬のことで、久瀬は謝罪を口にしようとした芝を押しとどめるように笑い、そんな深刻な容態ではないと言葉を続ける。彼の口ぶりからすると姉の不調はメンタル的なものらしい。
「それでも家族としては心配やろ。……心の傷は目には見えんからなぁ」
どこか実感のこもった言葉だった。
芝のそばにもそういう人がいるのだろうか。それとも、芝自身がなにか“心の傷”を抱えているのか。
「おーい。みなさん、そろそろ休んでくださいね。撮影は明日もあるんだよ」
声の方に顔を向ければ、芳野がドアから半身をのぞかせこちらを見ていた。
「なにいうてんねん、芳野君。夜はこれからやで。一緒に呑もうや」
「僕はまだこのあと撮影があるから呑めないよ。典さんももう撮影の合間に深酒するような年でもないでしょ。僕ら、徹夜が堪える年なんだからさ」
「ボクはまだそこまで年寄りちゃう!」
「はいはい。――久瀬君、二時間もないけど仮眠とったらいいからね。準備はだいたい終わってるし、青木君も時間まで部屋で休んでるって」
「はい。ありがとうございます」
「青ヤン……いつの間に部屋戻ってん。忍者かあいつは」
「室井さんも金田一さんも、今日はお疲れ様でした。ゆっくり休んでください。あっ、撮影は別館の方でするからそれほど騒がしくはないと思うけど、気になるなら耳栓とかもあるから言ってね」
室井は壁にかかった時計に視線をやると「ヤバッ! お風呂入らなきゃ!」と慌てて立ち上がり、就寝のあいさつを口にしながら部屋を出ていった。ドアのところで芳野から耳栓を受け取っているのを見ると、彼女は小さな物音でも気になるタイプらしい。
「あの~、あたしって比賀さんのドッキリ見に行っちゃダメですかね?」
「え、でも金田一さんは高校生だし、深夜勤務分のバイト代は出せないよ?」
「いやその、邪魔じゃなければ見るだけでも……。どんなふうにドッキリやるのか興味あるし」
「いいんじゃないですか。映像は
「番組に興味を持ってもらえるのはうれしいけど。……うーん。じゃあ、無理はしないで。撮影の途中でも眠かったら全然休んでいいからね」
7
ハジメは一旦自分の部屋に戻りはしたが、仮眠をとってしまうと寝過ごしそうだったので、ドッキリまでソシャゲの周回をして時間を潰すことにした。
二十三時四十分。
少々予定時刻には早かったが、ちょうどレイドボスを倒したところで区切りもいいしと、スマホを充電ケーブルに繋いで部屋を出る。
「あれ、芝さんもいる」
談話室ではノートパソコンを囲みなにやら準備をしている久瀬と青木を横目に、芝が缶ビールを呷っていた。
「おー、金田一ちゃん。いらっしゃい」
「芝さんもドッキリ見学?」
「ひとりやと暇でなぁ。彼らの仕事ぶりを肴に呑んどんねん」
「芳野さんにフラれた当てつけでしょ」
「フ、フラれてへんもん! 芳野君は優しいからこうやって待っとったら“一杯だけだよ”って最後には付きおうてくれんねん!」
「四十すぎたオッサンがしていいムーブじゃない」
「ほんとそれです。芝さん、寂しいなら恋人でも作ったらどうです?」
青木と久瀬のふたりに口々にツッコミを入れられ、芝はさめざめと泣き真似をしながらソファに懐く。顔色はちっとも変わっていないがだいぶ酔っ払っているらしい。大仰な仕草に拍車がかかっている。なるほど、これはウザい。
すでにそれなりの時間からまれているのか、ふたりはそんな芝になんの反応も返さず、黙々と自分たちの作業を進めていく。
ハジメも彼らに倣って芝にからまれないよう、酔っ払いから少し離れたソファを選んで腰を下ろした。
「車の準備はできたんだけど」
「芳野さん」
「映像はどう? ちゃんと繋がった?」
部屋に入ってきた芳野はハジメを見て少しだけ“仕方ないなぁ”とでも言いたげな顔をしてから、青木の前にあるノートパソコンの画面をのぞき込んだ。彼の言葉につられるようにハジメもパソコンの画面へと視線を向ける。
