ミカとカズサがパン屋でアルバイトをするお話 作:空を飛ぶジンベエザメ
章の名前からもなんとなく分かる通り、本エピソードは二人がまだ共有できていない互いの「過去」にまつわるものになります。その関係で本編のほのぼの平和な路線から少し離れた、ある意味でブルアカらしいシリアスでドタバタした場面が登場します。キャラが死亡したり大怪我をしたりする等、過剰な曇らせ展開は決してありませんが、それでも以降のストーリーについてはあくまで「おまけ」として扱い、読んでも読まなくても本編はしっかり完結しています、という形にさせて頂きます。
「それでも大丈夫!」という方は是非最後までお付き合い下さい!
1話 それぞれの使い方 その一
「以上で中間報告を終わります!」
厳かな雰囲気を醸し出す、ティーパーティーのテラス。いつも三人で紅茶を啜っているそこでは今、ミカが取り組んでいる最中のレポート、「アルバイトを通じて得た経験がティーパーティーの今後の運営にどう活きるかの考察」の中間報告を行っているところだった。報告が終わり、ミカが用意したレジュメをナギサはテーブルに置く。
「ありがとうございました、ミカさん。それではこれから質疑応答に移ります。まずはセイアさんから、何か疑問に思ったことはありますか?」
「そうだね......幾つかあるが、取り敢えず訊ねたいのは2章の書き出しについて。ここの文章なんだが......」
セイアは該当する行を指でなぞる。
「ミカ。ここ、AIで出力したものを改編せずにそのまま使用しただろう?」
瞬間、ミカはギクリとした顔でセイアを見た。
「な、なんで分かったの...?」
「おや、図星かい」
ミカの顔を見て、セイアは勝ち誇ったような表情を浮かべた。
「なに、難しいことじゃない。以前ミレニアムを訪れた際に知り合った者達から拝借したAIチェッカーにこのレジュメを読み込ませただけのこと。他にもAIを使用したと見られる箇所が看破されているが、ここだけ『一切の改編無し』という注意が出て来たから、これは実に良くないと思って訊ねてみたんだ」
「実に良くない」という部分だけやたらとねっとりした口調で言われ、ミカは悔しいやら申し訳ないやら、良く分からない気持ちになった。一月程前に提出したビーチの予算管理表は寝る間も惜しんで全て手作業で作成し、殆ど手直し無しで受理されたこともあって、余計に至らなさが募る。
「ミカさん、なぜ私の顔を見るのです?」
まるでいたずらがバレた小さな子供のような目で自分を見るミカに、ナギサは仕方の無さそうな溜め息を吐いた。
「だ、だって......」
「私はAIを使うな、なんて一言も言っていませんよ。確かに出力したものをそのまま使用したのは頂けませんが、書き起こした内容自体はミカさん自身で考えたものなのでしょう?それらからAIが考えたような陳腐さは感じられず、ミカさん自身の経験が活きたものであると私は感じました。特に3章の『先生以外の大人の力を借りることについての考察』は、悪意ある者達が数多く蔓延るこの学園都市で、あの心優しいマダムと働いたミカさんだからこそできた切り口だったと思います。良い報告でしたよ」
瞬間、ミカの表情がパッと明るくなった。自分の提出物をいつも異様に精査し、重箱の隅をほじくるような細かいところまで指摘して来るナギサがこんなにあっさりと褒めてくれるなんて......
「ですがそれ以上に...」
しかしミカのそれは直ぐにぬか喜びになる。「ナギちゃんありがとう!」と駆け寄ろうと瞬間、ナギサはそれを遮るようにして、ミカの顔に紙の束を差し出した。
「今回の報告に限らず、ミカさんの書く文章には読む人間の感情に訴えかけるような内容があまりにも多すぎます。これは小説ではなく、あくまでレポートなのですよ?その束は報告中、私が気になった点を纏めたものです。それを踏まえた上でブラッシュアップしたものを来週までに提出して下さい」
差し出された束には、報告を聞きながら走り書きで書いたとは思えない、理路整然とした箇条書きで、レポートの粗を指摘した内容が淡々と綴られていた。「読む人間の感情に訴えかけるような内容が多い」と評されたミカのレポートとはえらい違いだ。
「はーい...」
ミカは口を尖らせて束を受け取った。正直、報告を始めた時点でこうなることは薄々予想がついていたけど、それでも上げてから落とされるのは中々に”来る”ものがあった。
「それではこれで報告会を終えたいと思います。セイアさんも他に指摘しておきたいものがあればメモに纏め、本日中にミカさんに提出して下さい」
「え、え...!?これで終わり...!?ちょっと早すぎない!?」
質疑応答の時間と言っておきながら、これと言った質問が一切されずに終わったことにミカは目を白黒させた。
「おや、ミカ。もしかして私とナギサによる激詰めを期待していたのかい?君も中々、好き者だね」
セイアの瞳がいつも通りいたずらっぽく光る。
「言葉を選んで下さい、セイアさん。それに私がこのように紙で纏めたのはミカさんの報告を軽んじているからではありません」
少々下品な言葉を使ったセイアを窘めたナギサは横目でミカをちらりと見た。
「ミカさん。報告に夢中になって忘れていませんか?この後貴女はストリートマーケットで、フェスタで使われた資材の搬出に立ち会うのでしょう?」
「あ...」
ミカは急いで腕時計を見る。今の時刻は11時半。そして搬出の開始は、今から一時間後の12時半に開始予定。学校からマーケットまではミカの足で30分程。今から出発したのでは予定の時間ギリギリになってしまう。
