漆黒のローブを身に纏い、顔に不気味な骸骨の仮面をつけた謎の男。その異様な存在に誘われるまま、土師菅公は和歌山の山中にひっそりと佇む古墳の奥深域へと足を踏み入れていた。
一歩入った瞬間、菅公の口から漏れ出たのは驚愕と違和感であった。眼前に広がる光景を、一言で表すならば“異様”。古代の土と石で作られたはずの古墳内部は、冷たく鈍い光を放つ重厚な黒い金属によって隙間なく覆い尽くされていた。その滑らかな幾何学的造形は、古代の遺物と言うにはあまりにも近未来的に過ぎる。
(これは……一体何の領域だ? いや、生得領域とも術式とも違う……)
当時12歳にして178センチという恵まれた体躯を持つ菅公は、警戒の眼差しを尖らせながら慎重に歩みを進める。やがて、その足が止まった。
不可解な空間の最奥、そこに古めかしい石の台座が一つ置かれていた。その上には、一尺ほどの長さをした金属の棒が静かに鎮座している。菅公はその形状に見覚えがあった。
古墳の入口で、自らの力を試すかのように突如現れ、交戦したあの髑髏の仮面の男――彼が手にして放っていたプラズマエネルギーのブレード。その柄と、デザインや細部の意匠こそ異なるものの、醸し出している質感が同一のものであると瞬時に理解した。
まるで吸い寄せられるかのように、菅公の右手が自然と伸び、その柄を強く握りしめる。
冷徹な金属の感触が手に伝わった、その瞬間だった。
「若き土師の末裔よ、お前の強さが如何程の物か見せてみろ」
すぐ真後ろから、地に響くような低い女の声が鼓膜を打った。ハッと振り向く間もなく、今度は別の方向から言葉が重なる。
「五条の末裔に劣る存在よ」
顔中に歪な皺を刻み込んだ老人が、嘲笑うかのように菅公の視界の端で語りかけてくる。彼らが揺らめく幻影のように霧となって消え去ると、今度は顔全体を覆う無機質な金属の仮面をつけた男が一人、虚空から現れた。
「誰よりも強くなれ、私が手伝おう。しかし決して忘れてはならない――お前が最も信頼する存在がお前を破滅させるのだ」
再び、先ほどの老人の不吉な残響が空間に木霊する。
「それを理解出来ない脆弱な存在であるのであれば……」
その言葉が終わるや否や、空間の歪みから凄まじい圧迫感と共に、漆黒の装甲服に身を包んだ圧倒的な長身の男が現れ出た。
『貴様は此処で死ぬのだ』
重低音の音声合成のような声が響くと同時に、装甲服の男は手にした柄から真っ赤なプラズマの刃を形成させ、躊躇なく菅公の脳天めがけて振り下ろした。
ゾクりと背筋を凍らせた菅公は、咄嗟に握りしめていた金属棒の釦を親指で押し込む。
ジュウウッ!
一瞬にして柄から純白の光を放つプラズマブレードが起動し、頭上へ滑り込ませて赤い一閃を受け止めた。激しい光芒と熱量が火花となって散り、二つのエネルギー刃が噛み合って甲高い電子音を奏でる。
だが、直後に菅公の身体を襲ったのは、経験したこともない超絶的な質量と圧であった。
(くっ……片腕なのになんて腕力だ……!?)
ミシ、と足元の黒い金属の床が歪む。菅公は強烈な衝撃を殺しきれず、思わず片膝を床についた。178センチの体躯を以てしても、頭上から押し潰されんとする重圧は桁違いだった。ギリギリのところで上半身を滑らかに逸らし、相手の赤刃を滑らせるようにして回避する。
(マトモに防御していたら、腕がもたない……!)
敵の力量を見誤っていたことを瞬時に悟った菅公は、思考を切り替える。相手の力と正面からぶつかり合うのをやめ、刃を受け流す「いなし」に特化しながら、反撃の隙を伺う体勢へと移行した。
だが、相手は菅公のその思惑すら見透かしていた。
装甲服の男は菅公が防御姿勢を流しに切り替えた瞬間、一撃の重さを重視した大振りの構えから、一変して隙のないフォームへと切り替えた。剣尖の鋭い突きと、無駄を削ぎ落とした密着状態での体捌き。間合いを殺した怒涛の連撃が菅公を襲う。
(ま、まずい……!)
