ミカとカズサがパン屋でアルバイトをするお話 作:空を飛ぶジンベエザメ
セイアにプレゼントを渡した後、ミカはストリートマーケットへと急いだ。セイアに頼めば車の一つでも出してくれるだろうが、ナギサとセイアの二人はこれから新設されたアリウスの生徒会とリモート会議を行う予定の為、残念ながらそれは叶わなかった。
外出の準備にもたついてしまったこともあり、結局ミカがマーケットの噴水広場に着いたのは予定時刻から5分過ぎた12時35分だった。広場に繋がる各通りがロープや柵で交通規制され、フェスタの出店が並んでいた大通りを、解体された建材が積まれたトレーラーの群れがゆっくりと走る中、ミカは噴水の前で自分を待つ、柴犬の姿をした業者とハスミのもとに走り寄った。
「ハスミちゃんお待たせ...」
自分を見下ろす二人を前に、ミカは荒い息を吐きながら言った。
「ミカ様大丈夫ですか...?遅刻の連絡は受け取っていましたから、もう少しゆっくりでも良かったのですよ...?」
「ありがとう、ハスミちゃん...。でもこっちの都合で遅れたのに急がないってのは違うから...。えっと、あとは私がサインすればいいんだよね...?」
息が整ってきたミカは顔を上げると、ペンを取り出して、業者が差し出した数枚の書類にサインをした。
「ありがとうございました!あとは我々が責任を持って搬出させて頂きます!これからも黒柴通商をよろしくお願いしますね!」
「うん!こちらこそよろしくね!」
ミカのサインを貰った業者は朗らかに挨拶をすると、まだ動いていないトレーラーの方に小走りで向かって行った。
(これで、元通りだね...)
並び立つテントや照明、カズサ達がライブを行った特設ステージが全て解体され元の姿を取り戻した広場を見渡して、ミカは少しの間、フェスタまでの時間に思いを馳せた。
ここでもしカズサ達がライブをしていなかったら。シュガーラッシュはあのステージでライブをすることもなく、お店が優勝することもなく、そして何より、自分達の友情も決して生まれなかった。お店も今頃閉店していただろう。
(もしかして私がポスターを落としたのって、お財布を取り出した時だったりするのかな...?)
買い出しのついでに印刷しようと思って持ってきて、結局どこかで落としてしまった手書きのアルバイト募集ポスター。最後の演奏が終わり、チップを入れようと急いで財布を取り出したあの瞬間ならあり得る話だ。
(もしそうだったなら私はあの瞬間に、一万円の何百倍も大切なものをカズサちゃんに渡してたんだね...)
ただライブをしていた、だけでは足りない。あの時カズサがポスターを拾っていなければ何も始まりはしなかった。自分達の出会いは偶然が偶然を呼んだ、本当に奇跡みたいな出来事だったんだと、ミカは改めて痛感した。
「あの、ミカ様...?大丈夫ですか...?」
そうやってあれこれ考えていたせいで、ミカは再びハスミに心配されてしまった。
「え?あ、うん大丈夫!少し考え事しててね!ねぇハスミちゃん!折角だし、ちょっとお話していかない?」
「そうですか。あの件も、もうそこまで進んでいるのですね」
「うん!もう連邦生徒会に話は通ってるから、今日の会議が上手くいけばトリニティは正式に管理権を持つことになるんだって!」
ビーチサイドの歩道を歩きながら、二人はそんな会話をしていた。
アリウスの一部自治区に対しての、トリニティによる管理運営権の設定。それは目下、両校の友好関係を深める重要事項の一つとしてナギサ達が取り組んでいるプロジェクトだ。
古来から続く暗い因縁や歪められた思想からようやく脱却し、新たに歩み始めたアリウス分校。けれど長らく不毛の地となっていたその自治区をアリウスの力のみで再興することは容易では無く、復興支援の一環として、トリニティは自治区の幾つかを諸々の権利と共に一時的に譲り受け、その上でインフラ等の整備を行うことを進めていた。
