都内屈指の超高級フレンチレストラン。遮音性に優れたプライベートルームには、洗練されたクラシック音楽と、最高級の黒トリュフや熟成肉が醸し出す芳醇な香りが満ちていた。
テーブルを囲むのは三人の男女。ひとりは薄紫色の髪を網み込み、優雅にナイフとフォークを動かす一級呪術師にして自他共に認める金の亡者、冥冥。その隣には、彼女と瓜二つの髪色と整った顔立ちをした少年、憂憂。そしてその向かいに座るのが、183センチの恵まれた体躯と精悍な顔立ちを持つ15歳の少年、土師菅公(はじすがきみ)であった。
菅公は五条家の先祖である菅原道真、そのさらに源流に位置する古代の呪術師一族『土師家』の正統なる末裔である。
「――それでね、菅公。来週の頭から東京の呪術高専に行ってもらうよ」
前菜のフォアグラポワレを口に運んだ冥冥が、まるで明日の天気を話すかのような軽いトーンでそう告げた。
「……はい?」
スープを口へ運ぼうとしていた菅公の手がピタリと止まる。完全に初耳の言葉に、菅公は眉をひそめながら尋ねた。
「ちょっと待ってください、冥冥さん。それ、僕は何一つ聞いていないんですけど……一体いつ決まったんですか?」
「3年前さ。君が和歌山の古墳内で派手に大暴れした時から、上層部ではすでに規定路線だったのさ」
ワイングラスを傾けながら冥冥が淡々と微笑む。
「表向きの理由は『呪術師としての一般教養と社会性を身につけさせるため』となっているけれど、まあ、本音は分かりやすいね。君という規格外の存在を、呪術総監部の監視下に置きたいのさ」
「……ちっ、相変わらずあの腐れミカン共のやり方は陰湿だな」
菅公は忌々しそうに吐き捨てた。
菅公の内に眠る術式『落落雷雷(らくらくらいらい)』は、彼の更なる覚醒によって覚醒前とは比べものにならない変貌を遂げていた。発生する稲妻は禍々しくも神聖な血の如き『赤』へと変色し、その破壊力は従来の数十倍にまで跳ね上がっている。指先から目にも留まらぬ速度で放たれる『飛雷遠雷(ひらいえんらい)』、己の肉体を雷化させて光速で移動し、その質量運動エネルギーで対象を砕く術式反転『雷化舜動(らいかしゅんどう)』。さらには強力な電磁波によって人体や物体、果ては呪力そのものすら磁場破壊する拡張術式『死苦発苦(しくはっく)』や、ツァーリ・ボンバに匹敵する最終兵器的な威力を誇る極ノ番『雷帝(らいてい)』。そして、無限の雲海と黄金の鳥居が広がる神域にて数億の赤雷を降らせる領域展開『桑原桑原(くわばらくわばら)』――。
これほどの力を秘めた15歳の少年を、保守的な総監部が放っておくはずもなかった。
菅公はため息をつきつつも、素早く思考を切り替えた。(まあいい。東京に行けば真希にも会えるしな……。持っていくものは、予備の制服に私服、光盤文書、それと『緋蝕刃』の手入れ用具か……)頭の中で高専への引っ越しリストを淡々と構築していく。
そんな菅公の思考を見透かしたように、冥冥が妖艶な笑みを深めた。
「あまり他の雌にうつつをぬかしてはいけないよ、菅公。君の市場価値を下げるような真似をしたら、師匠としてお仕置きをしなきゃならなくなる」
「……変な心配はしないでください。僕はそんなに軽くないですよ」
苦笑する菅公に、隣にいた憂憂が甘えるような視線を向けながら身を乗り出してきた。
「偶には帰って来てくださいね、兄様(にいさま)♪ 姉様を独占できるのは嬉しいですが、兄様がいないと少し退屈ですから」
「ああ、折りを見て戻ってくるよ、憂憂」
菅公は憂憂の頭を軽く撫でてやりながら、残りの肉料理を口へと運んだ。
***
昼食を終えたその日の夜、菅公は単独での呪詛師討伐任務に当たっていた。
場所は都郊外の廃工場。新興の呪詛師集団が潜伏し、一般人を拐っては呪言や呪具の実験台にしていた劣悪なアジトである。
薄暗い工場内に、靴音がコツンと響く。
「誰だてめえ!? 呪術高専のガキか!?」
暗がりから姿を現したのは、異形に変形した呪具を構える5人の呪詛師たちだった。殺気を剥き出しにする彼らに対し、菅公の瞳には一切の感情が宿っていなかった。
