ミカとカズサがパン屋でアルバイトをするお話   作:空を飛ぶジンベエザメ

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5話 初仕事はベーグルと共に

ぶつぶつと小言を言い続けるナギサをセイアに引っ張って貰った後は、特に何事も無く時間が過ぎて行った。お昼前までにお店にやって来たお客さんは、巡回警備中の正義実現委員会の生徒が数人と中学生らしき女の子が一人、あとはおばあちゃんの知り合いだというお年寄りが数名だけ。やはり場所が場所なだけあって、観光中にふらりと立ち寄るような人間は殆どいないようだ。

 

(これならおばあちゃんがお店閉めるって決めたのも納得だなぁ......)

 

使い方を教えて貰ったレジの前で暇を持て余しながら、ミカはそんなことを考えていた。パンのクオリティは確かなのだが、このままの状況が続けば、もしトリニティの生徒間や自治区内で人気が出始めたとしても、その時にはもう「OPEN」の看板が顔を見せることはないだろう。丘を降りて、ビーチの周りやストリートマーケットに出張すれば話が変わってくるかも、とも思ったけど、おばあちゃんの身体や、いつまで働けるか分からない自分の立場を鑑みれば、それも現実的ではなかった。

 

「ミカさんミカさん」

 

ちょうど10時を回った時、ミカは厨房に呼ばれた。

 

「提案があるんですけど、良かったらミカさんの手で、お昼に出すベーグルを作ってみませんか?」

 

「ベーグル?ベーグルってあの、ドーナツみたいなパンのこと?」

 

ミカは両手で丸い形を作ってみせた。

 

「そうです!実は私のお店で以前出していたベーグルは、生地を作る時にパン捏ね機を使わずに手捏ねに拘って作っていたもので、そのもっちり食感が凄い評判だったんです!でも歳のせいで、今の私にはその生地を作れるだけの力が無く、ベーグルもメニューから無くなってしまったんです。でもナギサさんからミカさんは力持ちだと伺って、お若いミカさんの助力があればまた同じものを作れるような気がして!いかがでしょうか?」

 

思わぬ願い出に、退屈で澱んでいたミカの瞳が、輝き出した。

 

「勿論!私、何でもやるよ!」

 

ミカの言葉に、おばあちゃんも嬉しそうに頷いた。

 

「ありがとうございます!それではお昼の時間に間に合わせる為にも、早速調理を始めましょう!ミカさん、先ずは手の消毒をお願いしますね」

 

「分かった!」

 

厨房の洗い場で手を洗った後、ミカはおばあちゃんが用意したボウルの前に立つ。中には、サラサラになった大量の小麦粉と砂糖、塩、そして独特の香りを放つ粒状のドライイーストが入っていた。

 

「ベーグルの材料は結構単純で、小麦粉とイーストの他には砂糖と塩、そしてぬるま湯しか使いません。牛乳やバターと言った乳製品が含まれない為、パンよりも低カロリーでダイエット向きな食べ物とされているんです」

 

「へ~、そうなんだ」

 

普段あまり口にしないこともあり、ミカはおばあちゃんが話してくれた知識に素直に感心した。

 

「そしたらこのお湯をイースト目掛けて流し込んで、ある程度まとまりが出るまでゴムベラで混ぜて下さい」

 

ミカは受け取った耐熱容器に入ったお湯をボウルにそっと流し込んだ。お湯が混ざり、イーストの香りがふわりと漂うボウルの中身を、ミカはヘラでかき混ぜる。強く動かしたら生地がこぼれそうなので、慎重に。暫くヘラを動かしていると次第に材料がまとまり始め、丸い塊になってきた。

 

「良い感じですね!もう捏ねても良い頃合いです。ボウルの横にある捏ね台に生地を置いて、力いっぱい捏ね始めて下さい。掌全体で生地を広げたり、一纏めにした生地を殴るようにして捏ねるのがオススメですよ!」

 

「え、生地を殴るの......?」

 

木製の捏ね台に生地を移し、両手に打ち粉をしていたミカは思わずおばあちゃんの顔を見た。

 

「えぇ。ここで十分に生地を伸ばしておかないともっちりとした食感が出ないんです。さぁミカさん!ストレス発散のつもりで、思う存分やっちゃって下さい!」

 

その一言が、ミカに火を付けてしまった。

 

「分かった!じゃあ、思いっきりいくね!」

 

ミカはぎゅっと拳を握ると、丸くなった生地目掛けて、その鉄拳を力強く振り下ろした!

