さあ、どうしようか。プリン頭は一晩だけ悩んだ。サイレンススズカが感じている違和感。対処を間違えれば再びスランプに陥ってしまうだろう。
とりあえず話すことにした。部室のソファで向かい合って、ファンからもらった美味しいお茶を淹れて。
「不調だな」
「……不調ですね」
「どうしようか」
ぺたりと耳をつけたしょんぼりスズカは、普段よりも元気がない。わかりやすく落ち込んでいた。
原因の見当はついている。勝ちを意識しすぎて、本来の自由な走りが失われてしまったことだ。ゲーム的な表現をすれば、【大逃げ】スキルが【大逃げ……?】になってしまっている。そんな柱を失ったようなフラフラの走りでは、本人も楽しくないだろう。
「一応言っておくが、常に万全なウマ娘なんていない。調子の波は誰にだってあるし、進歩するだけが成長じゃない」
実力が順調に伸びるとは限らない。プリン頭はトレーナーになった2年間で、それを痛感した。怪我やスランプのような深刻な不調だけでなく、ちょっとした違和感がいつの間にか致命的な傷になっていたことも。
レースの世界は栄枯盛衰。魔境トゥインクルシリーズで、常に勝ち続けられる保証はない。そんな修羅の世界でも、ある程度勝ち続けてしまうウマ娘が定期的に現れる。勝って勝って、それでも勝って。誰からも期待されるような、そんなウマ娘が現れる。
栄光を背負って。期待を浴びて。
そのまま沈んでいったウマ娘なら、何人か知っている。
「スズカ。今のお前にとってキツいのは、負けることじゃなくて、勝てなくなることじゃないのか」
勝利を目指すことはどのウマ娘にとっても自然なことだ。しかし、勝ち続けることを意識し始めると、途端に苦しくなる。じわじわとした息苦しさの中で、やがて呼吸ができなくなってしまう。
「勝つための工夫は大歓迎だが、やりたいことを無視してまで勝とうとしなくていい」
サイレンススズカに負担をかけている自覚はあった。行動の自由はあまり与えず、過密なローテで強度の高いレースに出走させる。全てはサイレンススズカの速さのためだが、ストレスがかかるのは間違いない。せめてレース中だけでも、のびのびと自由に走っていてほしかった。
「もっと気楽にいこう。あの頃みたいに、自由に走ればいいだろう?」
プリン頭は、上手いこと諭しているつもりだった。軸がブレているとはいえ、サイレンススズカの目指す景色は変わっていないはず。後はトレーナーである俺が背中を押せばいい。そんな分析は大きくは外れていない。
仮にアプリのサイレンススズカなら、きっとその言葉で再び走り出したかもしれない。ただ、目の前でじぃっとプリン頭を見つめているスズカは、それとは微妙に違う。ずっと無言だった。不気味なほどに静かで、プリン頭の真意を探るように。
「トレーナーさんは……」
そこで言葉が止まった。自分の中でも言葉が固まっていないのか、サイレンススズカは珍しく言葉に詰まっている。やがてゆっくりと、か細い声を出した。
「いえ、ごめんなさい。次はちゃんと逃げ切りますから」
「え」
「私の実力不足です」
?????
何か、深刻なコミュニケーションエラーが発生している気がする。
「待て待て待て待て。そうじゃない。実力は十分にある」
「私は不足していると感じました」
「そうだと思うならそれでもいい。俺がお前を勝ちまで持って行く」
勝ちたいならその思いには応えたい。どれだけ時間がかかっても、大逃げを捨てても、サイレンススズカが望む走りを実現してやりたいと思う。
ただ、今のサイレンススズカは悩んでいる。望みがわからないのであれば、それを共に探すのもトレーナーの役目だろう。
「でもな、勝ちより大切なことがあるんじゃないのか?」
「だって私は……それくらいしかトレーナーさんに返せるものがないですから」
プリン頭は今度こそ言葉を失った。サイレンススズカらしからぬ言葉に、口をぱくぱくさせながら呆然とする。返す? 返すってなんだ。何を返すんだ。
「恩返しさせてください。ここまで導いてくれたトレーナーさんに、私の走りで報いたいんです」
「いや、もう全部返してるだろ」
それがプリン頭の偽らざる本音だった。サイレンススズカがどれだけの恩を感じているのかは知らないが、プリン頭にとっては過剰である。
「違う。違うんだよ。俺はお前から与えられてばっかりだ」
嘘ではない。少なくとも、プリン頭はそう思っている。サイレンススズカという天才を担当できたことは、間違いなく幸運だった。
「一年前、初めて担当ができて舞い上がった。その担当は、GⅠを6回勝って未だ無敗だ」
初めての。たった一人の担当ウマ娘だ。初めてローテを自分で考えて、トレーニングをして、勝利を掴んだ。プリン頭が真の意味でトレーナーになったのは、サイレンススズカと出会ってからだ。
「わかるか? 俺のトレーナーとしての栄光は、全部スズカから貰った。スズカが全部勝った。スズカと一緒に俺はここまでたどり着いた」
ぴんっとサイレンススズカの耳が張った。プリン頭は気づいていない。暗かった瞳が、何かを期待するように光を取り戻したことに。
「全部だ。全部俺たちのモノだ。どちらか片方じゃねぇ。記録も勝利も最初から俺たちのモノだ」
ほとんど叫ぶような声で言い放つ。言い聞かせるように、二度と忘れさせないように。
選択肢は二つあった。
勝利を目指して走るのも悪くはないだろう。サイレンススズカなら、どこまでも高みを目指せるはずだ。一方で、夢を諦めてほしくない気持ちもあった。たどり着きたい景色を、光景を、その憧れを捨てて欲しくない。
どちらを取るのか。プリン頭の中で答えは決まっていた。
これは指導者のエゴだ。だから最初で最後にしよう。サイレンススズカに、決して消えない夢を刻み込もう。
「だからスズカ。お前は勝たなくていい。走って、走って、その先の景色を目指せ」
それはプリン頭の願望だった。押しつけがましいエゴで、それでも伝えるべきだと思ったこと。
「……そうすれば私は、トレーナーさんに報いることができますか?」
誤魔化しは許さないぞ、と。サイレンススズカの瞳がプリン頭を射貫く。それを真正面から受け止めた上で、プリン頭は心からの本心を伝えた。
「俺もその景色が見たい」
「私、トレーナーさんを置いていくかもしれませんよ?」
何かを期待するようにサイレンススズカは問いかける。
「お前がどこまで逃げても、必ず追いつくよ」
その返答は予想外だったのか、サイレンススズカはぽかんとした表情になった。やや遅れてふわりと微笑む。力が抜けた淡い笑みだった。
「それなら安心ですね」
思い詰めた顔をしたウマ娘はもういない。耳をぴこぴこと揺らして、人が変わったように上機嫌だ。やる気が5段階上昇した。
「そうだろ? だから宝塚も頼んだ」
「はい。頼まれました。今度こそ
一週間後の宝塚記念。夏合宿前の最後の戦いが、すぐそこまで迫っている。