鏡の中の世界――そこは、現実以上に救いのない阿鼻叫喚の地獄と化していた。
「はぁっ、はぁっ……! どこまで続いているんだ、この数は!」
ミラーワールドに突入した龍騎の眼前に広がっていたのは、地表を埋め尽くすレイドラグーンの蠢きと、空を完全に覆い尽くしたハイドラグーンの影。その数は、榊原の想像を遥かに絶していた。
《 SURVIVE 》
榊原は即座にサバイブのカードを装填する。紅蓮の炎が全身を包み込み、龍騎サバイブへと姿を変えた。ドラグランザーに跨がり、放たれる烈火弾が次々とモンスターを粉砕していくが、それでも群れの密度は一向に衰えない。
倒しても倒しても、鏡の迷宮の奥底から際限なく異形が溢れ出してくる。数千、数万という圧倒的な物量の前では、最強の力を得たサバイブといえども、防戦一方に追い込まれていった。
その時だ。
「おりゃあああッ!!」
凄まじい怒号とともに、サボテンを模した巨大な棍棒カクトゥクラブでレイドラグーンの群れをホームランの如くうち飛ばした。火花と体液が飛び散り、一瞬にして周囲のモンスターが霧散する。
大量の棘をまとった緑の巨躯が戦場に割って入った。
「豪場!? 来てくれたのか!?」
「……“観客”が襲われとー。動かん訳に行かんやろ」
ザボテス――憲之介の声は低く、重い。
失意の底にありながらも、彼を突き動かしたのは、力士として培われた「誰かを守る」という本能か、それとも神崎に示された「願い」への執着か。
背中を合わせた二人のライダーは、怒涛のごとく押し寄せる異形の群れを次々と粉砕していく。
「こん数……一体何がどうなっとーと、榊原!」
「解らない.....だが、神崎が言っていたタイムリミットが関係しているのかも……!」
ザボテスの問いに、龍騎サバイブはドラグブレスードを振るいながら叫んだ。
今この瞬間にも、現実世界では人々が鏡の中に引きずり込まれている。
理屈をこねている猶予など、どこにも残されてはいなかった。
「……豪場、聴いてくれ! 俺は、この戦いを止める方法を、見つけたかもしれないんだ」
激しい爆音の中、榊原はついに自分の辿り着いた結論を打ち明けた。
「コアミラー……この鏡の世界に存在する、核となる鏡。
それを破壊すれば、ミラーワールドそのものを閉じられる可能性があるんだ!」
それは、榊原が数日間の奔走の末に導き出した、唯一にして最大の希望。
だが、その言葉は憲之介にとって、別の意味を持って響いた。
(ミラーワールドを、閉じる……?)
世界を救うためには、それしかない。
しかし、もし鏡の世界が消滅してしまえば、神崎が提示した「最後の一人が願いを叶える」というルールはどうなるのか。鏡が閉じられた時、弟を蘇らせるという唯一の可能性までもが、永遠に失われてしまうのではないか。
鏡を閉じ、人々を守るヒーローとなるか。
それとも、世界を見捨ててでも、愛する弟を黄泉の国から呼び戻す修羅となるか。
「………………」
吹き荒れる爆炎と返り血の中で、ザボテスは一瞬、その動きを止めた。
バイザーの奥の瞳が、葛藤に激しく揺れ動く。
「コアミラーん位置は解るんか?」
バイザー越しに、ザボテスが低く、押し殺したような声で尋ねる。
「ああ。つい最近、ようやく突き止めた…だが、あそこには今までの比じゃない数のモンスターが蔓延っている。俺一人で突っ込むのは、正直、自殺行為に近い。それに.....絶対閉じれるという保証は......」
龍騎サバイブは、迫りくるレイドラグーンの爪をブレードで弾き飛ばしながら応えた。
コアミラーを破壊したからといって、確実にミラーワールドが閉じられるという保証はない。
それは榊原が断片的な記憶と調査から導き出した、あくまで仮説に過ぎなかった。
それでも。
「……それでも、俺はこの僅かな希望に賭けたいんだ。これ以上、犠牲者を増やさないために!」
その言葉が、憲之介の胸に鋭い棘となって突き刺さる。
ザボテスの動きが止まった。
コアミラーを壊し、この地獄を終わらせる。それは仮面ライダーとして、そして一人の人間として「正しい」選択だ。
だが、その正しさを選ぶことは、神崎が提示した「弟を蘇らせる唯一の道」を自ら断つことを意味するのではないか。
鏡を閉じれば、英太は永遠に帰ってこない。
戦いを続ければ、さらに多くの「観客」が犠牲になる。
天秤にかけられたのは、世界の平穏と、最愛の弟の命。
爆炎と咆哮が渦巻く狂乱の戦場の中で、憲之介の心は、激しい葛藤の海へと沈む感覚を覚える。
