最近のスズカは神がかり的な強さだ。誇張抜きで最強だろう。ゲームを彷彿とさせる無双っぷりで重賞10連勝。
「やっぱり1600mは少し短く感じますね」
そして今日で11連勝。スズカはヴィクトリアマイルを制し、GⅠを5連勝した怪物になった。出てくる感想がソレなのが余裕を感じる。最近はマイルのレースばかりだから、余計に短く感じるのかも。次走の安田記念も1600mだが許してほしい。
レースが終わった直後。トレセン学園にとんぼ返りした俺は、休む暇もなく仕事を片付ける。5、6月のトレーナーは本当に忙しいのだ。通常業務に加えてとにかくレースが多い。あと人によっては夏合宿の準備で忙殺される。
「レースに勝った日くらいは自分を労いなよ」
「できないってわかって言ってますよね、先輩」
部室に遊びに来た先輩も、それは例外じゃない。俺とは違って複数のウマ娘を担当しているのだ。目の下のクマは化粧で隠せていない程度には濃かった。
先輩はスズカの担当を辞めた今でも、定期的に様子を見に来る。スズカは歓迎しているようだが、明らかに仕事の合間を縫って来てるので俺は素直に喜べない。最近は家に帰ることがなくなったからアパートを解約したと言っていた先輩だ。本当に怖い。
先輩がスズカとイチャついてるのを横目に、俺はサクサクと溜まった仕事を処理していく。先輩は俺より5つくらい年上だったはずだが……スズカと並んでいると仲の良い学生同士に見えた。
「次はどれ走るの? もう5月はレースないよね」
「私は走ってもよかったのですが、トレーナーさんにお任せして……」
そこで言葉を区切ったスズカ。戸惑ったように俺を見て、先輩を見て、もう一度俺を見る。
「変な感じですね……トレーナーさんが二人いると」
そう言って困ったようにはにかむのだ。ピタッと先輩が動きを止める。
それを聞いた時の先輩の顔は忘れられない。こう……顔がどろぉっと溶けていた。だらしない感じに。自分が担当から外れた後でもまだトレーナーと呼んでくれるのなら、それはトレーナー冥利に尽きるだろうから。
「スズカぁ~! お前はなんてカワイイやつなんだ! ちゅっちゅっちゅっ!」
「自重してくださいよ先輩」
リップ音だけでも流石にアウトだろ。コンプラ的な意味で。感極まった先輩はスズカから、あはは……と苦笑いを引き出した。
「ダメだ可愛すぎる。もう一回うちに来ない?」
「目の前で引き抜くのやめてくださいよ」
冗談だと思うが、目がわりとガチだ。ダメ元で頼んでるなあれ。もう渡さんぞ。
「いやです」
「えっ」
「いくらトレーナーさんでも、それはダメですよ?」
「Oh……ガード固い……」
あっさりフラれた先輩は、流れるような動作で床に膝をついた。意外にもはっきり断られたことがショックだったらしい。
そんな茶番を眺めながら、俺はキーボードを叩く。夏合宿関連の調整が一向に終わる気配がないな……。学園に提出する書類だけで山のようにあるし。それでも夏合宿はシナリオで最も大切な期間と言って差し支えない。レース漬けの日々から解放されて、バフを乗せまくった練習を踏んだ時の脳汁はヤバい。ドバドバだ。
メガホンでブーストしてアンクルウェイト使って。ホイッスルで人を集めて一気にドカン。エヘヘ、イッショニガンバロウネ!
