ミカとカズサがパン屋でアルバイトをするお話 作:空を飛ぶジンベエザメ
カズサは瓦を押し退けながら屋根の上を滑るようにして進む。瓦が激しくめくれ上がり、その衝撃がダイレクトに伝わって来て、ミカは体を支えているので精一杯だった。
「上を取った!ミカ先輩狙える!?」
眼下の道路に首を伸ばすと、石畳の上を爆走するジープの姿が。商店街ということもあり、道路には露店やレストランのテラス席がいくつも並んでいるが、美食研究会はそんなものお構い無しに、ありとあらゆるものを轢き倒しながら逃走を続けていた。
「任せて!」
ミカは身体をよじると、カズサとは反対側に備え付けておいた自分の銃を手に取り、ジープの左後輪に照準を絞って発砲した。悪路を走りながらの射撃だったこともあり、弾丸はかなりばらけてしまったが、それでも幾つかはタイヤにしっかりと命中した。しかし、ミカの銃撃を受けても尚、ジープは速度を維持し続ける。
「パンクしない!?何で...!?」
平気な顔で銃弾を弾いたタイヤを見て、カズサは上ずった声を漏らす。
「あのタイヤ、防弾仕様の特殊タイヤだから...!でも、あと何発か当てれば流石に...」
ミカは再度銃を構える。しかし、そこで初めて、自分達が向かっている方向にあるものを知ったミカは、引き金に添えた指が強ばってしまう。
(このままじゃあの車、広場に突っ込んじゃう...!)
マーケットの中心部に位置する噴水広場。そこには現在、スイーツフェスタに向けて多くの建材やクレーン車が運び込まれている。その状態であの暴走ジープが飛び込みでもすれば...
「カズサちゃん作戦変更!このままジープを追い抜いて!」
タイヤを狙っていたのでは間に合わない。そう思ったミカは何故か、バイクを更に加速させるよう願い出た。
「さ、作戦変更って...車から離れたら意味無いじゃん!」
「良いからお願い!私を信じて!!」
「わ、分かったよ...!掴まってて!」
ミカがどんな作戦を考えついたのかは分からないが、そこまで言われたら従わざるを得ない。カズサはアクセルを吹かすと、バキバキと瓦を砕き、家と家の間を華麗に飛び越えて、美食研究会と一気に距離を取った。
そして互いの距離が50メートル程になった時、ミカは驚きの行動に出る。
「ありがとうカズサちゃん。あとは私がしっかり止めてみせるね」
「え...」
お腹にあった圧迫感が不意に消えた。いやに落ち着き払ったその声色に、カズサは急いで背後を見る。しかしそこには既に、ミカの姿は無かった。
「ミカ先輩!!?」
走るバイクから途中下車したミカは、その勢いのまま屋根を滑り降り、5メートル程下の道路に飛び降りた!幸い下はカフェだったようで、テラス席に広げられたパラソルの上に着地したミカは、大したケガも無く石畳の上に立つ。
慌ててバイクを止めたカズサは、ミカが無事なことにホッと安堵の息を吐く。しかし次の彼女の行動を見て、カズサは再び度肝を抜かれた。
ミカは道路のど真ん中にツカツカと歩み寄ると、迫るジープに向かって仁王立ちになり、まるで押し相撲をするような体勢で両手を広げた。まさか、生身で受け止めるつもりだというのか。
「ミカ先輩避けて!!」
頭上から後輩の声が聞こえた。しかし、もう後戻りはできない。ミカはゆっくりと腰を落とし、全身にグッと力を込める。ジープはスピードを微塵も落とすことなく、ミカに向かって真っ直ぐ突進してきた。
「ここから先は、通さないよ」
そう呟いた刹那、凄まじい衝撃がミカを襲った!頑丈なジープのボンネットが飴のように曲がり、浮き上がった車体から、砕けたフロントガラスの破片が降り注ぐ。歪んだフレームが、広げた両手を巻き込むように包んできて、その強い圧迫感にミカは歯を食いしばる。そして―
「...捕まえた」
大破したボンネットに身体を預け、ミカはニヤリと笑う。ミカの戦車の如きフィジカルは、衝突の衝撃を真正面から全て受け止め、その上でジープの勢いを完全に殺してしまった。
「い、一体何が...起こったのですか...?」
エアバッグから顔を引っこ抜いたハルナが、フラフラと身体を揺らしながら運転席から出てきた。流石の彼女も、生身一つで車を止められるとは思ってもいなかったようだ。
「と、とにかく今は逃げなくてはなりませんわ...」
千鳥足になりながらも、ハルナは気を失った仲間達を当然のように置き去りにして、逃走を続ける。急いで追おうとしたミカだったが、車体に突き刺さった左腕が何かに引っかかってしまっているようで、ミカはボンネットに抱きついたような姿勢のまま、その場に釘付けになってしまった。
「ま、待って...!」
銃もバイクに置いてきてしまった以上、何とか左腕を引き抜くしかない。しかし上半身を海老反りにして腕を抜こうともがく間にも、ハルナはどんどんと離れていってしまう。だがその時
バキキキキキンッ!!