 

 

バキッ!!!

 

 

「......へ?」

 

柔らかい生地から出るはずのない音に、ミカが素っとん狂な声を上げた時にはもう、手遅れだった。ミカの拳の衝撃は生地の下に敷かれた捏ね台に伝わり、中心から真っ二つにしてしまっていた。

 

 

 

「ごめんなさいごめんなさいっ!後で絶対に弁償しますっ!」

 

初日からとんでもないミスをしでかしてしまったミカは、白くなった両手で身に着けたエプロンが汚れることを厭わず、おばあちゃんに平謝りをしていた。

 

「大丈夫ですよミカさん。捏ね台は他にもありますので、一つや二つ壊れたところで全く問題ありません。それにしても......」

 

おばあちゃんはミカの拳の跡がくっきりと残った生地を一度ボウルに戻し、二つになった捏ね台を手に取る。

 

「ふふふ...まさか勢い余ってペストリーボードを割ってしまうなんて......何だか、若い頃を思い出してしまいます」

 

「......え?」

 

不敵な笑いに混じって、聞き捨てならない言葉が聞こえたミカは急いで顔を上げる。しかし視線を戻した時には、おばあちゃんは新しい捏ね台を用意して、それに生地を乗せ終えていた。

 

「さぁさぁ、ミカさん。落ち込むのはここまでですよ!引き続き、生地捏ね頑張りましょう!ミカさんの力があれば、必ず良い生地が出来るはずです!」

 

「う、うん......!」

 

おばあちゃんの言う通りだ。今、自分がすべきなのはひたすらに謝ることではなく、店に置いても恥ずかしくないパンを作ること。ミカは再度打ち粉で両手を白く染めると、今度は捏ね台を破壊しないよう加減して、生地を伸ばし始めた。

 

ミカの板割りから約一時間後。捏ねが終わり、発酵を終えた生地は、イーストの力により、倍以上の大きさに膨らんでいた。

 

「凄ーい!こんなに大きくなるの!?」

 

ボウルから溢れんばかりに膨らんだ生地を見て、ミカは目を丸くした。

 

「これも全て、ミカさんが頑張ってくれたお陰です!さぁ、後は私に任せて下さい」

 

おばあちゃんは膨らんだ生地に羽の先で穴を開け、中に溜まったガスを抜いた。続いて生地をボウルから取り出すと、拳大の大きさにちぎって丸める。そして最後に細かくした生地を麺棒で薄く伸ばすと、それをくるくると棒状に丸め、先端を繫げてドーナツのような形に成形した。おっとりした言動からは想像できない手早いその動きに、ミカは釘付けになっていた。これならパンを焼きつつミカの朝食を作れたのも納得だ。

 

「あとはこれを茹でて、オーブンで焼けば完成です。ミカさんは焼き上がるまで、また店番をお願いしますね」

 

「え、ベーグルって焼く前に茹でるの?」

 

「そうなんです。ベーグルには『ケトリング』と言って、焼く前に砂糖やハチミツを混ぜたお湯にくぐらせる工程があるんです。これをすることで、ベーグル特有の艶が現れるんですよ」

 

おばあちゃんはそう言って、水を入れた鍋に火をかけた。

 

それから更に30分後。厨房から出て来たおばあちゃんが両の羽に乗せて来たのは、艶々とした光沢を帯びたベーグルがぎっしり並べられたトレーだった。一方のトレーのベーグルは半分に切られ、間に葉野菜とツナが詰められている。

 

「出来ましたよ、ミカさん。半分は以前お店で人気だった、『ツナマヨとキャベツのマリネのベーグルサンド』です。良かったらお好きなほうを一つ、食べてみて下さい」

 

ミカは焼き立ての香りに誘われるように、サンドイッチではないプレーンのベーグルに手を伸ばし、そのままがぶっとかぶりついた。

 

「熱ッ...!」

 

