21
外はすでに深い闇に包まれていた。
屋敷の周りを囲んだパトカーの赤いランプと、建物から漏れる照明の明かりが混ざり合い、地面に不気味な影を生み出している。村人はこの屋敷で起きたことを恐れてか、誰ひとりとして家から出てくる様子はない。潜められた多数の息遣い。いまにも破裂しそうな張りつめた緊張感でプツプツと肌が粟立つ。
それは危うい均衡で保たれた静寂だった。
不自然なほど静まり返った村に風の音だけが響く。ときおり谷底から吹き上げてくる風は、まるで怪物のうめき声のようだ。
空には重たい雲が垂れ込めており、ほどなくしてポツリと一滴の雫が地面を濡らした。
……雨だ。
それが合図だったかのように次々と途切れることなく大粒の雨が落ちてくる。冷雨と呼ぶに相応しい、身も心も凍てついてしまいそうな寒々しく冷たい雨。屋根を打つ雨音までが冷たく粒立っている。空気がキンッという音を立てて一段と冷えたように感じられた。この雨はほんの少しだけ残っていた秋の気配をこのまま完全に洗い流してしまうのだろう。
地面にはあっという間にいくつもの水たまりができ、水分を含んだ土のにおいが辺りに漂う。
――事件の終わりは、もうすぐそこまで迫っていた。
◆
談話室に集められた関係者の顔には濃い疲労の色があった。
しかしそれも、わずか二十四時間ほどの間にこの場所で三人もの人間が亡くなっていることを思えば、無理からぬことだろう。誰もがようやく事件が解決したとほっと息をついたばかりだったに違いない。
壁際に立つ制服警官や私服の刑事たちの物々しい様子に室内が重苦しい空気で満たされている。
「なあ、来いいうから来たけど……いまさらどないしたん?
その強張った沈黙に負けぬよう明るい声をあげたのは芝だった。自分で口にした言葉ほどにはそう思っていないのか、彼の口元は不自然に歪んでいる。
問いかけられた明智がどうするのかと窺うようにこちらを見たことに気づいて、ハジメはソファから立ち上がった。警視には任せてほしいと事前に伝えてある。そのときは明確な了承の返事をもらえなかったのだが、どうやらハジメの好きにさせてくれるらしい。ハジメは心の中で明智に手を合わせてから、自分に注がれる視線を跳ね返すように全員の顔を見返した。
「まだ事件のカタはついていないんですよ。それに……真犯人『雪夜叉』は、死んでなんかいない!!」
その場にざわめきと緊張が走る。
「そ、それってどういうことなの!?」
「自殺した水島は犯人じゃなかったってこと……?」
「そうです。水島さんは自殺なんかじゃない……。真犯人に殺されたんだ!!」
「ちょっと待ってよ! あいつは密室で死んでたんだろ!? 遺書だって見つかってるって……っ!!」
そう反論したのは久瀬ひとりだったが、誰もが同じ疑問を抱いていることは明らかだった。驚愕、動揺、不安、恐怖……さまざまな感情が関係者たちの顔に浮かんでいる。
「水島さんの遺書はもちろん真犯人が用意した偽物さ。そして、あの密室もちょっとしたトリックを使えば、誰にでも簡単に作り出すことができる」
「密室トリック!?」
「でもそんな……窓もないあんな部屋でどうやって?」
「たしかに窓はないけど、部屋の外から鍵を入れられそうなところが一つあるでしょ」
「おいおい、金田一! まさかとは思うが、あの廊下側の壁にある空気孔から鍵を投げ込んだって言うんじゃないだろうな!? いくらなんでもあんな小さな穴からライティングデスクの足元まで鍵を放るのは無理だぞ!」
「剣持君……。まだわからないんですか? このトリックを解き明かすための鍵は、すべてあの部屋の中に残されていたはずですよ」
「は、はぁ。解き明かすための鍵、ですか……?」
「なあ、もったいぶらんとパパッと教えてーな。水島の部屋にそないおかしなとこがあったん?」
「いや……ドアに細工された跡なんかはなかったし、別にこれと言って変わったことは……部屋の中がやたらと暑かったくらいしか……」
