5連続出走だ! ダービー!!   作:首領ドラコ

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天皇賞・秋

 秋の天皇賞。東京で開催される2000mのレースだ。スズカが初めて獲ったGⅠレースである。あの頃は今ほど余裕はなかった。大逃げというロマン脚質で、トゥインクルシリーズに風穴を開ける。そんな大層なことを考えていたわけではないが、あの勝利がなければ今のスズカは存在しないだろう。

 

 

 気持ちいいくらいの快晴だ。秋のカラッとした空気が逸る気持ちを静めてくれる。本当に晴れてよかった。

 

 

 あらゆる要素がスズカに味方している。得意な左回りのレースで、一枠一番。逃げにとっては特に有利になるが、スズカならその恩恵もさらに大きい。普段なら大外でも無理やり逃げていたので、単純にロスが減ったということだ。

 

 

「トレーナーさん。私はどう走ればいいですか?」

「いつも通りだ」

 

 

 控え室から出る直前、スズカは一度だけ振り返って俺の指示を仰ぐ。ルーティンのようなものだ。スズカには細かな戦術も場当たり的な対応も必要ない。極めて原始的な方法で勝つ。

 

 

「全力でいけ。満足できるまで」

 

 

 無理するなよ。飛ばしすぎるな。落ち着いていけ。

 そう言おうとして、やめた。スズカの勢いを削ぐようなことは言うべきじゃない。俺たちが今までやってきたことを、否定するような言葉を吐くつもりはない。

 

 

 コンディションは万全。毎日王冠が終わり、三週間の間で十分に脚を休めることができた。ウォームアップを済ませ、今すぐにでも走り出せる状態だ。

 

 

「はい。行ってきます」

 

 

 自然体でふわりと微笑んだスズカ。いつも通りだ。何もかも。まるで散歩にでも行くような気楽さで控え室を後にした。

 

 

 

 

 

 

 ◇

 

 

 

 

 

 サイレンススズカにとって、レースとはさほど特別なものではない。あくまでも日常の延長だった。食堂でお気に入りのメニューが出たとか、授業で小テストが行われたとか、それくらいの頻度で訪れるイベント。

 

 

 そんなイベントで、毎回のように力の全てを振り絞っている。スピードの上限値を少しずつ更新するような地道な作業。何度勝っても終わりの見えない苦行を、サイレンススズカは間違いなく楽しんでいた。

 

 

『今日も先頭だ! サイレンススズカ!!』

 

 

 レースは静かにスタートした。日が沈めば夜が訪れるように。雪が解ければ花が咲くように。サイレンススズカがハナに立つのは、今さら言及することでもない当たり前の現象である。

 

 

 事実として、サイレンススズカが最後にハナを奪われたのはクラシックの11月。マイルCSでのことだった。大逃げを敢行するサイレンススズカに対して、キョウエイマーチが無理やり被せたのが最後。そこからサイレンススズカが先頭を譲ったことはない。

 

 

 最初に先頭を走って、中盤も先頭。最後まで先頭で駆け抜ける。それがサイレンススズカの必勝パターンだ。どんなレースでも、誰が相手でも。サイレンススズカは同じように勝った。

 

 

 当然の権利だと言わんばかりにぐんぐんと加速していく。先頭の景色を噛みしめるようにして。

 

 

(もっと遠くまで進めそう……)

 

 

 脚が軽い。翼が生えたようだ。

 サイレンススズカは笑ってしまうくらい快調だった。澄み切った視界はどこまでもクリアで、どこまでも進んで行けそうな気がする。

 

 

 相変わらず他のウマ娘のことは意識外に放り出してしまった。例によって自分の世界にずぶずぶと沈んでいったサイレンススズカは、走るために不要なノイズを丁寧に切り捨てていく。

 

 

 針で刺されたように肺が痛む。ならその痛みは要らない。脚に溜まった疲労感も全部捨ててしまおう。

 

 

 そうやって軽くなった脚で、サイレンススズカはさらに加速する。スピードの向こう側にたどり着くために段階的に加速していく。一つ一つ丁寧にリミッターを外すように。大逃げとは、実のところそのための走法だった。

 

 

 周囲のウマ娘の干渉を受けず、淡々とスピードの上限値を更新していく。そんなレースを何度も繰り返し、それでもサイレンススズカはまだ見ぬ景色を追い求めている。

 

 

『サイレンススズカがハナを進む! リードは10バ身くらいか!』

 

 

 無視できない差が生まれている。他のウマ娘は必死に距離を縮めようとするが、サイレンススズカのリードは揺るがない。

 

 

