天神の加護と共に   作:キヨシ

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五条悟との死闘の後の話になります。


第22話 意識の中で蠢くもの

消毒液と仄かな煙草の香りが漂う東京高専の医務室。静まり返った部屋の中央で、一人の少年が白いベッドに横たわっていた。

まだ十二歳という幼さでありながら、その体躯は一七八センチメートルという規格外の長身。しっかりと鍛え上げられたしなやかな肉体は、しかし痛々しい包帯と医療器具の管によって重々しく縛り付けられている。

土師菅公(はじすがきみ)。

平安の御世、学問の神にして大怨霊と恐れられた菅原道真——そのさらに祖にあたる、日本最古の相撲の祖にして陰陽の禁忌を握る血族「土師家」の正統なる末裔。その少年は今、命の灯火が消えかけるほどの途方もない深淵の中にいた。

ベッドの脇に立ち、白衣のポケットに手を突っ込んで溜息を吐くのは、高専が誇る医師であり『反転術式』のアウトプットが可能な唯一無二の存在、家入硝子だ。彼女の目の下には、一週間寝ずの番で治療を続けたことによる濃いクマが刻まれていた。

「……駄目だね。私の反転術式が、全く入っていかない」

硝子は短くなった煙草を携帯灰皿に押し付けながら、背後に立つ二人に向かって首を横に振った。

部屋の壁に背を預け、黒い目隠しの奥から静かにベッドを見つめているのは、現代最強の呪術師・五条悟。そしてその隣で、腕を組み厳めしい顔で眉間にしわを寄せるのは、東京高専の学長・夜蛾正道である。

「硝子、お前の反転術式をもってしても目覚めないというのか。怪我の程度はそれほどまでに深刻なのか?」

夜蛾の問いに、硝子は疲れ切った声で答える。

「外傷や破れた内臓の修復自体はあらかた終わってるんだよ。問題はそこじゃない。菅公の身体そのものが、私の『正のエネルギー』を猛烈に拒絶してるんだ。まるで……自分自身の内側から溢れ出す過剰な反転術式のエネルギーが、外部からの治療を毒だと判定して弾き返しているみたいにね。私の術式を注ぎ込もうとするたび、彼の細胞が悲鳴を上げて反発する。一週間がかりでこれだ。これ以上無理に注ぎ込めば、かえって彼の肉体を内側から破壊しかねない」

「自前の反転術式による拒絶反応、か……」

夜蛾は苦々しく呟き、視線を五条へ向けた。

「悟。お前と菅公の『果たし合い』の末路がこれだ。一体なぜ彼とそこまでの戦闘に至った?」

五条は薄く唇を吊り上げ、過去の光景を思い出すようにゆっくりと天井を仰いだ。

「さあね。でもあいつ、最初から僕を殺す気満々だったよ。理由は単純——僕という『最強』を超えたかったからだ」

五条悟と土師菅公。二人の因縁は浅くない。

菅公の父・土師宗矩(はじむねのり)の紹介で、菅公は自らの意志で一級呪術師・冥冥(めいめい)の弟子となった。その理由はただ一つ、幼き日に見た「五条悟」という規格外の存在への強い憧憬と、それを喰らい尽くしたいという純粋な狂気にも似た求道心からだった。

かつて五条が高専生だった頃、菅公は父に連れられて五条家の屋敷を訪れたことがある。当時から群を抜いた呪力量と異彩を放っていた五条の背中を目に焼き付けた菅公は、幼心に誓ったのだ。「いつかあの男を僕の手で叩き潰す」と。

また、菅公は五歳で禪院家の屋敷を訪れた際、同い年の真希と真依の姉妹に出会っている。呪術界の面汚しと蔑まれていた姉妹に対し、菅公は何の偏見もなく接し、やがて心を通わせる唯一無二の「仲良し」となった。だが、そんな温かな一面を持ちながらも、菅公の本質は冷徹非道な戦士であった。菅公にとって「敵対する者」は理由のいかんを問わず全員が「皆殺し」の対象であり、一度戦場に立てば容赦という概念すら存在しなかった。

そして一週間前。十二歳にして一七八センチの体躯と研ぎ澄まされた体術を誇る菅公は、五条悟にサシの果たし合いを挑んだのだ。

菅公の戦闘スタイルは徹底している。彼は普段、自らの生得術式を「意図的に使わない」。冥冥のもとで極限まで鍛え上げられた肉体、圧倒的な間合いの詰め、そして高密度の呪力を纏わせた素手による打撃——ただの肉弾戦だけで、並の一級呪霊すら一瞬で肉塊に変える暴力こそが彼の基本戦術だった。

