ミカとカズサがパン屋でアルバイトをするお話   作:空を飛ぶジンベエザメ

18 / 42
18話 大切な先輩だから

カズサは駐輪場にバイクを停め、人が疎らになったビーチへと一人歩いて行った。時刻は夕暮れ時。丸い水平線には夕陽で照らされた水面がまるで魚の鱗のようにキラキラと輝いていて、白い砂浜も淡いオレンジ色に美しく染まっている。

 

ナギサ達と別れたカズサはバイクを受け取った後、一度おばあちゃんに連絡を入れた。おばあちゃんはマーケットでの騒動をラジオを通して聞いていたらしく、騒動を収めたのがミカとカズサであることもまた知っていた。怒られることを覚悟で連絡し、電話越しにもしっかりと頭を下げたが、おばあちゃんは怒るどころかカズサ達の体を第一に心配してくれて、「バイクは明日返してくれれば良い。仕事も切り上げていいから一度病院に行って来なさい」とまで言ってくれた。

 

体の痛みや不調は殆ど無かったが、それでもカズサはおばあちゃんの指示通り病院に行って診断を受けた後、最寄りのガソリンスタンドで給油とバイクのメンテナンスをしてもらった。幸いサスペンションが少し摩耗している程度で、これといった不調は見られなかったが、搭載しているエンジンを見た整備士に「このエンジンに関してはうちでは扱えない」と言われてしまった。

 

そんなこんなでガソスタを出た時には、時間はもう17時を回ってしまっていた。気持ちの整理が未だに付いていないカズサは、真っ直ぐ家に帰る気にもなれず、気付いた時にはビーチに向かって走っていた。

 

白い砂浜の上を、カズサはズボンのポケットに手を突っ込みながらぶらぶら歩く。中にまだロリポップが残っていたので、包みを開けて口に放り込む。

 

(何だろう、この気持ち...)

 

まるでぬかるんだ地面に溜まった泥水のような、ずっしりとしたモヤモヤを、カズサはミカ達と別れてからずっと抱えていた。

 

自分達がやったことがあまりにも非現実的過ぎて、まだ頭がボンヤリしているから?学校のトップの人達にあんな間近で会って、お礼まで言われてしまったから?結局自分達の手であのパイを届けることが、できなかったから?

 

多分、どれも違う。いや、それらは少なくとも、このモヤモヤを作っている一部分ではあるだろうけど、いずれもきっと、本質的なものじゃない。

 

行き場の無い気持ちをぶつけるかのように、カズサは舐め始めたばかりのロリポップを奥歯でガリッと噛み砕く。その時、背後から不意に声をかけられた。

 

「カズサちゃんやっほ!」

 

急いで振り返ると、そこにはミカの姿があった。ビニール袋を握る左手はオイルの跡が幾つも残っていて、爪の間も黒く染まってしまっている。

 

「ミカ先輩...」

 

「今日の分の仕事が一段落したから、私もお散歩してたんだ!ねぇねぇ、この焼きそば一緒に食べない?さっきそこの海の家で買ってきたんだ!」

 

そういえば、朝におばあちゃんのまかないを食べてから何も食べてない。胃の中が空っぽになっていることにすら気付かなかったカズサは、ミカと一緒に海に向かって腰かける。貰った焼きそばは売れ残りだったのか、麺がふにゃふにゃしていてあまり美味しくなかった。

 

「あ、そうだ!ナギちゃんからお礼に小切手渡すって聞いてたよね?私から渡すってナギちゃんに言って預かっておいたから、今渡しちゃうね!改めて、今日は本当にありがとう!」

 

ミカは白い封筒をカズサに渡した。花をあしらった装飾が施された高級そうな封筒には、トリニティの校章だけでなく、ティーパーティーのマークが描かれている。その中身も含めて、ミカと出会わなければまず受け取ることは無かったであろう代物だ。

 

「十、万円...」

 

そうボソッと呟いた時、カズサはとあることに気付いた。この大金があれば、スイーツフェスタなんていとも容易く制覇できてしまうことに。

 

(あれ。そしたらもう私、バイトする意味無くない...?)

 

十万円。それだけの大金があれば自分はおろか、部活の仲間達全員分の金額を負担したとしても余裕で残るだろう。だったらもう、自分がこれからバイト代を稼ぐ意味は無いに等しい。わざわざ朝早くに起床して、あの長い丘をえっちらおっちら登る必要も無い。でも、そうしたら...