普段の戦闘では自らの術式『落落雷雷』を封印し、体術と呪具の扱いを徹底して叩き込んできた菅公だったが、手にしたばかりの未知の呪具は未だ手足のようには馴染まない。鋭い突きと払いの連射に後手に回らざるを得ず、じりじりと壁際へと追い詰められていく。
「はぁっ、ふッ……!」
鋭い横一閃を受け止めきれず、衝撃波で弾かれるようにして後退る菅公。
呼吸を乱す菅公に対し、装甲服の男は動きを止め、機械的な低音で語りかけてきた。
「お前の中に大きな恐怖を感じるぞ、土師菅公。怒りも、憎しみも。だが……お前はそれを使いこなせていない」
その言葉がトリガーとなり、菅公の脳裏に忘却したはずの情景が鮮明にフラッシュバックした。
――数年前、東京高専地下薨星宮
当時、最強の名をほしいままにしていた五条悟との果たし合い。自らの持つ全ての手札を切り、死力を尽くして挑んだにもかかわらず、手も足も出ずに敗北し、意識を失ったあの日。
闇に沈む己の生得領域の中で、確かに聞こえたあの不気味な声。
『お前の中に大きな恐怖を感じるぞ、怒りも、憎しみも。だが、お前はそれを使いこなせていない』
(な……なんだ……? あの時の声と、同じ……!?)
菅公の胸中で、底知れない恐怖が底なし沼のように急速に膨れ上がっていく。心臓の鼓動が早鐘のように鳴り響く。
「お前は……お前は何者なんだ……!?」
搾り出すような菅公の問いかけに対し、漆黒の装甲服の男はただ静かに片腕を菅公へと突き出し答えた。
「私は――お前のなりうる未来そのものだ!」
その瞬間、菅公の身体が金縛りに遭ったかのように一切の自由を奪われた。空間そのものが歪み、目に見えない巨大な磁界が菅公の全身を圧縮する。喉を力任せに握り潰されるような強烈な圧迫感。
(こ、これは……僕の拡張術式……『死苦発苦』の原理……!?)
驚愕に目を見開く菅公を置き去りにし、男の突き出された手から凄まじい高圧の青い稲妻が放たれた。
バリリリリッ――轟音とともに、青い雷光が菅公の胸板をダイレクトに撃ち抜く。
「ガハッ……!?」
桁外れの衝撃波により、菅公の巨躯は弾丸のように背後の金属壁を突き破り、そのまま破片とともに数十メートル以上も吹き飛ばされた。間一髪で受け身を取ったものの、全身を駆け巡った電撃と打撲のダメージは深かった。土煙の中で、菅公は苦悶の表情を浮かべ、再び片膝をつく。
崩壊した壁の穴から、漆黒の装甲服の男が悠然とした足取りで姿を現した。
「幼き土師菅公よ、貴様は余りにも弱過ぎる。五条悟に及ばず、菅原道真にも遠く及ばない。そんなか弱い力で一体、誰を守れる?」
冷徹な宣告が、菅公の鼓膜を容赦なく揺さぶる。
「お前の愛した物達は……やがて来たる強大な闇に呑まれ、朽ち果てていくだけだ」
――その言葉を聞いた瞬間。
菅公の中で肥大化していた「恐怖」という感情が、瞬く間に膨大な「怒り」という燃料に取って代わられた。そしてその怒りは、生来彼が抱えていた苛烈な「憎悪」に火をつけた。
ドォン……!!
菅公の全身から立ち上る呪力が爆発的に膨れ上がる。激甚な呪力の奔流が、古墳内部の重厚な金属壁や床を歪ませ、ミシミシと悲鳴を上げさせた。大地そのものが恐怖に震えるように鳴動する。
「……僕の愛したものを……壊させはしない……絶対に……ッ!!」
菅公の憎悪が完全に爆発した。
彼の手から溢れ出した青白い雷光は、ドス黒い変質を遂げ、まるで生血のように禍々しい「赤」へと染まっていく。
術式順転――『飛雷遠雷』。
それまで意図的に封印していた己の術式が、解き放たれた。
真っ赤に光り輝く赤雷を目にした装甲服の男は、どこか満足気な響きを帯びた声で呟いた。
『私を打ち倒し、お前の運命を全うしろ』
「消えろ―――ッ!!」
菅公の指先から放たれた極太の赤い雷光が、直線状の空間を一瞬で焼き尽くしながら装甲服の男を直撃した。ワイドレンジかつ圧倒的な出力で放たれた赤雷は、男の装甲服ごと、その存在を分子・粒子レベルへと激しく分解し、一切の足跡を残さず消滅させていった。
だが、覚醒した菅公の呪力の奔流は留まることを知らなかった。
溢れ出る赤い雷光は幾重にも枝分かれし、彼を包む古墳そのものを内部から侵食、膨張していく。極限に達したエネルギーは、遂に巨大な水蒸気爆発のごとき大爆発を引き起こし、近未来的な金属の遺構もろとも、古墳全体を跡形もなく崩壊へと導いた。