「それだよ、オッサン!」
ハジメの言葉に面を食らったようなポカンとした表情をする剣持は自分が正解を口にした自覚がないらしい。こちらを見る警部の視線は、なにがなんだかわからないという彼の心情を雄弁に物語っていた。
再び全員の視線がハジメに注がれる。
「あの部屋に外から鍵を入れようとするなら、さっきも言ったように廊下側の空気孔を使うしかない」
「でもそれは……」
「もちろん、そのまま投げ込んだんじゃ、あんなふうに遺体の近くにそれっぽく落としておくことはできない。だから犯人はあるものを使って鍵をそこまで転がしたのさ」
「あるもの?」
「――氷のボールだよ!」
そう、室温が高かったのはトリックに使った氷を溶かすためだ。
順番に説明していこう。
水島を殺した犯人は遺書などのもろもろの偽装工作を施したあと、部屋の外に出て水島の持っていた鍵を使ってドアを施錠した。そして事前に準備しておいた氷のボールの中にその鍵を入れる。氷のボールは真っ二つに切って真ん中を少しくり抜いておけば、鍵を入れたあと接着のために少し冷やし直すだけでいい。
空気孔の真下に置かれたバッグと台本は、氷のボールを受け止める緩衝材であり、ライティングデスクの足元まで転がすための
「時間が経てば、氷が溶けて鍵だけが残るってわけ!」
「犯人は床に氷が溶けた跡が残る可能性が高いことを理解しており、その不自然さをカバーするためにライティングデスクの上に倒したグラスを置いていったんです。まあ、水の量が床と比べて明らかに少なかったので、多少の推理力があれば簡単に看破できるレベルの浅知恵ですがね」
「そんな方法が……。でも、それならあの遺書にあった移動トリックはどうなるんですか? 俺たちの中で比賀を殺せたのは遺書の通り水島だけでしょう!?」
「せや、犯人はやっぱり水島以外におらんやろ。金田一ちゃんも警視さんも、密室トリックやなんやてちょっと小難しく考えすぎちゃうか? 部屋の温度かて、自殺前で心弱さから寒さが身に染みただけかもしれんやん。床にこぼれた水も、ホンマにたまたまそんなふうになっただけで……」
「――ところが、水島さんのあの遺書に書かれていた移動トリックこそ、彼が犯人ではありえない決定的な“証拠”なんだ!」
「それってどういう意味?」
「あのトリックが実行可能かは警察で検証済みだって聞いたけど?」
青木の問いかけに、何人かが同意するようにうなずいた。
たしかにトリック自体は実行可能である。北海道警による検証に不備はなく、あのロープを使ったトリックなら標準的な身体能力さえあれば誰でも片道五分足らずで本館と別館を移動できるだろう。ただし、関係者の中で水島だけはこの条件に当てはまらない。それは身体能力の問題ではなく――。
「水島明は極度の高所恐怖症だったんですよ」
「なんだって!?」
「水島さんが高所恐怖症!?」
「明智警視。それは本当なんですか? 水島君が高所恐怖症だなんて、一度も聞いたことが……」
「ええ。金田一さんからその可能性について指摘され、水島明の家族や小中学校時代の友人に聞き込みをした結果、複数人から“彼が高所恐怖症であった”という証言がありました。窓がついていればエレベーターに乗るのも嫌がるほどで、日常生活にも支障が出るレベルだったそうですよ」
誰もが驚愕に目を見開く中、ハジメは「これを見てくれ」と水島のパスケースから拝借した北海道新幹線の乗車券をテーブルの上に置く。
「これは……?」
「水島さんが持ってたものだよ。こんな事件があったからさ、あたしはあの人が撮影に遅れてきたのがずっと引っかかってたんだけど、明智警視に調べてもらったら長距離移動に飛行機を使わないのは毎回だって言うんだ」
「高所恐怖症だから飛行機が使えなかった?」
「そう。実際、ここに着いてからの水島さんの行動を思い返してみると、谷川の橋を渡るときに目を閉じてたり、部屋から極力出て来なかったのもそれが理由なんじゃないかって思ったんだ」
