スズカはまた速くなった。
GⅠ初勝利は圧倒的な内容だ。2バ身差をつけた余裕の勝利である。ただし走っている本人に余裕はなかったが。余裕のあるスタート、ぐんぐん伸びた中盤、減速しつつも最後まで走り抜けた終盤。理想的な逃げ方だったと思う。
本人はとても満足そうにしていた。秋天の余韻が抜けないのか、ぼんやりとした表情でトリップしている時がある。スズカ曰く、良い感覚を忘れないうちに次へ行きたいです、とのこと。ウマ娘の願いを叶えるのがトレーナーの役目だ。とりあえず二週連続でGⅠに出走できるように取り計らった(有能)。
しかし過密なスケジュールではスズカの負担もバ鹿にならない。特に大逃げは全ての体力を絞り出すような走り方なので、加減ができないのだ。だから脚に負担をかけるようなトレーニングは全面禁止ね。
「トレーナーさんは意地悪だと思います」
「よくわかってるじゃないか」
走りたいスズカを走らせないのが俺の役割。駄々をこねるスズカを宥め、いつものようにプールトレーニングへと誘導する。不服そうな顔をしているが、最近はあらかじめ水着を下に着るようになったことを俺は知っている。つまり茶番だということ。
「相変わらずだな、貴様らは」
呆れたような顔をしているのは、我らがエアグルーヴ。プールでエンカウントするとは珍しい。
「すまない……私は貴様らを侮っていたようだ」
開口一番に詫びられたので、俺は別にいいぞと笑っておく。スズカと直接走ったことで、エアグルーヴも何か思うところがあったらしい。
「と こ ろ で」
「あ?」
それはさておき、と詰め寄ってくるエアグルーヴ。何か睨まれるようなことでもしたか?
「あの会見はなんだ!? 連続出走だとたわけぇええええ!!!」
「ほ、本人と相談した結果だ」
「スズカを連れてこい(強制)」
その後、プールの隅で三者面談が始まった。エアグルーヴの気迫に押されながら、俺がいかにスズカの意思を尊重しているのかを懇切丁寧に説明した。スズカからの援護射撃もあって、とりあえずその場では納得したっぽい。
GⅠレースに出まくると宣言したので、俺は手続きを粛々と進めている。レースの手続きは言うまでもないが、毎週のように遠征するのでホテルの確保や学園側に提出する書類など、面倒な雑事が山のようにあるのだ。
中央のトレーナーは基本的にクソ忙しい。担当バに合ったトレーニングプランを立て、現場で監督していれば半日は消し飛ぶ。そこから目標レースに向けての調整・研究を一手に担う。ライバルとなるであろうウマ娘を徹底的に調べ上げ、正確な情報の元で戦略を練る必要がある。この情報収集と研究が死ぬほど時間がかかる。
スズカは他のウマ娘の3倍くらいレースに出るので、俺は3倍のレース対策が必要だ。スズカは大逃げ一本で戦うので戦略もクソもないが、それでも他のウマ娘の研究は欠かすことができない。過去のビデオを何度も見返し、有力なウマ娘の情報を集めていく。脚質、適正距離、気性、は最低限として、得意なパターンや戦術を洗い出すのだ。直近の調子や仕上がりも押さえておく必要がある。
これくらいトレーナーなら絶対にやってることだが、秋天→エリ女→マイルチャンピオンシップというGⅠラッシュのせいで、対策に手が回らなくなってきたのも事実。
「まあいいか。対策なしでもスズカが爆走すればいいし」
スズカは他のウマ娘の影響を極端に受けづらい。先行や差しなら他のウマ娘との駆け引きやポジショニングの関係で、競り合うことになる。逃げと追込も同様。
だがスズカのように常軌を逸したリードを築くと、もはや物理的に届かないのだ。誰にも干渉されずに悠々と一人旅。だから細かい戦術は必要ない。
「……晩飯まで一眠りするか」
忙しすぎてここ最近は睡眠時間を削っている。出先のホテルで溜まっていた事務作業を終わらせた俺は、そのままベッドイン──
「トレーナーさん。私です」
──眠りを妨げるチャイムの音。ドアスコープを覗くと、案の定栗毛のウマ娘がそこにいた。俺たちはエリ女に出走するために京都を訪れている。
「夕食なんですが……外で食べませんか?」
まさかの夕飯のお誘いだった。これは素直に意外だな、と思う。走ること以外への興味が薄いスズカだが、旅先でうまい飯を食うという欲求はあったらしい。一人で適当に呑む予定だった俺は、上着を羽織って京都の町へと繰り出した。11月の頭ということもあって普通に肌寒い。
隣を歩くスズカは平気そうだった。ウマ娘は人間よりも体温が高いというが、多少の寒さならビクともしないらしい。
「で、どこに行く?」
「ここからだと少し歩くことになりますが……」
そこでスズカは言葉を切った。ぴたりと足を止めて、神妙な表情で切り出す。
「走ればすぐです」
「なんでだよ」
はい走行中毒。
出先でも構わず走りだそうとするのは、もはや本能に近いなにかを感じる。
「京の町を駆け抜けるわけにもいかねーだろ」
「……そうですか」
ごく当たり前の事実を指摘すると、シュンっとなるスズカ。ゲームならやる気が下がっていたところだろう。ちなみにスズカは走れないことでフラストレーションが溜まっていくが、待ちに待ったレース直前になると、そのフラストレーションが解放されることでやる気が三段階上昇する(チート)。
現実には体力を回復するビタージュースも、やる気を上げてくれるカップケーキも存在しない。担当バのモチベーションを維持するのもトレーナーの仕事だ。とはいえ、俺の方針は基本的に抑圧からの爆発なので、好き勝手やらせるのも違う。特にスズカは束縛も管理も嫌うような自由の徒だ。つまり厳しいだけじゃ絶対に駄目で、飴を交えて上手く管理するコツがいる。
駆け足程度ならいいぞ、と伝えるとスズカは駆け足(ウマ娘基準)で駆け出した。最近ますます磨きがかかってきた加速力を無駄遣いし、あっという間に夕日の向こうへと消えていく。ガキがよぉ……明日はレースだぞ。
◇
「トレーナーさん。私はどう走ればいいですか?」
レースの日はすぐにやってきた。エリザベス女王杯は右回りの2200mで、適正は申し分ない。秋天からは二週間しか経っていないが、その間はほとんど脚を使わせてないので消耗も回復しているだろう。
スズカがパドックに出る前にいつものルーティンをこなしておく。細かな戦術も調整も、スズカには必要ない。とにかく速く駆け抜けたい、という本人の意思がどこまでも遠くへ連れて行ってくれる。
「好きに走ればいい」
勝利よりも記録を。
記録よりも景色を。
スズカはまだ見ぬ景色のために走っている。無理やり言語化するなら、スピードの向こう側だろうか。完全に理解することは当人以外できないだろう。ただしトレーナーとして最後まで付き合うことはできる。
ウマ娘の望みを叶える。たったこれだけのシンプルなことが、果てしなく難しい。あらゆるトレーナーが四苦八苦し、今も必死に藻掻いているだろう。このレースだって、勝利を狙うウマ娘と、その数だけの望みがある。
「悪いが、それでも勝つのはスズカだ」
幸運だったのは、スズカに走りの才能があったことだろう。まるで秋天の再放送のように、ぐんぐんと開いていく差を観客席から眺める。
スズカはあっさりとエリザベス女王杯を獲った。