ミカとカズサがパン屋でアルバイトをするお話 作:空を飛ぶジンベエザメ
「しょっぱい...」
降り注ぐ塩辛い水滴を飲んでしまったミカは小さく身震いをした。
あれからミカ達は岩塩を含んだ地下水を浴びながら、大破したジープの中から無線機を引っ張り出して砲兵隊に救援を要請した後、聖堂の地下室に戻って気絶した不良達をしっかりと拘束した。トリニティというマンモス校に真正面からケンカを売ったのだ。彼女達はこれからナギサ達によって、それ相応の「対処」がなされることだろう。
全てが一件落着した後、一同は救援を待つ間聖堂の中に籠り、服と髪に対して着実にダメージを与える塩の雨から避難していた。しかしミカだけはそれに倣わず、一人瓦礫の上に座りながら、少しずつ白み始める東の空を眺めていた。そのせいでミカのピンクの髪はすっかり濡れ、更に塩分のせいでキシキシになってしまっていた。
(カズサちゃん...)
突入体勢を取っていた時に響いたカズサの言葉が、頭の中から離れない。
学校が公表しているあの記事を見ても、カズサは自分に幻滅するどころか、その過去を笑い飛ばして、その上で自分を変わらず肯定してくれた。それだけでなく、自分に対して怨嗟の言葉を未だに吐いてくる輩に対して、事実上の宣戦布告までしてくれた。最後に言っていた「最強のキャスパリーグ」の意味は分からなかったけど。
嬉しくて嬉しくて、涙が止まらなかった。過去を曝け出す勇気が無かった自分。後輩のことを信じられなかった自分。そんな自分を許せなかった自分。カズサの言葉は、そんな醜くくて暗い心の汚れを洗い流してくれた。「せめてもの恩返し」なんて言ってたけど、さっきの宣言に比べれば、自分がカズサにあげたものなんてほんの些細なものに過ぎない。
ありがとうって言いたかった。だけど皆と作業をしているうちにそのタイミングを逃してしまい、結局言えずじまいになっていた。
「せ~んぱい」
振り返ると、カズサが立っていた。髪はボサボサで埃まみれ、着ている服も傷だらけ。だけどその笑顔だけは、いつもと何も変わらなかった。
「ね、隣いいかな?いいよね?」
「ここにいたら濡れちゃうよ」と言う暇すら与えず、カズサはミカの隣にちょこんと座った。そのまま足をぶらぶらさせ、東の空のぼんやりと見つめる。
「先輩これ食べない?ナツが持ってたんだ。持ち物没収された時に、これだけは見逃してもらったんだって」
そう言ってカズサが差し出したのは、前にカズサも貰ったコーヒーキャンディだった。
「ありがとう...」
生返事をして、貰ったキャンディを口に放り込む。コーヒーとミルクの甘い香り。塩水を飲んでしまったせいもあって、優しい甘さがより強く舌に伝わってくる。
口の中でキャンディを転がす先輩の横顔を、カズサは横目で眺めていた。
綺麗で、無邪気で、可愛くて、だけどそれだけじゃない、真っすぐに芯の通った強さを持っている先輩。それはまるでおとぎ話の中の勇敢なお姫様みたいで、改めて自分はミカとは程遠い存在なのだと、そう思っていた。だけどそれは、間違いだった。
心から尊敬し、憧れていた先輩もまた、他人に知られたくない過去を持っていた。今、自分の横に座っているこの人の強さや優しさは、自分のせいで他人を傷つけてしまった後悔や反省の積み重ねの上に芽生え、枝葉を伸ばし、そして誰かを慈しんで守れるだけの大きな木へと成長したのだろう。そんな心地良い木陰にずっと座っていたせいで、カズサはミカの綺麗な姿しか見ることが出来なかった。
「ねぇ先輩。ちょっと聞いても良いかな?」
意を決し、カズサはミカに語り掛ける。
「あの、さ...。さっき私がアイツらに言った事、もしかして先輩も聞いてた...?」
ミカはキャンディを転がすのを止め、小さく俯いた。
なんて答えれば良いか、分からなかった。「そうだよ」って言うだけで、また涙が溢れてきそうだったから。先輩として、後輩の前で涙は見せたくなかった。
「...聞いてたんだね。顔見れば分かるよ。先輩って分かりやすい」
ハッとしてカズサを見た。頬杖をついて、優しく微笑みながらこちらを見るカズサの顔が、その時だけはひどく大人びて見えた。
「先輩が昔にやったことを知って、最初はやっぱりびっくりした。いくらナギサ先輩達のやり方が気に入らないからって、ミサイルは流石にやり過ぎだよ先輩!それにあの写真を見て、建物以外にも傷ついたものが沢山あったことは私でも分かった。でもね」
カズサは続ける。
「先輩の過去を知って私、嬉しかったんだ。いや、先輩が昔はとんでもないワルだったからじゃないよ!?ミカ先輩みたいな素敵な人にも、誰かに言いたくない暗い過去があるんだって分かって、少し親近感が出たっていうのかな?ミカ先輩と私、違うようで結構似てるじゃん!って思えたんだ」
ミカは目をぱちくりさせた。
「似て...る?そしたらカズサちゃんにも、何か言いたくない過去があるってこと?」
