ミカとカズサがパン屋でアルバイトをするお話 作:空を飛ぶジンベエザメ
焼き入れから約20分後、窯の扉を開けたおばあちゃんは中にピザピールを差し込み、器用に耐熱皿を引っ張り出した。皿の縁から浮き上がったパイの焼き目が、陽の光を浴びて艶々とした光沢を放つ。
「わ~お...見た目は凄く美味しそうだけど...」
パリッと焼けたパイの香ばしい匂いをくんくんと嗅ぎながら、ミカは呟いた。南瓜とニシン、そしてホワイトソースという組み合わせのパイ。これが登場する映画を観ていないこともあり、ミカは味の想像が全くつかなかった。
「上手に焼き上がりました。あとはこれを美食研究会の皆さんに届けるだけ。届け先の住所は確か、ストリートマーケットの空き家でしたよね?」
「うん。あの子達全員お尋ね者だから、多分人がいないところに隠れてるんだと思う」
手紙に書かれていた住所は、もう何度も足を運んでいるストリートマーケットの空きテナントの一つだった。バカンスでの襲撃に留まらず、スイーツフェスタに向けて正義実現委員会が警備体制を強化している状況でも変わらず彼女達の侵入を許したという事実に、釈然としない気持ちを抱えていたミカだったが、今はそんなことを気にしている場合ではない。
「届け先が近場でなによりです。それで改めて聞きますが、ミカさんとカズサさんの二人で届けてくれるというので、大丈夫ですか?」
『勿論!!』
二人は「私達に任せて!」と言わんばかりに胸を張った。いくら近場とはいえ、こんな暑い中あのテロリスト達の元へおばあちゃんを向かわせるなど言語道断だ。それに二人なら、万が一の事があった時に対処しやすいはずだ。
「頼もしいですね。でしたらお二人にお任せします。私はお料理を入れるバスケットを準備するので、その間にお二人も外出の準備をお願いします。それと、カズサさんに一つ聞きたい事があります」
おばあちゃんはパイを持ったまま、カズサの顔を見た。
「ん、何?」
「カズサさんはこの前の面接で確か、『前はよくバイクに乗っていた』と仰っていましたよね?」
「えっと、うん...中学生の時の話だけどね...」
スケバン時代の頃の思い出が蘇ってきて、カズサは苦笑いを浮かべる。今では完全な黒歴史だが、あの頃の自分は魔改造したマシーンに跨って仲間達と共にキヴォトス中を好きなようにかっ飛ばし、それで各校の治安維持部隊と危険なカーチェイスを日夜繰り広げていた。
「でも、何でそんなこと聞くの?」
おばあちゃんは微笑んだ。
「カズサさんに、ちょっと見て頂きたいものがあるんです」
そう言ったおばあちゃんのくりくりとした丸い瞳に、先程の寂しい光とは真逆の、明るくエネルギッシュな輝きが灯ったのを、カズサは確かめた。
「うわぁ!これってビッグスクーターだよね!?ハイウェイとかも走れるやつ!ホントにこれ使っていいの?」
店の前に置かれたエメラルドグリーンのバイクを見て、カズサは歓声を上げた。「カズサに見せたいものがある」と言っておばあちゃんがガレージから引っ張り出して来たのは、スクーターの区分の中でも最大の排気量を持ち、高速道路の走行や二人乗りも可能な大型のスクーターだった。ピカピカのマシーンを前にして、カズサの中に眠っていたライダースピリットが早くも昂り始める。
「私が普段の足として使っているバイクですが、折角の機会です。熱々の料理をできるだけ早く届ける為にも、乗り回してあげて下さい。このバイクも私のような年寄りより、カズサさんのようなお若い人に乗ってもらうほうが嬉しいでしょうし」
「ありがとうおばあちゃん!それじゃ遠慮なく使わせてもらうね!ミカ先輩も後ろ乗って!」
カズサはバイクに駆け寄り、ひらりと跨った。グリップが結構擦り減っているのでかなり使い込まれているようだが、車体の隙間に埃が殆ど見られなかったり、タイヤの溝がくっきりとしていることからも、庭や窯の例に漏れず、このバイクもしっかりとした手入れが行き届ているようだ。
「ね、ねぇカズサちゃん...。私バイクって初めてだから、安全運転でお願いね...?」
カズサとは異なりゆっくりとシートに座ったミカは慎重な様子でカズサに言った。そんな彼女の右腕には皆で作ったパイが入った大きなバスケットが通されている。
「勿論!大事なお嬢様が落っこちないよう、安全第一で運転しまーす!」
「もう、調子良いんだから...」
ミカは口を尖らせつつ、空いた左腕をカズサの腰に回して身体を固定させた。
「心配しなくても大丈夫!私もバイク乗るの久しぶりだし、そんなにスピードは出さないよ!」
カズサは早速キーを捻り、エンジンをスタートさせる。「キュキュキュ」というセルモーターが回る音が鳴ったと思った瞬間、突き上げるような強い衝撃が全身を迸った。
(え、なにこれ...?スクーターの音じゃないでしょ、これ...)
お尻から伝わって来る振動と、胸の中を木霊するエンジンサウンドに、カズサは目を見開いた。自分は勿論、かつてのスケバン仲間達の間でも、こんなエンジンを積んだバイクに乗っていた人はいなかった筈だ...
(ん?このステッカーなんだろう...?)
そこでカズサは初めて、スピードメーターの下に見慣れないステッカーが貼られていることに気付いた。
(ミレニアムサイエンススクール製造、試作型8気筒メガトンターボエンジン搭載証明書...)