◇
その頃、古墳の周辺一帯を封鎖していた補助監督たちは、足元から伝わる尋常ではない地鳴りと、空気を肌で刺すように高まり続ける呪力の奔流を感じ取っていた。
「全員、退避!! 全速力で車に乗ってください! 早く!!」
事態の異常性をいち早く察知した伊地知潔高の必死の指揮の下、周りにいた補助監督たちへ大急ぎで避難指示が出されていた。
直後――ドンッ!!という天を突くような轟音とともに、巨大な血の色の雷が地中から噴出。和歌山の山裾を覆っていた古墳の小山を呑み込み、一瞬にして蒸発させるように消滅させてしまった。
離れた安全圏でその凄まじい光景を目撃した伊地知潔高は、冷や汗を流しながら、複雑な胸境に立たされていた。
(よかった……素早く避難指示を出したおかげで、自分も含めて周りの補助監督たちに被害はゼロだ……。だが、問題は……)
伊地知の視線は、跡形もなく消え去って更地となった事故現場へ注がれる。内部へ入っていった土師菅公の安否。12歳とはいえ、あの凄まじい破壊の渦中にいて無事であるはずがない。
その時だった。
天高く立ち昇り、夜空を赤く染めていた巨大な雷が、まるで何かの中心へと吸い寄せられるかのように、収束しながら古墳の跡地へと戻っていった。
光が収まり、もうもうと立ち込める煙の先に、ポツンと立つ一人の人影が浮かび上がる。
「……菅公くん!?」
そこに立っていたのは、間違いなく土師菅公本人であった。
無事だったことに心底ホッとした伊地知は、足を滑らせそうになりながら大急ぎで彼のもとへ駆け寄った。だが、近づくにつれて伊地知の足取りは重くなり、全身の毛髪が逆立つような感覚を覚える。
目の前にいる菅公が放つ圧倒的な存在感は、古墳に入る前とは完全に別人のそれであった。
入る前には身につけていなかった、深みのある焦茶色のローブとフード。彼を包み込む呪力は、以前のような荒々しさが消え、静寂でありながら地脈そのもののように重く、深く澄み渡っていた。
何より、深く被ったフードの隙間から覗く彼の双眸は、闇の中で琥珀色に爛々と輝いている。
「あ……あの、菅公くん……大丈夫、ですか……?」
伊地知が恐る恐る声をかけると、菅公は「あ」と小さく声を漏らし、被っていたフードをすっと脱いだ。琥珀色の瞳の鋭さが和らぎ、馴染みのある12歳の少年の顔に戻る。
「伊地知さん。すみません、無茶苦茶にしちゃって……」
周りの更地と化した惨状を見渡しながら、菅公はどこか年相応の仕草で頭をぽりぽりと掻いた。
「やり過ぎた……これ、父様に怒られるなぁ……」
「……ズコッ!!」
先ほどまでの神々しいまでの威圧感はどこへやら、あまりにも呑気な言葉に、後ろで緊張の糸を張り詰めていた補助監督たちが一斉にズッコケた。伊地知もガクッと膝を折りそうになりながら、ハァと大きな溜め息をつくのだった。
◇
だが、彼が解き放った呪力の余波は、一地方の崩壊にとどまらなかった。
日本全国、いや、世界各地に点在する一流の呪術師たちは、大気を揺るがしたその圧倒的な呪力の奔流を、肌を刺すような悪寒と共に鋭く察知していた。
東京の都立呪術高専。
医務室で書類を整理していた家入硝子は、口に含んでいた熱いコーヒーを思わず「ブッ!」と盛大に吹き出した。
「な、なんだ今の……冗談だろ……」
同じく高専の学長室では、あまりの呪力の余波に生気を失い、顔を青くした夜蛾正道がテーブルを叩いて立ち上がっていた。
「伊地知に連絡を取れ! 和歌山で何が起きた!? 大至急、情報収集を開始しろ!」
高専内が大慌てで蜂の巣をつついたような騒ぎになる中、廊下の窓辺に腰かけていた五条悟だけは、一人違っていた。
目隠しの奥で、彼の「六眼」が歓喜に揺れていた。ニッと口角を吊り上げ、不敵な笑みを浮かべる。
「へえ……覚醒したか、菅公。いいよ、すごくいい。……いつか僕の首を取りに来る日を楽しみに待ってるよ」
次代の「最強」の芽吹きに、絶対の強者は胸を躍らせていた。
一方、和歌山の古墳と物理的距離が近かった京都周辺は、さらに大混乱の渦中にあった。
「な、なにこれ!? 地震!? それとも特級呪霊の出現!?」
京都校の庵歌姫は、突然襲ってきた肌を焼くような呪力の圧迫感に半ばパニックになりながら走り回っていた。学長の楽厳寺嘉伸は、険しい表情で杖を突き鳴らす。