頭上から激しい銃声が響いたかと思うと、文字通りの弾丸の雨がハルナに降り注いだ!全身に弾丸を受けたハルナはどさりと地面に倒れ込み、それっきりピクリとも動かなくなる。
「...悪いね。私にも少しはカッコつけさせてもらうよ」
ロリポップの残った棒を吐き捨てると、カズサは白煙を吹く愛銃をゆっくりと下ろした。
「カズサちゃんッ!」
カズサの援護のお陰で体の力が抜けたせいか、左腕がスポンと外れた。ミカは生温いオイルで真っ黒になった左腕を掲げると、屋根の上のカズサに向かって力強くサムズアップをしてみせた。
「カズサちゃんやったね!!イエーイ!!」
どす黒い腕を掲げてピョンピョン跳ね回るミカを、カズサは見下ろす。
「...うん。やっちゃったね、私達」
自分の学校のトップと一緒にテロリストを制圧。自分が成し遂げたことに理解が追い付いていないカズサは力無く笑うと、震える指でサムズアップを返した。
「全く...貴女という人は...」
ミカとカズサの活躍から約一時間後。正義実現委員会が周囲を封鎖している噴水広場を訪れたナギサは、ことの顛末をミカから聞き、深いため息を吐いた。
「そんな顔しなくても良いでしょ!?私達があそこで止めてなきゃ、この広場ぐちゃぐちゃになってたかもしれないんだよ!?」
多少は怒られることを覚悟していたミカだったが、それでも今のナギサの態度には傷ついた。せめて「お疲れ様でした」の一言くらいはかけて貰えると思っていたのに。
「それはそれ!これはこれです!ご覧なさい、家の屋根をあんなにメチャクチャにして!そもそもバイクで屋根を走って追いかけるなんて、一体どういう思考回路をしているのですか!?」
それを聞き、ミカの横に立っていたカズサはブルっと体を震わせた。目の前に立つナギサという人は、ミカが友人として紹介した、トリニティの実質的トップの位置に立つ人間。そしてそんな彼女の横にいるのは、以前自分が無礼を働いたセイアという、こちらもティーパーティーの人間。学校のトップ達が一堂に会したこの場では、流石のカズサも肩を縮め、事の成り行きを見守ることしかできなかった。
「それは全部私のせいだから!カズサちゃんは関係無いよ!」
カズサが怯えているのを知ってか知らずか、ミカはカズサを庇うような発言をした。実際、ジープを追う為に屋根を進むことを提案したのはミカ自身だ。
「でしたら話は早いですね。ミカさんは元々、このストリートマーケットを含めたビーチ周辺の自治区の責任者。美食研究会の爆破したレストランも含め、全ての建築物の復旧が完了するまで、5時間以上の睡眠は確保出来ないと思っていて下さい」
「そんなぁ!?ナギちゃんの...」
「ナギちゃんのバカ!」と文句を垂れようとしたミカは、ナギサの蛇のような眼光に、慌てて口を噤んだ。いつもこうやって睨まれているから分かる。今のナギサの目には「可愛い後輩の前でみっともない姿を見せるな!」という戒めが含まれていた。
「...分かったよナギちゃん。とりあえず、ハスミちゃん達と一緒に壊れたジープ片付けてくるね...」
これから自分の身に降り注ぐであろう雑多で退屈な仕事達を考えて肩を落としながら、ミカはフラフラとその場から離れた。残されたカズサはオドオドした様子で、ナギサとセイアの顔を交互に見る。