「なるほどなぁ。たしかにここの窓は全部廊下についとるし、水島の部屋は谷川に面した側やったから、部屋から出たり入ったりしたら嫌でも外が目につく。極度の高所恐怖症にはそらつらいわ」
「水島が高所恐怖症だったんなら……」
「ああ! 彼にはロープを架けて谷川を渡るどころか、その縁に近づくことさえできなかったはずだぜ!!」
ハジメの突きつけた“証拠”は、しばしの間その場にいた全員の口から言葉を奪った。
空気の重さが二割増しになりそうな緊張感を孕んだ沈黙が続く。
「水島が犯人じゃないなら、いったい誰が……?」
「あのロープのトリックは往復で十分はかかる。比賀が殺された時間にアリバイがないのは水島を除けば――」
自然と視線が室井に集まる。
彼女は皆が自分を見ていることに気づくと、サッとその表情を強張らせた。血の気が引き色を失った唇を震わせて、「ち、違う!」と悲痛な声で否定の言葉を繰り返す。
「違うわ! 私じゃない……!」
「だが、あんた以外にあのトリックを使って比賀を殺せる人間はおらんぞ」
「――そのトリック自体が間違ってるんだよ。真犯人はまったく別の方法で“比賀殺し”のアリバイを作ったんだ」
「な、なにぃ!?」
「でも、さっきトリックは実行可能だって……」
「谷川にロープを渡して本館と別館を行き来することは可能です。だけど、実際にはこの方法は使われなかった。いや……この方法だと真犯人にとっては
「そりゃそうやな。犯人がわざわざ自分のアリバイのない時間を
「それを説明する前にまずはこの事件の内容を整理してみましょう」
ハジメはそう言って、改めて談話室に揃っている関係者たちの顔ぶれを見回した。
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「この事件の最大の“謎”は別館で起きた比賀さん殺し――。あたしたちはこれを彼の部屋に仕掛けられたカメラ越しに目撃した。そして、そのとき関係者全員がこの本館にいて、事件前後に番組の所有する車が使われた形跡はなかった」
「あの映像を直接見たのは、君と芝さんと久瀬さんの三人ですね」
「芳野君と青ヤンだって部屋におらんかったんは多く見積もっても十分くらいやで。室井ちゃんはさっきの話で言ったら犯人ちゃうわけやろ? ほんならここにいる誰にも比賀を殺すことはできへんのとちゃう?」
そうだ。
ハジメもずっとそこで推理が行き詰まり、そこから先はどれだけ進もうとしても行き止まりだった。真犯人のアリバイトリックを暴くためには事実だけに目を向け、あの映像の中に隠された嘘に気づく必要があったのだ。
「――前提条件が間違っていたんだよ」
「前提条件?」
「犯人はあのとき
「なんだってっ!?」
「どういうことなの!?」
「き、金田一。そうは言っても、比賀はたしかに別館で殺されとるんだぞ? あの映像は録画したもんじゃないとおまえさんも警視も言っとったじゃないか」
「そうだよ。あれは間違いなくリアルタイムの映像だ」
「なら……」
「よく考えてみろよ、オッサン。あの映像がリアルタイムのものだからって、それが比賀を殺したときのものだとする根拠は一つもないんだぜ」
その言葉に明智がハッとしたように声をあげる。
「なるほど! その手があったか……」
「わかったんですか、警視!?」
「金田一さん。つまり君は、あの映像が撮られたのはこの本館だと、そう言いたいんだね?」
それは問いかけではなく確認だった。
ハジメは自信に満ちた表情でゆっくりとうなずき、呆然とこちらを見る面々を前に自分が導き出した推理を語る。
「あの映像の中にあった“事実”は、撮影された時間が二十三時五十分のものであること――突き詰めてしまえば、たったそれだけなんだ」
実際、ハジメは映像を見てあそこを比賀の部屋だと判断したわけではない。真犯人の思惑通り、そこが別館の比賀の部屋であると思い込まされていたのだ。