「忘れてたーッ!ナギちゃんなんで教えてくれなかったのーッ!?」
ミカを見るナギサの目が、すっと細くなった。
「貴女がいつ私にタイムキーパーをしてくれ、なんて頼みましたか?報告の発表者である以上、報告中の時間管理も発表者の仕事です。それが出来なかったミカさんに、ただの聞き手であった私を咎める権利はありませんよ」
「......ッ!」
氷のように冷たいナギサに「バカッ!」とか「イジワルッ!」とか「ナギちゃんッ!」とかの言葉が腹の奥から喉元まで一気に込み上げてきたが、口から飛び出す前に辛うじて押しとどめた。遅刻という事実が目と鼻の先に迫っている以上、今ナギサにブーブー言っている暇は一秒たりとも無い。
「とりあえず行ってきます!!ご清聴ありがとうございましたッ!」
ミカは報告に使っていた資料をその場に放置し、電光石火の勢いでテラスを飛び出して行った。いつかのように、蝶番がへし折れる勢いで扉が閉じられる。
「......全く。あれではアルバイトで何を学んだのか、まるで分かりませんね」
ナギサは呆れつつも、ミカの報告が始まってから一切口をつけていなかったせいですっかり冷めきってしまった紅茶の入ったカップを口に近づける。だがその時
「その前にッ!」
扉が再び開かれ、一抱え程もある大きな段ボールを持ったミカがテラスに突撃してきた。ミカは唖然としているセイアの前にその段ボールを置くと、
「これセイアちゃんにプレゼントッ!!バイト代で買ったんだ!それじゃあねッ!!!」
と、これまた電光石火のスピードで言い残して、再び姿を消した。
『......』
状況が飲み込みきれていない二人は、ピンク色の嵐が通り過ぎて行った、開け放たれた白い扉と、そのピンク色の嵐が運んで来た段ボールを交互に見る。
「バイト代で買ったと、言っていたね......一体私に何を...」
ティーカップを持って硬直するナギサの横で、セイアは自分の目の前に置かれた、自分の身体がすっぽり入ってしまいそうなくらい大きな段ボールをそっと開いた。
「......!これはっ!」
中身を見た途端、セイアの瞳に、今度は少年のような無邪気な光が宿った。
「見てくれナギサ!」
やや興奮気味のセイアが引っ張り出したものを見て、ナギサは首を傾げた。
「それは、一体なんですか...?何かの、オイル...?」
セイアがナギサに見せて来たのは、円柱形の大きなアルミ缶だった。
「そうだよナギサ!これは車のエンジンオイルさ!しかもカイザー製の安い紛い物では無く、メーカー製の純正品だ!ちょうどそろそろオイルの替え時だと思ってたんだ...おぉ!しかもオイルフィルターまで入っている!これでパーツを注文する手間が省けた!どれ、他には...」
「ちょ、ちょっとセイアさん...!テーブルの上に物を並べるのは...」
しかしセイアはお構いなしに、まるでキツネが狩りをする時のように、上半身を段ボールの中に突っ込んで中身を漁り始めた。
「ウインドウォッシャー液にマイクロファイバークロス、それにパーツクリーナーと、メンテナンスグローブか...いずれも車の整備には必須の品だ!」
ほくほく顔のセイアがテーブルに所狭しと並べたのは、オイル缶の他に掌サイズの小さなフィルターとウォッシャー液が入ったタンク、メガネ拭きのような布の束と、缶スプレー、薄手の黒い手袋が詰まった紙の箱だった。厳かな雰囲気におよそ似合わない、無骨な品々が壁のように並ぶ光景に若干引き気味のナギサに対し、セイアは頼まれてもいないのにそれらの用途を説明し始めた。
「これはエンジン内のオイルから汚れを除去するフィルターだ。ウインドウォッシャー液は走行中にフロントガラスを洗浄してくれるもので、このマイクファイバークロスは吸水性に優れ、車に付着した水分や汚れを素早く拭き取れる優れものさ。そしてこのスプレーは車の内部機関を整備する際に付着している油汚れを洗い落とすもので、このグローブはそんな汚れから手を守ってくれる使い切りのグローブだよ。ミカが選んだとは思えないくらい、どれも私の需要に応えた品だよナギサ!」
セイアは嬉しそうに両手を広げた。ティーパーティーのやんごとなきお嬢様としてお金で買える大抵のものは手に入るセイアだが、そんな彼女がアルバイトで稼いだお金で買える消耗品を貰ってはしゃいでるのは、ちょっぴり不思議な光景だ。
「そう、なのですね...。車に興味の無いミカさんがこんなものを選ぶなんて、先生に相談でもしたのでしょうか...」
ナギサは嬉しそうなセイアを見て、寂しい気持ちが湧き上がって来るのを確かに感じていた。ミカが自分で稼いだお金で用意したプレゼント。どうしてセイアにあって、自分には無いのか、と。
(少々、厳しくし過ぎたのでしょうか......)
ナギサは紅茶を啜る。すっかり冷めきってしまったそれはしかし、秋の風で少し冷えた身体を温めてくれるどころか、湧いて来た感情を助長しただけに過ぎなかった。
(いえ、今はそんなことを気にしている時ではありませんね...)
本当はナギサにとってそんなことで済まないものではあったけど、セイアに余計な気を遣わせない為にも、ナギサは自分の感情を、飲み干した紅茶と共に腹の奥に無理やり押し込んだ。
「セイアさん。ミカさんからのプレゼントで喜ぶのは結構ですが、そろそろ私達も仕事を再開しましょう」
そう言ってナギサは一枚の紙を新たに取り出す。ミカのレジュメの下から現れたそれには、「アリウス分校とトリニティ総合学園間の合意協定に基づく、アリウスの一部自治区におけるトリニティの管理運営権設定について」と書かれていた。