 

カズサは思わず隣に座るミカを見る。「ん?どうしたの?」と首を傾げるその顔は、ついさっき爆走する自動車を正面から受け止めた存在とは思えない程、綺麗だった。いつも可愛らしく自分を見てくれるこの顔が、カズサは好きだった。

 

(そっか、このモヤモヤの正体...)

 

カズサは空になったプラ容器をそっと足元に置く。そして

 

「うわっ!?ど、どうしたの急に...!?」

 

突然自分のお腹に飛び込んで来たカズサに驚いて、ミカは危うく焼きそばをひっくり返しそうになる。しかしカズサは構わず、ミカの細いお腹に腕を回し、自分の顔をお腹に思いっきり埋めた。香水とオイルが混じったような、変な匂いがした。

 

「私、やっと分かった...。怖かったんだ...」

 

「え、え、何...?」

 

カズサは続ける。その言葉はミカだけでなく、自分自身に語り掛けているようにも聞こえた。

 

「この小切手貰って、分かった。私、先輩が遠くに行っちゃうかもしれないって、怖かったんだ...。そうだよね、突然バイクから飛び降りて、そのまま車を止めちゃうんだもん。先輩の友達はもうそういうの慣れてるのかも知れないけど、あの時の私は、そうじゃなかった。先輩が車とぶつかった時、本気で心臓が止まるかと思った。それにそのあとも先輩は普通に笑って自分の仕事を始めて...。だから私、あの時からずっと『私の知らない先輩』を受け入れられなかったんだ...」

 

カズサはお腹に回した腕に一層力を込めた。

 

「ねぇ先輩。私に美食研究会を追いかけてって言った時、『可愛くない顔しちゃって』って言って謝ったよね。あれ、全然そんなこと無いから...!先輩はいつでも可愛いから!でもさ...!もう、あんな危ないことしないでよ...!私も散々危ない運転しちゃったから人のこと言えないけどさ...!先輩が怪我とかしたら私、やだよ...。これから一緒に働けなくなるとか考えたら、辛いよ...」

 

常人離れした体を持っているとか、責任者としての立場とか、ティーパーティーだからとか、そんなものは関係無かった。「美食研究会と同じ場所に送られるかも」と怯えていても尚、ナギサに対してミカへの想いがスっと口に出たのは、それが混じりっ気の無い本心だったからだ。この人はもう、ただの「同じ学校の、二個上の先輩」じゃない。だから、いつもの顔をして自分の前に現れてくれたのが嬉しかったし、もう二度と、あんな真似はして欲しくなかった。

 

溢れる想いが涙腺を刺激し始めた時、頭上からミカの声がした。

 

「ごめんね、カズサちゃん」

 

優しいその声に、いよいよ涙が溢れ出す。先輩の服を汚したくなくて、カズサは急いで顔を引こうとした。しかしミカはカズサの後頭部にそっと両手を回す。

 

「そのままで良いよ。ここビーチだし、周りに誰もいないから」

 

「...ッ!ごめん、先輩...」

 

「ううん」とカズサの頭を抱き締めたまま、ミカは首を振った。

 

「私のことそんなに心配してくれてたなんて、考えてもみなかった。本当にありがとう」

 

自分のことは、よく理解しているつもりだ。自分の肉体が他の人に比べて多少頑丈で力持ちなことや、それと過去への悔恨が相まって、一人で無茶な行動に走ってしまうことも、知っている。だけど、そうやって無理をした自分を心から心配してくれる人が増えていたことには、残念ながら気付けなかったようだ。

 

だけどそれ以上にミカは、嬉しかった。こんなに自分のことを真っすぐに見てくれて、真っすぐに想いをぶつけてくれる人は、ミカの周りには数える程しかいない。数えるだけの人がいるだけ十分幸せなことだとは思うけれど、それでもミカはカズサと出会えたことに、改めて心から感謝した。

 

(ナギちゃん、セイアちゃん...。私にアルバイトをさせてくれて、本当にありがとう。お陰で、こんなに素敵で大切な後輩ができたよ...)

 

心の中でナギサ達にも感謝を伝えたミカは、それから夕日が水平線に完全に沈むまで、カズサと共にぼんやりと海を眺めていた。

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. よみあげ
  11. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。