菅公の信条は単純明快だ――敵対する相手は、例外なく皆殺しにする。
「ガキだと? 死にに来たのか!」
先頭の呪詛師が巨体を躍らせ、呪力を込めた大斧を振り下ろしてくる。
菅公は術式を使わない。通常の戦闘において、彼が己の術式『落落雷雷』を解放することは滅多になかった。無駄な破壊を嫌い、純粋な体術と剣技で裁くことこそが彼の流儀だった。
ドッ、と激しい打撃音が響く。
菅公は最小限の身のこなしで大斧をかわすと、踏み込み一発、相手の顎へ掌底を突き上げた。光速とまではいかずとも、極限まで鍛え上げられた肉体から繰り出される破壊力は凄まじく、呪詛師の頭部が首ごとへし折れて後方へ吹き飛ぶ。
「なっ……一撃で……!?」
動揺する残りの呪詛師たち。菅公は静かに右手をふところへ伸ばし、一本の柄を取り出した。金属と古代の特殊な鉱石で組み上げられた、装飾の施された柄。
3年前、和歌山の古墳の奥深くで菅公が手に入れた特級呪具――『緋蝕刃(ひしょくじん)』。
菅公が呪力を流し込むと、柄の先端から「ブワッ」という重低音と共に、赤く輝く超高熱・高密度の光芒の刃が伸長した。まるで純粋なエネルギーそのものが剣の形を成しているかのような異形の呪具。ありとあらゆる物質、呪力、呪具、術式を容易く切り裂き、極めれば概念すら切り捨てる破格の性能。
菅公はこの3年間、古代の遺物『光盤文書』に秘められていた剣術を解読し、七つの型を完全に習得していた。
手のひらサイズのピラミッド型をした『光盤文書』。金の細工が施され、内部で赤い水晶が神秘的に輝くその容器は、土師家の正統な血脈を持つ菅公の呪力にのみ反応し、秘匿された古代呪術の智慧を開示してくれたのだ。
「ひ、ひぃっ……なんだその剣は! 死ねぇッ!」
二人の呪詛師が左右から同時に襲いかかってくる。一人は遠距離からの呪術の刃、もう一人は長槍での突刺。
菅公の動きに一切の迷いはなかった。
「――四の型」
機動力と体術に重きを置いた『四の型』を発動。菅公の影が消えたかのようにブレる。瞬時に左側の呪詛師の死角へ回り込むと、緋蝕刃を軽やかに閃かせた。赤き光の刃は、相手の構えた長槍ごと胴体を紙のように滑らかに切断する。
「がハッ……!?」
「二の型」
間髪入れず、右側から迫る呪術の刃に対し、剣尖と体捌きのテクニック重視である『二の型』を繰り出す。飛来する呪力斬撃の軌道を緋蝕刃の腹で撫でるように受け流し、そのまま円を描くような最小限の軌道で呪詛師の首を跳ね飛ばした。
「ヒッ……化け物……化け物だ!!」
残った最後の頭目が、なりふり構わず大量の呪霊を召喚し、自らも特級に近い呪具を構えて菅公へ突進してくる。
菅公は緋蝕刃を上段に構え、冷ややかな視線を向けた。
「――七の型」
一切の防御を捨て去り、全攻撃力を解き放つ最凶の型。
菅公の踏み込みによって足元のコンクリートが爆発的に砕け散る。押し寄せる数多の呪霊、そして敵の防御呪術ごと、一直線に繰り出された赤き一閃がすべてを無へと帰した。
「……ッ!?」
切り裂かれたことすら気づいていない顔のまま、頭目は縦真っ二つに裂けて倒れ伏す。光芒が収まり、緋蝕刃の刃が静かに柄へと吸い込まれて消えた。
工場内に静寂が戻る。転がる肉片と血の海の中、菅公は息一つ乱さず、ハンカチで柄の汚れを丁寧に拭き取った。
***
任務を完了し、夜の静かな街並みを歩きながら、菅公はスマートフォンを取り出した。高専に入学することになった旨を、伝えるべき相手に連絡するためだ。
最初にかけたのは、禪院真希。
コールが2回鳴ったところで、威勢の良い声が響いた。
『よう、菅公か! こんな時間にどうしたんだ?』
「やあ、真希。夜分遅くにごめんね。実は報告があってさ……来週の頭から、僕も東京の呪術高専に入学することになったんだ」
電話の向こうで一瞬の静寂があった後、爆発的な大声が返ってきた。
『マジかよッ!? お前が東京高専に来るのか!? ハッ、最高じゃねえか!! あのクソみたいな禪院家を飛び出して正解だったぜ! お前が来るなら心強いなんてもんじゃねえ! 入学したら速攻で組手しようぜ!』