「カズサさん、と申しましたね?いつもミカがお世話になっております」
ミカの姿が見えなくなった時、打って変わって穏やかな口調になったナギサがカズサに語り掛けた。
「あのお転婆娘と一緒に仕事をするのはさぞ大変でしょう?三年生だというのにいつまでも子供のような立ち振る舞いで、私達もいつも手を焼いているのですよ」
「え、えっと...!そ、そんなことはないです...!ミカ先輩と一緒にバイト始めてから、私色々成長とかできて...!そ、その...私、ミカ先輩と会えて、本当に良かったと思ってるんです...!」
ナギサはハッとした表情で、カズサの顔を真っすぐと見つめた。
(なんでしょう、この鼓動の高鳴りは...)
「ミカと会えて本当に良かった」カズサのその言葉は、ナギサの心に柔らかな温もりと胸の高鳴りをもたらした。自分の幼馴染と出会えて良かったと他人から言われるだけで、こんな多幸感を味わえるなんて、思ってもみなかった。
「え、えっと...?わ、私もしかして変なコト言っちゃいました...?」
カズサは青ざめた顔でナギサの顔を見つめ返す。
「...いいえ。なんでもありません」
ナギサは穏やかな笑みを浮かべると、カズサにそっと手を差し伸べ、彼女と握手を交わした。
「私達はこれから後処理に当たらないといけませんので、これで失礼致しますね。改めて、美食研究会の確保にご協力頂いたこと、心から感謝を申し上げます。追跡に伴って発生した公共物や財産の損壊は全て『凶悪犯の確保の為にやむを得ず発生したもの』として処理しますので、カズサさんが罪に問われることは一切ありません。どうかご安心くださいね。それと後程、カズサさんには褒賞として10万円分の小切手を贈呈したいと思います。有効にお使いくださいね」
「じゅじゅじゅ十万円!!?」
とんでもない額をポンと言い渡され、カズサは思わずナギサの手を力強く握ってしまった。また無礼を働いてしまったと慌ててナギサを見たカズサだったが、ナギサはにこりと微笑むと、手を放したカズサに小さく礼をして、護衛の正義実現委員会と共に人混みに溶けていった。
「一つ、聞いても良いかな?」
ナギサに追従せず、その場に残ったセイアは呆然とした顔で立ち尽くすカズサの前に立った。
「あの単車は、君が所有しているものなのかい?」
セイアは作業用に運び込まれたクレーン車に吊るされているバイクを指さした。
「あ、えっと、違います...。あのバイクはバイト先から借りているものなんです...」
カズサは口をパクパクさせて答えた。口の中が乾いて、上手く言葉が出てこない。
「ふむ...」
セイアはクレーンのウインチで地面に降ろされている最中のバイクをその目で追う。
「あの、何か...?」
「いやなに。ミカの追跡劇を聞いていたら、年甲斐も無く興奮してしまってね。つい、『君があのバイクを駆る姿を見てみたかった』と思ってしまったんだ」
セイアは小さく首を傾げると、いたずらっぽくウインクをした。
「君とは良いお茶が飲めそうだよ。もしまた会えた時には、共にモータースポーツについてでも語り合おうじゃないか」
そう言い残すと、セイアは踵を返してナギサの後を追った。