しかし、五条の「無下限呪術」という絶対の壁を前にして、菅公はついにその封印を解かざるを得なくなったのだ。

果たし合いの激闘は壮絶を極めた。

術式順転『飛雷遠雷(ひらいえんらい)』——菅公の指先から放たれる稲妻は、広範囲を薙ぎ払うワイドレンジから、極小の点に集約し超高圧で貫くロングレンジまで自在に変化し、大地を削り取った。

さらに、菅公自身の身体を光速の雷へと昇華させる術式反転『雷化舜動(らいかしゅんどう)』。光速という概念そのものが叩きつけられる拳と蹴りは、五条の『蒼』による吸引すら力ずくで置き去りにし、無下限の防御領域の「隙」を突いて五条の頬を切り裂いた。

極めつけは、空間に超高周波の電磁波を発生させ、磁力を介して対象の人体や物体、さらには呪力そのものを分子レベルで捏ね繰り回し破壊する拡張術式『死苦発苦(しくはっく)』。五条の放つ呪力そのものを磁場干渉で捻じ曲げようとする菅公の鬼気迫る攻防は、まさに神話の領域であった。

最終局面、二人は領域展開の激突に至った。

五条の『無量空処』に対し、菅公が打ち立てたのは自らの神聖なる神域——領域展開『桑原桑原(くわばらくわばら)』。

無数の黄金の鳥居と白銀の雲海が広がる領域内で、数億の雷が五条に向かって間髪入れず降り注いだ。

だが、地力の差と無下限の絶対性の前に、最後は五条の紫の閃光が菅公を飲み込んだ。菅公は敗北し、息も絶え絶えの重体となって倒れたのだ。

「……ま、僕の領域を喰らって死んでない時点でバケモノだよ」

五条は自嘲気味に笑い、目隠しの上から額を掻いた。

「十二歳にして、あの術式の完成度。素手でも冥さんのしごきに耐え抜いた化け物じみた体術。そして何より、躊躇なく相手を殺しにくるあの割り切り。僕じゃなきゃ一瞬で消し飛んでたね」

「笑い事ではないぞ、悟」

夜蛾が重苦しい声で制する。

「総監部や御三家——特に保守派の連中は、土師家の生き残りである菅公の存在を極めて危険視している。菅原道真の血を引く男が、これほどの異能を持って目覚めれば、彼らは間違いなく菅公を抹殺するか、さもなくば呪縛をかけて傀儡にしようとするだろう。特に禪院家や加茂家の一部老害どもが動き出せば面倒なことになる」

「だからこうして高専の医務室に隠してるんじゃない」

五条は冷ややかな笑みを浮かべた。

「菅公は僕の『獲物』であり、生徒……いや、将来僕の隣に立つかもしれない頼もしい生意気小僧だ。老害どもの政治の道具になんかさせないよ。目覚めるまで、ここで僕と硝子で匿う。文句があるなら僕を倒してから言えって話さ」