「それはとても良い報せですね。実を言うと本日はイチカも、アリウスで行われている近接戦闘訓練に参加しているんですよ。一対多の状況にも対応できるアリウス式のCQBは、正義実現委員会の戦力強化にも大きく貢献しているんです」
「へーそうなんだ!」
その時、鈍いエンジン音を響かせながら数台のトレーラーが真横を通り過ぎて行った。トレーラーが吐き出した黒い排ガスを誤って吸ってしまい、二人は大きく咳き込んだ。
「ゴホッ、ゴホッ!ひ、人通りの多い場所を走っているのですから、もう少し配慮して欲しいものですね...」
「ゲホッ...!ご、ごめんね。元々は夜に運び出す予定だったんだけど、今日の深夜にアリウスと合同で砲兵部隊の訓練が入っちゃって...」
大型のトレーラー達をわざわざ昼間に動かし、ストリートマーケットに交通規制を敷いたのもアリウスがまた関わっていた。訓練に使うキャノン砲や砲弾の移動との兼ね合いや、訓練中の通行規制エリアがトレーラーの運行ルートと被ってしまった関係で、建材の搬出が急遽繰り上がってしまったのだ。
「そう、でしたね...。まぁ、これも両校が共に歩み出した証と捉えれば...」
そう言って顔を上げた瞬間、ハスミの目の色が変わった。たった今自分達とすれ違った女子生徒達の持つ、シナモンロールを見てしまったせいで。
「は、ハスミちゃんどうしたの...?顔、怖いよ...?」
飢えた獣の如き眼光でシナモンロールを目で追うハスミに、今度はミカが彼女を心配した。
「...ハッ!?こ、これは見苦しいところを...!」
大きな黒い羽をパタパタさせ、恥ずかしそうに口元を隠すハスミ。そんな彼女の顔を、ミカはニコニコしながら覗き込む。
「そ、その顔は一体なんですかミカ様...?私は問題ありませんよ...!」
その言葉を遮るように、ミカはゆっくりと首を横に振った。さっきの顔を見て、問題ないと判断するほうが問題だ。
「ハスミちゃん、正直になろ?あのシナモンロール、食べたいんだよね?」
「えぇ嘘!?ハスミちゃん、まだここのシナモンロール食べたこと無かったの!?」
小さなパン屋に続く行列に並んでいる途中、ミカはハスミから告げられたその衝撃の事実に、変装の為に身に着けた伊達メガネ越しに目を丸くした。
「はい...恥ずかしながら...」
ハスミはその大きな身体を縮こませながら答えた。
「どうして!?ハスミちゃん甘いもの大好きだし、このお店スイーツフェスタでメチャクチャ話題になってたじゃん!」
これまで何度もダイエット宣言をしつつも、結局は甘いものの誘惑に耐え切れずにいつも破綻してしまうハスミが、皆で勝ち取った優勝で大注目されたシナモンロールを知らないはずがない。
「それは私がまだダイエット中だからです...!以前のバカンスで先生の前にだらしない身体を晒し、このままではいけないと決心した減量計画...!そのお陰で私は生まれて初めて、一か月以上高カロリーの糖分を摂取しないことに成功しているのです...!」
ハスミはグッと拳を握る。しかしそこからは達成感では無く、「この生活がまだ続くのか...」という苦しみがひしひしと滲み出ていた。
「でも私と会ったせいでその記録も終わっちゃう、と。前から思ってたんだけどさ、ハスミちゃんってダイエットしなきゃいけないような体形じゃないと思うよ?ほっぺが変に丸い訳じゃないし、いつもシュッとしてると思うけど」
ミカの優しい言葉に、とっくに限界を迎えていたハスミの決意がぐらりと揺らぐ。
「それは、本当ですか...?」
「うん!」と、ミカは頷いた。
「女の子同士でこんなこと言うのもどうかと思うけどさ、ハスミちゃんって身体が大きいから他の子と比べて体重とかも気にしちゃうと思うんだけど、だからって無理に痩せようとしたらむしろ身体に悪いよ?正義実現委員会なんて身体がしっかりしてることが一番大事だと思うし、好きなもの我慢してストレス溜め込んじゃうならちょっとくらい甘いもの食べたほうが絶対良いって!だから今日はチートデイってことにしよ!」
チートデイ。その言葉でハスミの決意は完全に崩壊した。
