天神の加護と共に   作:キヨシ

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菅公君の任務は何も正面戦闘ばかりではない事を書きたくてこう言う内容にしました。


第38話 掃除

東京校に入学してから、早くも三ヶ月が過ぎようとしていた。

土師菅公(はじすがきみ)の日常に、安息という二文字は存在しない。十五歳にして百八十三センチメートルに達したその高く引き締まった体躯は、漆黒の制服に身を包み、日々全国津々浦々の凄惨な現場を渡り歩いていた。連日のように繰り返される呪霊の祓除、そして暗鬼のように蠢く呪詛師の討伐。菅公の存在は、いまや呪術界の上層部にとっても無視し得ない巨大な異物であり、同時に圧倒的な戦力として酷使されていた。

菅公の血脈は特殊であった。日本史にその名を刻む大怨霊にして学問の神、菅原道真。その道真を先祖に持つ五条家――そのさらに源流を辿った最古の氏族、それが「土師(はじ)」の家系である。すなわち菅公は、五条家の祖先のさらに先祖にあたる至高の血筋を引いていた。

彼が刻む術式の名は『落落雷雷(らくらくらいらい)』。

本来であっても天災の如き威力を誇る雷霆の術式であったが、菅公の身に起きた「更なる覚醒」によって、その性質は次元を画する領域へと至っていた。菅公の体内から解き放たれる雷は、常世の青白さを捨て去り、血の如く禍々しくも美しい「赤」へと変貌を遂げていたのだ。覚醒した赤き雷霆の破壊力は従来の数十倍へと跳ね上がり、ただの余波でさえ並の級位の呪霊を塵芥に変える。

しかし、菅公は普段の戦闘において、この術式を滅多に使わない。体術と基礎的な呪力操作のみで敵を打倒するのが彼の基本方針であった。己の奥の手を軽々しく晒さない用心深さと、肉体そのものを極限まで鍛え上げる愚直なまでの美学。そして何より――一度敵対した者は、例外なく「皆殺し」にするという冷酷なまでの完遂癖が、彼を完璧な処刑人に仕立て上げていた。

「やあ、菅公。相変わらず忙しそうだね」

都立呪術高専の本館長廊下。柱に背を預けていた最強の呪術師、五条悟が菅公に声をかけた。黒い目隠しの奥から投げかけられる視線には、軽い親愛と、ほんの少しの不穏な期待が混ざり合っている。

「五条さん。帰校したばかりですが、次の仕事ですか」

菅公は足を止め、五条を見上げた。十五歳とはいえ百八十三センチの身長は、高身長の五条と対峙しても何ら気圧されることのない圧倒的な存在感を放っている。

「まあね。君にしか頼めない、ちょっと骨のある……いや、骨の折れる暗殺の仕事さ」

五条が差し出した資料には、古びた一枚の写真が添えられていた。そこに写っていたのは、深く刻まれた皺と粘着質な眼光を持つ、一人の老婦人の姿だった。

「拝み婆……イタコであり、長年呪術師側の目を掻い潜ってきた老練な呪詛師だ」

五条の言葉に、菅公の眉が微かに動く。

拝み婆。死者の魂や身体の情報を現世の肉体に降ろす特異な術式を持つ暗術師。彼女はかつて、五条悟という「規格外の怪物」がこの世に生を受けた瞬間、その圧倒的な気配に恐怖し、完全に姿を消して潜伏していた。半世紀近くにわたり呪術界の捜索網を出し抜き続けていた闇の存在。

「そのババアが、つい最近発生したある事件でヘボをやらかした。彼女の手口とおぼしき痕跡が現場に残されていたんだよ。長年糸口すら掴めなかった上層部は大喜びさ。『即座に発見し、抹殺しろ』ってね」

「なるほど。僕に白羽の矢が立ったわけですか」

「そう。老猾な呪詛師だ、少しでも勘付かれればまたドブネズミみたいに暗がりへ逃げ込まれる。……菅公、今回は単独任務だ。君の師匠みたいに都合よく鴉で全域を見渡してくれるバディはいない。くれぐれも用心深くやってくれよ?」