閉じ込められていた熱が口の中に流れ込み、ミカは慌てて口に手を当てた。しかしそれと同時に伝わって来た小麦の甘い味に、ミカは目を見開いた。

 

「美味しい......!」

 

ベーグルは、もっちりというよりはむっちりという表現が似合うほどに強い弾力があり、それを飲み込もうと噛めば噛むほどに素朴な甘さが溢れ出て来る、それはそれは美味しいものだった。多幸感に溢れた表情でベーグルを頬張るミカの顔を、おばあちゃんは満足そうに見守っていた。

 

「ご馳走様でした!やっぱりおばあちゃんは凄いよ!こんな美味しいベーグル、私生まれて初めて食べた!」

 

ベーグルをぺろりと平らげたミカは、嬉しそうに羽をパタパタさせた。そんな彼女に、おばあちゃんは小さく首を振った。

 

「いいえ。その美味しさを生み出したのは私ではなく、ミカさんです。ベーグルに限らず、パンの美味しさは捏ねの段階で全てが決まると言っても過言ではありません。ミカさんが頑張って生地を引き伸ばしてくれたお陰で、またベーグルをお店に並べることができました。本当に、ありがとうございます」

 

「......!」

 

鼓動が高鳴るのを、ミカは感じた。先生以外の大人から初めて貰った、心からの感謝の言葉。自分のした仕事を正当に評価してくれたその言葉は、心を許して甘えられる先生から貰うのとはまた違った温かさがあった。

 

ミカが胸の高鳴りに気を取られている間に、おばあちゃんは空いている棚にベーグル達を置く。その時、背後からドアベルの音がした。

 

「こんちわっす~。あ、ホントにミカ様がいるっすよ!」

 

「ミカ様こんにちは。エプロン姿のミカ様も素敵ですね」

 

来店したのはイチカとハスミだった。暑い中での巡回で、二人共うっすらと汗をかいている。

 

「イチカちゃんにハスミちゃん!お昼食べに来たの?」

 

「はい」と、ハスミは答えた。

 

「後輩達がここのパンが安くて美味しいと教えてくれたのと、ミカ様がお忍びで働かれているということを聞き、お昼はここにしようと決めていたんです。ミカ様、何かオススメはありますか?」

 

「うん!お昼の時間に出す用の焼き立てがあるよ!ハスミちゃんは甘いもの好きだから、メロンパンとか、チョコデニッシュとかどうかな?あ、それとナギちゃんが昨日シナモンロールが美味しいって言ってたよ!」

 

「それは......!」

 

メロンパン。チョコデニッシュ。シナモンロール。魅力的な響きに、ハスミの口角がたちまちに上がった。しかしそんな彼女の顔を、イチカがぬるりと覗き込む。

 

「ハスミ先輩~?先輩今、ダイエット中っすよね~?いくらミカ様の前とはいえ、そんな甘いもの食べて良いと思ってるんすか~?」

 

ぎくりとしたハスミは、わざとらしく咳き込んだ。

 

「そ、そうでした......。ミカ様、何かヘルシーなものはありますか?」

 

明らかに声のトーンが落ちたハスミの言葉を聞いた途端、ミカは期待に満ちた目で二人を見た。

 

「だったらあのベーグルはどうかな!?牛乳とかバターとか使ってないから、凄くヘルシーだよ!」

 

キラキラした瞳でベーグルを指さしたミカを見た二人は何かを察したように互いに顔を見合わせた。

 

「でしたら、それにしましょう」

 

「私もベーグルにするっす!」

 

イチカとハスミはプレーンとサンドイッチのベーグルを一つずつ買い、イートインスペースに腰かけた。二人が食事をしている様を、ミカは固唾を飲んで見守る。

 

「ハスミ先輩!このベーグル、もちもちでとっても美味しいっす!」

 

「はい。サンドイッチのほうも、マリネとツナマヨの酸味が絶妙です!これなら食欲が減衰しやすい夏にもぴったりですね!」

 

「先輩にその心配は必要なさそうっすけどね~」

 

「...ッ!よ、余計なお世話ですっ...!」

 

二人のそんなやり取りを聞いてしまったせいで、ミカは学校に帰ってナギサの説教を食らうまで、溢れるニヤニヤを抑えるのに必死だった。

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