お守りで失敗率を踏み倒すことも忘れない。
と、ゲームでは最高に気持ちいい瞬間だったが、現実ではそうはいかない。一発勝負で上振れを狙うにはそれ相応の準備が必要なのだ。特にスズカは疲労度を考慮して慎重に慎重に。ウマ娘にとって夏の伸び代は大きなものだ。複数のウマ娘を担当している先輩は、俺の比にならないプレッシャーを感じているだろう。
「そこのところ、実際どうなんですか?」
「何年もやってたら慣れるよね。死ぬほど忙しいけど」
乾いた笑いからは闇を感じる。完全に目が死んでいた。
「後輩くんは今年から大変だよね。マニュアル渡そうか?」
「逆に聞きますけど、流用できそうな資料あります?」
「ないよね……」
トレーナー泣かせのウマ娘、サイレンススズカ。彼女にはセオリーが通用しない。型に当てはめることもできず、ただ己の道を行くのみ。
そんな生粋の先頭民族は、ちょっと目を離した隙にどこかへ走り去っていきそうな危うさがある。だから俺がいるんだけど。
「一応こっちで考えてあります。後で確認してもらってもいいですか」
「もちろん。まあ、無理をさせないのが一番だよね」
俺に限った話じゃない。トレーナーは担当ウマ娘の状態を把握しておく義務がある。体重や体型は当然として、日々の生活や食事を管理するのも仕事だ。
ガチガチに管理するトレーナーもいれば、完全に放任するタイプも珍しくない。俺や先輩は管理寄りの人間だ。
ただしウマ娘にもプライバシーが存在する。特に異性相手に、体重やスリーサイズを把握されることに抵抗があるウマ娘が一定数いるのも事実。
「私がスズカが無理してないか確認してあげる」
やっぱコミュニケーションにおいては明確に同性のトレーナーが有利だ。心理的な壁が少ない。
今の先輩のように、スカートに手を突っ込んで直接トモを確認する、なんて芸当は俺にはできない。コンプラ的な意味で。ウマ娘の状態を確認するのは触診が手っ取り早いのだが、俺だって水着の上から触るのが精一杯だ。
「はいはいはい……普通にバッキバキだね」
「G Iを勝った直後ですよ」
触らなくてもわかる。激走を終えた今は普通に限界だろう。
「明日は一切走らせません」
「あの、トレーナーさん?」
ついでにスズカが勝手に走らないように部室に軟禁する。冗談ですよね、とスズカは勢いよく振り向いた。スズカは体力不足でも平気で走ろうとするから仕方ない。
「そうやって限界を見極めて追い込んでるんだ?」
「そんなやつはトレーナー失格でしょ。かなり余裕は持たせてますよ」
博打する必要がない。失敗率40%の練習を踏むようなやつは、今すぐライセンスを返上するべきだろう。俺は5%……いや15%なら踏んでたけど、今はそれもしない。ウマ娘の人生は取り返しのつかない一発勝負だから。
それを聞いた先輩はスッと目を細めた。今のやり取りでなんとなく試されたような気がする。考えすぎか?
「ふーん。それは安心だね」
「当たり前ですよ」
「トレーナーさん、余裕があるって本当──」
「ほら、面倒臭いことになったじゃないですか」
ここぞとばかりに食いついてくる先頭民族は自重してくれ。先輩も笑ってないで助けて。
「いい感じに制御できてるみたいだね。どこで信頼値を稼いだのかな?」
「あー、もう長い付き合いですから」
俺の生活のほとんどはスズカに侵食されていた。トレーニングがない日も軟禁されているスズカが部室にいる。休日は移動中もずっと一緒だ。積み上げたのは日々の年月ではなく、共有した時間の長さだった。
性格的な相性がいい……というわけではないが、時間の経過は全てを解決した。今ではスズカの表情や尻尾から、ざっくり内心を読み取ることができる。そして知ったのは、スズカが常に走りたがっていること。
「……やっぱり後輩くんに任せてよかったよ。様子を見に来たのは正解だった」
「光栄ですよ……それで、先輩は仕事抜けてきて大丈夫ですか?」
「全然ダメだけど、スズカの笑顔が見れたからよし!」
上機嫌な先輩は、ニッコニコで帰って行った。抱えている仕事は俺より多いはずなのに、ああやって笑えるのは素直に尊敬する。
「なんだか……昔より明るいような……」
「あれは深夜テンションも入ってるだろ」
先輩は仮にもアラサーだからなぁ……。あのテンションを維持するには、きっと何日か寝てないはず。
「さて、そろそろ帰るか? 寮まで送っていくよ」
「一人で帰れますよ?」
俺は優しいから、勝手に走らないように見張るんだよ、とは言わなかった。