暇である。土師菅公(はじすがきみ)は、極限まで暇を持て余していた。
十二歳にして百七十八センチという、大人顔負けの恵まれた体躯を持て余し、彼は広大な和室の畳の上で豪快にゴロゴロと転がっていた。
「はぁ……暇だなぁ……」
天井の木目を数えるのも、すでに三度目だった。
彼がこれほどまでに暇を持て余しているのには、当然ながら明確な理由がある。つい先日のことだ。和歌山県にある由緒正しき古墳での呪霊調査任務において、菅公は自身の秘められた真の力を覚醒させた。しかし、その圧倒的な力はあまりにも苛烈すぎた。
菅公の生まれ持つ術式は『落落雷雷(らくらくらいらい)』。
日本三大怨霊の一柱にして学問・雷の神として祀られる菅原道真。その道真のさらに先祖にあたる古代の陰陽・造営を司った名門「土師(はじ)家」の末裔である彼が覚醒させたその術式は、天から神罰のごとき極大の雷光を引き穿つ破壊の権化であった。
覚醒の瞬間、解き放たれた莫大なエネルギーは、調査対象の古墳を史跡ごと綺麗さっぱり消滅させただけにとどまらなかった。余波として発生した広域の強力な電磁パルス(EMP)は、近隣の数県にまたがる電力・通信インフラ網を完全に麻痺させ、一帯を一夜にして暗黒の街へと変え果てさせたのだ。
当然、呪術界上層部および土師家の現当主である父・土師宗矩(はじむねのり)は大激怒。
「力を制御できぬ者に外を歩く資格なし!」と一刀両断され、菅公には「無期限の謹慎処分」が言い渡されたのである。
自身の術式が持つあまりの規格外さに困惑しつつも、父の言いつけを守り、広大な土師家の屋敷の一角で大人しく謹慎生活を送っていたのだが……いかんせん、若く血気盛んな十二歳にとって、何もない室内での監禁生活は退屈の極みであった。
(それに……五条さんのように、もっと格好良く力を使いこなしたかったのに……)
菅公の胸には、一人の男への強烈な憧憬があった。
現代最強の呪術師、五条悟。自らの遠い親戚筋(菅原道真の系譜)にあたるその絶対的な存在に憧れ、菅公は自らの意思で強くなることを望んだ。そんな息子の情熱を汲んだ父・宗矩の紹介によって、菅公は一級呪術師である冥冥(めいめい)の弟子となった経緯がある。金に目がないが、合理的で圧倒的な実力を持つ師匠・冥冥のもとで修行を重ねる日々は、退屈とは程遠く刺激に満ちていた。
その刺激的な日々が恋しい。そう思っていた、まさにその時だった。
廊下から、静かで洗練された足音が近づいてきた。
引き戸がすっと滑らかに開く。
「やあ、菅公。元気に謹慎しているかい?」
淡い銀髪を編み込み、優雅な笑みを浮かべた女性――彼の師である冥冥が立ち姿も美しくそこに立っていた。
「冥冥さん!」
菅公は跳ね起きるように身を起こすと、パッと表情を輝かせた。久しぶりに会う尊敬する師の姿に、胸が踊るのを抑えきれない。
「お久しぶりです! わざわざ僕の面会に来てくれたんですか!?」
「くすっ、相変わらず素直で可愛い弟子だね。でもね菅公、私の時間はタダではないんだ。今日は個人的な依頼があってね」
「依頼……ですか?」
首をかしげる菅公の視線が、冥冥の着物の裾へと向かう。
そこには、冥冥の服を小さな両手でぎゅっと掴み、物陰からこちらを警戒するように覗き込んでいる小さな男の子がいた。
短く整えられた髪に、大きな瞳。まだ幼さが色濃く残る顔立ちの少年だ。
「私の弟の“憂憂(ういうい)”だよ。今年で四歳になる。急な仕事が入ってしまってね、信頼できる人間に預けたくて連れてきたんだ。今日一日、この子の面倒を見てほしい」
「お、弟さんですか!」
菅公は感心しながら、自分の身長(178cm)の高さから見下ろすと威圧感を与えてしまうと思い、膝を折り曲げて目線を低くした。憂憂の目線に合わせ、柔らかい笑みを浮かべて語りかける。
「はじめまして、憂憂くん。僕は土師菅公っていうんだ。よろしくね」
しかし、憂憂は菅公の手を、そして差し出された親愛の情をあからさまに嫌がり、フンッと鼻を鳴らしてプイッと顔を逸らしてしまった。
小さな身体をさらに冥冥の影に隠し、菅公を睨みつけるような視線を送ってくる。
(ぼくの……ねえさまを……盗らないで……!)
