禪院家からの陰湿な嫌がらせを実力でねじ伏せ、真希・真依の双子と数年ぶりの再会を果たしてから早いもので二年という歳月が流れていた。
都内の一等地にある高級ホテルのラウンジ。仄暗い照明と静かに流れるジャズが、大人の空間を演出している。その窓際の席で周囲の視線を密かに集めている一組の男女がいた。
一人は、顔の右半分を隠すように結い上げられた長い銀髪が特徴的な、妖艶な美女。一級呪術師にしてフリーランスの守銭奴、冥冥である。
そして彼女の対面に座るもう一人こそが、土師菅公(はじすがきみ)だった。
現在、菅公の年齢は十二歳。一般的な小学六年生から中学一年生にあたる年齢だが、その肉体は這般の常識から大きく逸脱していた。
二年前、師である冥冥の腰にも満たなかった身長は、今や彼女の背丈を優に追い越し、178センチメートルにまで達している。制服の下に隠された肉体には無駄な贅肉など一切なく、かといって過剰に肥大化した筋肉もない。まるで野生の豹のようにしなやかで、極限まで研ぎ澄まされた鋼のような筋肉が全身を覆っていた。
落ち着き払った冷徹な眼差しと、完成されつつある端正な顔立ち。冥冥と並んで歩けば、誰もが彼らを年齢差のある恋人同士、あるいは裏社会の訳ありカップルだと勘違いする。十二歳の少年だとは、神に誓って誰も思わないだろう。
「それで、今回の仕事のオファーだけど」
ブラックコーヒーを優雅に啜りながら、冥冥がテーブルの上に数枚の写真を滑らせた。
「特級呪物『コトリバコ』。その護送任務に当たっていた二級術師二名が、昨晩から行方不明になった。上層部からの依頼は行方不明者の捜索と奪われた『コトリバコ』の回収、及び破壊だよ」
「……なるほど。二級術師二名の安否はどうでもよく、本音は特級呪物の回収が最優先というわけですね」
菅公は写真に目を落としながら、感情の読めない声で呟いた。
写真に写っているのは、禍々しい呪力を放つ精巧な木箱と、行方不明になったという若い二級術師たちの顔写真だ。
「その通り。彼らにとって術師の命など特級呪物による被害拡大の天秤にかければ軽いものだからね。尤も、私にとっては報酬の額さえ弾んでくれればどちらが優先でも構わないのだけれど」
冥冥の言葉に、菅公は短く同意の息を吐いた。
「敵の目星はついているんですか?」
「私の可愛い烏たちが、既にアジトを特定しているよ、犯人は組屋鞣造(くみやじゅうぞう)を筆頭とする呪詛師のグループ。コトリバコをどうするつもりかは知らないけれど、彼らが大人しく返すとは思えないね」
「問題ありません。敵は全て皆殺しにします」
菅公の口から出た言葉は、十二歳とは思えぬほど氷のように冷たく、残酷だった。しかし、冥冥は咎めるどころか、楽しげに唇を歪める。
「頼もしいね、菅公。私の仕事は索敵まで、君が稼いだ報酬の何割かは私に還元されることを忘れないでね」
「ええ、分かっていますよ。師匠」
五条家の先祖である大怨霊・菅原道真。その道真のさらに先祖にあたるのが、古来より葬送や陵墓を司ってきた「土師(はじ)家」である。菅公はその土師家の血を濃く受け継ぐ末裔だった。
彼の内に眠る呪力と術式は、御三家である五条家すら凌駕し得る底知れぬポテンシャルを秘めている。
***
深夜、郊外にある廃棄された巨大な工場跡地。
月明かりすら届かないその場所は澱んだ呪力が霧のように立ち込めていた。鼻を突くのは、鉄錆の匂いと、生臭い血の匂い。
工場の屋根には冥冥が操る黒烏が何羽も止まり、眼下の様子を監視している。
「……五人、ですか」
工場の入り口に音もなく降り立った菅公は、内部から漏れ出る呪力の残穢を正確に読み取った。
鉄扉を蹴り破るような無粋な真似はしない。菅公は施錠された鎖を素手で握り潰し、ゆっくりと工場内へと足を踏み入れた。
「あァ? なんだテメェ、ガキ……?」
