ミカとカズサがパン屋でアルバイトをするお話 作:空を飛ぶジンベエザメ
6話 路上ライブの対価とアルバイトの募集
「ありがとうございました~」
店員に礼を告げたミカは、スパイスの香りとエアコンの冷気に満ちた店内から、夏の日差しが照り付ける大通りへと繰り出した。
ミカがバイトを始めてから、一週間が経った。初日にベーグル作りを手伝って以降、おばあちゃんも色々な仕事を任せてくれるようになった。今、ミカが香辛料の専門店で買い物をしていたのも、おばあちゃんに替わって材料の買い出しに出向いていたからだ。
「えっと、スパイスはこれで全部買ったから......あとはスーパーマーケットで買えるものだけだね」
おばあちゃんがくれた買い出しのメモを見ながら、ミカは熱くなったレンガの道を歩く。
(それにしても、このマーケットも随分大きくなったな......)
今彼女がいるストリートマーケットは、かつてのプライベートビーチの直ぐ近くに位置しているもので、以前からそれなりに活気があったのだが、ビーチによる集客効果により数週間で急激に発展し、今や以前とは比較にならないほどの賑わいを見せていた。商機を見出し、この通りに出店を希望した各事業者との折衝に多大な時間を要したのも、先生やナギサ達の睡眠時間を奪った要因の一つである。
スーパーを目指し、人でごった返す大通りを進んでいたミカはやがて、通りの中心に位置している広場に出た。大理石で出来た大きな噴水が眩しい広場は、噴水が生み出す水音とマイナスイオンのせいか、ほんの少しだけ涼しく感じられた。そんな噴水の足元から、何やらポップな音楽が聞こえて来る。
(路上ライブやってるんだ......)
背伸びをして噴水のほうに視線をやると、四人の、高校生らしき女子生徒達が噴水の前で路上ライブをしていた。トリニティの生徒だろうか。でも確か、トリニティに軽音楽部は無かったはず...
普段あまり耳にしない、軽快なベースギターの旋律と、リズミカルでポップな歌詞に、ミカの身体は自然と人混みを掻き分けていた。しかし、いざ噴水の前まで来た時、ちょうど演奏が終わってしまう。
「ありがとうございました!最後は私達の代表曲、『彩りキャンバス』で締めたいと思います!」
最前列でボーカルを担っている、猫耳の女子生徒がそう叫ぶ。彼女の少し前には開かれたギターケースと、バンドのロゴマークが貼りつけられたボードが置かれている。ケースの中には、小銭がまばらに転がっているだけ。やはり路上ライブの宿命と言うべきか、無名のバンドの演奏にわざわざお金を落とすような人間はごく少数のようだ。
♪透明のキャンバス それは退屈で
最後の演奏が始まった。
(楽しそう......)
伴奏が始まった瞬間からミカの心を惹かせたのは、クラシックや協奏曲ではまず聞かないキャッチーなコード進行でも、若々しいモダンな歌詞でもなく、「楽しそう」という、ごく単純な感情だった。
♪世界に響いた小さな
キーボートを弾く長髪の子も、ぽやぽやとした表情のままドラムを叩く子も、ボーカルの子の斜め後ろでベースを弾く金髪の子も皆、頭上の太陽に負けないくらいに輝いていた。彼女達から溢れ出す、技術や慣れだけでは決して生み出せない、澄んだ熱意がミカの心を確かに打つ。
♪弾けそうなくらいに歌おうよ 未来の色を!
ボーカルの子が歌い終わりに、腕を天高く掲げた。まるで見えない糸に引っ張られたように、ミカもまた空を見上げる。キヴォトスの青い夏空。そのキャンバスに浮かぶ、大小様々な白い雲の群れ。バイト中に見ているその景色が、その時だけはとても綺麗に見えた。
「ありがとうございました~!これからもシュガーラッシュをよろしくお願いしますっ!」
最後の演奏を終えた四人は挨拶も手短に、早くも撤収の準備を始める。ミカはふと、腕時計を見た。
(え、もうこんな時間......!?)
