スズカのトレーニングに割ける時間はあまり多くない。週末はレースのために全国を飛び回るので、トレーニングは平日に行う。
朝練はナシ。スズカは朝に走りたがるので。
昼休みもナシ。スズカが走りたがるので。
よってトレーニングは放課後に集中している。が、あまりハードなトレーニングはさせられない。スズカはレース直後で消耗しているからだ。
ゲームをしていたならわかるが、三連続出走なんてした次のターンには、体力が枯渇している。そこで失敗率何十パーセントの練習を踏むなんて正気の沙汰じゃない。大人しくお休みするか、玉座とお出かけするのが吉だ。もう一度レースに出るという選択肢もある(カス)。
だからトレーニングは脚に負担をかけない前提で組んでいる。ストレッチは柔軟性を伸ばし、怪我を防いでくれる。ついでに体幹も鍛えられるので一石二鳥。そしてプールトレーニングは、脚に負担をかけずにスタミナを鍛えることができるので最強。
俺の体感だが、この二つの練習メニューは体力消費がない(少ない)チート練習だ。体の負担を全身に分散させることで、実質的に負担を軽減しているというのが正しい表現だが。ともかく、俺はこの二つの練習をこれでもかと繰り返している。
あと座学は体力が回復する神練習(ゲーム基準)なので毎日行っている。
「その……長くないか? ストレッチ」
突然トレーニングに乱入してきたのは、我らが副会長のエアグルーヴ。見学がしたいと言われたのですんなり通したが、今はスズカと仲良くトレーニングしている。
エアグルーヴの感想はシンプルだった。一時間を超える柔軟、体幹トレーニング。どれもマットの上で行われる地味なトレー二ングだ。スズカは物足りないのか、今にも走り出したそうにうずうずしている。
「! ええ、私もそう思うわ!」
「……うちの担当をそそのかすのは止めてくれ。ようやく大人しくなってきたんだ」
俺が担当し始めてすぐの頃は、トレーニングをぶっちして走りに行っていた不良スズカである。走りもしないトレー二ングに嫌気が差したらしい。そんな走行中毒者が更生したのは割と最近のことだった。尻尾は忙しなく揺れるが、それでもじっとして柔軟ができるようにまで成長した。
「柔軟性が上がれば怪我のリスクも減る。それに体のしなやかさは、結果的に速さに繋がるんだよ」
何百回も説明してきたことだ。最終的に速くなるのであれば、スズカは黙って従う。自分の速さに繋がるとわかっていれば、退屈なトレーニングも我慢できるらしい。やっぱ走行中毒じゃねーか。
その点、エアグルーヴは優秀だ。体も十分に柔らかく、筋肉のバランスも理想的。クラシック級にしてすでに完成されている。オークスの覇者は伊達じゃない。
そしてストレッチが終われば、水着に着替えてプールトレーニングだ。実を言えばプールトレーニングはあまり人気がない。陸の練習が優先されるのと、一部のウマ娘はプールを嫌うからだ。雨の日は別だが、予約なしで利用できる程度には過疎っている。
「しかしなぜプールにこだわる。スズカも走りたがっているだろう」
だからこそエアグルーヴも引っかかるのだろう。プールトレーニングを延々と擦り続けるトレーナーがいると聞けば、そいつはやべーやつだ。
「スタミナを伸ばしてる。大逃げは体力と根性でゴリ押している節があるからな。膝に負担がかかりにくいプールトレーニングは理想的なんだよ」
「……そういうものなのか」
まだ半信半疑といった様子だ。エアグルーヴの感性は正しい。一切走らせないトレーニングで、果たしてウマ娘は速くなるのか。ぶっちゃけ不可能だ。
「たしかにスズカは勝利を重ねているが、あの大逃げは天性のものだ。生温いトレーニングを続けていればいつか足を掬われるぞ、貴様」
プレッシャー。レース中のウマ娘が放つような圧力を全身に受ける。険しい目をしたエアグルーヴは、俺に忠告したいのだろう。
「いいやつだな、お前」
「……何?」
「それを言うためにわざわざ来たんだろ? 俺がスズカの才能を持て余さないかどうか心配してるわけだ」
それを指摘すると、エアグルーヴは一気に静かになった。
面倒見がいいやつだ。一応スズカはライバルなはずだがな。
「……図星か。心配しなくても、必要なことはしているさ。たしかに陸上のトレーニングは効果的だ。単純なスプリントやスタートの練習。コーナリングやペース配分など。それらは実際にコースを走ることで養われる感覚だ」
「そうだ。スズカにも芝を走る練習が必要なはずだ」
俺はそうは思わない。メイクラシナリオでは、練習するよりもレースに出る方が、最終的な評価値は上だった。それはレースに出ることで大量の
この
あくまでゲーム的な表現だが、現実でも同じような考え方はできる。スズカはスタートが上手いが、これは『集中力』のスキルを持っているから。左回りが得意なのは『左回り○』を持っているからだ。
「これは持論だが、最も技術的な成長が見込めるのは、継続的にレースに出走することだ」
練習は本番に近い環境で行うのが効果的だ。なら、本番そのものを練習とするなら?