工場の中央、ドラム缶の焚き火を囲んでいた三人の呪詛師が、突然現れた侵入者に気付いて立ち上がる。彼らの足元には、血まみれになった見覚えのある服の切れ端と、原型を留めていない肉塊が転がっていた。行方不明になっていた二級術師たちの成れの果てだ。
「おいおい、呪術連中も人がいねェな。こんなガキを寄越すなんてよォ!」
下卑た笑いを浮かべた一人の呪詛師が、鉈のような呪具を構えて菅公に斬りかかる。
通常の戦闘において、菅公は意図的に自身の術式を使用しない。
彼にとって、大半の敵は「術式を使う価値すらない」有象無象だからだ。
「遅い」
菅公の姿が掻き消えた。
「へ……?」
呪詛師が疑問の声を漏らした瞬間、菅公は既に男の懐に潜り込んでいた。呪力で極限まで強化された右の拳が、男の鳩尾に深々と突き刺さる。
ゴバァッ!!
鈍い破裂音と共に、男の背中側から内臓と肋骨の破片が吹き飛んだ。一撃による即死。
「なっ……!? 殺せ! 術式を使え!!」
残る二人の呪詛師がパニックに陥りながら、それぞれの術式を発動しようと印を結ぶ。だが、彼らの思考速度よりも、菅公の身体操作の方が遥かに速い。
地面を蹴り、滑るように二人目の死角へ移動した菅公は、男の側頭部に回し蹴りを叩き込んだ。頭蓋骨が砕け散る音が工場に響き渡り、首が不自然な方向へ曲がって絶命する。
「ヒィッ……! 化け物ッ!!」
最後の一人が恐怖に顔を歪め、逃げ出そうと背を向けた。
菅公は無表情のまま、その背中に向けて手をかざす。
指先からバチリ、と青白い火花が爆ぜた。
土師家相伝の術式『落落雷雷(らくらくらいらい)』――その術式順転『飛雷遠雷(ひらいえんらい)』。
指先から放たれた一条の稲妻が、逃げる呪詛師の背中を正確に撃ち抜いた。高圧電流によって心臓を焼かれた男は、声を発する暇もなく黒焦げとなって崩れ落ちた。
「おいおいおい、俺のコレクションにする予定だった素材を、ずいぶんと派手に壊してくれたじゃねェか」
薄暗い工場の奥から、独特の歩調で現れた男。顔に奇妙な模様をペイントし、血濡れた巨大な斧を肩に担いだ男――組屋鞣造である。
彼の手には、禍々しい装飾が施された木箱『コトリバコ』が抱えられていた。
「お前、骨格のバランスがすげェいいな。年齢不詳だが、いいハンガーラックになりそうだ。俺が丹精込めて剥製にしてやるよ」
鞣造はコトリバコを床に置き、舌を舐めずりながら巨大な斧を構えた。
「組屋鞣造、お前には訊きたいこともない。ただ死ね」
菅公の冷酷な宣告と共に、両者は同時に地を蹴った。
激突。
鞣造の斧が、旋風を巻き起こしながら菅公の首筋を狙う。菅公はそれを紙一重で躱し、斧の柄を足場にして跳躍、鞣造の顔面へ膝蹴りを見舞う。
「チッ!」
鞣造も流石に歴戦の呪詛師である。咄嗟に腕を交差させて防御するが、菅公の規格外の脚力に吹き飛ばされ、ドラム缶の山に激突した。
「痛ェなァ……だが、その程度じゃ極上のハンガーラックにはなれねェぜ!」
瓦礫の中から立ち上がった鞣造は、呪力を込めた斧を狂ったように振り回す。周囲の鉄柱が飴細工のように両断され、工場の壁が次々と崩壊していく。
菅公はその猛攻の中を、まるで水面を滑るアメンボのように優雅に、かつ無駄のない動きで回避し続けた。
(身体能力は高いが、所詮はその程度。遊ぶ価値もない)
菅公は静かに息を吸い込み、構えを解いた。
「もういい。終わらせる」
その瞬間、菅公の全身から黄金色の激しい雷光が噴き出した。
バチバチバチッ!! と空気が焦げる匂いが充満する。
術式反転『雷化舜動(らいかしゅんどう)』。
自身の肉体そのものを「雷」へと変質させる絶対的な移動技。
光の速度、すなわち秒速約三十万キロメートル。質量を持つ物体が光速で動けばどうなるか。それは物理法則を凌駕する絶対的な破壊力となる。
「あァ……?」
鞣造が目を瞬かせた、そのコンマ一秒にも満たない刹那。
菅公は既に、鞣造の目の前に立っていた。
そして、ただの「右ストレート」を放つ。
ズガァァァァァンッ!!!!