五条のその言い回しに、菅公の脳裏に師の姿が浮かんだ。

冥冥。一級呪術師にして、金銭と合理性を何よりも愛する麗人。

菅公が自らの意思で冥冥に弟子入りしたのは、10年前のことだ。父である土師宗矩(はじのむねのり)の紹介を受け、菅公は自ら冥冥の門を叩いた。その動機は明確であった。幼少期、五条家の屋敷で目撃した「高専時代の五条悟」――あの圧倒的な「強さ」に対する強い憧憬。五条と同じ高みへ至るため、徹底した戦術と生存術を叩き込んでくれる師として、菅公は冥冥を選んだのだった。

『菅公、強さとは価値だ。そして価値とは、無駄のない選択の上にしか成り立たない』

酒場でグラスを傾けながら、あるいは激しい訓練の最中に、冥冥は菅公にそう説いた。菅公の『菅公』という呼び名には、どこか高価な骨董品を愛でるような冥冥独特の響きがあった。

『冥冥さん、僕は誰も逃がしません。敵は全て殺します』

『ふふ、頼もしいね。だが、逃げられる前の索敵と殺気管理を怠れば、いくら君の威力が凄まじかろうと無価値になる。そこだけは忘れなさんな』

師の教えは、菅公の血肉となって刻み込まれている。

また、菅公の記憶には、五条や冥冥だけでなく、大切な幼馴染たちの姿もあった。

当時五歳だった菅公は、父に連れられて禪院家の屋敷を訪れたことがある。そこで出会ったのが、同じ歳の双子の姉妹――禪院真希と禪院真依であった。相伝の術式を持たぬが故に家内で酷毒な差別を受けていた幼い二人に対し、菅公は一切の偏見を持たず、ごく自然に親しく接した。

高専に入学する少し前、真希は長い髪を結い上げ、特徴的なポニーテール姿になった。

『菅公! お前がどれだけ強くなろうが、アタシは絶対にお前追い抜いてやるからな! 覚えておけ!』

威勢よくそう言い放つ真希の男口調と、力強い瞳。一方で、京都校へと進学した真依は、菅公と会うたびに少し寂しげな笑みを浮かべて菅公の袖を掴んだものだった。

『菅公……真希みたいに無茶しないでね。菅公までいなくなったら、私、本当に嫌だから……』

二人から「菅公」と呼ばれるたび、菅公の胸には静かな温もりが宿った。だからこそ、彼は己の強さを完璧なものにしなければならなかった。大切なものを守り、立ちはだかる敵を泥の如く踏みにじるために。

――大阪、西成区。

淀んだ空気が街全体を覆う日暮れ時。独特の饐えた匂いと、無数の不機嫌な視線が交錯する雑多な街並みに、菅公は気配を完璧に殺して潜入していた。

今回のターゲットは、あの老練な拝み婆である。冥冥のような広域索敵を行えるバディがいない以上、菅公は自らの手で絶対に逃げられない網を張る必要があった。そこで菅公が今回、実戦での「試運転」として投入したのが、己の術式を応用した新技術『蜃気楼』であった。

本来は膨大な破壊力を生み出す『落落雷雷』の性質を精密に制御し、肉体の周囲をごく薄い微小な電磁波の層でコーティングする。これにより体表に反射する光の屈折率を極限まで操作し、背景の景色へと肉体を完全に同調させる――平たく言えば、ステルス迷彩であった。

熱も、音も、視覚的情報も、そして微弱な呪力の揺らぎさえも電磁膜の内に閉じ込める。

雑居ビルの屋上、赤錆びた給水塔の陰に佇む菅公の姿は、肉眼どころか高度な術式探知でさえ捉えることはできない。完全に空間へ溶け込んだ菅公は、瞳だけを冷たく光らせ、眼下に広がる街並みを静かに見下ろしていた。

時間が緩やかに流れる。一分、十分、一時間。

菅公の精神は静水のように澄み渡っていた。五条悟に憧れ、冥冥に鍛えられ、真希や真依の想いを背負う男の集中力は、一瞬の隙も生み出さない。

そして、ついに獲物が動いた。

路地裏の深い影から、腰の曲がった老婆がヒタヒタと足音を忍ばせて歩み出てくる。拝み婆だ。その前後には、彼女が「孫」と呼ぶ二人の男がぴったりと身を寄せていた。孫とは名ばかりの、彼女の護衛であり、いざとなれば肉体を奪うための捨て駒要員である。