「たしかに比賀さんの部屋には隠しカメラが仕掛けられていたけど、それは芳野さんたちが別館を引き上げる二十一時すぎの話だ。そのあとカメラを別の部屋に仕掛け直すことは時間的にも可能だったはずだし、あの粗い映像だけで本当はそこがどこかなんてわかりっこないんだ。――つまり、犯人は“比賀さんにドッキリを仕掛ける”という状況を利用し、あの映像が撮られた場所が別館であると目撃者に誤認させることによって自分のアリバイを確保したのさ!」
「ま、待て待て待て! でも実際に別館の比賀の部屋には血の痕が残っとったやん!! 金田一ちゃんも一緒に見たやろ!? 比賀があそこで殺されたんは間違いないんちゃうん!?」
「比賀さんがあの部屋で殺されたことは間違いない。だから……だから、犯人は比賀さんの死体は谷川に捨てたんだ!」
死亡推定時刻を誤魔化すために。
おそらく比賀の殺害時刻は二十三時五十分よりも一時間近くは前だろう。ハジメも含めて関係者全員に二十二時すぎから二時間弱のアリバイを証明できない時間がある。比賀を殺害するならばそのタイミングしかない。
「比賀さんは犯人によってあらかじめ睡眠薬で眠らされていた。車で本館と別館を移動したとしても一時間あれば犯行は可能だったはずだ」
そして、雪夜叉の犯行を目撃した人間が別館に来ることは犯人にもわかっていた。
「別館にあんなふうにわかりやすく多くの痕跡を残したのは、あの映像の現場が比賀さんの部屋だとより印象づけるためさ」
「そう言われれば、たしかに映像にはそこが比賀の部屋だと証明するもんは一つも映っとらんのか……」
「で、でも……それなら、俺たちが見たあの映像で殺されてたのは誰だったんだ!?」
「あれは録画じゃなかったんだよね? まだほかに見つかってない被害者がいるの……?」
「――あのときカメラに映っていた人物は沼田さんなんですよ」
「沼田!?」
「なにを言っとるんだ!? やつは比賀よりも先に殺されとるじゃないか!!」
「そう! 犯人はカメラの前で青酸カリで毒殺した沼田さんの死体に斧を振り下ろしたんだよ!!」
沼田の死体に斧による複数の傷があったのはこのためだ。
たった一つの傷を隠すために犯人は死体にいくつもの傷をつけた。下手にバラバラにしてしまわなかったのは、沼田の死体が発見されなければ水島を犯人に仕立て上げることができないからだろう。
凶器の斧が谷川で見つかったのも道理である。
あの斧は別館での比賀殺害後に捨てたのではなく、本館で沼田の死体を遺棄したあとに川へと捨てたのだから。第二の殺人で使ったはずの凶器が本来の事件現場ではない本館で見つかるわけにはいかない。
「この事件は沼田さんの死体を使ったある種の“入れ替わりトリック”であり、事件現場を誤認させることによって心理的な『距離と時間』を作り上げる“アリバイトリック”なんだ!」
「ふむ。たしかに君のその推理なら、比賀真人と沼田誠一の死体遺棄の方法が違っていた理由に説明がつきますね」
「ああ。そしてこのトリックを用いた場合、本館にあるべきカメラが別館の比賀さんの部屋で見つかっていることから、犯人はたったひとりに絞り込まれることになる」
その場にいる全員が、息を吞んだ。
「この事件の犯人――それは……あなただ!! 芳野さん!!」
ハジメの指摘にみるみる顔色を蒼褪めさせたのは名指しされた芳野ではなく芝だった。当の芳野はガタンッと音を立ててソファから腰を浮かした友人を、いつもの困り顔で見上げている。
いまにも反論の口火を切りそうな芝を視線だけで制止して、ハジメは淡々と言葉を続けた。
「改めてこの背氷村で起きた一連の事件の流れを説明しましょう。まず、沼田さんが殺された第一の事件。沼田さんの死因は青酸化合物による中毒死だから、芳野さんがいつ彼を殺害したのかはわからないけれど、司法解剖の結果や死体を“アリバイトリック”に利用することを考えたら、自分が別館を引き上げるタイミングで殺害している可能性が高い。久瀬さんの目を盗んで車のトランクにでも死体を隠せば、そのあとのトリックの準備もスムーズだしね」
