ミカとカズサがパン屋でアルバイトをするお話 作:空を飛ぶジンベエザメ
「......チッ」
翌日、広い広い校舎を歩いて教室に向かっていたカズサは、もう何度見たか分からない画面を眺めて、軽く舌打ちをした。投票結果は当然、一番下から動いていない。
(なにやってんだろ、私......)
こんなものに固執したところで、過去も未来も何も変わらないのは、他でもない自分自身が良く分かっている。何より、こうやって一人でウジウジと悩んでいるのは、スイーツフェスタの為に自分を信じて全てを託してくれたおばあちゃんやミカ、そして自分の為に時間を割いて協力してくれた仲間達に失礼だ。
(忘れろ、忘れろ、私......!大丈夫、きっと上手くいくから......)
スマホを鞄に放り込んだカズサは、目をギュッと瞑ると、両手で頬をパンパンと叩く。当然そんな単純な行動で、後ろ髪を引かれる現状が変わることは無かったが。
「あ、あの...!あなた、カズサさんですよね...!?」
不意に声をかけられ、目を開く。開けた視界の真ん前に立っていたのは、ハァハァと荒く短い息を吐く、正義実現委員会の生徒だった。
「そう、だけど......正義実現委員会が私に何の用...?」
相当走り回っていたのか、その子はカズサの問いかけに答えず、両膝に手をついて肩で息をし続ける。
「やっと、やっと見つけた......。カズサさん、あなたに見せなきゃいけないものがあるんです......同行を、お願いできますか......?」
「同行って、これから私普通に授業なんだけど?というか、先に私の質問に答えなよアンタ。正義実現委員会が私に何の用......ってあれ?」
一人で話を進めるその子に、早くもイライラし始めるカズサ。しかし、ある程度息を整えたその子が顔が上げた時、カズサは小さく息を飲んだ。
「アンタもしかして......!前にチョコの差し入れしてくれた......!」
「そう、です......お見苦しい姿をお見せして、申し訳ありません......」
前髪の奥にある赤い瞳には見覚えがある。カズサに話しかけてきたのはバイトの初日、このお店のファンだと言って大人気のチョコレートを差し入れてくれた、あの子だった。
「なーんだ!だったらそうだって先に言ってよ!ほら、これ飲んで!アンタ最近お店に来てなかったけど、なんか忙しかったりしたの?」
態度を改めたカズサは、打って変わって気さくな雰囲気で、まだ開けていない水のペットボトルを差し出した。
「お気遣いありがとうございます...。え、えぇそうです、最近正義実現委員会は専ら、スイーツフェスタに向けてビーチ周辺の警備を強化しているので、お店に立ち寄る暇もなくて...」
カズサから受け取った水を、その子はごくごくと飲む。
「って、こんなことしてる場合じゃなかった!カズサさん、あなたに見せなきゃいけないものがあるんです!同行をお願いしますッ!」
「だからなんで授業サボってまで付いていかなきゃ...」
「御託は良いですッ!ほら早くッ!」
「ちょっ...!力つよっ...!」
同行を願い出ておきながら、その子はカズサをむんずと掴むと、問答無用とばかりに引っ張り始める。相変わらず腕っぷしでは正義実現委員会に敵わないカズサは、ギャーギャー騒ぎつつもなすがままに導かれていった。
カズサが同行、もとい連れて来られたのはトリニティ総合学園が抱える大きな留置所だった。中学時代のカズサもお世話になりかけたその施設が見えてきた瞬間、カズサは冷や汗が全身に噴き出してきたのを感じた。
「ま、待って!!私何も悪い事してないって!!バイクで屋根壊したことも犯罪にはならないってナギサ先輩が...」
「落ち着いて下さい!私は別にあなたを捕まえようとしている訳じゃありません!」
「だったらなんなのさ!!」
「いいから大人しく付いてきて下さい!」
「だから付いてきてるんじゃなくてアンタに引きずられてるんだってば!」
半ば漫才のようなやり取りをしながら、結局カズサは留置所に連れて来られてしまう。しかし、その子がカズサの手を放したのは留置所の中の狭い勾留部屋......ではなく、建物の裏手で口を開ける、大きな換気ダクトだった。
「到着です。そしたら次はこのダクトの中を進みます。私が案内するので、カズサさんは私のあとを追いかけて下さい」