「……やれやれ。学長としては頭が痛いが、今の菅公を外に出せばロクなことにならんのは確かだ。治療の口実で、当面は要治療対象者として高専で保留手続きをとる」

夜蛾は深々と溜息を吐き、重い足取りで部屋を後にした。

医務室に静寂が戻る。

硝子は再びタバコに火をつけ、静かにベッドの上の菅公を見つめた。

178センチの巨躯を持つ十二歳の少年は、ピクリとも動かず、ただ微かな呼吸を繰り返している。

彼らの知らないところで——菅公の意識は、肉体という檻を離れ、自らの『生得領域』の深淵へと堕ちていた。

◇

そこは、本来であれば神々しき「桑原桑原」の世界のはずだった。

どこまでも果てなく広がる雲海。そして、天を突き抜けるように整然と立ち並ぶ数千の黄金の鳥居。澄み渡った空気と神話の静寂が支配する聖域。

しかし、今の菅公の生得領域はその面影を完全に失っていた。

「……なんだ、ここは」

菅公は呆然と呟き、自分の手を見つめた。

足元を覆う雲海は、まるで腐敗した泥のようにどす黒く濁り、重たく脈動している。

見渡す限り立ち並んでいたはずの数千の黄金の鳥居は、ことごとく叩き折られ、凄惨に荒れ果てて黒ずんでいた。

そして、天を覆う漆黒の暗雲からは、激しい地響きとともに「赤い稲妻」が途切れなく降り注ぎ、狂ったように世界を焼き払っている。

「僕の領域が……壊れている……?」

菅公はあてもなく彷徨い歩いた。

足を踏み出すたび、濁った雲が粘りつくように足首を絡め取る。

五条悟に敗れたことへの屈辱。己の弱さへの苛立ち。そして、全身を苛む激痛。

十二歳の少年としての幼さと、命を奪う殺戮者としての冷酷さが交錯する菅公の心は、荒涼としたこの精神世界そのものだった。

幾重にも降り注ぐ赤い雷が、彼の視界を血のように染め上げる。

疲弊し、膝をつきそうになりながら歩く菅公の耳に、突如として「それ」が響き渡った。

『——土師の末裔よ、お前の運命を全うしろ——』

「ッ……!?」

菅公は足を止め、バッと周囲を見回した。

どこからともなく聞こえる声。それは地底の底から響いてくるように低く、静かでありながら、聴く者の魂を直接凍りつかせるような底冷えする恐怖を孕んでいた。

『——より強大な力を求めよ——』

『——お前の中に、大きな恐怖を感じる——』

『——怒りも、憎しみも。……だが、お前はそれを使えていない——』

声はひとつではなかった。幾重にも重なり合い、反響し、菅公の頭蓋の内で直接鳴り響く。

それは彼の心臓を直接握り潰すかのような圧迫感となって襲いかかった。

「黙れ……! 誰だ……誰が喋っている……! 僕の領域で、好き勝手なことを吐くな!!」

菅公は鋭い眼光で暗雲を睨みつけ、声を張り上げた。

荒れ果てた鳥居が、彼の叫びに同調するように激しく揺れる。

菅公は敵対者を躊躇なく殺してきた。死線など何度も潜り抜けてきた。だが、この声が発する「純粋な悪意と格の差」には、生まれて初めて背筋が凍りつくような本能的恐怖を覚えていた。

「お前は何者なんだ!!」

菅公の問いかけが、荒れ果てた黒い雲海と折れた鳥居の群れに虚しく木霊する。

一瞬の静寂。

降り注いでいた赤い稲妻すらもが止まり、世界が息をひそめた。

そして、その声は菅公のすぐ耳元で囁くように、だが世界全体を揺るがす圧倒的な威圧感をもって応えた。

『——私は、お前の未来そのものだ——』

「な——」

菅公が言葉を失ったその瞬間。

天を突き破り、これまでとは比べものにならない太さの極彩色の「赤い雷」が落ちた。

「あ、ガァアアアアアアアアアアアアッ!!!!」

天地を揺るがす爆音と激痛。

菅公の全身を、禍々しい赤き雷光が貫き通す。肉体が弾け飛び、魂が焼き切れるかのような衝撃。

菅公は絶叫を上げながら泥のような雲海へと倒れ伏し、その意識は真の闇へと急速に沈んでいった。

◇

現実世界——東京高専医務室。

「……ん?」

煙草を吸っていた家入硝子が、突如として動きを止めた。

心拍数を刻む医療モニタの波形が、狂ったように乱れ跳ね上がっている。

「硝子、どうした!?」

五条が目隠しの奥の目を鋭く光らせ、ベッドへと一歩踏み出す。

静まり返っていた部屋の中に、不吉な電磁音が響き渡った。

バチ、バチチッ……!

菅公の横たわる身体から、尋常ではない密度の呪力が溢れ出していた。

しかもその呪力には、微かに「赤黒い火花」が混じり合っている。

「なんだ、この呪力は……? 彼の『落落雷雷』の呪力特性じゃない……もっと冷たくて、禍々しい……」

硝子が息を飲んだ。

菅公の体内で激しく衝突していた拒絶反応が、一瞬にして別の「何か」へと変質していくのを硝子は肌で感じ取っていた。

菅公の閉ざされた瞼の奥で、眼球が不気的に動く。

彼の身体を包む赤黒い電流は、まるで意志を持っているかのように医療器具の管を焼き切り、バチバチと音を立てて床を焦がした。

「……未来、か」

五条は目隠しを少し持ち上げ、六眼で菅公の体内の変貌をじっと捉えていた。その口元から、笑みが消えている。

「悟、何が見える?」

「……わからない。けどね、硝子」

五条は菅公の顔を見下ろしながら、低く呟いた。

「この子……の中で、『何か』が目覚めようとしてる。僕と戦った時の強さなんて、ただの前座だったと言わんばかりの、ヤバい奴がね」

昏睡し続ける土師菅公の指先が、ぴくりと動いた。

赤い稲妻が生得領域を焼き尽くし、更なる絶望と力を刻み込んだその時、少年の止まっていた運命の歯車が、禍々しい音を立てて再び動き始めようとしていた。

 




菅公の更なる力の覚醒は新たな不吉の前触れ。菅公が今後どうなっていくのか?何者になるのか?楽しみにお待ちください。
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