呪術界の暗部に鎮座する総監部、そして御三家の重鎮たちは、重苦しい沈黙の中でただ一枚の調査報告書を睨みつけ、苦虫をかみ潰したような表情を浮かべていた。
争点の名は、土師菅公。
和歌山県に存在する古代の古墳内部で発生した異常事態の調査において、わずか十二歳の少年が魅せた力の覚醒——それは、既存の呪術界の勢力図を根底から揺るがすほどの異形であった。
「あまりに危険だ。あの破壊規模を見ただろう。あれは到底、非術師の社会と共存できる力ではない。即刻、秘匿死刑に処すべきだ」
加茂家の重鎮が吐き捨てるように言えば、禪院家の者も低く同意を示す。しかし、懐柔か抹殺かという議論が熱を帯びれば帯びるほど、ある一つの決定的な事実の前に言葉は先細り、最後には誰もが口を閉ざさざるを得なかった。
——では、一体「誰が」彼を殺せるというのか。
特級レベルの異常をその身に宿した怪物を屠ることができる存在など、現在の呪術界においてただ一人しか存在しない。現代最強の呪術師、五条悟。
しかし、五条悟が土師菅公を殺害することなど、百億分の一の確率すら存在し得なかった。そもそも菅公が所属する土師家は、五条家の先祖である菅原家の本家筋にあたる血脈である。血縁的な浅からぬ関係に加え、当の五条悟自身が「へぇ、僕の先祖様の本家筋からそんな面白いヤツが出たの? いいねぇ、進化が楽しみじゃない」と笑い、菅公の成長を心待ちにしている始末であった。五条に菅公の抹殺を依頼したところで、返ってくるのは冷笑と拒絶だけであることは火を見るより明らかだった。
「……ならば、冥冥はどうか。金で動く専門家だ。破格の報償金を積めば、あの女なら……」
誰かが絞り出すように提案したが、それもまた即座に失笑とともに却下された。
菅公を幼少期から徹底的に鍛え上げ、怪物としての骨格を作り上げたのは冥冥本人である。己の弟子を「破格の値打ちがある最高級の商品」と豪語し、その将来性に莫大な投資を行っている彼女が、上層部の提示する程度の金でその至高の「資産」を破棄するはずがない。むしろ金を積んで依頼した瞬間、その事実をダシに上層部全体が追徴金という名の恐喝を受け、骨まで毟り取られるのが目に見えていた。
殺すこともできず、金で操ることもできない。
議論という名の堂々巡りの末、出されたあまりにも日和った結論は、「引き続き冥冥の管理下に置かせ、ある程度の年齢に達した段階で東京都立呪術高等専門学校に所属させ、特級の称号を与えて呪術界の枠組みの中に繋ぎ止める」というものであった。
だが——当の呪術界の上層部がそんな苦肉の策で頭を抱えているとは露知らず、当事者である土師菅公は、実家の居間において、父・土師宗矩の前で見事なまでに美しい土下座を決めていた。
「——菅公!!!!」
宗矩の怒号が部屋の欄間を揺らし、庭の竹林をさわさわと震わせる。
「貴様は自分が何をしたのか分かっているのか! 和歌山の古墳は国の重要文化財に指定されている歴史的遺物だぞ! それを完膚なきまでに粉砕した挙句……なんだあの電磁波は!!」
畳に額を擦り付けたまま、菅公は「申し訳ありません」と心の中で呟いた。
十二歳にして身長一七八センチという、大人顔負けの恵まれた体躯を持つ菅公であったが、怒り狂う父親の威圧感の前では小さくなっているように見えた。
今回の任務で相手取った異能の敵に対し、菅公が解き放った特大の赤い雷——術式順転『飛雷遠雷』。そのあまりに過剰な威力の余波は、古墳を物理的に崩壊させただけに留まらず、周囲の市町村から隣接する都道府県の広大なエリアにまで凄まじい異常電磁パルス(EMP)を撒き散らした。結果として、地域の機械類、通信網、送電線はことごとく焼き切れ、一帯のインフラが一時的に完全に死亡したのである。
「呪術師は! 非術師を守るためにその力を使うのだと! 何度言えば分かるんだ! 貴様のやったことは非術師の生活を破壊し、社会を大混乱に陥れただけではないか!」
「術師は非術師を守るためにある」という呪術界の大義名分を、あさっての方向に全力投球で投げ飛ばしたかのような菅公の暴挙。宗矩の雷と同義の説教は数時間にも及び、最終的に菅公は、師匠である冥冥の監視の下、実家での無期限の謹慎を言い渡されることとなった。
「良いか、大人しく反省していろ。当分、部屋から出るな!」
部屋に押し込められ、障子がピシャリと閉められる。
……しかし。
土師菅公という少年が、そんなお達しをおとなしく守り、しんみりと反省するような人間であるはずがなかった。
「……ふう」
菅公は畳の上に座り直すと、ふっと息を吐き出し、口元に不敵な笑みを浮かべた。反省の色など微塵もない。彼の関心はすでに、この謹慎という暇な時間を使って「密かに没頭すべき二つの作業」へと注がれていたのだった。