 ウマ娘は、競り合うことで強くなる。闘争心を火種にガッツを燃やし、身を焦がすような熱を纏ってしのぎを削る。するとウマ娘はいとも容易く限界を超えるだろう。レースの中で互いを高め合い、競った上で雌雄を決する。それが覚醒の条件だ。

 

 

 一方でサイレンススズカは闘争心をあっさりと手放した。誰とも競わずに、何もかもを置き去りにして速くなる。ライバルとの劇的なドラマは生まれない。あくまでクールに、ドライに、望む景色を手に入れようとする求道者。

 

 

 ……世間ではそのように思われている。

 

 

「やっぱあいつがクールキャラなの意味わからねぇな……」

 

 

 プリン頭は納得がいかなかった。あれはどう見ても天然先頭民族である。外見こそ深窓の令嬢のような雰囲気だが、詐欺のようなものだ。あのぽやぽやしたウマ娘をクール系で売っていこうとしても、先頭魂の主張が激しすぎる。

 

 

 周囲をちらりと見れば、サイレンススズカのグッズで埋め尽くされていた。どこを見てもサイレンススズカのぬいぐるみと目が合うのは、ちょっとした気味悪さすらある。中にはミーハーも混じっているだろうが、それくらいサイレンススズカの人気は凄まじい。プリン頭が自覚している倍──サイレンススズカが自覚している10倍は凄い。

 

 

「他とも引けを取らないくらいアツいやつなのに」

 

 

 澄ました顔で走っているサイレンススズカも、その中身はぐつぐつとマグマのように煮えたぎっている。無限と思われる推進力が、今にも爆発しそうだ。そんな燃えるような胸中にそっと落とし蓋を被せるようにして、噴火の時を待っている。

 

 

 サイレンススズカの覚醒の条件はシンプル。スピードに乗った状態で、後続を突き放したまま第4コーナーを曲がること。

 

 

『サイレンススズカ! 大ケヤキを通って4コーナーへ! 後ろとはまだ距離があります!』

 

 

 サイレンススズカはペースを守らない。脚を溜めない。ただ、煮えたぎる熱の爆発を残している。

 

 

 普段とは違う感覚があった。余力を残した覚えはないのに、ギアをもう一段階上げられる気がする。ここだ、とサイレンススズカは直感した。もう一つリミッターを外せば、スピードの向こう側にたどり着ける。きっと今までのどんなレースよりも苦しいだろうけど。

 

 

 普通ならサイレンススズカはギアを上げることに躊躇わない。そんな彼女が一瞬でも考えたのは、自分の想いを共有する人物を思い出したから。

 

 

(トレーナーさんなら、なんて言うかしら……)

 

 

 好きに走ればいい、と言うのだろう。普段は走らせないくせに、レースになればサイレンススズカに全てを委ねる。夢を見失った時でも、立ち止まって一緒に考えてくれる。最後にはその選択の全てを肯定してくれる──

 

 

 今度こそ迷わなかった。

 全力で脚を踏み出せば、周囲の景色がどろりと溶け合っていく。誰よりも速い世界へ。サイレンススズカが望んだ、彼女だけの世界へ。

 

 

 最初に音を失った。

 風の感触も、跳ね返るターフの硬さが消えた。

 全身の疲労感が抜け落ちていく。

 

 

 傍目から見て劇的な変化があったわけではない。それでも、サイレンススズカは望んだ景色を手に入れたのだ。

 

 

(これは……もっと走っていたくなる……)

 

 

 サイレンススズカにとって意外だったのは、夢を叶えた自分が満足しなかったこと。喜びはあった。達成感も。それよりも、今はただ走り続けたい。

 

 

『サイレンススズカ独走! 堂々の一着です!!』

 

 

 そんな景色をサイレンススズカが構築できたのは、ほんの一瞬だけ。長時間維持するにはまだ実力が足りないと感じた。それでもサイレンススズカは新たな領域へと足を踏み入れたのだ。

 

 

 夢見心地でゴールした後、ぼんやりとターフを歩く。

 

 

 少し歩いて、ばたりとうつ伏せに倒れた。力が抜けたようにごく自然に。まるで初めから決まっていたように、気づけば倒れ込んでいる。そこで体に力が入らないことに気づく。忘れていた痛みを取り戻したところで、右脚が特に痛む。それこそ経験したことがないくらいに。

 

 

 なぜ、と自問自答しても思考にモヤがかかってその先に進めない。沼に沈んでいくように、ゆっくりと意識が遠のいていく。

 

 

 観客のどよめきがやけに遠くに聞こえる。ターフの冷たさを感じながら、サイレンススズカはすっと眠りについた。

 

 

 

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