光速の運動エネルギーを乗せた拳は、もはや打撃という次元を超越していた。
組屋鞣造の強靭な肉体は、防御すら意味を成さず、上半身が文字通り「蒸発」した。血も骨も肉も、超高熱と衝撃によって原子レベルまで粉砕され、赤い霧となって吹き飛んだ。
残された下半身だけが、バランスを崩してドサリと地面に倒れ込む。
「……脆いな」
雷化を解いた菅公は、血の一滴も浴びていない自身の拳を見つめ、退屈そうに呟いた。
だがその時、床に置かれていた特級呪物『コトリバコ』が、異様な拍動を始めた。
ドクン、ドクン、ドクン。
「……?」
鞣造の死によって呪力の均衡が崩れたのか、あるいは何者かが意図的に細工をしていたのか。コトリバコから黒い泥のような呪力が溢れ出し、周囲の死体(二級術師や呪詛師の残骸)を取り込んで急激に膨張し始めた。
それは瞬く間に巨大な肉塊へと変貌し、特級呪霊に匹敵する、いや、それ以上の悍ましい怨念の塊となって咆哮を上げた。
『アァァァァァァァ……!!』
子供たちの怨念が凝縮されたような、鼓膜を破る絶叫。工場跡地全体が、呪霊の発生する強烈な磁場によって空間ごと歪み始める。
「……なるほど。これが本当の狙いか」
菅公は冷静に状況を分析した。
上層部が二級術師を見捨ててまでコトリバコを優先した理由。それはコトリバコが既に暴走寸前の状態にあり、誰かが意図的に呪力を注ぎ込んで「特級呪霊の苗床」として利用しようとしていたからだ。
そして、この罠を仕掛けた黒幕の存在を、菅公の鋭い直感は嗅ぎ取っていた。
菅公は逃げない。
目の前でビルほどの大きさに膨れ上がる悍ましい怨念の塊を見上げ、ただ静かに、右手で印を結んだ。
「良いだろう。どれほどの怨念だろうと、神の雷(いかずち)の前では等しく塵だ」
「領域展開」
菅公の口から紡がれた静かな言葉が、世界を塗り替える。
「――『桑原桑原(くわばらくわばら)』」
瞬間、工場の景色は完全に消失した。
特級呪霊が放っていた悍ましい闇は払われ、そこには「神域」が広がっていた。
足元には、どこまでも続く真っ白な無限の雲海。
そして見上げれば、天を突くほど巨大な幾千、幾万もの「黄金の鳥居」が、幾重にも連なって立ち並んでいる。
厳かで、神聖で、息を呑むほどに美しい結界。土師家が古より祀り、受け継いできた神の領域である。
『ギ、ギィィィィィィッ!?』
神聖な空気に当てられ、特級呪霊が苦悶の声を上げて暴れ狂う。
しかし、領域に引きずり込まれた時点で、勝敗は既に決している。
「消えろ」
菅公が一言命じると同時。
天を覆う黄金の鳥居群から、数億条もの極太の雷が一斉に降り注いだ。
ドゴォォォォォォォォォォォォォォォォンッ!!!!