それは、あの和歌山の古墳内部で回収した遺物の解析と、そこで手に入れた——そして戦闘の余波で破損してしまった——「プラズマブレードの柄」の修復・組み立てであった。
菅公が自室の文机の引き出しから取り出したのは、金属と謎の未知の素材で構成された、奇妙な筒状のパーツ群であった。
なぜ菅公がこの柄を組み立てようとしているのか。それは古墳内部での、死闘と呼ぶにふさわしい戦いにまで遡る。
地下の闇の奥底で、菅公が出会ったのは漆黒の装甲服に身を包んだ男であった。男は徹底して無口であり、名乗ることも、声を発することすらなく、ただ機械のような冷徹さで菅公へと襲いかかってきた。
菅公は普段、自らの術式を意図的に封印して戦う主義であった。父の紹介により、五条悟という強大な存在への憧憬から自らの意思で冥冥に師事した菅公は、彼女から徹底的な体術と呪具の扱いを叩き込まれていた。さらに、5歳の頃に訪れた禪院家の屋敷で出会った同い年の少女たち——男勝りで血気盛んな真希や、どこか冷めていながらも自分に付き従ってくれた真依という大切な幼馴染たちを守り、あるいは対等でいるために、彼は術式という生来の才能だけに頼ることを良しとしなかった。そして何より、菅公には「敵対する者は容赦なく皆殺しにする」という極めて苛烈な戦闘理念があった。
しかし、あの漆黒の装甲服の男は強大だった。
男が手にしていたのは、柄から溢れ出るプラズマエネルギーによって刃を形成する異形の呪具『閃魄刃(せんぱくじん)』。その凄まじい断熱と切断力を持つ刃の前に、菅公の体術と並の呪具は一瞬で打ち砕かれた。
追いつめられた菅公は、意図的に封印していた己の術式を解き放った。
指先から放たれたのは、ワイドレンジにもロングレンジにも自在に調整可能な赤い稲妻——術式順転『飛雷遠雷』。
その膨大な呪力の奔流は、漆黒の装甲服の男を跡形もなく蒸発させ、同時に周囲の古墳そのものを爆砕した。しかし、その過剰すぎる威力ゆえに、菅公が手にしていた『閃魄刃』の柄までもが巻き込まれ、激しい衝撃によってバラバラに破損してしまったのだ。
「……チッ、拾い集めてはみたものの……」
菅公は自室で持ち帰った部品をコネコネと弄り回すが、複雑怪奇な構造は素人の手作業で修復できるような代物ではなかった。幾度となく組み直そうと試みたが、全く進展がない。
「ダメだな。……一度、頭を冷やすか」
気分を変えるため、菅公はパーツを机に置き、縁側に近い畳の上に座して庭の青々と茂る樹々を眺めながら瞑想を始めた。
深く息を吸い、意識を内面へと落とし込んでいく。
だが、最初に頭に浮かんだのは、師である冥冥の妖艶な微笑みと、幼い頃の記憶だった。
『菅公、もっと腰を落としなさい。商品は傷一つで値打ちが下がるが、磨けば磨くほど輝くものだよ』
そして、あの禪院家の屋敷で出会った二人。
『おい菅公! だらだら歩いてんじゃねえよ! さっさと組み手に付き合え!』と、生意気に木刀を振るっていた真希の威勢のいい声。
『……お姉ちゃんったら、また菅公くんを振り回して。あんまりお姉ちゃんに付き合ってあげちゃダメだよ』と、菅公の袖を少しだけ引いていた真依の控えめな声。
(あいつら、元気にしてるかな……)
思い返せば、あの二人とは本当に仲が良かった。同い年でありながら、どこか擦れてしまった彼女たちとの時間が、菅公にとってはかけがえのないものだった。
「……あ」
ふと、自分の顔がニヤついていることに気づく。
「いかんいかん、集中が切れた」
菅公は思わず自分の頬を両手でパンッ! と強く叩き、雑念を払った。余計な思考を放棄し、再び自らの内面深く、呪力の根源たる領域へと潜っていく。
呪術とは、負の感情から生まれるエネルギーだ。
恐怖。怒り。憎しみ。そして苦痛。
菅公は自らの内側にある負の感情を掘り起こし、それらを無限の円環として紡ぎ始めた。ドス黒い呪力が全身を駆け巡り、膨れ上がっていく。
グラグラと、彼を中心として自室全体が軋み始め、床板がガタガタと激しく揺れ動く。謹慎中の屋敷に、禍々しい圧力が満ちていく。
だが、その狂気じみた負の渦中において、菅公の思考の中に「一つだけ」明確で澄み切った像が存在していた。
それは——文机の上に転がっているはずの、あのプラズマブレードの柄であった。
自分が拾い集めた時とは、柄の外見の認識が全く異なる。なぜか、その内部構造のすべてが、まるで己の身体の一部であるかのようにしっくりと肌に馴染む感覚を覚えたのだ。
菅公が目を閉じ、静かにその柄へと向けて右手をかざす。
ガチャンッ! カチャカチャカチャッ!