頭の悪いその文字列と、ステッカーにデカデカと描かれたミレニアムの校章を見たカズサは思わずおばあちゃんを見た。
「ね、ねぇおばあちゃん...!これって...!」
おばあちゃんは何も言わず、カズサに向かってウインクをした。「御託はいいから楽しんで来い」まるでそう訴えかけるかのように。
どうやら、とんでもない暴れ馬に跨ってしまったようだ。しかし、それを悟ったカズサは怯むどころかニタリと笑うと、グリップを力強く握りしめ、アクセルを思いっきり吹かした!
「ちょ、ちょっとカズサちゃん!?な、何やってるの!?」
爆音と共に足元の後輪が凄まじい速度で回転を始めたのに驚いて、ミカは危うくバイクから落っこちそうになる。
「ミカ先輩ごめん!!やっぱ安全運転は無し!!振り落とされないように、しっかり掴まってて!!」
エンジン音に負けないよう、カズサは叫んだ。
「え、それってどういうこ...」
ミカは最後まで言うことができなかった。突然車体が浮き上がり、前輪を高く持ち上げながら急発進したからだ。
「きゃああぁぁぁぁ!?待って待ってカズサちゃん止めて~ッ!!!」
エンジンの爆音と、それに負けないくらい大きなミカの悲鳴を伴いながら、カズサはウイリー走行のまま猛スピードで丘を駆け下りていった。
「ふふふ、行った行った。やっぱりあのバイクは、ああいうちょっとお転婆な女の子が乗るのが一番映えますね。これで、ミレニアムの生徒さん達に改造して頂いた甲斐があったというものです」
バイクが巻き上げた土埃の中、街へと続く道を眺めながら、おばあちゃんは嬉しそうに独り言を呟いていた。
「カズサちゃんホントに止めてってばッ!!」
爆走するバイクの上で、ミカはそう叫び続けていた。髪を後ろに引っ張りながら、風が凄まじい速さで吹き抜けて行く。びゅうびゅうという音が耳を切り裂くように響く。強い風圧で、目をしっかり開けていることもできない。
「うっはぁ!加速ヤッバ!普段からこんなの乗ってるとか、さてはおばあちゃん結構な走り屋だな!?」
残念ながらミカの必死な訴えはカズサに全く届いていなかった。丘を下りながら、カズサはおばあちゃんの改造バイクの馬力に酔いしれていた。それでも何とか止めてもらおうと、ミカは再び叫ぼうとする。だがその時、狭まった視界の先に、急カーブが迫っているのをミカは確かめた。今の速度で入ったら、曲がり切れずに側面の壁に激突してしまう。
「ちょっとカズサちゃんブレーキブレーキ!!!」
命の危機を覚えたミカはカズサの腰を揺すってまで速度を落とすよう伝える。しかしカズサはそれすら無視し、代わりに
「ミカ先輩!体重左に寄せて!」
と、叫んだ。そして次の瞬間、カズサはバイクを左側に傾けた。左半身が真下に一気に引き寄せられ、その力に抗う余裕すら無く、ミカは短い悲鳴を上げて車体の動きに身体を預ける。バイクは速度を殆ど落とさないまま、殆ど寝そべったような姿勢でカーブを曲がり始める。
(お、落ちる...!)
そう思ったミカはカズサの腰に回した左腕に一層の力を込める。しかし、視界の直ぐ端に地面が迫る程に車体が傾いているにも関わらず、バイクはバランスを崩すこと無くカーブを華麗に曲がり切った。
「いやっほう!やっぱドリフト最高!ミカ先輩も楽しかったっしょ!?」
車体が元に戻った時、再びカズサが叫ぶ。
「もう!私死ぬかと思った!!それにパイがひっくり返ったらどうするの!?」
当然楽しむ余裕なんて無いミカはカズサの背中にこれでもかと文句をぶつける。
「ごめんごめん!ほら、今度は右カーブだよ!体重右!!」
カズサの言う通り、間髪入れず再びカーブが迫って来た。
「ちょ、ちょっと急に言わないでッ!」
ミカは急いで重心を右側に傾ける。
「いやっはぁ!!どうだ、こんちきしょうめーッ!!」
それからもカーブをドリフトで曲がる度によく分からない雄叫びを上げるカズサにしがみついたまま、ミカはセイアの運転する車に乗る度に青い顔をするナギサのことを思い出していた。
(ナギちゃんの言ってたこと、私ようやく分かったよ...。「臆病者だ~!」とかバカにしてゴメンね、ナギちゃん...)
結局カズサがバイクを止めてくれたのは丘を下り終えて、ストリートマーケットに続く最初の信号に捕まった時だった。
「はいお疲れ様。ここからは他の車もいるから今度こそ安全運転で行くよ」
「うぅ...それじゃ空を飛ぶのはこれで終わりだね...良かった...」
「何言ってんのさ!私達ずっと地面を進んでたじゃん!あ、それともあれ?私が結構飛ばしてたから空飛んでるみたいに思った、的な!?その気持ち、メッチャよく分かるよ!やっぱバイクで風を感じてる時は宙に浮いてるみたいだよね!?」
「もうそれで良いから、ホントに安全運転でお願いカズサちゃん...」
目を回しかけたミカは偶然にも、以前セイアとナギサがしていたやり取りをカズサと繰り広げていた。と、その時である。
ドドーンッ!!!
目と鼻の先のストリートマーケットから、バイクのエンジン音を掻き消す程の爆発が湧き上がった。