ミカとカズサがパン屋でアルバイトをするお話 作:空を飛ぶジンベエザメ
督促状の住所を頼りにミカが辿り着いたのは、ビーチが一望できる丘の上に建てられた、三角屋根の小さなパン屋だった。
「こんなところ、あったんだ......」
海からの風に長い髪をなびかせながら、ミカは呟いた。そこには半月状に伸びるトリニティの砂浜が端から端まで見渡せる、見事なオーシャンビューが広がっていた。まだ夏真っ盛りということもあり、解放したビーチの上には色とりどりのパラソルやレジャーシートが並び、その間を沢山の人々が忙しなく動き回っている。
温泉開発部の仕掛けた爆弾でふっ飛ばされた別荘の跡地を隠すように建てられた海の家も好評のようで、白い砂浜から家にかけて長い列が出来ている。
「綺麗......」
その景色につい見惚れてしまったミカは仕事を忘れ、風でゆらゆらと揺れる草の上に腰かけ、ビーチの設営までの様々な苦労に思いを馳せた。強い海風のお陰で、照り付ける夏の日差しもあまり気にならない。
「もしもし......?」
暫くの間座っていると、後ろから声をかけられた。振り返ると、頭に三角巾を巻き、エプロンを身に着けた、スズメの姿をした老婦人が立っていた。シナモンやバニラといった、色々な香辛料が混じったような香りが漂ってくる。
「観光客の方ですか?」
「え、あ、はい!そうです!」
虚を突かれたミカは反射的にそう答えてしまった。ミカの返答を聞いた途端、婦人はパッと表情を明るくした。
「まぁ!こんなところまでようこそおいで下さいました!綺麗な景色でしょう。あのビーチ、ついこの間までトリニティのお偉いさん方専用のプライベートビーチだったんですけど、ほんの数週間前に一般開放されて、それで今はあんなに人が沢山来るようになったんですよ!」
「あはは......そうだったん、ですね......」
ミカは困ったように笑った。日焼け対策に帽子を被っているからだろうか、目の前に座っているピンクの髪の少女が、そのビーチを解放したお偉いさんの一人だということには気付いていないようだ。
「私、あそこでパン屋を営んでいる者なんです。良かったら寄って行きませんか?お安くしておきますよ!」
「あ、えっと......。じゃ、じゃあそうしますね......」
答えてから、しまったと思った。このままパンを買ったりなんてしたら、督促状を渡しづらくなってしまう。しかし時すでに遅し。ミカは彼女に引かれるようにして、気付いた時にはもうパン屋の扉をくぐっていた。
エアコンの効いた涼しい店内に入った瞬間、ミカは香ばしい小麦の匂いに包まれた。こじんまりとした店内はパンが並べられた一角と、買ったパンをその場で食べられるイートインスペースに分けられており、並べられている椅子やテーブル、そこかしこに置かれたインテリアも全て綺麗で、洒落ていた。あの婦人の態度と言い、とても税金を納めていない店の雰囲気とは思えない。
(可愛いお店......パンも美味しそう......)
棚に並べられた商品に、ミカは自然と目を奪われていた。メロンパンやカレーパンといった定番のパンから、こんがりとした焼き目が食欲をそそるフレンチトーストや、巻貝のような形のクロワッサン、切れ目を入れたバケットに溢れんばかりのレタスやハムが詰められているサンドイッチ等、女子高生ならただそこにいるだけでテンションが上がってしまいそうなほど、お洒落でカラフルなパンで溢れていた。
(こんなお店が督促状を貰うようなお店だなんて、信じられない......)
ミカは余計に、ここに訪れた理由を告げづらくなってしまった。だからといって何も買わずにもじもじしているわけにもいかない。
(イートインで食べてから渡そう。「とっても美味しいパンでした。でも、それはそれとして...」ってすれば、あんまり気まずい感じにはならないよね......!)
そう誓ったミカは近くにあったフレンチトーストをトレーの上に置き、レジに向かった。
「イートインでお願いします」
「は~い。一緒に飲み物は如何ですか?」
ミカを案内した婦人は、レジカウンターの上に置かれたドリンクメニューを指した。
(コーヒー、紅茶、果物のジュース......というか待って。パンもそうだけど、安くない?)