歯を噛み締めた。
榊原が提案する「コアミラーの破壊」は、人助けのために戦ってきたこれまでの憲之介なら、二つ返事で承諾したはずの「正しい道」だ。
だが、今の憲之介には、神崎士郎が植え付けた毒――「弟を蘇らせる」という禁断の可能性が、呪いのようにこびりついて離れない。
もしコアミラーを壊せば、鏡の世界は閉じられ、人々は救われるだろう。
しかし同時に、英太を生き返らせる唯一の希望も、この世界から永遠に消滅してしまう。
「……教えれ」
しばらくの沈黙の後、ザボテスが低い声で言った。
「え……?」
「そんコアミラーとやらん場所ば教えれて言いよーとや! 一人じゃ無理なんやろ!?」
ザボテスは叫びとともに棍棒を振るい、周囲を包囲していたレイドラグーン達をなぎ倒す。
榊原はその気迫に一瞬呑まれながらも、力強く頷いた。
「わかった……頼む、豪場! 二人でなら、きっと届く!」
榊原は希望を見出したかのように声を弾ませ、ドラグランザーを呼び寄せる。
その後を追うザボテスの心境は、しかし、榊原のそれとは全く別の色に染まっていた。
「ああ……行こう、榊原」
二人のライダーは、鏡の世界の最深部、全ての元凶が鎮座するという「コアミラー」を目指し、異形の群れの中を突き進んでいく。
(英太……堪忍な)
ザボテスは心の中で謝罪した。
神崎士郎が示した「弟を蘇らせる」という奇跡。それは、彼にとって暗闇に差した唯一の光だった。
だが、その光を掴み取るために世界の崩壊を黙認すれば、あの日英太と約束した「もう一度土俵に立つ兄の姿」を見せる場所すら、この世から消えてしまう。
(お前が戻ってきた時に、空も地面もぐちゃぐちゃじゃ、相撲どころやなかろうもん……)
自分の願いを叶えることよりも、弟が愛した、そしていつか戻ってくるはずの「世界」を守ること。そ
れこそが、元力士・豪場憲之介としての筋の通し方だった。
轟音を立てて疾走するドラグランザーと、火花を散らしながら並走するライドシューター。
二人の仮面ライダーは、鏡の世界の深淵へと続くハイウェイを、異形の群れをなぎ倒しながら突き進んでいた。
上空からはハイドラグーンが急降下し、側面からはレイドラグーンが走行中の車体に食らいつこうと爪を立てる。その凄まじい物量に、一瞬でも速度を落とせば、二人は瞬時に肉塊へと変えられるだろう。
やがて、二人は「コアミラー」が眠るという、渦巻くような巨大な地下トンネルへと辿り着いた。
幸いなことに、現実世界の蹂躙に駆り出されているのか、トンネル内のモンスターの数は比較的まばらで、道は大分手薄に見えた。
「行ける……! このまま最深部まで――!」
龍騎サバイブが希望を口にした、その時だった。
背後から追走してきたハイドラグーンの集団が、死に物狂いでライドシューターの車輪に身を投げ出した。
凄まじい衝撃と共に、憲之介のマシンが横転する。
アスファルトを削りながら数十メートル滑走し、ザボテスの巨躯は激しく壁面に叩きつけられた。
「ぐあああ!!」
「豪場!」
ドラグランザーを一度止める榊原を、地を這い上がったザボテスが鋭い声で制した。
「行け……! 止まるな、榊原ッ!!」
「しかし……!」
「俺に構わず行けて言いよろうが! ここは俺が食い止める!しゃっしゃと、こん悪夢ば終わらせえ! 」
ザボテスは重い鎧を軋ませながら、ゆっくりと立ち上がった。
その背中は、かつて土俵の上で数多の観客を沸かせた時のように、大きく、そして孤独な決意に満ちていた。
「……それと、榊原」
龍騎サバイブの背に向け、ザボテス・憲之介は魂の底から絞り出した、静かな声を投げかけた。
「悪かった……もっと早う、お前に協力するべきやった」
それは、元力士としての礼節。自分を慕ってくれた弟への懺悔。
そして、絶望に振り回されながらも、最後まで世界を救おうとする真っ直ぐな若者への、彼なりの誠心誠意の謝罪だった。
「気にするな……必ず、生きろよ! 」
榊原は仮面越しに叫び、紅蓮の炎を撒き散らしながらトンネルの奥底へと消えていった。
静まり返ったトンネル内に、無数の不気味な足音が響き始める。
一人残されたザボテスの前には、闇から這い出してきた夥しい数のレイドラグーン、ハイドラグーンが、飢えた獣のように立ち塞がっていた。
「さあ来んね……化け物ども。皆、俺が相手しちゃあ……ッ!」
ザボテスはカクトゥバイザーを構え、死力を尽くした最後の「取組」を開始した。