エリザベス女王杯を制したサイレンススズカだが、息つく暇もなく次のレースが待っている。二週連続での出走となったのはマイルCS。同じくGⅠである。
しかし、あっさり勝てたエリザベス女王杯とは違って苦戦するだろうというのがプリン頭の予想だった。
まず距離が悪い。マイルCSは1600mだが、これはエリザベス女王杯よりも600m短いのだ。急激な距離の変化で、当然感覚は狂う。その差が600mともなればもはや別の競技だ。
そして1600mはサイレンススズカにとって短い。序盤から中盤にかけて大量のリードを稼ぐのがサイレンススズカの必勝パターンだが、その中盤が短いことは間違いなく不利に働くだろう。
そして相手も悪い。タイキシャトルは生粋のマイラーである。彼女の土俵で戦うとなれば、サイレンススズカですら食われかねない。そして桜花賞を制したキョウエイマーチ。その血統が持つポテンシャルは計り知れないだろう。
「いつも通りだ。最初からハナを奪って突き進め」
それらを踏まえてプリン頭は結論を下した。絶対にとは言わないが、十分に勝てる範疇だろうと。それに、上り調子であるサイレンススズカに対して、その勢いを削ぐような言葉をかけたくなかった。
サイレンススズカを見送ると、プリン頭はいつものように観客席に座る。普段と違うのは、やたら周囲からの視線を感じることだろう。サイレンススズカの注目度は、今ではトゥインクルシリーズ全体でもトップクラスである。直近のGⅠを2連続で勝利したことで、すでに中距離最強との呼び声も高い。何よりも、大逃げは見る者にとって強烈なインパクトを残した。
そしてそのトレーナーも、例の会見で一気に注目されるようになった。その特徴的な容姿のせいで、ネットでの呼称がプリン頭で固定され、トレードマークのように扱われている。
プリン頭は若干の居心地の悪さを感じながらもレースに集中する。レースが始まってしまえばできることは何もない。しかし目をそらすという選択肢は端から存在しないのだから。
『今ゲートが開いた! 先頭を進むのはキョウエイマーチだ!』
「は……?」
プリン頭は目を疑った。サイレンススズカがハナを奪われたからだ。いや、サイレンススズカは大外なのだから、スタートは不利だ。それはいい。ただの逃げなら途中で抜けばいいのだから。
しかしキョウエイマーチは速度を緩めずにサイレンススズカの前を走る。尋常ではないペースで。後ろにサイレンススズカをくっ付けたまま、二人だけがバ群の引力から抜け出した。
「被せてきたか……!」
キョウエイマーチの後ろにぴたりと付けたサイレンススズカだが、別に二番手を容認しているわけではない。抜かそうにも、抜かせないのだ。ペースを無視した破滅的な走り──他のウマ娘から見たサイレンススズカのような走り──はキョウエイマーチの意地とプライドだった。GⅠを制した逃げウマ娘が、サイレンススズカの道を殺すために。それだけのために自分の走りを捨てた。
無茶だろうな。プリン頭は驚きながらも冷静に判断する。あの走りは一朝一夕で再現できるようなものではないし、いずれスタミナが尽きる。しかし万が一、サイレンススズカを振り切って逃げてしまうかもしれない。そんな考えがよぎる程度には、1600mは
「思いついてもやらねぇだろ普通」
誰もが最初に思いつくサイレンススズカ対策。それはサイレンススズカのペースに合わせて走ること。物理的に干渉できない距離まで離されるのなら、無理やりにでも付いていけばいい。前を走ることができればさらに良いだろう。
サイレンススズカは、ほどなくしてプリン頭と同じ結論に至った。無茶は長く続かないだろう。ただ、その前に勝負が終わっている可能性もある。つまり残り1000m──どこかのタイミングでキョウエイマーチを抜き去るのが勝利条件。
サイレンススズカは勝利に対する執着が薄い。ただし自分の前を走られることには人一倍敏感であった。紛うことなき先頭民族である。キョウエイマーチに前方の視界を封じられているという事実に、イラァ……っとしていた。こうなってしまうと、他のウマ娘のことはすっぽり忘れてしまう。
若干の怒りを覚えたサイレンススズカはさらに加速した。1600mなのだし、多少は無茶しても大丈夫だろう。そんな大丈夫ではない思考で突き進む。
(仕掛けてきた……!)