目を見張るべき光景が起きた。机の上に置かれていた金属のパーツ群が、菅公の呪力に引き寄せられるように空間に浮き上がり、自律的に分解・再構築を始め、その内部構造を彼の前に完璧に晒したのだ。
しかし、菅公の目を真に奪ったのは、複雑な機械機構の隙間から見え隠れしていた、一粒の「純白の水晶」であった。
それは動力を制御し、プラズマを刃として定着させるための核——呪具の心臓部であった。
(これか……!)
菅公は呪力を伸ばし、その純白の水晶を自らの手元へと引き寄せた。そして、一切の躊躇なく、自らの身体から溢れ出る生々しい呪力を、その水晶の中へと注入し始めた。
瞬間。
「ぐあっ……!?」
絶叫が喉を押し通ろうとし、菅公は必死に歯を食いしばった。
激しい苦痛が全身の神経を駆け抜け、脳を直接焼き焦がすかのような衝撃が襲う。水晶は菅公の呪力を受け入れつつも、巨大な拒絶反応を起こしていた。あまりの苦痛に、全身を「恐怖」が支配する。
その恐怖を拒絶するために、菅公は脳を猛烈な「怒り」で満たした。そして怒りから生まれたドス黒い「憎悪」を、力任せに水晶の中へと叩き込む。
しかし、流し込んだ憎悪は水晶の中で増幅され、何倍もの新たな「苦痛」となって菅公の精神へと跳ね返ってきた。
苦痛、恐怖、怒り、憎悪。
終わりの見えない負の螺旋。精神が引き裂かれ、自我が崩壊しかねない過酷な円環の最中——菅公の胸の奥底に、再びひとつの光が去来した。
師である冥冥。
そして、あの愛おしい幼馴染、真希と真依の姿。
もし、自分がここで力に屈したら? もし、自分が弱ければ、あの非情な呪術界の中で、自分や彼女たちはどうなる?
(守りたい!)
心の底から、咆哮のような想いが湧き上がる。
(守りたい! 守りたい!……その為の力をよこせぇぇ!!)
圧倒的な欲望と執着が心を支配し、菅公の呪力が狂暴に暴走しかけた、その時。
『あなたの力は凄まじいけれど、どうかその力を過信しないで、これからも気を引き締めてね』
脳裏に、静かで、透き通った声が響いた。
それは、かつて一度だけ共同任務を共にした準一級呪術師、庵歌姫の優しくも毅然とした言葉だった。
その声を聞いた瞬間、菅公の煮えたぎっていた頭の中に、冷涼な風が吹き抜けた。視界を覆っていた霧が晴れ、クリアな意識が戻ってくる。
(……あぁ、そうでしたね。歌姫さん)
菅公は心の中で深く息を吐いた。
(そうだ……力に翻弄されてはいけない。この力を制御し、いや、支配するのは僕だ)
感情の渦に飲まれるのではない。自分が感情の主となり、それを踏み台にして従わせる。
(この感情を支配するのは僕だ。感情を支配し、己の意のままに従わせ使う……それこそが、真なる力だ!)
覚悟が決まった。
菅公は荒れ狂っていた負の感情を静かに鎮め、整え、澄み切った純度の高い呪力へと昇華させながら、水晶へと静かに注ぎ込んでいった。
暴れていた水晶の拒絶反応が、嘘のように収まっていく。
純白だった水晶は、菅公の感情と呪力を吸い上げ、刻一刻と色を変えていった。
やがて、部屋を埋め尽くしていた圧迫感が消え去り、静寂が訪れた。
菅公の手の中にあったのは、かつての純白の石ではない。
それはまるで、生き物の血のように濃密な赤を湛え、どんな宝石よりも禍々しく、そして美しい輝きを放つ、血赤の水晶であった。
カチャリ、と音を立てて分解されていた柄のパーツが水晶を包み込み、完璧な一つの柄として完成する。菅公がその柄を握り締め、呪力を微量に通すと、柄の先から収束された赤きプラズマの刃が音もなく伸び上がり、暗闇の自室を血のような紅蓮の光で染め上げた。
その刃は、彼の解き放たれた術式と完全に同調していた。
菅公は口元を歪め、静かに己の新たな武器の真名を呟いた。
「特級呪具_____緋蝕刃(ひしょくじん)」
謹慎の最中、12歳の怪物は、呪術界の誰もが想像すらしていない新たな高みへと、また一歩、静かに足を踏み入れたのだった。
今回のお話はここまでです。自分だけの新たな呪具を手にした菅公君がどの様な進化を遂げるのかお楽しみくださいま♪