「ちょっと待って!」と告げ、カズサはパーカーのポケットに手を入れる。しかし
「そうだった...。スマホ失くしてたんだった...」
過去への戒めとして今でも数枚ほど残しているスケバン時代の写真を見せようとして、カズサはスマホを紛失していたことに改めて気付いた。こうなったらもう、直接話して信じてもらうしかない。
「言いずらいんだけどさ...。実は私、中学時代スケバンやってたんだ」
サラッと明かされたその事実に、ミカは瞬かせていた目をこれでもかと丸くした。
「え...え、えええぇ!?カズサちゃん嘘でしょ!?普通のお友達がいて、そのお友達とスイーツ食べてるカズサちゃんが、スケバン...!?」
「嘘言ってないよ。ホントのこと」
カズサはクタッとした笑みを浮かべた。
「さっき私が言っていたキャスパリーグってやつ。あれ、私の中学時代のあだ名なんだ。誰よりもケンカが強かった私にいつの間にか付けられてた、化け猫の二つ名。最ッ高に可愛くないニックネームだよね!それにレイサに強く当たるのもその時の名残?みたいな感じ。アイツもそれを分かってて、私を呼ぶ時はいつもフルネームかキャスパリーグって呼んでくるの。ホント、めんどくさい友達」
カズサがかつてはスケバンをやっていた。その事実をミカは飲み込み切れずにいた。でもよくよく思い出してみれば、おばあちゃんの魔改造バイクを嬉々として乗り回していたり、美食研究会を追いかけていた時に正義実現委員会のことを明らかに「サツ」と言っていたり、彼女がかつてヤンチャをしていたことを想起させるような言動はこれまで幾つも存在していた。
「そっか...。カズサちゃんにもそんなことがあったんだね...。だから、魔女に仕える最強の...」
「あぁそれは忘れて!!あれは勢いで言っちゃっただけだから!!」
カズサは慌てて両手をバタバタさせた。勿論ミカのことを支えたいという想いに、噓偽りは無かったけれど。
「そっか...。そ、それじゃ私達、同じ黒歴史持ちってことだったんだね!カズサちゃんの言う通り、私達違うようで結構似た者同士だったんだ!アハハ!」
それっぽい言葉を言って、笑うミカ。しかし対するカズサは笑い返すどころか、浮かべていた微笑を消し、真剣な眼差しでミカを見つめ始めた。
「え...?ど、どうしたのカズサちゃん?私の顔になにか付いてる...?」
一か月という短い、しかし濃密な時間をミカと過ごして、カズサは何となく理解していた。ミカのこの笑顔は、本心から出た笑顔じゃない。取り繕うにして張り付けたこの笑顔の裏には、まだ清算しきれていないミカのモヤモヤした心が隠されている、ということに。
カズサ小さく息を吸い、背筋をピンと立てる。そして、張り付いたミカの仮面を取り外し、モヤモヤを取り払う為の一手としてカズサが出した札は、ミカにとって思いもよらないものだった。
「カズサちゃん...!?」
カズサはミカに腕を伸ばし、煤と埃で黒く染まったその両肩をそっと抱き寄せた。
「ミカ先輩。もう一つだけ、私から伝えておかないといけないことがある。スイーツフェスタの一週間前に先輩が留置所でやったこと。実は私、あれ見てたんだ」
「え」
抱き締めるミカの身体に緊張が走ったのを、カズサは感じた。
「お店にいっつも来てくれる正義実現委員会の女の子いるでしょ?ミカ先輩と一緒に私達を助けに来てくれたあの子。あの子が牢屋の上にあるダクトまで私を案内してくれたんだ。だから私、あの時天井にいたんだ」
(ごめんね。アンタとの約束、破っちゃった)
心の中であの子に謝罪しつつ、カズサは続ける。
「あの時ミカ先輩が私達にしてくれたこと、私のことを優しくて友達みたいに接してくれる、大切な後輩だって言ってくれたあの時点で、ミカ先輩が昔どんなことをしたとか、私にはもうそんなことどうでもいいんだ。ミカ先輩、改めて言います。あの時、私達を信じてくれてありがとう。本当に本当に、感謝しています」
ミカの肩が震え始める。あと、もう少し。
「だからミカ先輩。そのお返しに私から一つだけ、お願いをさせて。カッコ悪いとか絶対に思わないから、辛くなったり泣きたくなったら、その時は私に思いっきりぶつけちゃっていいから。先輩が誰よりも強くて優しいのは私も良く分かってる。だからその分、私も先輩に頼られたいんだ」
混じりッ気の無い、澄み切ったその想いは、ミカの仮面を粉々に砕いた。
「...ありがとう、カズサちゃん...」
堰き止めるものが何も無くなったミカは、これまで溜めていた不安を一気に吐き出すように、カズサの肩に顔を埋め、静かに嗚咽を漏らし始める。カズサの肩を濡らすものが涙なのか、はたまた降り注ぐ塩の雨なのか、分からない程に。
いつの間にか朝日が顔を出していた。雨がその光を反射し、淡い虹を作り出す。カズサは涙を流すミカを抱き締めたまま、その七色の橋をぼんやりと眺めていた。