のんびりで良いと言われたとはいえ、ウィンドウショッピングをしながらの買い出しは流石に不味かった。ミカは鞄から財布を引っ張り出すと、まだ開いているギターケースに急いでチップを入れ、買い出しへと戻っていった。
『お疲れ様~!!乾杯!!』
路上ライブを終えた放課後スイーツ部の四人は、最近新しく出来たばかりのカフェのテラス席で打ち上げをしていた。乾杯の音頭と共に、それぞれの冷たいドリンクをぶつけ合う。
「ねぇ信じられる!?私達、今日だけで一万円も稼いだのよ!?」
冷たいフローズンヨーグルトのストローから口を離すや否や、興奮冷めやらぬといった感じでヨシミが言った。
「正確には一万円と240円だね。雑多な小銭達の中で燦然と輝く、大きな紙幣...。ライブを終え、ケースを覗いた時にこれを見つけた時の私は正に、灼熱の砂漠でオアシスを発見した時のよう......」
「あんた砂漠で遭難したことなんて無いでしょ!?洞窟で迷ったことはあるけど!」
「う...それは言わない約束...」
自分の世界を展開し始めたナツに、ここぞとばかりにツッコミを入れるヨシミ。ついでに黒歴史を引っ張り出され、ナツは少し肩を落としながら、手に持っていた一万円札をテーブルの上に置く。
”とある目的”の為のお小遣い稼ぎとして急遽決まった、ストリートマーケットでの路上ライブ。ただ、路上ライブで稼げるような額などたかが知れているので、お金稼ぎ、というよりかは夏の思い出作りの一つとして臨んだ...のだが。まさかチップとして、千円札どころか一万円札を置いていく人がいるとは夢にも思わなかった。
「それにしても、どんな人が入れてくれたんだろう...?」
テーブルの上のお札を眺めながら、アイリが首を傾げた。
「きっととんでもないセレブがいたのよ!ほら、この近くのビーチってこの間までプライベートビーチだったでしょ?だから一万円札をポンと出せるような人がチップをくれたのよ!」
「いや、違うね......」
ヨシミの推察に対しナツが懲りずに、もったいぶったように首を振った。
「これはきっと、私達の演奏に目を付けた敏腕プロデューサーからの挑戦状だったんだよ!お金だけを出して、後はバンドに全て委ねる。そしてその姿を露わにした時に初めて、そのバンドは認められたことになる......!」
「な、何だってー!?...って、そんなわけ無いでしょ!そんなまどろっこしいことするプロデューサーどこにいるってのよ!?」
今度はノリツッコミで対応するヨシミ。この愉快な不思議ちゃんに付き合っていると、変なスキルが磨かれるようだ。
「あはは...それはそれでマンガみたいで面白いけど...ってカズサちゃんどうしたの?さっきから何か見てるみたいだけど...」
当たり障りのない言葉でその場を取り繕ったアイリは、自分の向かい側に座っているカズサに話しかけた。カズサは乾杯を終えてからというもの、自分だけ会話に混じらず、手に持ったポスターのような紙をずっと眺めていた。
「ほう、さてはカズサ...既にどのスイーツから狙うか目を付けているね...!流石、恐怖のキャスパリーグにして放課後スイーツ部の斬り込み隊長だ...」
瞬間、ナツの眉間に冷たい塊がクリーンヒットした。虫の居所を悪くしたカズサが、自分のクリームソーダに入っていた氷を投げつけたのだ。驚いて身体を仰け反ったナツは「のわぁっ!?」という情けない叫びと共に、椅子ごと真後ろにひっくり返った。
「......次それやったら目玉に氷ねじ込むから」
氷柱のように冷たく鋭い声で、カズサは見えなくなったナツを脅した。
「...こ、降参...目は流石に勘弁して欲しい...」
その言葉に対し、まるで白旗を振るかのように、何かの紙をひらひらさせるナツの腕が伸びて来た。
「それ、スイーツフェスタのチラシじゃん......」
カズサは仕方なさそうに溜め息を吐いた。
「考えていることは一緒ということだよ、カズサ」
ひょっこりと顔を出したナツは、手にしていたチラシをお札の横に並べる。
「ラストサマー・スイーツフェスタ in トリニティ総合学園」チラシには大きくそう書かれていた。これこそが彼女達がお小遣い稼ぎを行っている最大の理由だ。ビーチが解放された記念として、このストリートマーケットで大きなスイーツフェスが開催されることが決まり、放課後スイーツ部の四人はここに出店される全てのスイーツを制覇すべく、その資金を集めている最中だった。
「やっぱこのチラシ、見てるだけでワクワクしちゃう!アイリは確か、ここのアイスから攻めるんでしょ?」
「うん!でもこのケーキ屋さんのモンブランも絶対食べたいって思ってる!絶対並ぶだろうし、ブース近いと良いなぁ...」
「まだ出店の募集も終わってないから、チラシに無いお店も出て来るだろうしね」
「あ、あと今回は人気投票もできるんだったよね?投票した人は一口シューアイス貰えるし、これも忘れないようにしないと!」
「かき氷やアイスクリームに加え、秋の味覚を使ったスイーツ。ラストサマーを冠しているだけあって、夏と秋の甘味を同時に味わえるこのフェス、放課後スイーツ部として制覇以外の選択肢は無い。それでカズサ、カズサはどこから攻めるか決めたのかい?」
三人が来たるフェスティバルに思いを馳せる中、カズサは何かを思案しているような顔で、自分が持っていた紙を見せた。
「アルバイト募集......?」
「そ。お金集めてたギターケースの前に落ちてたの」
カズサが見ていたのはフェスのチラシではなく、手書きのアルバイト情報だった。
「『丘の上のパン工房』...?聞いたこと無いお店だね...この辺りのパン屋さんなのかな...?」
アイリはそう言って、スマホの地図アプリで検索をかけてみることにした。
「あった!うわ、このお店、この先にある丘のてっぺんにあるよ。お店の口コミも一つも無いし、何か、知る人ぞ知るお店って感じ......こんなとこにバイトで来る人いるのかな......?」
「......私、面接行ってみようかな」
その言葉に、三人は一斉にカズサを見た。
「カズサちゃん、本当......?」
カズサは、照れ隠しのように頬を掻いた。
「い、いやさ...。路上ライブだけじゃ資金足りないだろうし、それに前から高校生になったらバイトとかしなきゃな~と思ってんだけど、仕事中に同級生とかと会うのやだなって、結局できずにいたんだ。でも、こんなところにあるパン屋なら知ってる人あんま来なさそうだし、良いかな~って...。ど、どうかな...」
瞬間、アイリ、ヨシミ、ナツの顔がにんまりと笑った。気色悪いほどの笑みに、カズサは軽く息を飲む。
「凄い良いと思う!理由はどうあれ、自分の力でお金を稼ぐって言えたカズサちゃん、偉い!」
「まさかカズサの口から『バイトしなきゃ』なんて言葉を聞けるなんて思わなかったわ!」
「成長したね、カズサ......」
まるで成長した我が子を見るような三人のその態度に強い羞恥を覚えたカズサは、それを隠すかのようにコップに残っていた氷を勢い良く口に流し込んだ。