(ゲームをやっていた)トレーナーにとって、宝塚記念は印象に残りやすいはず。育成するウマ娘にもよるが、夏休みの直前に必ずと言っていいほど挟まるレース。たづなさんの忠告を早送りして、それでも体力管理をミスったことを後悔しながら臨むレースだ。
基本的に負けない。負けた記憶が無い。
あー、体力少ないな、とか。アイテム買えたっけ、とか。そんなことを考えながらレースの結果だけを見る。特に思い入れもないレース。
しかし現実ではどうか。宝塚記念の難易度は、他のGⅠレースを遙かに上回る。ファン投票ということもあって、世代を彩る実力者達は無理やりにでも宝塚へ照準を合わせるのだ。結果的に出来上がったのが今年の宝塚記念。率直に言って人外魔境。
史実に疎い俺でも、その結果は知っている。たしかスズカが一着で、ステイゴールドが二着に食らいついたはず。
「やっぱステイゴールドか」
外からステイゴールドが上がってきた。くせ者揃いのトレセン学園でも、未だ謎多きウマ娘。放浪癖がひどく、ほとんど寮に帰っていないらしい。……微妙にネームドっぽいんだよなぁ。いずれ実装されたりするのだろうか。
『第4コーナーから直線! ステイゴールドが上がってきた!』
全てが史実通りに進むわけではない。仮に前世でもサイレンススズカが無双していたのなら、流石に俺も覚えているはず。そもそもウマ娘って史実を荒らしまくって勝ちまくるゲームだからな。必要があれば距離適性すら超越してレースに出走する。
そういえばこの世界には因子継承はあるのだろうか。スピードの向こう側にたどり着くには中距離Sは欲しい。あとアンスキも積みたい。
「……無くても勝てるか」
俺だって必要以上に勝敗にこだわるつもりはないが、スズカが目指すのは最速なのだ。他のウマ娘より遅いようでは話にならない。つい先週まで迷走していたスズカも、今は堂々とした足取りでターフを駆けている。
俺は勝利に一喜一憂するつもりはない。レースが始まれば俺にできることは何もないので、こうしてリラックスして観戦できる。手に汗握るような接戦はあった。負けるかと思った時もあった。それでもスズカは全部勝った。だからまあ、大丈夫だろう。
不調になった時はちょっと焦った。連続出走のつけが回ったのかと思った。恐る恐るハンドクリームを用意していたが、杞憂だったようだ。恩返ししたいと言われた時は面食らったけど、自分のために走れと言った。
それが俺の本音だったし、スズカのモチベーション的にも間違っていないはず。勝ちを意識した瞬間に不調になるとか……先頭民族は繊細すぎて困る。
「あいつにとっては長所の裏返しだろうな……」
一つも欠けてはならない繊細なバランスの上に、スズカは立っている。精密機器のようなウマ娘だ。感覚が狂えば大きく弱体化するし、一方でギアが噛み合えば爆発的な出力を誇る。大逃げ自体がピーキーな存在だからなぁ。ハマれば強いが。
『サイレンススズカ! やはりサイレンススズカか!!』
そしてハマれば勝てる。ステイゴールドを押し切って余裕の一着だった。
◇
4バ身差、というのは近いようで遠い。
ゴールの直前。ステイゴールドの瞳に映ったのは、自身の遙か先でゴールするサイレンススズカの姿だった。
1バ身を2.5メートルだとすれば、4バ身差で10メートル。圧倒的な距離の開きである。ステイゴールドが脚を振り絞った結果が、その差だった。
一方でウマ娘なら1秒あればそれくらいの距離を走れてしまう。時間に直せばたった1秒にも満たないその差が、果てしなく遠い。
(……まさかここまでとは)
予想外の形で裏切られた、というのがステイゴールドの感想だった。最後の直線で詰め切れると判断した。しかし気がつけばとんでもないリードが生まれていて、その差を覆すことができなかった。
あるいは安田記念以前のサイレンススズカなら、影は踏ませたかもしれない。ステイゴールドが末脚を爆発させ、サイレンススズカが追われながらも逃げ切る。そんな未来があったかもしれない。あるいは、そのままステイゴールドが勝った未来も。
ステイゴールドは肩で息をしながら、ぼんやりとターフを歩くサイレンススズカを見つめる。その姿がどうしても危うく感じてしまうのは、記憶の影響でバイアスがかかっているからだろうか。
(……それでも、流れは変わる)
ステイゴールドはあるべき流れを知っている。そしてその流れが簡単には変わらないことも。勝負が始まる前からある程度は決まっている。
エリザベス女王杯は……いや、サイレンススズカが勝ったか。
マイルCSはタイキシャ……いやサイレンススズカだった。
大阪杯なら……これもサイレンススズカだった。メジロドーベルは泣いてもいい。
安田記念は今度こそタイキ……やっぱりサイレンススズカだ。
(なんだこれ。ただ強いだけなのか……?)
強いことが必ずしも幸福だとは限らない。たった一度の事故で全てがひっくり返ることもある。そんな悲劇は、残念ながらありふれた不幸だ。
(今が幸せなら……案外なんとかなるかもな)
未来のことは、ステイゴールドにはわからない。
とりあえず毎日王冠はサイレンススズカの単勝に全ブッパでいいか。金に困っているわけではないが、馬券があるなら買い占めているところだ。ナカヤマはそういうのが嫌いそうだが。
(それは流石に冗談だとして、無事でいてくれれば十分だが……あんたはそうじゃないだろう?)
難儀なウマ娘だ。見ていて危なっかしい上に目が離せない。それでいて圧倒的に強いのだから、ステイゴールドとしても対処に困る。
過干渉はステイゴールドの美学ではない。ましてやサイレンススズカは他人だ。深く踏み込むのは避けたいところだった。せいぜいできるのがアドバイス程度。それも先輩として、やりすぎない範囲に限る。助かってほしいだけで、別に助けたいわけじゃないのだ。
(トレーナーくらいには……会ってもいいかもな)
サイレンススズカの相方であるプリン頭の男。あのサイレンススズカが相当入れ込んでいるという事実に、ステイゴールドは興味をそそられる。旅立つ前に一度は会いに行ってもいいだろう。
「スズカ!」
ステイゴールドはサイレンススズカに後ろから近づいていく。未だにトリップしている後輩の背中をバシリと叩いて。
「いいレースだった。速くなったな」
「っはい。私、まだまだ速くなりますよ」
「……ほどほどにな」
頼もしい後輩だ。最後まで不安にさせてくれる。
「次は秋天でやろう。無茶だけはするなよ」
「ええ。ステゴ先輩も、お元気で」