抜けるような秋の青空の下、重厚な門前で一人の少年が両腕をめいっぱい天へと突き上げた。
「開・放・感……っ‼︎」
十二歳にして百七十八センチという、大人顔負けの高身長と引き締まった体躯を持つ少年——土師菅公(はじすがきみ)は、腹の底から溜まっていた鬱憤を吐き出すように叫んだ。
それを見つめる一人の美女。銀白色の髪をなびかせ、艶やかな笑みを浮かべた一級呪術師・冥冥は、呆れたように小さく肩をすくめた。
「……まるで、刑務所から無事に釈放された犯罪者みたいだねぇ、菅公」
「そんな風に見ないでくださいよ、冥冥さん! 僕がどれだけこの日を待ち望んでいたか……!」
菅公がここまで解放感を爆発させているのには、相応の理由があった。
事の発端は数週間前、和歌山県で行われた調査任務に遡る。
特級相当の危険領域となった現場で、菅公の内に眠る真の力が解き放たれたのだ。菅公の術式『落落雷雷(らくらくらいらい)』——五条家の先祖とされる菅原道真、そのさらに原流である古の呪術家系「土師(はじ)家」の血脈に刻まれた雷の術式。覚醒を果たした彼の雷は、従来の青白さを捨て、万物を焼き払う漆黒の赤——「深紅の天雷」へと変貌し、その威率は従来の数十倍という常軌を逸した領域へと跳ね上がった。
その結果、調査対象であった歴史的価値の高い古墳は跡形もなく完全消滅。
それだけに留まらず、完全解放された赤雷の余波によって巨大な電磁パルス(EMP)が発生。和歌山県全域はもちろんのこと、大阪、奈良、三重といった近隣府県の電力インフラ、通信網、精密機器が軒並み全滅するという、呪術界にとっても前代未聞の歴史的大惨事を引き起こしてしまったのだった。
「現代社会のインフラを術式ひとつで麻痺させるとは、実に経済的損害の大きい暴れっぷりだったね」
「うっ……それは、本当に反省してます……」
当然、土師家の当主である父・宗矩(むねのり)は大激怒。菅公には即座に「無期限の自宅謹慎」という厳罰が下された。
だが、謹慎期間中に事件が起きる。土師家の屋敷を狙い、多数の呪詛師集団が襲撃を仕掛けてきたのだ。しかもその時、屋敷にはたまたま師匠である冥冥の弟・憂憂が滞在していた。
菅公の戦闘における主義主張は二つ。
一つ、「通常の戦闘では意図的に術式を使わないこと(肉体と体術のみで屠る)」。
二つ、「敵対する相手は、例外なく皆殺しにすること」。
襲撃してきた呪詛師たちは、術式すら発動させない十二歳の少年に、ただの肉弾戦と圧巻の戦闘センスで一人残らず骨を砕かれ、首を折られ、全滅させられた。菅公は大切な憂憂を傷ひとつ負わせずに完膚なきまでに護り抜いたのである。
この圧倒的な功績と憂憂(そして冥冥)からの強い後押しもあり、父・宗矩も謹慎を解除せざるを得なくなった。そうして晴れて自由の身となり、翌日である今日、任務復帰を果たした……というのが事の顛末であった。
「さて、無事に社会復帰できたところで……今回の任務の件だがね」
冥冥が手帳を広げながら告げると、菅公の顔が一瞬で物凄く嫌そうな、苦虫を噛み潰したような表情に歪んだ。
今回の任務。それは、御三家の一つ・禪院家当主である禪院直毘人の護衛であった。
呪詛師専用の闇サイトにて、直毘人の首に破格の懸賞金が懸けられていることが発覚。その護衛として、冥冥と菅公の師弟ペアに白羽の矢が立ったのだ。
古臭い権威主義と男尊女卑が渦巻く禪院家という組織を、菅公は心底嫌っていたのだった。
◇