幼い憂憂の瞳には、明らかな「焼き餅」の炎が宿っていた。
大好きな、世界で一番愛する「姉様」が、自分以外の人間――それも自分より遥かに大きくて強い男の弟子を親しげに扱っていることが面白くてたまらないのだ。
そんな憂憂の態度に対しても、菅公はまったく気分を害さなかった。むしろ、その全身で嫉妬を表現している小さな姿が愛おしくてたまらない。
(なにこれ……めちゃくちゃ可愛いな……!)
菅公は優しい笑みを崩さないまま、そっと大きな手伸ばし、憂憂の頭をポンポンと撫でた。
憂憂は「な、なにをするでしゅか!」と言いたげに頭を振って抵抗したが、菅公のあたたかい手つきに一瞬だけ毒気を抜かれたような顔をした。
「それじゃあ菅公、憂憂をよろしく頼むよ。報酬は……今回の謹慎の暇つぶし、ということで手打ちにしよう」
「はい! お任せください、冥冥さん!」
冥冥は満足そうに頷くと、風のように去っていった。
残されたのは、百七十八センチの巨大な十二歳と、四歳の小さな嫉妬深い男の子。
二人の、奇妙な一日が始まった。
◇
冥冥が去った後の土師家の屋敷は、再び静寂に包まれた。
菅公は憂憂を自分の部屋に招き入れ、甘いお菓子や茶を用意した。しかし、憂憂は部屋の隅にちょこんと座り込み、膝を抱えたまま菅公を警戒して目を離さない。
「憂憂くん、これ美味しいよ。おせんべい食べる?」
「……いらないでしゅ」
憂憂はむすっとした顔で言い放つ。まだ舌足らずな口調が、その突っ件貪な態度を余計に可愛らしく見せていた。
「ぼくは……ねぇさまのそばに……いたかったのに。……ううん、変なでかいやつのせいで……ねぇさま、いっちゃった……」
「変なでかいやつって、僕のことかな?」
「そうでしゅ! おまえなんか、ねぇさまの弟子にふさわしくないでしゅ! ねぇさまの一番は……ぼくなんだから!」
ポロポロと悔しそうに言葉を吐き出す憂憂。菅公の存在が、大好きな姉を奪っていくように感じられて不安でたまらないのだろう。
菅公は苦笑しながら、お茶を一口すすった。
「そうかぁ。憂憂くんは、冥冥先生のことが大好きなんだね」
「あたりまえでしゅ! 世界でいちばん、ねぇさまが好きでしゅ!」
「うん、わかるよ。冥冥先生はすごく格好いいからね。僕もね、五条様みたいに強くなりたくて、冥冥先生に弟子入りしたんだ。だから、憂憂くんから先生を奪おうなんて思ってないよ」
「……ほんとうでしゅか?」
「本当さ。それに、僕にとっても憂憂くんは大事な『師匠の弟さん』だからね。今日は全力で君を守るし、楽しませてあげるよ」
菅公の真っ直ぐで嘘のない瞳に見つめられ、憂憂は少しだけ居心地悪そうに視線を泳がせた。
だが、依然としてプライドが邪魔をするのか、「ふんだ、騙されないぞ」と言わんばかりに横を向いてしまう。
(うーん、打ち解けるにはもうちょっと時間がかかりそうかな……)
菅公がそう思った、次の瞬間だった。
――ゾクッ。
菅公の背筋を、冷ややかな悪意の針が突き刺した。
長年、冥冥のもとで鍛え上げられた鋭敏な呪力感知が、土師家の屋敷の防衛結界が破られたことを察知する。
(呪力反応……二人!? 結界を侵入者として突破して来た……呪詛師か!)
菅公の目が、一瞬で冷徹な「呪術師」のそれに切り替わる。
父が謹慎を言い渡したため、現在の屋敷には限られた使用人しかおらず、強力な防衛戦力は出払っていた。謹慎中の自分を狙ったのか、あるいは土師家の秘宝を狙ったのかはわからない。だが、明確な敵意を持って侵入してきたことは確かだった。
「憂憂くん、僕の背中から離れないで」
「え……? な、なに……?」
菅公の雰囲気が一変したことに、幼い憂憂も本能的な恐怖を感じ取ったのか、声を手繰り寄せるように小さく身を縮めさせた。
バァン!!