拝み婆は絶えず周囲を警戒し、何度も鼻を蠢かせ、呪力の揺らぎを探っていた。長年呪術界の追手から逃げ延びてきた野生の勘が、彼女に尋常ではない警戒を強いていた。

しかし、彼女の視界には何も映らない。上空の屋上に、死神が潜んでいることすら。

(……捉えた)

屋上で姿を消していた菅公の唇が、静かに紡がれる。

逃がさない。一切の言い訳も、遺言も、反撃の隙すら与えない。敵対する者は、ただ死ぬべきなのだ。

菅公は全身を覆っていた『蜃気楼』の電磁膜を、一瞬で解除した。

本来であれば、通常の戦闘で術式を使うことを嫌う菅公だったが、相手は半世紀を逃げ抜いた老猾な呪詛師。万に一つも失敗は許されない。故に、彼は最初から最大の確定殺傷力をもって強襲する。

菅公の体内で、覚醒した「赤き呪力」が爆発的に跳ね上がった。

術式反転――『雷化舜動(らいかしゅんどう)』。

次の瞬間、雑居ビルの屋上から「世界の法則」が消失した。

『雷化舜動』は、術者自身の肉体を純粋な雷へと変化させ、文字通り「光の速度」で空間を駆け抜ける反転術式である。移動そのものが光速であるため、そこに発生する運動エネルギーは物理法則を凌駕し、ただの踏み込み、ただの通過、ただの手刀の振るいすらも、核の爆風に等しい桁外れの威力へと跳ね上がる。

拝み婆が、己の頭上から不穏な「気配」を感じ取る隙すら存在しなかった。

光速の領域において、音は置き去りにされる。空気の振動も、恐怖の感情も、神経の伝達速度すら追いつかない。

赤い光条が、天から地に一本の筋となって落ちた。

刹那。

ドサッ、と重い物体が地面に倒れ伏す音が、静まり返った路地裏に虚しく響いた。

そこには、首から上を失った拝み婆の胴体と、同じく首を失った二人の「孫」の肉体が、まるで糸の切れた人形のように泥の上に転がっていた。切り口は赤き雷の超高熱によって一瞬で焼き切られ、血の一滴すら噴き出すことすら許されていない。

自分たちが襲撃されたこと、死んだこと、首を斬り落とされたことすら――拝み婆たちは何一つ理解できないまま、絶命していた。

シュウ……と、かすかな蒸気が立ち上る路地裏の真ん中に、一人の少年が静かに着地した。

菅公である。

百八十三センチの長身、乱れのない制服。その右手には、髪の毛を掴まれた拝み婆の生の首級と、左手には二人の孫の首が、無造作に握りしめられていた。拝み婆の顔は、生前の警戒の表情を浮かべたままで固まっている。死んだことすら認識できていない、完璧な「即死」の証であった。

「……試運転としては、上々か」

菅公は手の中の首を冷酷に見つめ、ぽつりと呟いた。

術式反転『雷化舜動』の光速強襲の前に、老練な呪詛師の経験も、汚い知恵も、全ては無意味だった。覚醒した赤き雷の余熱が、菅公の指先で小さくパチパチと爆ぜては消えていく。

彼はポケットからスマートフォンを取り出し、五条悟の番号を呼び出した。コールが一度鳴るか鳴らないかのうちに、軽い声が耳元に届く。

『はいはい、悟ちゃんだよ。どうだった、菅公?逃げられちゃった?』

「いいえ。拝み婆、および護衛の二名、全滅させました。首も確保しています」

『……ハハッ! マジで? もう終わったの? 君、本当に容赦ないねぇ。まあ、あのババアに逃げられるより百万倍マシだけどさ』

「これより帰還します。五条さん、次の任務の準備をお願いします」

『オッケーオッケー。気をつけて戻ってきてねー』

通話を切ると、菅公は首を適当な布で包み、背を向けた。

自分の強さは、まだ完成していない。五条悟という頂点の領域には届いていない。そして、真希や真依を守り抜くためには、この程度の戦果で満足するわけにはいかなかった。

「落落雷雷」の真の力を隠し持ちながら、少年は静かに、闇の広がる大阪の街を後にした。首を握りしめたその背中は、十五歳とは到底思えぬ、圧倒的な死神の威容を湛えていた。

 




拝み婆死す、羂索側の戦力が確実に減ってますね(笑)
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