屋敷に到着後、冥冥は術式『黒鳥操術』を用い、無数の烏を上空と外周に走らせて広域警戒を担当。一方の菅公は、直毘人が鎮座する屋敷最奥の広間に通され、当主の近接護衛として待機することとなった。
静寂が支配する奥の間。
菅公は178cmの恵まれた体躯を折り曲げ、微動だにせず綺麗な正座で警戒を続けていた。
その視線の先では、豪快に酒を煽る老人が一人。禪院家当主、禪院直毘人である。
ひょうひょうと瓢箪から酒を飲み干す直毘人は、やがて暇そうに息を吐き、菅公を横目で見た。
「おい小僧。ただ突っ立っておるのも退屈だろ?何か面白い技でも見せい。暇で死にそうだ」
「……当主様。自分は現在、任務中です」
「固いことを言うな。酒の肴にもならんわ」
「任務中ですので」と何度断っても、呑んだくれの老人はしつこく無茶振りを重ねてくる。菅公は深く溜息をつくと、諦めたように尋ねた。
「……はぁ。じゃあ、しりとりでもしますか?」
しんと静まり返る部屋。直毘人は酒杯を止めたまま、菅公を無言で見つめる。あまりの沈黙に、菅公は苦笑いを浮かべた。
「……冗談ですよ」
「——りんご」
「やるの⁉︎」
思わず反射的にツッコミを入れてしまった菅公。そこから始まった、呪術界屈指の権力者と十二歳の少年に寄る不毛なしりとり合戦。
結果——勝者、土師菅公。敗者、禪院直毘人。
「……ぬ、ぬうう……!『う』で責めてくるとは汚いぞ小僧!『うんこ』……あっ……ええい、認めん!儂は負けてな〜い!今のナシだ‼︎」
「往復ビンタされたみたいな駄々の捏ね方しないでください、当主様……」
呆れる菅公の耳に、ふと、廊下を歩く二つの静かな足音が届いた。
ピク、と菅公の眉が跳ね上がる。
気配に殺気はない。菅公が一瞬研ぎ澄ませた警戒を解くと、スッと襖が開いた。
現れたのは、小さな身体にお仕着せの着物を纏った二人の少女——禪院真希と禪院真依であった。
手に小さなお茶の膳を抱え、緊張した面持ちで室内に入ってくると、手をついて深々とお辞儀をする。雑用係としてお茶を運びに来たのだ。
その顔を視認した瞬間、菅公の表情がふっと柔らかく解け、優しい微笑みが浮かんだ。
真希と真依もまた、顔を上げた瞬間に菅公と目が合った。
「「あっ……」」
言葉には出さなかったものの、二人の顔がパッと華やぎ、嬉しそうに綻ぶ。
菅公と真希・真依は同い年の十二歳。
七年前——当時五歳だった菅公が父に連れられて禪院家を訪れた際、出来損ないとして虐げられていた二人と偶然出会い、屋敷の裏で秘密の友達になったのだ。それ以来、機会があるごとに交流を重ねてきた大切な幼馴染であった。
任務中であるため、公の場で互いに親しく会話することは許されない。だが、交わす視線だけで十分に思いは通じ合っていた。
そんな三人の空気感を、酒を飲みながらニタニタと観察していた人物がいた。直毘人である。
「くっくっく……お前達、随分と仲睦まじい様だなあ?」
底意地の悪い笑みを浮かべ、直毘人が揶揄ってくる。
真希と真依はハッと我に返り、顔を真っ赤にして勢いよく頭を伏せた。
直毘人は杯を傾けながら、面白半分に管を巻く。
「どうだ小僧。お主が土師を捨てて我が禪院家に服属するなら、その二人をくれてやっても良いぞ?」
人間を道具や所有物のように扱う、禪院家ならではの理不尽な発言。
真希と真依の身体がピクッと震えた。絶望と恐怖が、二人の瞳を暗く染め上げる。
(また……私たちは誰かの『物』として処理されるの……?)