それは単なる落雷ではない。必中必殺のルールを付与された、絶対的な天罰。
数億の雷撃は、一瞬の途切れもなく、滝のように呪霊へと降り注ぎ続ける。視界は圧倒的な閃光に白く染まり、轟音が世界そのものを震わせる。
『ア、アアアァァァ――――ッ……!!』
特級呪霊の巨大な肉体は、億の雷に焼かれ、削られ、断末魔すら雷鳴にかき消されながら、文字通り「完全消滅」した。
細胞の一片、呪力の残滓一つ残さず。
特級呪物『コトリバコ』もろとも、この世から跡形もなく消し去られたのである。
領域が解け、元の静寂に包まれた廃工場。
そこには、巨大なクレーターだけが残されており、コトリバコも呪霊も、鞣造の死体すらも綺麗に消滅していた。
***
工場跡地から遠く離れた、高層ビルの屋上。
そこから望遠鏡のような呪具を用いて一部始終を観察していた女――額に縫い目を持つ羂索(けんじゃく)は、満足げに微笑みを浮かべていた。
「素晴らしい。本当に素晴らしいよ、土師菅公」
羂索は夜風に吹かれながら、独り言を呟く。
「組屋鞣造程度の呪詛師では相手にならないことは分かっていた。だからこそ、コトリバコに細工をして特級クラスの呪霊をぶつけてみたが……まさか十二歳にして、あれほど完成された領域を展開するとはね」
五条悟という規格外の存在。
しかし、歴史を遡れば、菅原道真の血脈の源流である土師家にも、突然変異のような化け物が生まれることは理論上あり得た。
「圧倒的な身体能力に、光速の術式反転。そして必滅の領域。五条悟に次ぐ、いや、成長次第では彼と並び立つ可能性すら秘めた『特異点』……私の千年を超える計画において、最大の障害になるか、あるいは最高のスパイスになるか」
羂索の瞳に、禍々しい歓喜の色が浮かぶ。
「脅威度の測定は完了した。君がこれからどう育つか……楽しみにしているよ、菅公」
***
翌朝。
任務の報告を終え、冥冥と共に東京の街を歩く菅公。
「コトリバコごと呪霊を消し飛ばしたって? 報告書には『交戦の末、呪霊の自爆により特級呪物は喪失』とでも書いておくよ。上層部の狸共は文句を言うだろうけど、私の知ったことではないしね」
冥冥は楽しげに笑いながら、菅公の肩に軽く手を置いた。
「それにしても、見事な手際だったわ。私の見込んだ通り、君の価値は計り知れない」
「ありがとうございます。ですが、まだ足りません」
菅公は空を見上げ、その冷徹な瞳の奥に静かな炎を宿す。
「あの罠を仕掛けた本命……裏で糸を引いている者が必ずいます。禪院の連中もそうですが、俺の平和を脅かす存在は、この世の全てを滅ぼしてでも皆殺しにする」
十二歳の少年が放つ、血も凍るような殺意。
しかし冥冥は、それを心地よさそうに受け入れていた。
「ええ、期待しているわ。君の力で、もっと私を稼がせておくれ」
土師菅公。
神の雷を統べる若き特級の原石は、その圧倒的な力で、呪術界の勢力図を根底から塗り替えようとしていた。彼の行く手に立ち塞がる者は、ただ容赦なく雷火に焼かれる運命にある。
はい、と言うわけで組屋鞣造は死にました。そして呪術界の黒幕を登場させました。そろそろ登場させなきゃな〜と思っていた2人を出したわけですが問題は組屋を今回で死なせるかどうかかなり迷いました。ですが私的に組屋鞣造はココで死なせておきたかったのでdieにしました。因みに次回からの話はしばらくは菅公君の任務のお話になります。