ドリンクメニューを眺めたミカはそこで初めて、その値段の安さに気付いた。根っからのお嬢様で、世間一般の物価をあまり知らないミカではあるが、そんな彼女でも分かるほど、このパン屋の価格はリーズナブルだった。ミカが選んだフレンチトーストは120円。それにどのドリンクも200円に満たない。学園近くのカフェで同じものを注文しようと思ったら、どんなに安くとも500円近くはするだろう。中々に驚きの価格設定だ。
「えっと、それじゃホットコーヒーをお願いします」
紅茶にうるさい友人がいない折角の機会ということで、ミカはコーヒーを追加で頼んだ。
「コーヒーですね。全部で280円になります。トースト温め直すので、お好きな席でお待ち下さい」
お金を払った後、適当な椅子に座って足をぶらぶらさせていると、間もなくしてほかほかと湯気を出すトーストとコーヒーが運ばれて来た。フレンチトーストには、先程までは無かった粉砂糖がかけられてある。
「こちらメープルシロップです。お好みでトーストにかけて下さいね」
トーストの皿の傍に置かれた小瓶を指した後、婦人はレジに戻って行った。おしぼりで手を拭いた後、ミカはフォークとナイフでトーストを小さく切り、口に運ぶ。
(何これ美味しい!)
トーストはべちゃっとした食感が少しも無く、パンのフワフワ感としっとり感を程よく保っていた。粉砂糖が追加でかけられている割には甘さも控えめで、染み込んだ牛乳と卵の優しい風味を一切邪魔していない。ミカは小瓶を手に取ると、黄金色のメープルシロップをトーストにかけた。シロップで甘みが増したトーストはコーヒーによく合い、これもまた美味しかった。
「ごちそうさまでした」
ミカはあっという間にトーストを平らげてしまった。残ったコーヒーを飲みながら、一面がガラス張りになったイートインスペースの中から、白いビーチを眺める。この景色、この値段、そしてパンのクオリティの高さ。SNSで話題になっていないのがおかしいほどに、素晴らしい空間だった。
(でも、仕事はやらなきゃね......)
コーヒーを飲み干したミカは、心にも苦いものを溜めたまま、肩にかけたポーチから督促状を取り出した。どれだけ素晴らしいサービスを提供してくれたとしても、この督促状が作られたということは、そういうことなのだ。ルールはルール。トリニティの自治区で事業を営んでいる以上、それは守ってもらわなければならない。意を決し、ミカは椅子から立ち上がる。その時
「こんにちは。ティーパーティーの者です」
ドアベルを鳴らして、二人の女子生徒が入って来た。ティーパーティー所属を名乗るだけあって、白いベレー帽に、トリニティの校章が刻まれた制服を着ている。ナギサがミカ以外にも、生徒を寄越したのだろうか...
(違う......。この制服、ティーパーティーじゃない......)
しかしミカは直ぐにその違和感に気付く。スカートの質感やリボンの形。素人目ではまず分からないであろう違いを、ティーパーティーのトップであるミカは目聡く見抜いた。間違いない。彼女達は、偽物の制服を着ているのだ。
二人はミカには目もくれず、婦人の立つレジに真っすぐ向かった。
「税金の納入の件で来ました。今日はお伝えしていた通り、固定資産税です」
一人が、きびきびとした態度でそう言った。
「まぁまぁ。こんな高い場所までいつもご苦労様です。もう用意してありますので、少々お待ち下さいね」
そんな彼女達を前に、婦人は疑う顔一つせず、店の奥へと入って行こうとする。彼女がこちらに背を向けた時、二人が帽子の下でにやりと笑ったのを、ミカは見逃さなかった。
「あ、そうだ。忘れるところでした」
しかしその時、婦人が何かを思い出したかのようにくるりと振り向いた。
「この前ご近所さんからお聞きしたんですけどね、何でも今は連邦生徒会のネットサービスで、自宅でも簡単に確定申告ができるそうじゃないですか。だから今度からは私もそうしようと思って!今までのように、貴女達ティーパーティーにお任せするのも悪いですし......」
ドンッと、一人が勢いよく手をカウンターに置いた。
「心配には及びませんよ。あなたのようなお年寄りでは、そんなサービスは使いこなせないでしょう。慣れない手続きで、正確な申告ができないとなれば面倒です。どうぞ無理をなさらず、今後とも我々を...」
これ以上は放って置けない。ミカは急いで二人に歩み寄ると、カウンターに置かれている手を問答無用で掴み、捻り上げた!
「痛い痛い痛いッ!!」
堪らず悲鳴を上げる女子生徒。そんな彼女に、ミカは笑顔でこう告げた。
「こんにちは!実は私もティーパーティーの人間なんだ!今話してた税金のお話、詳しく聞かせてもらえるかな?」
二人の表情から、生気が抜けていくのを、ミカは確かめた。