ミカとカズサがパン屋でアルバイトをするお話 作:空を飛ぶジンベエザメ
ミカが二人の友人に投げつけたパイは、おばあちゃんの狙い通り、ティーパーティーと放課後スイーツ部の間にあった壁を根元から壊してくれた。ミカとカズサが窯の前でピザが焼き上がるのを今か今かと待っている間、5人は互いが持ち寄った飲み物を飲み交わし、楽しそうにお喋りをしていた。
「嘘!?あそこの和菓子食べたことあるんですか!?一見さんお断りで一個2000円とかするのに!」
「あぁ、以前世話になった百鬼夜行の料亭の紹介でね」
セイアはそう言って、プラコップに入ったコーラをちびちびと口にする。
「どんな感じでしたか!?私達、一回でいいからあの『春渡し』って桜餅食べてみたいんです!」
「ほぅ、中々に風流な名の桜餅だね。そちらを食したことは無いが、どのお菓子も口の中でふわりと溶ける優しい口当たりで、とても美味しかったのはよく覚えているよ」
そこでセイアは何かを思いついたかのように黄色い両耳をひょこひょこさせた。
「そうだ。良ければ私の紹介ということで店舗のほうに連絡を入れておこうか?それだったら君達だけでも購入が可能になるかと思うが」
思いもよらない提案に、アイリとヨシミは顔を見合わせる。
『良いんですか!?』
「勿論だよ」と、セイアは朗らかに頷いた。
「折角こうして出会えたんだ、些細な事でも君達の助力になれるのなら私としても嬉しい。格式高いお店だから、来店の際には私服ではなく制服を着ていくことを忘れないようにね」
『やったぁ!!ありがとうございます!!』
舞い込んで来た幸運に、アイリとヨシミはセイアに心からのお礼を告げると、力いっぱいハイタッチをした。そんな三人の横では
「この美しい渦の巻き方...縦と横の黄金比...。やはりティーパーティー程のお人が作るお菓子は美術的な視点をも取り込み、味覚だけでなく視覚でも人を魅了する...」
「あの、ナツさん...。私のロールケーキを絶賛して頂けるのは大変嬉しいのですが、こちらは食後のティータイム用に焼いてきたものですので、そろそろお店の冷蔵庫に戻したく...」
「...ハッ!こ、これはご無礼を...」
ナツは手していたロールケーキをおずおずとナギサに返す。
「そんなにかしこまらなくても大丈夫ですよ。それにしても、私のお菓子にここまでの美しさを見出して頂けるとは思いもしませんでした。ナツさんは何か、芸術の類を嗜まれておられるのですか?」
ナツはパタパタと首を横に振った。
「い、いえ!強いて言えば、軽音楽を少し...」
「軽音楽、ですか。あ、そう言えばミカさんが『カズサさんと出会ったきっかけは街で見かけた路上ライブ』と以前に言っていましたね。最後の歌しか聴けなかったけれど、それでもとても素敵な時間だったと聞いています。それに、貴女達の演奏が無ければこの出会いも無かった。人の巡り合いというのは不思議なものですね」
ナギサはにこりと微笑んだ。上品さと親しみやすさが溢れたその笑みに、ナツも釣られて笑顔になる。今まで雲の上の存在だと思っていた先輩達がこんなにも優しく、それでいてこんなにもフレンドリーだとは思いもよらなかった。その時
「皆出来たよー!!」
窯にピザピールを差し込んだミカが、その上に大きなマルゲリータを乗せて振り返った。
『うわぁ、美味しそう!!』
以前カズサのアップルパイを前にした時と同じように歓声を上げるスイーツ部の面々。
「まだまだ焼くからじゃんじゃん食べてね!甘いスイーツピザも用意してあるからお楽しみに!」
「スイーツピザか。初めて口にするね」
「はい。どのようなものか、私も楽しみです」
カズサのその言葉に、ティーパーティーの二人も興味深々といった様子で目を輝かせる。その様子を見て、ミカとカズサは少し照れくさそうに顔を見合わせた。
二人のお祝いの会からただの親睦会と化したピザパーティーは、それからも実に和やかに進んだ。ミカとカズサ、おばあちゃんの焼いたピザとナギサのロールケーキでお腹いっぱいになった後は、西日が青い芝生を白く照らすまで互いのことを語り合った。学校の政治を司る生徒会とその遥か下で学校生活を営むただの学生という立場の違いなど、初めから無かったかのように。
「本日は素敵な会を開いて頂き、本当にありがとうございました。お陰で私達も、下級生とフラットに話せるという極めて貴重な機会を得ることができました」
下級生たちが先に帰り、セイアが車の準備をしに店を出た後、一人庭に残ったナギサはおばあちゃんに心からの礼を告げた。
「こちらこそありがとうございました。それに私も、まさかナギサ様程の人と庭いじりについて語らうことができるとは夢にも思いませんでしたよ。私の小庭を気に入って頂けたこと、僭越ながら誇りにさせて頂きます」
「大袈裟ですよ、マダム。共通の趣味を持つ者達に上も下もありませんから」
そこでナギサは、おばあちゃんの背の向こうにある勝手口から漏れてくる笑い声に、耳を澄ませた。カチャカチャという音も一緒に聞こえて来るから、多分二人で食器を洗っているのだろう。
(ミカさん、楽しそうですね...)
自分やセイア、そして先生を除いて、ミカがあんなに無邪気に笑い合える相手を、ナギサは知らない。このアルバイトを通じて、ミカは本当に素晴らしい出会いに巡り会えたようだ。そう思うだけで、ナギサは満たされるものがあった。でも、その関係ももうすぐ終わってしまう...