「そ、そうですよね!私も少々無理をし過ぎていたのかもしれません!こうしてミカ様と会ったのも何かの...」
「ハスミちゃんシーッ!喜んでくれるのは嬉しいけど、私今日はお忍びで来てるから...!」
ハスミは慌てて口を塞いだ。お店に変な噂が流れたり、そのせいで秘密のピザパに影響が出たりしない為にも、フェスタ以降ミカがお店で働いていたという事実は、それなり以上に固く隠ぺいされている。今のミカがわざわざ変装をしているのもその為だ。
そんなこんなで二人は数十分の待ち時間の後にお店に足を踏み入れた。一躍大人気のお店になったことで売り上げも爆発的に伸びたおばあちゃんのお店ではあるが、「ミカとカズサが働いていた時の店内をできるだけ維持したい」というおばあちゃんの意思で、レジカウンターの後ろにトロフィーが飾られているのと、追加のイートインスペースとして店の外にある広場に椅子とテーブルが設置された他は、ミカが初めて訪れた時と何も変わっていなかった。
「いらっしゃいませー!...って、あ」
カウンターの向こうで会計を行っていたヨシミは、来店したお客さんの正体にいち早く気付いた。伊達メガネの他にも、くるぶしまで伸びるロングスカートにスウェット。更には無地のキャップという、お嬢様感を極力殺したカジュアルコーデに身を包んでいるミカだったが、フェスタの一日目に似たような格好で一緒に働いていたヨシミにとってそれは、変装でもなんでも無かった。
(ミカ様がこうやってお店に来るの初めてだな...。それにあの人は正義実現委員会の...)
狭い店内で羽を小さく折り畳み、目をキラキラさせながらパンを物色するハスミ。モデルみたいに身長が高い人が子供みたいに心ときめかせているギャップが面白くて、ヨシミはミカとハスミをずっと目で追っていた。
「これが噂のシナモンロール...!どれもカラフルでとても美味しそうです!!」
「ハスミちゃん見て見て!秋の限定ロールだって!」
以前までレモンチーズケーキがあった棚に目新しいメニューが置かれているのにミカは気付いた。
「上にマロンクリームが乗っているのですね!これも食べてみます!」
既に他のフレーバーでギッチリになっているトレイに、ハスミは器用に限定ロールを乗せる。ミカのお許しに加え、イチカを始めとしたお目付け役がいないこともあって、今の彼女を止められる者は誰もいなかった。
結局ハスミは限定を含めた全てのシナモンロールを、ミカはプレーンのシナモンロールとフレンチトーストを持ってレジに並んだ。
「イートインでお願いします!」
レジに立ってそう告げた瞬間、ミカの声に反応したおばあちゃん、アイリ、ナツの三人が、カーテンがかかった厨房の入り口からひょこっと顔を出した。
(皆やっほ!)
小声でそう言って小さく手を振ると三人はにんまりと笑って、白く染まった手と翼をカーテンから出して振り返してくれた。ただその中には何故か、カズサの姿が無い。
(今日はカズサちゃんお休み?)
ミカは再び小声で、買ったパンをイートイン用の皿に乗せているヨシミに尋ねた。
(えっと、カズサは遅刻なんです。学校の課題がヤバいらしくて...)
(そう、なんだね...)
どこか含みのある言い方に違和感を覚えたが、後ろに他のお客さんが控えているせいもあって、ミカはそれ以上何も言及せずに会計を終えた。
(カズサちゃんが来たら私達が来たこと教えてあげてね)
(はい!)
それだけ言い残し、ミカとハスミはパンを持って外に出た。白と黒の羽がそれぞれ生えた背中に「ありがとうございました!」と告げたヨシミは、二人が扉を潜った途端険しい顔になると、カウンターに隠れるようにしてしゃがみ込み、ポケットから自分のスマホを取り出した。
「ホントにどうしたのよカズサ...!こんなに電話しても出ないとか、何かあったんじゃ...」
眉間に皺を寄せてヨシミが睨んでいたのは、モモトークのトーク欄にずらりと並んだ、カズサにかけた不在着信の履歴だった。