「慌てるな歌姫! 直ちに各員、警戒態勢に入れ! 事態の収拾を急ぐのじゃ!」
京都を拠点とする呪術の総本山、御三家の各門閥――特に賀茂家と禪院家は、まるで天変地異の前触れのような大騒動に見舞われていた。
「門を閉じろ! 結界を強化せよ!」
一族の主力を総集結させる中、異常な呪力の源がかつて交流のあった土師菅公だと知ると、反応は露骨に分かれた。恐怖に震え上がる者が大半を占める中、一部の者は露骨な嫉妬と対抗心を露わにする。
「なんなんやあのガキ……12歳でこんな力持ちおって……腹立つわぁ」
扇子を弄びながら、不機嫌そうに舌を打つのは禪院直哉だ。隣に立つ禪院扇もまた、目障りな存在の成長に顔を歪ませていた。総監部もまた、制御不能な強大な異分子の誕生に、狂ったように緊急会議を開き始めている。
そんな混沌とした禪院家の敷地内で、ただ二人、空を見上げる少女たちがいた。
「へっ……相変わらず無茶苦茶やりやがるな、菅公の奴」
腕を組み、不敵に笑うのは同い年の禪院真希だ。男勝りな口調で吐き捨てながらも、その瞳には熱い闘志が宿っていた。かつて5歳の頃、屋敷で出会って以来の親友であり、憧れの存在。その遠い背中にいつか追いついて見せると、真希は強く拳を握りしめた。
その隣で、妹の真依は遠くの天空で静かに鳴り続ける赤雷の残光を見つめていた。
「菅公くん……」
真依にとって、幼少期から変わらず優しく接してくれた菅公は特別な存在であり、淡い恋心を寄せる相手でもあった。空を焦がす力強い雷を感じながら、彼女はどこか温かい安心感を覚えていた。まるで彼が、離れた場所から自分たちを常に見守ってくれているかのように。
また、加茂家の次期当主である加茂憲紀も、自室の縁側から遠くの空を静かに仰いでいた。
(かつて、私の初の呪詛師狩りをサポートしてくれたあの少念が……これほどの領域に達したというのか)
菅公の力の凄まじさに驚嘆しつつも、憲紀は「私も甘えてはいられない。より精進せねばな」と静かに心の中で誓いを立てていた。
混乱は日本国内にとどまらない。
遥か海外、地球の反対側を放浪していた九十九由基は、足元から伝って響いてきた微小だが確実な呪力の振動に足を止めた。
「へえ……日本の真裏にいる私にまで届くなんてね。またとんでもないモンスターがお目覚めかい」
サングラスを少しずらし、感心したように口笛を吹く九十九。
そして、闇に潜む者たちにも等しく衝撃は走っていた。日本各地に身を潜めていた無数の呪詛師たちは、そのあまりにも強大かつ絶対的な呪力の気配に怯え上がり、蜘蛛の子を散らすように地下深くへと潜伏していった。
「参ったな……計画を大幅に変更せざるを得ないよ」
夏油傑は、手元の書類をテーブルに放り投げ、苦笑いを浮かべた。予定していた「百鬼夜行」の実行計画に、あまりにも不確定で危険すぎる要素が飛び込んできたからだ。
そして、夏油の背後で暗躍する謎の存在――羂索もまた、苦々しい表情で額を押さえていた。
(千年前のあの男……菅原道真の系譜か。まさか、あの呪いの王にすら比肩しうる存在がこの時代に誕生してしまうとはね。計算が狂うな……)
世界が、一人の12歳の少年の覚醒によって大きく揺れ動いていた。
――消滅し、ただの平坦な更地と化した古墳の跡地。そこからおよそ十キロメートルほど離れた、誰も立ち入らない深い山々の峰。
その断崖の頂に、一人、静かに佇む人影があった。
生気を一切感じさせない、灰色のローブとフードを身に纏った男。
菅原道真。かつて菅公を生得領域へと引きずり込み、その運命の歯車を狂わせた張本人である。
男は風にフードを揺らしながら、遠く離れた跡地に立つ土師菅公の姿を、じっと見下ろしていた。そのフードの奥、暗がりの中で、男の双眸が血のように鮮やかな赤色に爛々と輝く。
「……見事だ、土師菅公。お前の運命は、ここから始まる」
男の呟きは風に浚われ、静かに消えていった。
新たな「最強」の誕生を告げるかのように、静まり返った山々に冷たい風だけが吹き抜けていた。
さて、今回のお話で更なる高みに辿り着いた菅公君因みに皆さん今回のお話で出て来たキャラが何のオマージュか分かりましたか?分かった方は感想欄でお答えください!