そう告げると、その子は自分の銃を背負い直し、予め用意していた脚立を使ってダクトに潜り込み始めた。
「......は?い、いや、ここに入れは冗談キツイって...」
カズサは顔を引き攣らせた。こんな、狭くて暗くて埃っぽそうな場所を進めなんて、一体コイツは私に何を見せようとしているのだろうか―
「いいから付いて来いと言っているでしょう!!?あなたにはこの先で起きることを見届ける義務があるんです!!あのお店で、ミカ様と共に働く生徒として!!」
駄々を捏ねるカズサに我慢の限界が来たのか、その子が声を荒げた。ミカ様。その言葉にカズサの猫耳がぴょこんと跳ね上がる。
「え、それどういうこと...?この先にあるものが、ミカ先輩と何か関係あるってこと...?」
その子は、力強く頷いた。
ダクトの中はカズサの予想通り、薄暗くて埃っぽかった。小柄なカズサがやっと通れる狭い通り道を、カズサよりも身体の大きいその子は綺麗なほふく前進ですいすい進んでいく。そして、黒いスカートを追いかける事数分後、カズサは頑丈そうな鉄格子がはめ込まれた通気口の上に到着した。
狭い通路の中で器用に身体の向きを変えたその子はカズサと自分で通気口を挟む形になると、自分の口元に人差し指を差し出した。「声を出すな」のハンドサインだ。カズサは小さく頷く。次にその子は人差し指を、今度は通気口の下に向けた。これは多分、「この下を見ろ」という意味だろう。カズサは慎重に通気口を覗き込み、そして飛び込んで来た光景に、危うく声を上げそうになった。
狭く無機質な勾留部屋の中には、長テーブルが一つ。その上に、昨日おばあちゃんが作ってくれたシナモンロールがずらりと並べられている。そしてそのテーブルを挟んで佇むのは、以前カズサ達が捕らえた美食研究会の4人と、他でも無い、ミカだった。
「また会えたね、ハルナちゃん。あのパイ、美味しかった?」
「はい、とっても。出来立てを食せなかったというのが残念で堪らなかった程には。やはり、あのお店に目をつけて正解でしたわ。いえ、ここは”あなた達のお店”と言うべきですかね?」
「......」
ハルナはいたずらっぽく笑った。対するミカは、何も言わない。
「ではミカさん。始める前に、改めて解放の条件を確認しておきたいと思います」
こちらを静かに見据えるミカを前に、ハルナはすまし顔で口を開いた。
「私達はこれから、この色とりどりのシナモンロールを食し、その味に対する評価をネットに公表する。内容の是非は問わず、公表を終えたその時点で私達は自由の身となり、今私達に向けられている銃口も、自治区内で騒ぎを起こさないという条件の下で下ろされる。間違いはありませんわね?」
ハルナの視線の先には、ミカの背後の鉄格子から彼女を囲うように隙間なく伸びる、赤と黒の銃口の群れ。そのいずれからも「下手な動きをすればその眉間を撃ち抜いてやる」という意志が滲み出ていた。
「うん、そうだよ。あなた達はそのシナモンロールを食べて、思ったことを正直に書いて。レビューの時は、そのスマホを使って。学校の共有物だけど、特別にあなた達の公式アカウントに繋げてあるから」
ミカはテーブルの中心に置かれたスマホを指さした。
「ちょっとそれどういうこと!?それってつまり、私達のアカウント乗っ取ったってことだよね!?」
ミカの言葉に、我先にとジュンコが噛みついた。しかし
「そんなこと、気にしてる場合じゃないでしょ?」
「......ひッ!」
ミカの圧に、ジュンコは震え上がった。以前出会った時とは、纏っているオーラがまるで違う。立場が上ということもあるが、今のミカは触っただけで火傷をしそうな、燃えるような強い決意を身に着けていた。
「落ち着いて下さいジュンコさん」
縮こまるジュンコを、ハルナは微笑を浮かべて窘めた。
「ミカさん。貴女は本当に面白いお方ですわね。美食を探求する中で、ヴァルキューレやゲヘナを始めとした様々な牢に放り込まれて来ましたが、釈放の為にこんな要求を出されたのは初めてですわ。その好奇心に従い、是非とも挑戦したいところですが......」
ハルナはすくっと立ち上がった。銃口が一斉にハルナに向かう。
「お断りします」
ミカの眉が僅かに動いた。