「あの連続出走には意味があったのか」
「ああ。ただ、薄々気づいてると思うが、スズカはレースの勝ち負けにさして興味がない」
エアグルーヴも心当たりがあったのか、軽くうなずいた。ウマ娘としては珍しいが、スズカは本当に興味がないのだ。
「ただし集中を欠いているわけでもない。スズカの本質は『先頭を誰よりも速く走ること』だ。それだけに注力している」
「知っているさ。ある意味で純粋なんだ……スズカは」
◇
サイレンススズカは先頭を誰よりも速く走ることで、結果的にレースに勝っている。この順序を間違えると、いつまで経ってもサイレンススズカの本質は掴めない。
エアグルーヴはそれを正しく理解しているし、目の前のプリン頭のトレーナーも把握していると考えている。意外なことに、このトレーナーはサイレンススズカに対する解像度が高い。エアグルーヴにはサイレンススズカの親友であるという自負がある。人間関係に無頓着なサイレンススズカと長く付き合えているのも、彼女の性質を理解しているからだ。
サイレンススズカというウマ娘は担当するトレーナーにとっては厄介だろうとエアグルーヴは考える。なにせレースの勝敗に無関心なバリバリの感覚派ウマ娘である。指導以前に、モチベーションを保つのが難しい。
その点、このプリン頭は上手くやっているように見える。半グレ大学生のような見た目に反してコミュニケーションは良好。口調は荒いが道理をわきまえている。
そしてサイレンススズカからの信用も得ている。
走る練習が全くないにもかかわらず、あのサイレンススズカが大人しく従っている。その事実だけでトレーナーとしての手腕が窺い知れるというものだ。
「──話を戻すが、スズカは勝つために走ってるわけじゃない」
先頭にこだわりはあるが、とプリン頭は付け加えた。やはりこのプリン頭はサイレンススズカのことをよく理解している。
「あいつの夢はレースにはない。『速さ』という果てしない道のりの途中なら、レースすらも練習の一部だ」
そこでエアグルーヴは悟った。サイレンススズカとそのトレーナーは、
トゥインクルシリーズは世界最高のエンターテイメントで、ウマ娘の全ての栄光が詰まっている。
一度も重賞に出ないまま引退するウマ娘がいる。偉大な記録を、怪我によってかき消されたウマ娘がいる。なんてシビアで、苛烈で、尊い世界。
決して平等ではない。決して公正ではない。だからこそ、エアグルーヴはその競争を美しいと思う。ウマ娘にとってレースとは、そんな競争を己の手で終わらせる場所を言う。
「……1%だ」
「何?」
「GⅠレースに出走できるウマ娘は、全体の1%にも満たない。貴様が感じているよりも、ウマ娘の競争は過酷だ」
言うまでもないが、GⅠレースは格が違う。最高格のGⅠに出走することは、ウマ娘にとって大きな意味を持つ。
たとえば、ウマ娘はGⅠレースへの出走が決まったタイミングで勝負服が制作される。勝負服を着ないまま生涯を終えるウマ娘など、それこそ掃いて捨てるほど存在する。
勝負服を手にするのは一握りのウマ娘のみ。その栄誉は想像を絶する競争の果てに存在し、GⅠというレースの格を物語っている。
「貴様らは、GⅠすらも練習だと嘯くのか?」
レースを軽んじるのは、いい。サイレンススズカの実力とポテンシャルを考えれば、重賞を勝つことなど造作もない。
だがGⅠは駄目だ。あの栄光を汚すことなど、あってはならない。あのレースは誰にとっても特別でなくてはならない。
「わからん」
エアグルーヴの詰問にも近い問いに対して、プリン頭が出した結論はシンプルだった。GⅠに出たことがないから、わからない。
厳密に言えば、プリン頭はGⅠの栄光を正しく認識している。彼もまたトレーナー側の競争を勝ち抜いてきた猛者であり、勝負の世界で勝つことの難しさを痛感している。
ゲームではボタン一つでGⅠを勝利していたが、その裏には血が滲むような努力があったことを知っている。
しかしサイレンススズカの考えていることはわからない。プリン頭は最近バタフライに磨きがかかってきたサイレンススズカをちらりと見て、やはり首をひねる。うちの担当バはGⅠの栄光とか、シビアな競争とか、それらを意識している様子がないからだ。
ただ自分の速さを追い求める利己的な求道者。シンプルにタチが悪い。サイレンススズカがGⅠの舞台でどんな走りを選択するのか。何となく結末は読めているが。
「秋天だ」
「……何?」
「いや、次のレースで嫌でもわかることになるさ」
天皇賞・秋。サイレンススズカが次に出走するレースはGⅠだ。そしてエアグルーヴの次走でもある。
「そこで俺たちの……そうだな。スタンスをはっきり見せられると思う。あいつが何を思ってレースに臨んでいるのか、俺たちは何を目指しているのか」
プリン頭はまだ迷いを残している。自分がセオリーから外れていることを自覚しながら、それでも勝てる選択をしてきたつもりだ。このまま『大逃げ』を貫くことが正しいのか。連続出走させるという方針はサイレンススズカのためになっているのか。
その答えは、GⅠという舞台で証明されることになるだろうと、プリン頭は予感していた。天皇賞・秋こそが分水嶺であると。
「いいだろう。しかし……生半可な覚悟なら、その仕掛けごと踏み潰すぞ」
「受けて立つさ」
本人のいないところで盛り上がる二人。黙々とバタフライを続けるサイレンススズカには、実質的な宣戦布告など耳に入らなかった。