ちなみに、沼田を殺すことは誰にでも可能だったが、彼が死んでいるのが別館側である以上、死体の運搬という観点から車の運転ができない室井は犯人からはずれることになる。
「次に、比賀さんが殺された第二の事件。これはさっきも説明した通り、二十二時以降に車で別館に向かい比賀さんを殺害、遺棄したあと、部屋に仕掛けてあったカメラを回収し、凶器の斧と一緒に本館に持ってきたんだ。そして二十三時五十分までに裏口から一番近い空き部屋にカメラをセットして、ベッドに沼田さんの死体を顔の見えないうつ伏せの状態で寝かせておくだけでいい」
「我々の頭を悩ませた移動時間も、本館内のことであれば十分で事足りるということですね」
「そういうこと! 空き部屋だからカメラ越しに自分の犯行を見せたあとは急いで死体を動かす必要もないし、鍵さえかけちゃえば、そう簡単には見つからないからね」
芳野は沼田の死体と凶器の斧はそのままに、カメラだけを再び回収して、何食わぬ顔で談話室へと戻ってきたというわけだ。あとは自分以外の関係者を連れて別館に行き、あちらの惨状を一緒に確認させればいい。あの状況なら誰だって、部屋に残された犯行の痕跡に目が釘付けになるだろう。その隙にカメラを元の場所に戻せば、このトリックは完成する。
実際はハジメが同行したことで、彼はもっと悠々と事後工作をする時間を手に入れている。
「あなたは最初から水島さんを犯人に仕立て上げるつもりだった。だから、なるべく早くふたりの死体を見つけてもらう必要があったし、彼以外の関係者にはできるかぎりアリバイのある状況を作り上げたんだ。警察の疑いがほぼ水島さんに向いている状態で、あの氷のボールによる密室トリックで彼を自殺に見せかけて殺すためにね!!」
これで三つの殺人事件のすべての説明がなされた。
芳野は静かな瞳でハジメを見返すだけで、ひと言も口を開かない。それに焦れたように声をあげたのは、やはり芝であった。
「芳野君! なんでなんも言い返さんねん!? このままやと犯人にされてしまうで!!」
「典さん……」
「金田一ちゃんもどうかしとるわ。この人が……芳野君が、人を殺すわけないやろ。……そや! 動機は!? 動機はなんやねん!?」
それだけはハジメにも最後までわからなかった。
なぜ、芳野が
「第一、そもそもの発端は石井とかいうヤツの事件やろ? あれ、事故に見せかけた殺人やて言うてたやん。じゃあ、やっぱり芳野君は犯人ちゃうで。芳野君はそんな他人を巻き込むかもしれへん方法は絶対にとらん。
「――石井光雄を殺したのは、僕じゃないんだ」
「芳野君……?」
一見否定の言葉のようで、それはこの地で起きた三件の殺人に対する肯定だった。
芝は悲しげに眉を寄せて自分ににがく笑いかける友人の顔を呆然とした様子で見つめている。相手の言っていることがうまく咀嚼できないとばかりに、彼は二度、三度と瞬きを繰り返したのち、脱力したようにストンとソファに腰を落とした。
のろのろと空虚な瞳が“答え”を求めるようにハジメに向けられる。
その見たことのない芝の表情に胸が痛んだ。いま彼が抱いているであろう感情はハジメにも覚えがある。きっと芝は隣にいる友人にこそ、「どうして」と問いかけたいに違いない。
「芳野さん……。教えてください。いったい彼らとの間になにがあったんですか? あの遺書に書いてあった“罪”とは、いったいなんなんですか……?」
「罪……? 芳野君、まさか……あいつら……」
「そうだよ。彼らはあの事故の加害者だ。……ごめんね、典さん。僕はあの日から、ずっと復讐するためだけに生きてきたんだよ」
芳野はそう言って、どこか自嘲的な笑みを漏らした。
そのまま誰とも目を合わせず視線を下げる。彼は両手をゆっくりと膝の上で組み合わせてから小さく息を吐き、胸が締め付けられるような冷たく哀しい声で自らの過去を話し始めた。
「あの日は、雨が降っていたんだ――」