「どういうこと?ただパンを食べて、その感想を書くだけで釈放されるんだよ?こんなに良い条件、無くない?」
ハルナはくすりと笑った。
「ミカさん。貴女は美食研究会というものを、いまいち理解していないようですね。私達美食研究会は己の求める美食を追求する為に日々邁進を続ける者達の集まり。そこに、他者が介入する余地はこれっぽちもありませんわ。そんな私達に不自由という首輪をつけた上で、あまつさえ私達の影響力を利用しようとする......そんな侮辱とも取れる行為に対し、私達が取る選択は一つ......」
「うん、知ってるよ。これのことでしょ?」
ミカが取り出したものに、美食研究会は勿論、背後の正義実現委員会達も驚きの声を上げた。
「それ、脱出用に仕掛けておいた爆弾だよ!?なんであなたがもってるの~!?」
「ちょっとイズミ!なんで喋っちゃうのよ!?」
「あらら、この展開は流石に予想してませんでしたね~」
ミカが徐に取り出したのは、起爆用の受信機が取り付けられたプラスチック爆弾だった。
「ハルナちゃん。今持っているボタンを押しても無駄だよ。起爆用のコードは全部外してあるから」
「...どうして、その爆弾の存在が分かったのですか?」
ハルナは震える手で右手を掲げた。その手にはミカの言葉通り、赤いボタンが先端についた黒いグリップが握られている。
「この前のバカンスで爆弾には色々酷い目に遭わされちゃったからね。もう同じ事が起きないように、自分で勉強してみたんだ。まさかこんなとこで役に立つとは思わなかったけど」
無効化された爆弾を持ちながら、ミカはなんてこと無い顔で答えた。
「......なるほど。どうやらあなたのことを見くびっていたようですね。初めから選択肢など無かったということですか......」
「そうだね。でも、話はまだ終わってないよ」
そこでミカは驚きの行動に出る。なんと、外した受信機のコードを自ら爆弾に繋ぎ直したのだ!「ピー!」という電子音と共に、受信機が再起動する。
『ミカ様!?一体何を!?』
『早くコードを外して下さい!!』
背後からそんな言葉が投げかけられる。しかしミカはコードを外すどころか、起爆の準備が整った爆弾を自分の胸にギュッと抱きかかえた!
「あなた達のやっていることは私には理解できない。でも、私があなた達にやろうとしていることにハルナちゃんが怒るのは、何となく分かるよ。誰かに何かを無理やりやらされるのって、いやだよね」
爆弾を抱き締めながら、ミカは続ける。
「だからハルナちゃん。あなた達の解放の条件に、一つ追加をするね。そのシナモンロールを食べて、もし口に合わなかったら、この爆弾を爆発させちゃっていいよ。あなた達に嫌なことをさせた、私ごと」
ガシャンッ!!
頭上からの金属音は幸運にも、ミカを止めようとする正義実現委員会の声に掻き消された。
「......本気ですか?」
そう訊ねたハルナも、流石に動揺を隠しきれていなかった。
「うん」
ミカは変わらず、平気な顔で頷いた。
「......」
ハルナは少しの間沈黙を貫いたが、やがて口を開いた。
「......一つだけ、お聞かせ下さい。以前あなたとバーベキューセットの交渉を行った時、あなたはそれを『友達の為』と仰っていましたね?それでは今回の自己犠牲もまた、その友人の為なのですか?」
決意に満ちたミカの瞳に、ほんの僅かに迷いが浮かんだ。再び、沈黙が訪れる。
「そのシナモンロールね、私の後輩が考えたんだ」
迷いを宿したまま、ミカは口を開いた。
「その子、見た目はちょっと怖くて、たまに言葉遣いも悪くなるんだけど、でもそんなこと気にならないくらい優しくて、こんな私に友達みたいに接してくれるの。バカな私には勿体ないくらい、素敵で可愛い私の後輩......」
ミカは続ける。
「あの子の頑張りに、私はまだなにも応えられていない。あの子の不安を、取り除けていない。私が傷ついて、悲しんじゃう人がいっぱいいるのは分かってる。良くないことをしているのは、私自身が一番分かってる。でも、それでも、私は先輩としてできることをやり遂げたい。だからお願い、カズサちゃん達が考えたそのシナモンロールを、食べて欲しいの」
三度、沈黙が訪れる。それから美食研究会が牢を出るまで、食器がぶつかる音と「ピッ...ピッ...」という受信機の機動音以外の音が生まれることは、無かった。