「マダム。失礼ながら、お聞かせ下さい」
まるで自分の事のように心臓がばくばくと高鳴る。それでも、ナギサは続けた。
「マダムはあの二人の笑顔を見ても尚、お店を閉める決意を変えてはいないのですか?」
言い終えてから、何て無礼な物言いなのだと、ナギサは思った。でも、それと同時にナギサは気付いていた。ミカとカズサのやり取りを見つめるおばあちゃんの目には、自分が彼女達を見つめるそれと全く同じ光が宿っていることに。
数刻の沈黙が流れる。ナギサの問いに小さく俯いていたおばあちゃんが口を開く。
「それは、本当のことですか...!?」
その内容に、ナギサは息を飲んだ。おばあちゃんは俯いたまま続ける。
「...私もナギサ様と同じ気持ちです。あの二人の友情は、本当に綺麗です。叶うなら、二人の笑顔を傍でずっと見ていたい。一人の大人として、かけがえのない友情をずっと育んでいて欲しい」
おばあちゃんはそこで、ナギサの目を真っすぐに見つめた。
「ナギサ様。私はこれからこのことを二人に話します。このお店はもはや、私だけのお店ではありません。責任は当然、大人である私が背負います。ですがこの判断だけは、二人に委ねたいと思います」
ナギサを見送ったおばあちゃんが厨房に戻ったのは、ミカとカズサがちょうど皿を洗い終わった時だった。
「あ!おばあちゃんお帰り...」
手に残る泡を洗い落としながら振り返ったカズサはそこで、おばあちゃんがいやに真剣な表情をしていることに気付く。
「お二人共今日は本当にお疲れ様でした。残りは私がやりますのでお二人はお帰り下さい..と言いたいところですが」
おばあちゃんは二人の前に立った。
「今日はお二人に、伝えなければならないことがあります」
ドクンッ...
心臓が、痛い程に強く鼓動した。とうとう、この時が来てしまった。
(そっか...。今日のパーティーは、そういうことだったんだ...)
おばあちゃんが今日の会を開いてくれた理由を、ミカは悟った。結局、おばあちゃんの気持ちは変わらなかった。それでも、最後に楽しい想いをして欲しかったから、おばあちゃんは「久しぶりにピザパーティーをやりたい」なんて言ったんだ、と。
(でも、大丈夫...)
ミカは自分自身に言い聞かせる。例えこのお店が無くなったとしても、カズサとの関係が消えるわけじゃない。流石に学校に戻ったら会える機会はめっきり減ってしまうだろうけど、それでも休日に一緒に遊ぶくらいなら...
「ミカさん。貴女が初めてこのお店に来て下さった時、私は貴女に『この夏いっぱいでお店を閉める』と言いましたね?」
ミカは下を向いたまま何も言わない。一方、これまで閉店のことを一切知らされていなかったカズサは目を見開いておばあちゃんを見た。
「...は?どういうこと...?お店を閉めるって、冗談だよね...?」
「...ううん。本当のことだよ、カズサちゃん。いつか言わなきゃいけないのは分かってた。でも、カズサちゃんが悲しんだり怒ったりする顔が見たくなくて、ずっと言えなかったんだ...。本当にごめん...」
「ですがこの際閉店は、無しにしたいと思います」
自分の言葉を遮るように告げられたおばあちゃんの鶴の一声に、ミカは石のように固まった。
「...へ?どういうこと...?」
数秒の硬直の後、絞り出すように出たミカの言葉は、カズサと同じものだった。
「急にこんなこと言ってごめんなさいね。ですがこの一月近く貴女達と共に働いて、私は貴女達のことをもっと見ていたいと思うようになったんです。気の合う者同士で好きなように働いて、好きなように笑う。貴女達が見せてくれた澄んだ青春の景色は、枯れかかっていた老人の心に花を咲かせてくれた。故に私は、これからもこのお店を続けようと思います。私自身の為に、そしてなにより、貴女達の憩いの場として」
目頭が熱くなるのをミカは感じた。最初は、「こんな素敵な場所にあるお店が無くなるなんて嫌だな」という想いでしかなかった。しかしカズサと出会ったことで「先輩として、後輩の笑顔を曇らせたくない」という想いが加わって、それ故に閉店という事実からずっと目を背けてしまっていたし、結局何も変えられなかったと思っていた。でも、それは間違いだった。
込み上げる想いに突き動かされ、ミカはおばあちゃんの丸っこい身体を抱き締めた。
「ありがとう、おばあちゃん...」
「お礼を言うべきなのは私ですよ、ミカさん」
(え、何この光景...私はどうすればいいの...?)
完全に蚊帳の外になってしまったカズサは、キョトンとした顔で二人の抱擁を見つめる。よく分からないけど、おばあちゃんは元々このお店閉めるつもりで、ミカだけがそのことを知っていたらしい。「だったらなんで自分のこと雇ったのか」とか「そもそもなんで面接のときにそのことを説明しなかったのか」とか色んな疑問が出てきたが、とりあえず自分達が変わらず働けることは確からしい。
「そしたら夏が終わっても私達働いてて良いんだよね!?」
おばあちゃんから離れたミカは早くもいつもの笑顔を取り戻した。
「勿論です。ただ、その代わりというわけではないのですが。お二人に一つ、お願いしたいことがあります」
おばあちゃんの表情が、再び真剣なものに変わった。
「これからもお店を続けていくと決めた以上、私はこのお店をもっと盛り上げたいと思うのです。知る人ぞ知る僻地のパン屋という立場に甘んじるのではなく、多くの人が私達のパンとこの景色を求めにやって来る、そんなお店にしたいのです。その為のアイデアを、考えては頂けないでしょうか?」