部屋の襖が激しく破り開けられた。
そこに立っていたのは、下劣な笑みを浮かべた二人の男――呪詛師たちであった。
「ヘッ、ビンゴだ! 土師家のガキが本当に謹慎中で留守番してやがる!」
「噂の『雷のバケモノガキ』か。術式を封印されて謹慎中だって話じゃねえか。今のうちに殺して首を上層部に売れば、大金になるぜ!」
気味の悪い呪具を構え、襲いかかってくる二人の呪詛師。
菅公は静かに立ち上がった。その巨躯が、呪詛師たちの前に立ちはだかる。
(僕の術式『落落雷雷』は……使えない)
和歌山での惨状が脳裏をよぎる。あの圧倒的な破壊力は、広範囲を無差別に巻き込む。今ここで発動すれば、屋敷どころか、後ろにいる憂憂まで一瞬で蒸発してしまう。父親から固く口止めされている以上、通常の戦闘において術式に頼る気は最初からなかった。
だが――術式を使わなければ勝てないとでも思っているのだろうか?
「呪詛師……僕と、そして僕の命に代えても守るべき人に刃を向けるんだね」
菅公の瞳から、光が消えた。
彼には一つの絶対的な鉄則があった。
――敵対する相手は、皆殺しだ。
「ガキが、ハッタリを――!」
先頭の呪詛師が短剣型の呪具を突き出してきた。
その瞬間、菅公の姿が消えた。
「なっ――!?」
圧倒的な肉体性能と、過密なまでに練り上げられた呪力強化。
菅公は一瞬で呪詛師の懐に潜り込むと、百七十八センチの体躯から繰り出される容赦のない拳を、男の顎下へと叩き込んだ。
ゴキッ!!
凄惨な骨折音が響き、一人目の呪詛師は悲鳴をあげる暇もなく天井へ打ち上げられ、そのまま崩れ落ちてピクリとも動かなくなった。即死に近い威圧的な一撃。
「ひっ……!? な、なんだこのパワーは! 術式を使ってないのに――!」
残されたもう一人の呪詛師が恐怖に顔を歪ませる。
菅公の放つ殺気は、十二歳の子供のそれではない。完全に死線を潜り抜けてきた本物の怪物、あるいは冥冥の薫陶を受けた冷酷な処理者のそれだった。
窮地に陥った呪詛師の視線が、菅公の背後――恐怖で震えている憂憂へと向いた。
「くそっ! あのガキを人質に――!」
呪詛師は菅公を迂回し、一直線に憂憂へと襲いかかろうと足を踏み出した。
「ねぇさま……っ!!」
憂憂が小さな悲鳴をあげ、目を強く瞑る。
その瞬間、呪詛師の視界から世界が消えた。
ドゴォンッ!!!!
「がはっ……!?」
呪詛師の体に、激しい衝撃が走る。
憂憂の目の前に滑り込んだ菅公が、男の顔面をそのまま畳へと叩きつけたのだ。床板が激しく割れ、塵肺が舞い散る。
菅公は倒れた呪詛師の首根っこを掴み上げると、一切の感情を排した冷たい瞳で見下ろした。
「……僕の目の前で、この子に手を伸ばそうとしたね?」
「ま、待っ――」
命乞いの言葉すら最後まで許さなかった。
菅公の容赦のない追撃が叩き込まれ、二人目の呪詛師も完全に物言わぬ肉塊へと変わった。
室内を支配する、重苦しい静寂と圧倒的な死の気配。
菅公はふぅと短く息を吐くと、自身の手に付着したわずかな汚れを拭い、急速に殺気を霧散させた。
そして、ゆっくりと振り返る。
そこには、腰を抜かしたまま、目を見開いて自分を見つめる憂憂がいた。
菅公は急いで憂憂の元へ駆け寄り、目線を合わせて肩を優しく抱きしめた。
「ごめんね、憂憂くん。怖い思いをさせて。怪我はない?」
さっきまで呪詛師を容赦なく叩き潰していた男と同じ人物とは思えないほど、あたたかく優しい声。
憂憂は、自分を全身で庇い、命がけで守ってくれた菅公の広い胸を見つめた。
あんなに大きくて、怖くて、でも……すごく温かくて、強かった。
大好きな姉様と同じくらい、自分を命がけで守ってくれた。
「あ……あぅ……」
憂憂の大きな瞳から、ポロポロと大粒の涙が溢れ出した。
緊張と恐怖が解け、それ以上に菅公に対する感情が「焼き餅」から「絶大な信頼と憧れ」へと塗り替えられていく。