大喜びする真希の男勝りな声に、菅公は自然と笑みがこぼれた。
「ああ、楽しみにしているよ。よろしくね、真希」
電話を切った後、間髪入れずに次の番号を押す。真希の双子の妹、禪院真依だ。
『……なによ菅公。こんな時間に電話なんて、珍しいじゃない』
どこか不機嫌そうな、しかし嬉しさを隠しきれていない真依の声。
「真依、夜分遅くにゴメン。実は真希にも話したんだけど、来週から僕、東京の呪術高専に行くことになってさ――」
『はぁ⁉︎ なんで東京校なのよ⁉︎』
菅公が言い終わらないうちに、真依の金切り声が聞こえた。
『ちょっと待ちなさいよ! なんで京都校じゃないの!?なんで真希と同じ東京校なのよ、意味分かんない!!』
受話器から距離を置きながら、菅公は困ったように眉を下げた。
「落ち着いてよ、真依。これは総監部が決めたことで、僕の意志じゃないんだよ。僕だって選べるなら真依のいる京都校に行きたかったさ」
『本当でしょうね……? 嘘言ったら許さないんだから……』
完全にむくれている真依に、菅公は優しいトーンで提案した。
「本当だよ。だからさ、休みの日には絶対に京都校まで遊びに行くから。約束する」
『……絶対よ。休みになったらすぐ来なさいよね。来なかったら……蜂の巣にしてやるんだから』
「ふふ、分かったよ。じゃあ、また連絡するね」
何とか真依を宥めて電話を切ると、菅公はふぅと長い息を吐いた。
幼い頃の記憶が蘇る。
菅公が5歳の時、父親である土師宗矩(はじむねのり)に連れられて禪院家の屋敷を訪れたことがあった。そこで出会ったのが、同い年の真希と真依だった。呪力を持たない、あるいは乏しいという理由で一族から虐げられていた幼い姉妹。だが菅公はそんなことなど一切気にせず、二人と真摯に向き合い、すぐに大親友となったのだ。
そしてもう一人、菅公の人生に大きな影響を与えた人物がいる。
最強の呪術師――五条悟。
幼少期、父親の紹介で五条家の屋敷を訪れた際、高専時代だった五条悟と出会った。天を突くような傲岸不遜さと、圧倒的な強さ。「よぉ菅公。お前、面白い呪力してんな」と不敵に笑ったあの男の姿に、幼い菅公は強烈な憧憬を抱いた。
だからこそ菅公は、自らの意志で冥冥に弟子入りしたのだ。五条さんのような『最強』に至るために、徹底的な合理主義と実戦戦闘術を叩き込んでくれる師匠として冥冥を選んだ。
(五条さんにも、高専で会えるのかな……)
スマホをポケットに収め、菅公はふと夜空を見上げた。満月の光が、彼の端正な顔立ちを照らす。
「そう言えば……学生生活なんて初めてだなぁ」
これまで呪術の修行と任務だけに明け暮れてきた15年間。同世代の仲間と共に学び、競い合う学校生活というものに、胸の奥がほんのりと温かくなるのを感じていた。
***
そして、迎えた入学当日。
雲一つない秋晴れの空の下、東京呪術高専の重厚な校門の前に、ひとりの少年が立っていた。
菅公は、真新しい高専の制服に身を包んでいた。183センチの長身に合わせて仕立てられた深い紺色の制服は、彼の引き締まったスタイルをいっそう際立たせている。
校門の先には、緑豊かな境内と歴史を感じさせる校舎が広がっている。
菅公は静かに目を閉じ、秋の澄んだ空気を胸いっぱいに吸い込んだ。背筋をピンと伸ばし、身体の底から呪力と気合を充満させる。
そして、目を開くと同時に、校舎全体を揺るがすほどの声量で叫んだ。
「頼もーー!!!!」
ビリビリと空気が激しく振動し、校舎の窓ガラスにピキッと亀裂が入り、数枚が派手に割れ落ちた。
「な、なんだ何事だ!?」
「敵襲か!?」
校舎内から聞こえてくる教師や生徒たちの慌てふためく騒ぎ声。その喧騒を聞きながら、土師菅公は最高の笑顔を浮かべ、新たな日常へと足を踏み出すのであった。
はい、と言うわけでようやく、主人公を高専入りさせる事が出来ました。ココまで来るの長かったなあ 次回から本格的な学生生活になります。