天神の加護と共に   作:キヨシ

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今回で入院回は終了です。菅公が瀕死と聞いて一番肝を冷やしたのはこの2人でしょう。


第25話 平謝り

消毒液のツンとした匂いと、それに混じるほのかなメンソールの煙草の香り。

東京都立呪術高等専門学校の医務室は、相変わらず浮世離れした静けさに包まれていた。

パイプ椅子に腰掛けた家入硝子は、白い煙を細く吹き出しながら、目の前で上半身の包帯を解いている少年に視線を向けた。

「うん、綺麗に塞がってるね。皮膚の再生も、深部の筋組織の修復も完璧だ。……というか、やっぱりおかしいな」

「おかしい、ですか……?」

言葉を返したのは、12歳という年齢にはおよそ見合わない、178センチという恵まれた体躯を持つ少年――土師菅公(はじすがきみ)だった。

整った顔立ちにはまだ幼さが残るものの、鍛え上げられたその体躯と凛とした佇まいは、すでに一人前の呪術師としての威厳を漂わせている。

「おかしいどころの騒ぎじゃないよ。五条と本気でやり合って、命があっただけでも奇跡なんだ。あの時の君は肋骨は粉砕、内臓もズタズタ、全身の経絡に至るまで焼き切れかけてた。本来なら反転術式を全開で叩き込んでも半年は寝たきり、下手をすれば一生車椅子覚悟の重傷だったんだよ? それがたったの3週間で普通に歩けるどころか、もう軽度の運動までこなせるレベルまで戻ってる。……やっぱり君の肉体構造、明らかに異常だよ」

硝子は呆れたようにため息をつかみ、灰皿に煙草の灰を落とした。

その言葉を聞いた菅公は、わかりやすく肩を落とし、小さな溜息をついた。

「また『異常』ですか……。ここ数日、硝子さんにも師匠にも、会う人会う人に『異常』『化け物』って立て続けに言われてる気がします。僕、これでも結構凹んでるんですよ……?」

「凹む要素がどこにあるんだい。医者からすれば化け物じみた生命力は羨ましい限りさ」

硝子は苦笑しながら、カルテにカチカチとペンを走らせる。

菅公がこれほどまでに過酷な戦闘を経験し、そして生き延びた理由。それは彼が憧れ続けた存在――最高峰の呪術師、五条悟との「果たし合い」を行ったからに他ならなかった。

菅公が五条悟という男を初めて目にしたのは、まだ彼が幼い頃のことだ。

父である土師宗矩(はじむねのり)の手引きにより、五条家の屋敷を訪れた際、高専生だった当時の五条悟と出会った。天を衝くような絶対的な強さ、全てを見透かす六眼の輝き、そして圧倒的な存在感。幼い菅公の心には、猛烈な「憧憬」が深く刻み込まれた。

『僕も、あの人みたいになりたい』

その一心で、菅公は自らの意思で父に頼み込み、一級呪術師である冥冥に師事した。金に厳しく、合理性の塊のような師匠のもとで、菅公は徹底的に鍛え上げられた。

自身の生得術式『落落雷雷(らくらくらいらい)』は、順転の『飛雷遠雷』、反転の『雷化舜動』、拡張の『死苦発苦』、そして極めつけの領域展開『桑原桑原』に至るまで、文字通り天災級の破壊力を秘めている。

しかし、菅公は通常の戦闘において、意図的にこの強力な術式を使わない。

冥冥から叩き込まれた呪力操作と、研ぎ澄まされた体術、そして一瞬の隙を見逃さぬ冷徹な判断力。それだけで群がる呪霊や敵対者を破砕してきた。そして何より、彼には「敵対する相手は容赦なく皆殺しにする」という、12歳らしからぬ苛烈な死生観が備わっていた。

だが――そんな彼をもってしても、現代最強の呪術師・五条悟の壁はあまりにも高く、そして分厚かった。

自分の全力をぶつけ、術式を解禁してなお届かなかった圧倒的な敗北。肉体を徹底的に打ち砕かれ、生死の境をさまよった末に、こうして硝子の手によって一命を取り留めたのだ。

「ま、凹んでる暇があるなら、そろそろツケを払いに行きな」

硝子は煙草の火を消すと、引き出しから数枚の10円玉と、使い古されたテレホンカードを取り出して机に放った。

「ツケ……ですか?」

「忘れたのかい? 動き回れるようになったら連絡するって約束だろ。禪院家のあの双子――真希と真依だよ。君が五条と戦って重体になったって話、あの家にも伝わっててね。『菅公が死んだ』なんて尾ヒレがついた噂が流れて、あの二人、相当荒れてたらしいから」

その名前を聞いた瞬間、菅公の背筋がヒヤリと凍りついた。

(……あ、やばい)