「いま繋がりました」
「もうちょっとだけカメラの角度調整できる? ――うん、いいね」
画面の中には薄暗い室内の様子が映し出されている。
比賀の部屋だろう。ベッドに彼らしき人物が布団を被り横になっているのが見えた。ドッキリ用の隠しカメラだからか、画像はずいぶんと荒い。
アングルからするとカメラはドアの上あたりにつけられているようだ。
「比賀さん、これほんとに寝てるっぽいですね」
「そういえば彼、寝てたら起こさなくていいって言ってたよ。本当に寝てるんなら、ドアを開けるときは慎重に行こうか」
「寝起きの反応が絵にならなかったらリテイクですね」
「それは仕方ないよ。ところで沼田君を見かけなかったかい?」
「あの人、こっちに戻ってきてるんですか?」
「私の方には連絡は来なかったんだけど……」
水を向けられた青木と久瀬はともに首を横に振る。
「やっぱり別館の方にいるのかな。さっき電話したけど出なかったんだよね。……念のために沼田君の部屋を確認してくる」
「あっ! 芳野さん、それなら俺が――」
「大丈夫。久瀬君は出る準備しといて」
芳野はそう言って、フットワークも軽く談話室を出ていった。
まあ、もし万が一沼田が部屋にいたら、その場で久瀬ともめることは必至だ。久瀬自身もそれはわかっているのか、上司のあとを追いかけることはしなかった。
「久瀬。脅かし役、俺と代わる?」
「……大丈夫です」
青木は自分の提案を断った後輩をちらっと見てから、ボソッと「トイレ」と行き先を告げて立ち上がった。無口な上に無表情なので、なにを考えているのかわかりにくいが、悪い人ではないらしい。
「パソ見てて」
「べつに見てなくても逃げませんよ」
「じゃあ、芝さんが寝ゲロで窒息しないように見てろ」
「それは見てても対処したくないです!」
「ボクは酔ってもゲロは吐かん!」
「うわっ、びっくりした!!」
芝は自分の名前が聞こえたのか、ソファからムクッと起き上がり、ウソかホントかよくわからない宣言をした。そのままふらつく様子もなくソファに座りなおして、迎え酒とばかりにテーブルの上にあった缶ビールに手を伸ばす。一連の行動は完全に酔っ払いのそれである。
ハジメと久瀬が自分を呆れた目で見ていることにも気づかず、芝はプルタブを押し開けて、本日五本目と思しきビールを喉を鳴らして呑み干した。
「あれ? もうドッキリ始めとるん?」
「え?」
芝は空になった缶ビールをテーブルに戻しながら、パソコンの画面を指差す。その指をたどるように視線を動かせば、画面の中になにかが……誰かが立っていた。
部屋の中央。
死に装束を思わせる真っ白な着物をきたその人物は、薄暗闇の中、まるで幽霊のようにぼおっと浮き上がって見えた。
「あ……」
雪夜叉――。
自分がそう口にしたのも気づかぬまま、ハジメはパソコンに近づき、食い入るようにその映像へと目を凝らした。このあと起きるであろう惨劇が、脳裏にフラッシュバックする。
恐怖に顔を引き攣らせた加納りえ。
無情にも振り下ろされる斧。
殺したことに後悔はないと語った、綾辻真理奈の……冷たく、悲しい横顔。
ハジメが呼吸すら忘れて見つめる先では、雪夜叉があのときと同じように斧を高く振り上げていた。画面越しでも雪夜叉の殺意が伝わってくる。
「――ダメだ!!」
ガッと鈍い音が響いた。
いや、もしかしたらそれは、ハジメが脳内で作り出した音だったのかもしれない。
画面の中ではハジメの制止を嘲笑うかの如く、雪夜叉の斧はその殺意のままに比賀のベッドへと振り下ろされていた。画像の荒さも相まって、その光景はまるで出来の悪いホラー映画のようだ。
ゆっくりと雪夜叉がこちらを振り返る。
鬼の面。
その暗い暗い瞳の奥には、今回も絶望と怒りのブリザードが吹き荒れている気がした。