キョウエイマーチもそれに合わせて脚を速めた。ハナの奪い合いは逃げウマ娘にとって日常茶飯事であるが、彼女はその競争を何度も勝ち抜いてきた。駆け引きにおいてはサイレンススズカが劣るものの、経験や持久力はキョウエイマーチに軍配が上がっている。つまりは完全敗北だ。
よってサイレンススズカは後から速度を上げることで圧をかけ続ける、という脳筋極まりない戦法でキョウエイマーチを引きずり下ろそうとする。
加速、加速、加速──
かつてないほどのハイペースは身を削るような潰し合いだ。何度か抜き去ろうとするサイレンススズカに対して、キョウエイマーチは絶妙な緩急でそれを凌ぐ。今までのどんなレースよりも苦しい。酸欠になりそうな猛スピードの中でキョウエイマーチは必死に頭を回す。真後ろの怪物を押さえておくには、無茶を越えた無理でないと通用しないのだから。
((((遠い……ッ!!))))
他のウマ娘からすればいい迷惑だった。先頭を走る二人に引っ張られ、レース自体が高速化している。4コーナーで坂を下りると、いよいよ手が付けられなくなった。
(Wow! なんてプレシャスなレース……!!)
追いつけるとすれば、すでに先行集団から抜け出していたタイキシャトルくらいだろう。壮絶なデッドヒートを射程距離に収めながら、彼女はペースを速めた。
タイキシャトルにはマイルを走る才能がある。1600mならどこで息を入れようと自由自在。王道の先行策で全てを蹴散らす実力を持っていた。しかし、そんなタイキシャトルを以てしても異常なハイペース。二人のウマ娘が作り出した巨大な渦に呑み込まれるように、タイキシャトル自身も抗えない。
『サイレンススズカ並んだ! 先頭に並びました!! 最後の直線だ!!』
脚の感覚は消え失せた。自分でもどうやって走っているのかわからない。普通の逃げとはまた違った消耗が、キョウエイマーチに降りかかっていた。ずっと水中にいるかのような息苦しさで、時間が何倍にも引き延ばされる。
時間にしてたった数十秒。そんな刹那の地獄の中から、栗毛のウマ娘が飛び出した。
彼女はその地獄を知っている。走って、走って。その先の景色を追い求めている。勝つためではなく、自身の速さを追求する走り。その差が、明暗を分けた。
キョウエイマーチは勝つために自分を曲げた。
タイキシャトルはあくまでいつも通りに勝とうとした。
サイレンススズカはとにかく速く走ろうとした。
その決意が彼女を地獄から掬い上げる。
『一着はサイレンススズカ!! 文句なしのレコードだッ!!』
ちゃっかり二着に滑り込んだタイキシャトル。惜しくも三着だったキョウエイマーチ。そのどちらも疲労の色が濃い。
「思ったより短いわね……」
その元凶はぼんやりとした表情でターフをゆっくり歩いていた。
息をするのもやっとな状況だ。脚の消耗具合は今までで断トツだろう。しかし、体力の全てを振り絞ったにもかかわらず、不完全燃焼感は否めない。
サイレンススズカはレースの内容に満足していなかった。スタートから先頭を譲り、最後の最後まで二番手に甘んじていたからだ。いまいちスピードに乗り切れていないのを感じながら、気づけばゴールしていた。何だか物足りない。
その物足りなさが今の自分の実力だと、サイレンススズカは認識を改めた。理想のレースとはほど遠い現在地を把握する。もはや勝利では満たされない。スピードの向こう側──という果てしない旅路を再確認することとなった。
「もうちょい喜べよあいつ……」
そんなサイレンススズカの内心をなんとなく読み取ったプリン頭は、常人とは思えない精神構造にドン引きしていた。
増やすべきは?
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