禪院真希と禪院真依。菅公と同い年の双子の少女たちだ。

かつて5歳の頃、家の交流の一環で禪院家の屋敷を訪れた際に出会って以来、三人は極めて深い絆で結ばれた親友同士だった。相伝の術式を持たないことで落ちこぼれ扱いされていた二人の苦しみや孤独を、菅公は誰よりも理解していたし、二人にとっても菅公は唯一無二の理解者であり、大切な存在だった。

あの過酷な果たし合いに赴く前、二人には何も告げていなかった。

もし告げれば絶対に止められると分かっていたからだ。だが、結果として「菅公が死んだ」という誤報が届き、二人をどれほど深い絶望に突き落としてしまったか――それを想像するだけで、菅公の冷や汗が止まらなくなった。

「……硝子さん、僕、今から逃亡してもいいですか?」

「バカ言うな。男なら自分が撒いた種くらい、ちゃんと刈り取ってきなさい。ほら、敷地外の公衆電話まで走る!」

「うぐっ……はい……」

菅公は重い足取りで小銭とテレホンカードを手に取り、医務室を後にした。

高専の敷地を出て少し歩いた街道沿いに、ぽつんと佇む緑色の公衆電話ボックスがあった。

身長178センチの菅公が中に入ると、狭いボックスの中はいっぱいになり、なんだかひどく不格好だった。

「はぁ……五条さんと戦う時より緊張する……」

菅公は小さく息を吐き出し、震える指先でテレホンカードを挿入口に差し込んだ。

記憶している禪院家の電話番号をボタンで押していく。

――昭和の残り香が強く漂う旧態依然とした禪院家の屋敷。時代錯誤を絵に描いたようなその一族は、最新のスマートフォンや携帯電話などという文明の利器を頑なに拒み、未だに家内の連絡には「黒電話」を使用していた。

カチャ、カチャ、とダイヤルが戻る音が空想の中で響く。

プルルルル、プルルルル――という呼出音が、菅公の心臓の鼓動とシンクロして跳ね上がった。

そして、三回目の呼出音が鳴り響いた直後。

ガチャリ、と重厚な受話器が持ち上げられる乾いた音と、ノイズ混じりの静寂が流れた。

『……どちら様でしょうか』

受話器の向こうから聞こえてきたのは、少し低めで、どこか大人びようと背伸びをしている、聞き覚えのある少女の声だった。真依だ。しかし、その声には明らかな陰りと、憔悴した響きが混じっていた。

菅公は喉の渇きを覚えながら、絞り出すように声を発した。

「……真依ちゃん? 僕だよ。菅公だ」

静寂。

まるで電話線の中の時間そのものが凍りついたかのような、数秒間の完全な無音。

そして――。

『……え?』

真依の小さく掠れた声が聞こえた次の瞬間、受話器の向こうでドタバタと激しい物音が響き渡り、続いて別の聞き慣れた、粗暴で、けれど誰よりも温かい声が鼓膜を突き破らんばかりの大音量で炸裂した。

『菅公か!!? てめぇ、菅公なのか!!? 生きてんのかよオイッ!!!!』

真希だ。男勝りな口調と、張り裂けんばかりの叫び声。

「ま、真希ちゃん!? うん、僕だよ! 生きてる、生きてるから! だからそんなに叫ばな――」

『うるせぇバカ野郎!! 生きてんなら真っ先に連絡してこいよ!! こっちはなぁ……! こっちはお前が死んだと思って……っ!!』

受話器越しに伝わってくる真希の怒号。しかし、その声の端々は激しく震えており、強がりの裏にある激しい感情の渦が痛いほど伝わってきた。

さらに、受話器のすぐ近くから、ぐすっと鼻を鳴らすすすり泣きが聞こえてきた。

『……バカ。菅公のバカぁ……っ!』

「真依ちゃん……!?」

『本当に死んじゃったと思ったじゃない……! 五条悟と戦って、全身ぐちゃぐちゃになって死んだって……みんな言ってたのよ!? 私たちがどれだけ泣いたか……どれだけ苦しかったか……! なんで黙ってそんな無茶したのよぉ……ッ!!』

真依のボロボロとこぼれ落ちる涙の音が、電話線を通じて直撃する。

日頃はツンとすまして素直になれない真依が、なりふり構わず感情を爆発させて泣いている。

菅公は狭い電話ボックスの中で、受話器を両手でしっかりと握りしめ、誰に見られているわけでもないのに、深々と頭を下げた。冷や汗が滝のように額を落ちていく。

「ごめん! 本当にごめん、真希ちゃん、真依ちゃん! 僕がバカだった! 黙って行ったのも、連絡が遅くなったのも、全部僕が悪いです!! 本当にごめんなさい!!」

『謝って済むかバカ!!』

真希の怒鳴り声が飛んでくる。

『お前、自分がどれだけ大事にされてるか分かってんのか!? 1五条悟に果たし合い挑むとか頭湧いてんのか!? お前が死んだら元も子もねえんだよ!! 私たちを置いて勝手に死のうとしてんじゃねえよ!!』