(菅公に断られたら……私たちは……)
だが、菅公は微動だにしなかった。背筋を真っ直ぐに伸ばしたまま、直毘人の濁った眼光を正面から見つめ返し、毅然と言い放つ。
「お断りします。自分には、この『禪院』という家は肌に合いません」
その言葉を聞いた瞬間、真希と真依の胸に絶望が走った。
(やっぱり……断られるよね……)
しかし、菅公の言葉はそこで終わらなかった。一片の迷いもない、凛とした声が奥の間に響き渡る。
「それに……私は欲しい物は自らの手で獲得する物であると思っております。なので、彼女達を貰い受けるのであれば——正々堂々、私自身の意思と実力で彼女達を奪って行きます」
「〜〜〜〜っっ⁉︎⁉︎」
静まり返る奥の間。
菅公の言葉には、一片の揺らぎも、嘘偽りもなかった。一点の迷いもない凛とした姿勢。
直毘人は思わず目を見開き、ポカンと口を開けた。
そして——言葉の意味を理解した真希と真依の二人は、顔面を茹でダコのように真っ赤に染め上げた。
「なっ……ななな何言ってんだお前はーっ⁉︎ 奪うって何だバカ菅公ーっ!」
「あ、あわ……っ!菅公のバカ!エッチ!変態ーっ!」
手をついたままアタフタと手を振り回し、顔から火が出るほどの恥ずかしさに喚き散らす真希と真依。
そのあまりに純情でパニックを起こした二人を見て、直毘人は腹を抱えて大爆笑した。
「ガハハハハハ!言ったな小僧!言うたなぁ!奪ってみせよ、奪えるものならな!」
その時、カタリと襖が開いた。
外の広域警戒を終えた冥冥が入ってきたのだ。
「やかましいと思ったら、楽しそうだねぇ。……菅公、受けた任務の規定時間が過ぎたよ。一緒に帰るとしようか」
「あ、冥冥さん」
冥冥が室内へ一歩足を踏み入れる。その瞬間、冥冥と真希・真依の視線が空間でぶつかり合った。
——ピリッ。
肌を刺すような緊張感が空間を走る。大人の色気を纏う圧倒的強者の冥冥に対して強い対立心と嫉妬を覗かせる幼い姉妹。
菅公はすっと立ち上がると、真希と真依に向かって柔らかく語りかけた。
「……また会おうね、真希、真依」
二人が赤面したままコクコクと頷くのを確認すると、菅公は去り際に直毘人へ振り返った。
その瞬間、奥の間の空気の重度が、劇的に跳ね上がった。
ズシッ……‼︎
「……っ!?」
酒を飲もうとしていた直毘人の手が、ピタリと止まる。
菅公の瞳から温もりが完全に消失していた。そこに宿っていたのは、五条家の祖を同じくする者としての底知れぬ凄みと、千本の針で全身を突き刺されるかのような鋭利極まる殺気。
「直毘人殿……この二人(真希と真依)のこと、私が貰い受けるまでくれぐれも大切にしてあげて下さい」
菅公の声は低く、そして冷たく響く。
「もし……御身内の誰かが、彼女たちに理不尽にかすり傷ひとつでもつけたなどと私の耳に入ったなら——」
菅公の瞳が、琥珀色に深く輝く。
「——その時が、禪院家の『店じまい』になりますので。……よろしくお願いしますよ」
沈黙。
直毘人は冷や汗を一筋流しながら、言葉を失って少年を見つめていた。この十二歳の化け物は本気だ。もしもの時は、一人でこの禪院家を根切りにする気でいる。
圧倒的な威圧感を残したまま、菅公は去っていった。
◇
禪院家の重厚な門を冥冥と共に潜り抜け、外界の空気を吸った菅公。
「ふぅ……っ!」
菅公は大きく伸びをして身体のこりをほぐした。
すると、先に出て歩いていたはずの冥冥が、気配もなく背後に回り込んできた。
プチッ……
「んっ……⁉︎」
冥冥が、菅公の耳たぶを薄い唇で軽く甘噛みしたのだ。
あまりの刺激に身体を強張らせる菅公。冥冥は口唇を離すと、そのまま耳元で甘く、艶やかな吐息を吹きかけながら囁いた。
「……あまり、他の『雌』に媚を売るのは感心しないねぇ、菅公?」
「〜〜〜〜〜〜っっっっ⁉︎⁉︎⁉︎」
菅公の顔面が瞬時に限界突破の真っ赤に染め上がる。心臓がバックバクと早警鐘を打ち鳴らし、脳内は大パニックを起こしていた。
(えっ⁉︎ どこまで見られてたんだ⁉︎ ていうか『雌』って何⁉︎ 冥冥さん、最初からあの部屋の様子見てたのかーーーっっ⁉︎)
内心で慌てふためく弟子の反応に、冥冥は満足そうに妖しい微笑みを浮かべるのだった。
いや〜、ようやく真希と真依をヒロインらしく登場させる事が出来ました。冥冥さんの存在感が強すぎて影が薄くなっていたのでどうしたものかと考えていたんですけど。これなら存在感が無くなることは無さそうです。
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