「ふえぇぇぇん! こわかったでしゅ……こわかったでしゅー!」
「よしよし、もう大丈夫だよ。僕がずっと一緒にいるからね」
菅公は憂憂を優しく抱き上げ、トントンと背中を叩いてあやした。
憂憂は菅公の首元に小さな両手を固く巻き付け、ぎゅっとしがみついた。
「にい……さま……っ」
ぽつりと、泣きじゃくる声の間から溢れ出た言葉。
「え?」
「にいさま……! ぼくを……守ってくれて……ありがとぉ……でしゅ……!」
菅公は一瞬驚いたように目を丸くしたが、すぐに破顔した。
嫉妬に狂っていた小さな弟が、ついに自分を「兄様」と呼んでくれたのだ。
「うん……! どういたしまして、憂憂くん!」
菅公は憂憂をしっかりと抱きしめ直した。
◇
夕刻。
仕事を終えた冥冥が土師家の屋敷に戻ってきた頃には、侵入した呪詛師の死体は屋敷の者たちによって迅速に片付けられ、部屋は何事もなかったかのように綺麗に整えられていた。
引き戸を開けた冥冥の目に飛び込んできたのは、微笑ましい光景だった。
178cmの菅公の膝の上にすっぽりと収まり、安心しきった顔でスヤスヤと眠っている憂憂の姿。その小さな手は、しっかりと菅公の服の袖を握りしめて離そうとしなかった。
「おや……すっかり懐いたようだね」
冥冥がくすりと笑いながら近づいてくる。
「冥冥さん、おかえりなさい。実は途中で呪詛師が二人ほど侵入してきまして……でも、無事に憂憂くんを守り切りました」
「そうかい。さすが私の弟子だ。術式を使わずに解決したのも賢明な判断だね」
冥冥が菅公の頭を優しく撫でる。
その時、廊下から重厚な足音が響き、部屋の入口に威厳に満ちた男が姿を現した。
土師家当主――菅公の父、土師宗矩であった。
宗矩は荒れ果てた庭の痕跡(呪詛師との戦闘跡)と、屋敷内の無事、そして菅公の立ち振る舞いを静かに観察していた。
「……菅公」
「父様」
菅公は膝の上の憂憂を起こさないよう、静かに身を正した。
「今回の敵襲に対し、己の暴走しやすい術式『落落雷雷』を極力封じ、純粋な体術と呪力制御のみで事態を収拾したと聞く。さらに、客人の命を完璧に護り抜いたな」
「はい。術式を使えば、この屋敷も憂憂くんも巻き込んでしまっていましたから」
「……己の力を正しく理解し、制する術を学んだようだな」
宗矩は深く頷くと、厳格だった表情をわずかに緩めた。
「貴様の『無期限謹慎』は本日をもって解除とする。明日からは再び、冥冥殿のもとで精進するが良い」
「父様……! ありがとうございます!」
菅公の顔に、心の底からの歓喜が弾けた。
ようやく、あの退屈で鬱屈とした謹慎生活から解放されるのだ。
「おめでとう、菅公。明日からはまたビシバシ鍛えてあげるからね。もちろん、追加の授業料はいただくけれど」
「はい! よろしくお願いします、冥冥先生!」
二人の会話の気配に、菅公の膝の上で丸くなっていた憂憂がうっすらと目を開けた。
むにゃむにゃと目を擦りながら、憂憂は目の前にいる菅公の顔を見上げ、小さな手を伸ばしてその頬に触れた。
「……ん……あにさま……どこいくの……?」
舌足らずで愛らしい問いかけに、菅公は最高の笑顔を向けた。
「どこにも行かないよ、憂憂くん。明日からも、僕はずっと憂憂くんの『かっこいい兄様』でいるからね!」
「……うん! にいさま、だいすきでしゅ!」
抱きついてくる憂憂をしっかりと受け止めながら、菅公は晴れ渡る空のような晴れやかな心地を感じていた。
退屈だった謹慎期間の終わりに手に入れたのは、謹慎解除の自由と、かけがえのない小さな弟からの愛称――「兄様」という温かい響きであった。
はい、と言うわけで今回登場したのは憂憂君でした。因みにこんなの憂憂じゃないと言うご意見もあるでしょうが原作前の憂憂君の事は誰も知らないので私の独断と偏見で書かせて頂きましたのでご了承下さい。