「死ぬつもりなんてなかったんだ! ただ、僕にはどうしても越えなきゃいけない壁で……五条さんの背中に届きたくて……!」

『だからって限度があるでしょうが!!』

真依が涙声のまま叫ぶ。

『あんたのバカな憧れのせいで、私たちがどれだけ生きた心地がしなかったか……! 硝子さんから「命は助かった」って連絡が来るまでの3週間、生きた心地なんてしなかったんだからね……っ!』

二人の放つ言葉の一言一言が、菅公の胸を鋭く貫いた。

日頃の戦闘において、菅公は冷酷だった。立ち塞がる敵は容赦なく殺し、死に直面しても顔色一つ変えない。冥冥から教わった合理性と、生まれ持った凄絶な術式『落落雷雷』を駆使し、修羅の如く戦うことができる。

しかし――いま、この公衆電話の前で、幼馴染の少女二人からぶつけられる感情の前には、一切の術式も、体術も、何の役にも立たなかった。

「……本当に、ごめん。二人がそんなに苦しんでるなんて思わなくて……僕、自分のことしか考えてなかった。心配かけて、本当にごめん……」

菅公の声が素直に縮こまり、心からの謝罪の言葉が何度も何度も漏れ出た。

公衆電話の狭い空間の中で、身長178センチの巨躯を折り曲げるようにして、ひたすら平謝りを続ける菅公。

受話器の向こうで、真希が荒い息を吐きながら、少しだけ落ち着きを取り戻したように呟いた。

『……本当に、もう大丈夫なんだな? 身体、動くようになったのか?』

「うん。硝子さんには『回復速度が異常だ』って気味悪がられたけど……もう普通に歩けるし、怪我はほとんど治ったよ」

『そうかよ……。けっ、相変わらず化け物じみた頑丈さだな』

真希は吐き捨てるように言ったが、その声には安堵の色が濃く滲んでいた。

『次は……絶対に勝手にいなくなるなよ。今度同じことしたら、五条悟に殺される前に私が殴り殺すからな』

『私も手伝うわ。絶対許さないんだから……』

真依の泣きじゃくった声も、ようやく少しずつ普段の調子を取り戻しつつあった。

「うん、約束する。次は必ず、二人に一言いってからにする……あ、いや、無茶な戦いはもうしないよ」

『当たり前だ! ったく……今度高専に行く機会があったら、覚悟しとけよ。ツラ拝んだ瞬間に思いっきり叩きのめしてやるからな』

「あはは……手加減してね、真希ちゃん」

苦笑いを浮かべながら、菅公は胸の奥がじわリと温かくなるのを感じていた。

最強を目指す道は、孤独で苛烈なものだ。敵を皆殺しにし、五条悟というあまりにも巨大な背中を追い続ける日々。けれど、自分にはこうして怒り、泣き、生きて帰ってきたことを本気で喜んでくれる大切な場所がある。

『じゃあな、菅公。また連絡しろよ。黒電話のベルが鳴ったら、私が一番に出るから』

『風邪とか引かないでよ、バカ菅公。……じゃあね』

「うん。二人とも、ありがとう。またね」

プツン、と通信が切れ、ツーツーという乾いた電子音が受話器から響いた。

テレホンカードが静かに挿入口から吐き出される。

菅公は受話器を元の位置に戻し、電話ボックスのガラス扉を押して外に出た。

秋の澄んだ空気が、火照った頬に心地よい。

「……ふぅ。五条さんとの戦いより疲れたかも……」

ぽつりと呟いた菅公は、照れくさそうに苦笑いを浮かべた。

『異常』『化け物』と評価されるほどの圧倒的な潜在能力と、容赦のない殺戮の才を持ちながらも、彼はまだ12歳の少年であり、二人にとってはかけがえのない「菅公」なのだ。

凹んでいた気持ちは、いつの間にか吹き飛んでいた。

菅公は大きく背伸びをすると、青空を見上げた。

脳裏に浮かぶのは、自分を叩きのめした五条悟の白い髪と、六眼の蒼。そして、自分を心配して泣いてくれた幼馴染たちの笑顔。

「もっと、強くならなきゃな」

自分の足元を見つめ直し、菅公はしっかりと地面を踏みしめた。

怪我は完治した。ここからまた、僕の戦いが始まる。

夕暮れに染まり始めた高専の参道を、12歳の大柄な少年は、晴れやかな足取りで戻っていくのだった。

 




と言うわけで絆の深さをより確かな物にした3人でした。この2人を守り抜くその覚悟が菅公に新たな力と道筋を作る事になりそうです。では次回をお楽しみに。皆様の感想をお待ちしております♪
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